いきいき子育て⑰ 道草
道草によってこそ「道の味」がわかる
私は夫婦で教員をしているため、一人息子は、もう15年も前になりますが、当時、毎日学校のそばにある学童保育に通っていました。ある日、学校から学童に向かう下校班で、みんなで学童の近くにあるクリーニング屋さんに立ち寄っているんだということを聞きました。「そこで何をするの?」と聞くと、「ただ立ってクリーニング屋さんが、たくさんの服にアイロンをかけているのを見ている」とのこと。「たくさん洋服がありますねって言うんだ」と。「道草をするんだぁ、お店の人の迷惑にならないようにね」という会話があった。それからわずか数日後、学童の先生がその光景を見ていたらしく、「寄り道しないで来なさい」と言われたと言っていた。「そうかぁ…」としか言わなかったが、子供にとって寄り道、道草ほど楽しいものはない。自分が小学生の時も、きれいな石や落ち葉を見つけると、拾って友人と比べっこをしたり、ありの巣を見つけて観察をしたり、「近道」とばかりに家と家の間をすり抜けるような道を開拓したり、田んぼのあぜ道を通り、用水やドブを走り幅跳びのように跳んでみたり、まったくスリル満点のおもしろさがありました。今から考えると、このような道草によってこそ、子供は無意識ではあるが、「道」の味を満喫し、季節を感じていたのだと思います。道草をせずにまっすぐ家に帰る子もいた。勉強して真面目に時間を過ごしたのでしょう。立派なことです。しかし、道の味を知ることはなかったでしょう…。前置きが長くなりましたが、人生にも道草があります。例えば怪我をして、部活動や体育の活動が出来ない、これは人生の道草。大学受験に不合格になり浪人する、就職試験に不合格になり翌年まで勉強する…。これらも人生の道草です。人に遅れを取ることの悔しさや、誰もが出来ることを出来ない辛さなどを味わうことで、弱い人や苦しんでいる人の気持ちがよくわかるようになるはずです。私は大学入試でも教員採用試験でも道草をしてきました。「道草もまた人生の肥やし」、夏目漱石の「道草」を久しぶりに読んで改めてそう思いました。お子さんの道草をどう考えますか… (12月8日 校長)