校長先生からのごあいさつ

大田原市立黒羽小学校長 英 由香ごあいさつ

 

 

 

 

 

大田原市立黒羽小学校長 英 由香

 令和2年度に引き続き、大田原市立黒羽小学校長として務めさせていただく、英 由香です。どうぞよろしくお願いいたします。また、本校のホームページを御覧いただき、ありがとうございます。

 本校は、緑豊かな山並みに囲まれ、那珂川の清流を眼下に見下ろすことのできる自然豊かな場所にあります。城下町であったことを思わせるような家々が静かに立ち並び、子どもたちを見守ってくれているかのようです。

 昨年度末に、念願だった侍門の修繕を終えることができました。クラウドファンディングにより、地域・保護者のの皆様方、また全国からの御支援をいただき、無事に完成することができましたこと、心より感謝申し上げます。堂々とそして凛とした侍門の姿に誇らしさを感じさせます。

 未来を担う黒羽小学校の子どもたちへのお気持ちとして受け取らせていただきました。皆様の期待にこたえられるような、子どもたちの育成に努めてまいりたいと思います。

 そして、黒羽小学校の前身が「作新館」であり、黒羽藩主、大関増陽(おおぜき ますはる)氏の「不如学(まなぶにしかず)」が校訓として受け継がれているなど、歴史と伝統ある学校であることに誇りをもち、これから児童の教育に携わっていきたいと思います。

 今年度は、全校児童118名でスタートいたしました。元気なあいさつができるとても素直な子どもたちです。この子どもたちの未来を輝かせるためにも、児童一人一人の可能性を引き出し、将来大きく羽ばたいていけるような教育を目指します。

 そのために、「知・徳・体バランスのとれた児童の育成」を学校経営方針に掲げ、基礎学力の向上、自尊感情の高揚、体力と健康の増進を進めていきます。さらに、地域の皆様とともに、黒羽小学校の子どもたちを育てていきたいと思っています。御理解、御協力をお願いいたします。

 

 

 

                                平成29年度~令和元年度

大田原市立黒羽小学校長 田崎 真

 この度は、大田原市立黒羽小学校のホームページを御覧いただき、誠にありがとうございます。

  本校は、栃木県の北東部に位置する全校児童137名の小規模校で、黒羽城址公園(黒羽城跡)の近くにある小学校です。松尾芭蕉が長く滞在した地であることから「芭蕉の里くろばね」と呼ばれています。また、那須与一が扇の的を射落とそうとしてお祈りをした那須神社が近くにあることから、「与一の郷おおたわら」としても親しまれている街です。その那須神社の拝殿に、江戸時代の中頃(1792年)に黒羽藩の殿様であった大関増陽(おおぜき ますはる)氏の書いた「不如学(学ぶにしかず)」という額が掲げられていました。後に(1820年)、増陽の子孫が黒羽藩の藩校として建てた「何陋館(かろうかん)」→「作新館(さくしんかん)」が黒羽小学校の前身です。 増陽氏が学問を重んじていたことから、現在も本校の校訓は「不如学(学ぶにしかず)」が受け継がれています。さらに、本校の体育館のそばには白壁作りの土蔵が2つあります。現在では、市の文化財保護施設「黒羽芭蕉の館」に移されましたが、平成10年(1998年)までは、土蔵の中に作新館の先生やそこで学んだ人たちの使用した教科書や参考書が3,209冊(桐の箱60箱)収められていました。これらの本は、大正4年(1915年)に殿様の子孫である大関増輝(おおぜき ますてる)氏から寄贈されたもので、「大関文庫」と呼ばれています。また、平成9年までは、教職員や児童たちが夏休みに1週間かけて虫干しを行っていたと聞きます。このように、黒羽小学校は歴史と伝統ある学校です。

PTA会長からのごあいさつ

黒羽小学校の歴史について


 

 

 

 

 

 

