日誌

2017年11月の記事一覧

11/9 寺山遠足 16

 
ここで「牛石」について紹介しましょう。この立て札には次のように書かれています。高原山剣ケ峰のふもとに建っていた観音寺は延暦22年(803)雷火による火事で焼けてしまいましたが、大悲閣観音堂と尊像は焼失を免れました。
 
そこで、寺を里山に近いところへ移転することになり、観音堂を解体して牛の背中に積んで運ぶことになりました。牛はゆったりと坂を降りてきましたが、現在の寺山に差し掛かるとピタリと止まって動かなくなりました。
 
そこで現在の場所に観音寺を建てることになりました。大同元年(806)のことでした。
 
 観音様は、牛の苦労をほめたたえましたが、牛は観音様のそばを離れようとはしませんでした。そこで観音様はいつまでも近くにいて仕えるようにと、牛を石に変えてやりました。白と黒のまだら色は、牛の毛色が残ったものと伝えられています。これが、牛石の伝説です。

11/8 6年生日光見学2

 
東照宮まで駐車場から歩いて10分くらいです。
 
1列で並んで歩きます。天気は晴れ、風もなくあたたかい日です。
 
東照宮が初めての子が多いです。
 
きれいに紅葉した木がありました。林の中を進みます。

11/8 3年生校外学習3

 
並塚の古墳のお話を聞いた後に、「水無」に行きました。この地名は、昔この土地には大きな川がなく、水が足りなかったことから名付けられたそうです。
 
そこでリンゴやさんに寄りました。大きなおいしそうなリンゴもたくさんありましたが、子供たちの目を引いたのは小さな「姫りんご」でした。
 
このリンゴは観賞のためのリンゴです。めずらしいので一人2つずつもらいました。
 
次に行ったのは「桜地蔵」です。このお堂の中にあるお地蔵様のことです。お堂の後ろに大きな桜の木があります。「エドヒガン」という桜の種類です。300年ほどの古い木です。毎年、春先1番に咲きます。このお地蔵さんは「子育て地蔵」とも呼ばれ、子供が健やかに育つようにと願う人が多いそうです。また、子供が授からない人がこの地蔵さんにお参りすると、子宝に恵まれると伝えられています。

11/8 ミヤコタナゴ保護活動8

 
ミヤコタナゴについて少し調べてみました。東京都文京区小石川の東京大学附属植物園内の池で採集された個体に基づき、1909年に新種として発表された日本固有種です。「東京のタナゴ」という意味で、ミヤコタナゴと名付けられました。
 
かつては関東地方に広く分布する「ごく普通の魚」でしたが、河川改修工事や圃場整備事業、休耕田化、都市化にともなう生息環境の荒廃などによってその生息域が激減し、現在では、大田原市、矢板市をはじめとする数ヶ所でしか自然状態での生息が確認されていません。
 
湧水のある河川の支流や湧水池に閉鎖的に生息します。ミヤコタナゴが生息する水路部分の多くは、古くから水田の用水路として利用され、維持されてきました。
 タナゴ類全般に共通しますが、生息域が狭いこと、移動性が小さく定着性が高いことから、環境改変の影響を受けやすい種です。
 
体長は40mm前後、タナゴ類の中では小型です。1対の口ひげが特徴です。
 オスの婚姻色は独特で、頭部と背中は青紫、側面は紫、胸腹部は朱色、背ビレは白色、腹ビレと尻ビレは基部から縁辺へと淡黒→白→朱→黒と帯状に染まります。

11/8 合同運動会59

 
タワーを崩しています。その間も子供たちは姿勢を崩しません。
 
頑張りどころです。そして礼をして終わりになりました。
 
2台目のカメラの写真をお届けします。カメラの位置は前方の西よりでしょうか。
 
動きが激しい場面です。きれいに隊形が変わっていますね。

11/07 6年生日光見学1

 
昨日の6年生の日光の見学についてこれから少し詳しくお知らせいたします。
 
バスの中から見送りの先生やバスの運転手さんに手を振りました。
 
日光東照宮の近くの駐車場に着きました。9時20分です。
 
これから並んで東照宮の見学に向かいます。

11/7 市球技大会2

 
市球技大会の様子です。途中経過です。リードしています。
 
先生の話を聞いて、次のピリオドに備えます。ドリブルのシーンです。
 
点数を次々と入れます。試合が終わりました。ベンチの子も整列しました。
 
勝ちました。笑顔でベンチに戻ってきた選手です。34対13で勝利です。

11/7 ミヤコタナゴ保護活動7

 
バケツリレーは順調に進みます。池の上手に捨てるリレーと下手に捨てるリレーができました。
 
この子たちは池の下手にすてるリレーチームです。
 
一番先の方では、大人の人がバケツの泥を捨てています。
 
別のカメラでその様子をもう一度見てみます。

11/7 寺山遠足15

 
この石は「丁目石」というそうです。 町目石とは、昔の時代に、信仰登山などで行き来する登山者が目印とできるよう、1丁間隔で目印となる石が設置されたようです。
 
丁は昔の距離単位のことで、1丁は109mにあたります。
 

ふもとから目的地までの山道や街道に設置されました。ふもとから目的地まで、数字が大きくなっていく町目石もあれば、逆にふもとから目的地へ数字が小さくなっていく町目石もあるそうです。寺山観音寺はふもとから数字が大きくなっていきます。16丁目まで確認出来ました。ここまで1774mということでしょうか。
 
牛石のある場所まで来ました。