2023年4月の記事一覧
市指定無形民俗文化財”不動院野の神楽” 3年ぶりの開催
令和5年4月9日(日)に不動院野(集会所)において大杉神社の春季例大祭で神楽が奉納され、五穀豊穣・家内安全が祈念されました。
【大杉神社とお神輿】
例大祭で「不動院野の神楽」が奉納されるのは、実に3年ぶりとなります。
当日は快晴にもかかわらず冷たい風が吹きつけていましたが、集会所の中に設けられたステージで「翁(おきな)の舞」「大黒天と獅子舞」など3演目が披露され、地域の皆さまを楽しませてくれました。
【神楽の奉納とにぎわいをみせる集会所の様子】
【寝てしまった獅子を起こす場面】 【お囃子の演奏】
「大黒天と獅子舞」は大黒天が呼んだ獅子が福をもたらす様子を表しています。媼(おうな)が寝てしまった獅子を起こす場面では、一同が固唾を飲んで見つめていました。実はこの場面は今回即興で作られたストーリーであり、観客を楽しませるべく上演にあたって様々な趣向を凝らしていることが副会長さんからの解説で理解できました。
保存会では、江戸時代から続く神楽を次世代へつなげる取り組みがなされています。今回は久しぶりの開催ということで初めて参加する子どもたちも多く、めずらしい光景に目を輝かせていました。また、幸松小学校の放課後子ども教室でお囃子に参加してくれた児童が、はや、高校3年生に。この日も堂々と篠笛を奏でてくれました。コロナ渦で練習や公開が思うように進まなかった3年間でしたが、地域の宝として保存会の皆さま、そして、活動を支える地域の皆さまの総意により、神楽の公開が実現できました。ありがとうございました。
はるばる大阪からお越し
先日、郷土資料館所蔵の資料(古文書)の調査のため、大阪在住の学生が調査に訪れました。 #かすかべプラスワン
この学生さん、戦国時代の後北条氏について調査研究されているそうで、各地にのこる後北条氏ゆかりの古文書を実見しているそうです。春日部でのお目当ては、当館所蔵の天正14年(1586)の金野井郷の検地書出の写しです。後北条氏の検地書出は全国に19点あるそうで、その内の1つがなんと春日部にあるのです。金野井郷とは、いうまでもなく、市内の西金野井、野田市の東金野井に相当します。
写しとはいえ、印判を丁寧に模写していたり、筆跡も原本を真似ている可能性もある文書です。『春日部市史』でも利用されてきましたが、史料を深く読み切れていない部分もあり、課題もありました。
学生さんは、検地書出を比較されているだけあって、細部の文言や表現を丁寧に検討しているようでした。金野井郷の検地書出は、ほかのものよりも詳しい記述なんだそうです。いろいろ教えていただき大変勉強になりました。何よりも、この一点をみるために大阪からいらした研究熱に関心させられました。
ご研究の発展を祈念しております。
【海外の方にも大人気!】 #クレヨンしんちゃん 春日部スタンプ巡り
春日部市観光協会の企画で「クレヨンしんちゃん春日部スタンプ巡り」を実施しています。郷土資料館を含む、市内施設にの「クレヨンしんちゃん」のスタンプを押して楽しむものです。 #かすかべプラスワン
郷土資料館では、これまで、企画展示などに合わせて、しんちゃん、しんちゃんの家族のオリジナルスタンプを作ってきたところでした。このような形で活用いただき、担当者としてうれしい限りです。
かわいらしいオリジナルの台紙をご用意いただいたので、これが好評の模様。はじまってから早速、市外の方、海外の方が大勢いらっしゃっています。みなさん、スタンプをおして喜んで、館を後にされました。先日はタイご出身の20代の女性グループがいらっしゃいました。通常の郷土資料館では、あまりない客層です。おそるべし「クレヨンしんちゃん」。
