飯中 Now
いきいき子育て⑳
波騒は世の常である
吉川英治の小説の傑作「宮本武蔵」の最後に、次のような文があります。「波騒(なみざい)は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に雑魚は歌い、雑魚は踊る。されど誰が知ろう、百尺下の水の心を。水の深さを」佐々木小次郎との巌流島の決戦で終局を迎えた後に続くこの作者のメッセージは、混乱の極みにある今の時代にも通じるのではないかと思います。私が解釈するに、国や社会も、個人の人生にしても、いい時もあれば、悪い時もある。「波騒は世の常である」とはまさにこのこと。その際、多くの人は、その時々の浮き沈みに一喜一憂するが、悠然たる底の水の流れを知れば、落ち着いて行動できるはずだ、ということです。新型コロナウイルスの影響で、国がまた動きを示しました。学校教育もどうなっていくのかまったく先行き不透明です。しかし、私は困難な事態に直面した時、「すべてが人生勉強」と思うようにしています。そうしてよく考え、よく情報を収集し、勇気を持って事にあたれば、自然に打開策は見えてくると考えています。今年度様々な行事が中止となりましたが、本校教職員の知恵と汗、創意工夫で代替行事を行い、例年と同じかそれ以上の教育効果を発揮できたと考えています。3年生の進路についても、親や教師は人生の先輩として、大きく構えて指導にあたりたいものです。(12月15日 校長)
見える学力、見えない学力
見える学力、見えない学力
現在進行形の表現ができるようになった。因数分解の計算が解けるようになった。シャトルランで目標を達成することができた。これらは、すべて見える学力です。授業でやっていることであり、テストで確かめられること。手のひらの裏側には手の甲があるように、見える学力の裏側には見えない学力というものがあります。「ありがとう」、「ごめんなさい」と素直に言える。ゴミが落ちていたら拾う。元気に「おはよう」って声がかけられる。「わー、花がきれい」と感じる心など、これらは見えない学力です。人の優しさや思いやり、ボランティア精神、心のたくましさ…こういったものは机の上ではなかなか身に付かない見えない学力です。机の上の勉強も大切です。またその土台となる人間の芯である、見えない学力も大切です。大切なものを見失わないようにしないといけませんね… (12月14日 校長)
生徒諸君へ 努力とは
みなさんは、何かに努力をしたことはありますか。それはどんなことでしょう…。定期テストや受験の直前で猛勉強することは、努力とはいいません。試合前に作戦を考え、間違えないように何度も確認することも努力とはいいません。コンクールの課題曲を何度も練習することも努力とはいいません。これから象徴的に例えますので、みなさんは自分のことに置き換えて考えてみてください。努力とは、野球部員が、毎日学校から帰った後、素振りを100回集中してやることです。しかし、努力とは、すぐに結果が出るものではありません。100回素振りをしたからといって、ヒットやホームランがすぐに打てるわけではありません。努力とは、大切な事だが、すぐには結果が出ないことをコツコツとがんばることをいいます。地味な事だが根気よく続けていると、ある日、ある時その効果が発揮され、嬉しい瞬間が訪れるのです。野球部員がこういった努力をせず、すぐにピッチャーやマシンに投げさせ、打撃練習をしたり、試合をしたりしても、当然、良い結果など出るはずはありません。飯沼中の生徒諸君、すぐに結果は出なくても、大切なことをコツコツと日々がんばれば、いつか大きな花を咲かせる日が来るのです。「努力はうそをつかない」とは、そういうことなのです。(12月11日 校長)
いきいき子育て⑲ 愛嬌
愛嬌のある子に育てる
人は、いくら能力があっても、学歴があっても、人間関係がうまく行かなければ、世の中を渡っていくことはできません。人に好かれる、感じのいい人に育てることは、その子のためになると思います。感じがいいとは、愛嬌のある人と言ってもいいでしょう。愛嬌というのは、自分の欠点を認めて、さらけ出すことができる態度のことです。人間関係の中で、好感を持たれるのは、カッコ良い人よりも、愛嬌のある人です。なぜ、お笑い芸人がモテるのか考えてみて下さい。彼らは自分の欠点を丸出しにしているのです。それこそが、愛嬌の本質でしょう。「人間はいっぱい欠点があるんだよ、失敗もするんだよ」ということを親が進んで見せた方がいいと思います。