令和元年度PTA会長  大金 春樹

  黒羽小学校は平成25(2013)年に片田小学校と統合して、今年度6年目になる小学校です。黒羽小学校の歴史は古く、黒羽藩の殿様、大関増業(マスナリ)により、素読所から始まり文政3年(1820年)『阿陋館(カロウカン)』と『練武園(レンブエン)』の2つの学校を創立したことから黒羽小学校の歴史は始まり、約200年続く学校です。
 そして、黒羽小学校の前身でもある『作新館(サクシンカン)』が誕生し、作新館と名を付けたのは『勝 海舟』と伝わっています。この作新館の名前を聞いて、頭に浮かぶ方も多いと思います。宇都宮市にある作新学院は、当時、作新館で先生をしていた2人の兄弟が作新館から黒羽小学校に名前が変わる時、作新の名前が無くなるのを残念に思い、次の赴任先であった下野英学校の当時の校長先生に作新館の素晴らしさを伝え、その学校が作新の名前を引き継ぎ、後に『作新学院』となったそうです。よって、作新の流れを受け継いでいるのは、黒羽小学校と作新学院の2校になります。
  私には大切にしている言葉があります。それは、『子供は宝』です。この言葉は、十数年前に初めて学校関係の役員になった時に聞いた言葉です。それ以来、学校に関わる際は、この言葉を胸に秘めて行ってきました。そして、今年度、改めて私にとって子供たちとはなんだろう?と考え、入学式の挨拶で、『お日様のような新一年生』から始まり、『お日様のように、温かく、優しく、元気に6年間を過ごしてください。』と締めました。
 子供は宝。そして、子供たちはすべてを照らすお日様と考え、この2つを大切にし、子供たちの心をキズつけないように、子供たちの心を曇らせないようにこの1年、子供たちの笑顔、そして大きな一人一人の可能性の為に、皆様のチカラと考えをお借りして黒羽小学校のPTA活動を行っていきたいと考えております。
 歴史が深い学校のPTA会長を務めることは、とても名誉でありますが、過去の歴史や伝統がいかに立派なものであったとしても、現在の私たちが努力しなかったら、作新の流れは途絶えてしまいます。地域の皆様と先生方、次の世代の子供たちに受け継ぐ事も重要な役目と考えております。

(参考文献:黒羽小学校『作新の流れ』昭和49(1974)年より)

 

 

 

黒羽小学校のHPを開設するにあたって 

平成29年度PTA会長 屋代 隆

 地域社会における学校教育の基本理念の一つに、「地域・郷土の歴史、伝統、文化」の継承とそれらの啓発があります。黒羽小学校は、安政4年(1857年)に黒羽藩が藩校として「作新館」を創立されたものを、現在まで継承してきました。「作新館」の前身である「何陋館」の時代に遡れば200年の永きにわたり、歴史と伝統を受け継いで来ていることになります。明治21年には、宇都宮市の下野英学校が私立作新館の名称を継承したほど、格式の高い歴史的背景を有しています。全国的にも稀有な例であり、地元民としても大変な誇りです。創立以降、校名は変遷してきましたが、「何陋館」「作新館」以来の歴史はそのまま継続しているのは、皆さまご存じのとおりです。
 江戸期に藩校として設立され、現在もそれを継承する学校が存在している例は、全国で70-80あるそうです。その中で小学校が継承校となっているのは数少なく、栃木県内では我々の黒羽小学校があるくらいで、関東地区でも他にはなさそうです。「何陋館」の設立から200年もの長きにわたり、地域の教育をリードする場として存続してきた作新館・黒羽小学校の歴史はまさに得々たるものです。例えば、二千三百点の「大関家文庫」や四千四百冊もの書籍からなる「作新館文庫(大関文庫)」が関係者の多大な努力により、長期間にわたり保存・利用されてきました。後者の「作新館文庫」は大関氏の蔵書や藩校作新館の蔵書からなるもので、大正4年(1915年)に大関増輝氏から寄贈され当時の黒羽小学校に納められました。学校構内の土蔵に保管され、毎年夏前後になると曝書が行われました。当時児童であった私もふくめ黒羽小学校の卒業生であれば誰でも「虫干し」の経験があります。高学年になると、先生方の指示のもと土蔵から蔵書を取り出し、そして陰干しをしてまた戻す。当時は、重要な書物であることなどほとんど知らずに、「虫干し」に参加していました。現在は、作新館公印等の他の重要な品目とともに「芭蕉の館」に移され保存・研究されています。
 さて、全国には数多くの初等・中等・高等学校があります。大学、大学院大学も含めて、それぞれの個性に立脚した歴史と伝統を如何にして創造していくか、は重要な課題です。そして、教育、とくに全人的教育にはたす良き歴史と伝統の力には計り知れないものがあります。その様な伝統ある学校に関わりをもつことができたのはこの上ない幸せです。今回、教職員の皆様方のご協力のもとPTAが直接支援する黒羽小学校のホームページがスタートできることになりました。作新館という藩校、そしてそれを継承する現大田原市立黒羽小学校に関わる歴史、文化、伝統の重要性を改めて想ってみるべき良い機会であると考えます。
 現在の黒羽小学校の通知表には、大きく「作新」と表書きされています。現役の児童の皆さんも、何となく歴史のあるこの小学校に通っていると、通知表だけでなく多くのものから無意識に歴史と伝統なるものを自覚してくるのではないでしょうか。それが歴史と伝統の力であると信じます。そして、自然に高い品性まで手にすることができるのではないでしょうか。押しつけではない真の教育の原点がそこにあるように思えてなりません。

(参考文献:新井敦史『下野国黒羽藩主大関氏と史料保存』随想舎、2007年)