「クレヨンしんちゃん」は世界各国で翻訳されているそうで、とくに、中国、台湾、韓国で人気があるそうです。呼び方も様々で、中国語では「蜡笔小新」(ラービーシャオシン)、韓国語では「짱구는 못말려」(チャングヌン モンマルリョ)、タイ語では「เครยอนชินจัง」(クレヨンシンチャン)などなど。韓国版のしんちゃん一家は、ソウルに住んでいる設定なんだとか。日本人一般の「しんちゃんといえば春日部」というイメージは、作品がグローバル展開するなかで、ガラパゴス的思考に陥ってしまったともいえそうです。けれども、韓国の首都ソウルとして描かれても、春日部の風景は見劣りしないということでしょうか。なんとも複雑。いずれにしても、海外版のクレヨンしんちゃんのなかで「春日部」がどのように扱われているのか、今後検討する余地がありそうです。
オリジナルの台紙は、郷土資料館や、ぷらっとかすかべなどで配布しています。景品は今のところありませんが、スタンプを押した台紙が記念になること間違いなし。春日部にお越しの折、ぜひ記念に押して回ってください。
日光道中粕壁宿を語る墓石(粕壁・源徳寺より)
郷土資料館では、粕壁宿の商家や町並みについて調査をしています。先日、粕壁の源徳寺さんにうかがい、墓石の調査、お寺の由来などについて調査させていただきました。 #かすかべプラスワン
源徳寺さんには、棚倉藩士の石川弥五左衛門の娘のお墓があります。なぜ、陸奥国の棚倉藩(福島県棚倉町)の関係者のお墓があるのでしょうか。このお墓について、源徳寺さんには、次のようなエピソードが伝わっています。
安政6年(1859)11月、棚倉藩士の一行は、国元に帰るため、粕壁宿に宿泊しました。一行のなかには郡筑之進という藩士がおり、彼の妻サダこそ、家老の石川弥五左衛門の娘でした。11月5日、筑之進は、妻サダを粕壁宿の旅籠とも女郎屋ともいわれる「ミノヤ」で手討ちにしたといいます。理由は定かではありませんが「不義密通」であるとか。サダの亡骸は、ミノヤの近くの源徳寺に葬られました。
翌年、棚倉藩の石川弥五左衛門は、源徳寺に供養料を納め、さらに、円山応挙の門下生七名が描いた「七草の絵軸」をお寺に奉納したといいます。
源徳寺には、「棚倉藩石川弥五左衛門娘」と刻まれたサダの墓石、七草の絵軸(寺宝・非公開)が今に伝えられています。
参勤交代制により大名は江戸と国元を行き来し、東北諸藩の大名が日光道中や粕壁宿を通行・宿休泊したことは、知られるところですが、粕壁宿の本陣史料は散逸しており、具体的なことは実はよくわかっていません。通行・宿休泊したのは、参勤交代の大名(お殿様)だけではありません。江戸と国元を常時行き来する人々、藩士や飛脚なども通行したことでしょう。そのことを物語る史料も少ないのです。
事件の真相や詳しい顛末は不明ですが、源徳寺に伝わるエピソードは、宿場町として賑わった粕壁宿の歴史を伝える貴重なお話です。往時の宿場町粕壁に思いをはせながら、訪ねてみてはいかがでしょうか。
※墓石の見学にあたっては、お寺、他の参拝者などの迷惑とならないようにお願いします。
「ほごログ」ぷちリニューアル
新年度の機構改革に伴い、部署の名称が文化財保護課から「文化財課」になりました。これにより、「ほごログ」もプチリニューアル。 #かすかべプラスワン
文化財「保護」課でないので、皆様に愛されてきた「ほごログ」の名称変更が危ぶまれましたが、「春日部市の文化財保護と活用・郷土資料館のブログ」の「ほごログ」となりました。
ページ上段のバナーを一新しましています。おすすめは、国指定史跡「神明貝塚」の調査風景。
ほかにも数種類あるので、チェックしてみてくださいね。