大人がいいところばかりを見せようとしていると、子供は失敗を恐れてしまいます。「人間っていうのは欠点があっちゃいけないんだ」と思い込んでしまいます。そうなると今度は他人の欠点にも厳しい人間になってしまいます。失敗や欠点があってもいいんだと子供に分からせるには、失敗したときのほめ方が大切だと思います。「失敗してもくじけなかった」「失敗したけど態度が良かった」と評価してやるのです。逆に成功したときにも、態度によっては叱った方がいい時もあります。例えば何かの勝負で自分の子が勝って、敗者に対して勝ち誇ったような態度を見せたら、「敗者の気持ちを考える」ということをきちんと教えるべきでしょう。親は「成功か失敗か」だけを評価の対象とせず、感謝の気持ちをはじめ、成功や失敗をどう受けとめるかを教えるべきだと思います。(12月10日 校長)
いきいき子育て⑱ 校長面接を通して
泥くさい人間関係
3年生との校長面接も今週でほぼ終わりになります。何人かの生徒に、「あなたの通っている中学校はどんな学校ですか」、「担任の先生はどんな先生ですか」などの質問をすると、ほぼ決まって、「自然豊かで、自主実行のもとに、生徒がみな仲良く楽しく生活している学校です」、「先生方同士の仲が良い学校」、「先生と生徒の距離がとても良い感じで、何でも相談に乗ってくれる」という答えが返ってきます。校長として、とても嬉しく思います。担任の先生は、みな若い先生ですが、とても生徒達のことをよく考え、安心してクラスを任せられる教師達です。学級では、「私はたくさん失敗を繰り返しながら、こうやって生きてきた」、「いまこういった苦労を抱えながら人生を生きている」「大人っていいものだよ」「家庭学習、やらなきゃいけないのはよくわかっている、でもできないんだよねぇ。私も昔そうだった。でも自分を成長させるためには、どうやって時間を捻出する?弱い心に打ち勝つ?」「あなたが学校でいじめられていることを知ったら、ましてや、自殺なんかしたら、あなたを愛してくれている周りの人達はどう思うかな?誰にでもその人を愛している人が周りにたくさんいる。だからいじめなんかしちゃいけないんだ、自殺なんかしちゃいけないんだ」etc。こういった人の弱さや時には醜さを隠さずにさらけ出し、それでも清く、より良く生きることへの努力を怠らない姿勢を見せ、一人一人の生徒達と向き合い、まさに泥くさい学級経営をしてくれています。それが校長面接での生徒達の言葉となっているのです。また、「家族を尊敬している」と答える生徒もたくさんいます。きれいな洋服を着ることも、行儀よく振る舞うことも、平均値と比べて勉強ができることも大切ですが、それ以上に、困っている人、淋しそうにしている人がいることに気付き、優しい声をかけてあげる感性や、ありのままの自分を受け入れ、頑張ろうとする気高い心、困難にぶつかってもやり遂げる強さ、自分の力では解決できないことを認め、助けを求めることのできる強さ、こういったことを保護者の皆様が身を持って、後ろ姿で子供に範を示しているからこその子供からの尊敬なのだと思います。飯沼中学校、いい学校です。(12月9日 校長)
いきいき子育て⑰ 道草
道草によってこそ「道の味」がわかる
私は夫婦で教員をしているため、一人息子は、もう15年も前になりますが、当時、毎日学校のそばにある学童保育に通っていました。ある日、学校から学童に向かう下校班で、みんなで学童の近くにあるクリーニング屋さんに立ち寄っているんだということを聞きました。「そこで何をするの?」と聞くと、「ただ立ってクリーニング屋さんが、たくさんの服にアイロンをかけているのを見ている」とのこと。「たくさん洋服がありますねって言うんだ」と。「道草をするんだぁ、お店の人の迷惑にならないようにね」という会話があった。それからわずか数日後、学童の先生がその光景を見ていたらしく、「寄り道しないで来なさい」と言われたと言っていた。「そうかぁ…」としか言わなかったが、子供にとって寄り道、道草ほど楽しいものはない。自分が小学生の時も、きれいな石や落ち葉を見つけると、拾って友人と比べっこをしたり、ありの巣を見つけて観察をしたり、「近道」とばかりに家と家の間をすり抜けるような道を開拓したり、田んぼのあぜ道を通り、用水やドブを走り幅跳びのように跳んでみたり、まったくスリル満点のおもしろさがありました。今から考えると、このような道草によってこそ、子供は無意識ではあるが、「道」の味を満喫し、季節を感じていたのだと思います。