日誌

11/9 寺山遠足 16

 
ここで「牛石」について紹介しましょう。この立て札には次のように書かれています。高原山剣ケ峰のふもとに建っていた観音寺は延暦22年(803)雷火による火事で焼けてしまいましたが、大悲閣観音堂と尊像は焼失を免れました。
 
そこで、寺を里山に近いところへ移転することになり、観音堂を解体して牛の背中に積んで運ぶことになりました。牛はゆったりと坂を降りてきましたが、現在の寺山に差し掛かるとピタリと止まって動かなくなりました。
 
そこで現在の場所に観音寺を建てることになりました。大同元年(806)のことでした。
 
 観音様は、牛の苦労をほめたたえましたが、牛は観音様のそばを離れようとはしませんでした。そこで観音様はいつまでも近くにいて仕えるようにと、牛を石に変えてやりました。白と黒のまだら色は、牛の毛色が残ったものと伝えられています。これが、牛石の伝説です。