道草をせずにまっすぐ家に帰る子もいた。勉強して真面目に時間を過ごしたのでしょう。立派なことです。しかし、道の味を知ることはなかったでしょう…。前置きが長くなりましたが、人生にも道草があります。例えば怪我をして、部活動や体育の活動が出来ない、これは人生の道草。大学受験に不合格になり浪人する、就職試験に不合格になり翌年まで勉強する…。これらも人生の道草です。人に遅れを取ることの悔しさや、誰もが出来ることを出来ない辛さなどを味わうことで、弱い人や苦しんでいる人の気持ちがよくわかるようになるはずです。私は大学入試でも教員採用試験でも道草をしてきました。「道草もまた人生の肥やし」、夏目漱石の「道草」を久しぶりに読んで改めてそう思いました。お子さんの道草をどう考えますか… (12月8日 校長)
地域に飯中生の元気を届けます 第2弾
先日ご報告いたしました、特別養護老人ホームしょうぶ苑様にての展示に続き、本日から12月18日(金)まで、春日部市役所の庄和総合支所1階ロビーに、飯沼中学校の生徒達が、美術の時間に作った作品が展示してあります。日頃お世話になっている地域の皆様へ、感謝の気持ちを込めて作品を展示しました。どうぞご覧ください。また、本校の生徒、保護者の皆様もどうぞ足をお運びになり、ご覧になってください。(12月7日 校長)
いきいき子育て⑯ ~親は子供にとってのモデル~
子は親の言うようには育たない。親のするように育つ。親や教師は子供のモデルです
ゴミはゴミ箱へ、みんなで使う物は大切に扱う、お年寄りや身体の不自由な方に席を譲るなどということは、暮らしの中でごく基本的なこととして、自然に行われるべき事のように思われます。ところが、街の人々の姿を見ると、大人たちがこうした基本的なことが身についていない振る舞い方をよくしているのです。それを見ている子供達が同じ振る舞いをするのは当然でしょう。こうしたことは、家庭で親たちがモデルを示せば、自然と身についていくもののはずなのに…。しつけの話をすると、「うちはもう遅い」と思われる方もいるかもしれません。確かに基本的なことは、早いうちに教えておいた方が良いに越したことはありません。しかし、15歳までならば遅すぎるということはありません。人間の成長は常に可逆的です。つまり、いつでも成長できるのです。あまり難しいことは考えず、まずは自分自身が人として、子供に恥ない行いをすることが大切です。親や教師は、子供にとって最も身近なモデルなのですから。(12月7日 校長)
いきいき子育て⑮ 土曜授業も最終日
子供の良いところを増やしていきましょう
今年度当初、新型コロナウイルスの影響で全国一斉休校があったため、授業時数を確保するために、どの学校でも工夫に工夫を重ねてきました。土曜授業や夏休みの短縮もその1つです。今日は、その土曜授業の最終日。これまでのご協力ありがとうございました。さて、子供にとって大切なのは、自信と、自分を大切にすることです。自己肯定感、自己有用感などといいます。それは植物の根のようなもので、深く、広く張るほど大きく実りをもたらします。表面的なことにとらわれることなく、その子が大きく育つことを信じて、心に豊かな水や栄養を与えましょう。その水や栄養となるのが、子供の良いところを見いだし、ほめることです。叱るべきときは叱り、ほめるべきときはほめる。また親の思い通りの方向や、やり方で子供が行動しなかったとしても、その子なりの工夫や考えは守り、認めることも大切です。発達に応じて、子供に任せる部分を次第に増やしていくことで、子供は自らの成長を実感し、自信を持つことができるのです。(12月5日 校長)
いきいき子育て⑭
親として子供を評価する視点
2学期の期末テストが返却されたと思います。国語科では、書き初めも行われています。ここで、テストで何点とれたか、どんな賞を取れたかなど、平均値や他の子供との比較に目を奪われ子供を評価することは、子供たち一人一人の成長や個性の伸長のためによくありません。そういう親のもとでは、子供まで相対的な順位ばかりを気にするようになったり、幸せや充実感を人との比較に終始したり、結果に対し、自信を失ったりしがちです。親は、人との比較をすることで子供を評価するのではなく、どんなときも子供の成長を信じ、取り組みを評価するようにし、すぐに結果が出なくても、焦らず、ゆとりを持って育てたいものです。(12月4日 校長)