ほごログ(文化財課ブログ)

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【 #常設展 】藤の花と水害関係史料展示替

常設展示を一部展示替しました。日々変わりゆく春日部のまちとともに、郷土資料館もまた日々変わっているのです。 #かすかべプラスワン

今回は2か所更新しました。

一つ目は、藤の花です。ところで、藤の花言葉を知っていますか? 答えはこの記事の末尾で。

入館された方を華やかな藤の花が出迎えてくれます。この藤棚は、ミニ展示「牛島のフジ」展で製作したものです。

藤の季節までしまったままにするのも惜しいので、展示しました。

写真:藤棚のモニュメント

これで一年中、市の花「フジ」を楽しめます。ただ、狭き展示室ですので、早速弊害が。入り口付近のパネルが藤の花の影で見づらくなってしまいました。

 写真:藤の花影

藤の花のシルエット・影を楽しむのも乙、と思いますが、いかがでしょうか。

 

もう一つは、展示室奥の「水とのたたかい」のコーナー。

長らく展示していた樋籠村の絵図を撤収し、明治42年7月に南桜井村から請願された江戸川の改修工事願を展示しました。内容は、南桜井村の人たちが、郷社香取神社(西金野井香取神社)の境内が江戸川に浸食されること、また粕壁と金野井を結ぶ「壱等公益道路」の起点にあたる河岸場が危険であることを理由に、県費で江戸川の改修を請願したものです。郷社香取神社の由来なども記されており、文書の内容も興味深いのですが、さらに興味深いのは添付の図面です。

 画像:岩井家文書157-2

当時の西金野井香取神社付近の様子が描かれています。西金野井香取神社は、昭和27年(1952)の江戸川改修工事により、現在地に移転しています。かつては参道がもっと長く、現在地よりも北方約100mに神社の本殿が鎮座していました。これ以前は、現在の堤防や河川敷の付近に、寺院や民家、河岸場などが所在していたのです。この史料(図面)は、市域屈指の舟運の拠点として栄えた西金野井の江戸川改修以前の状況を示した貴重な資料であると評価されます。

 

さて、冒頭の件ですが、藤の花言葉は「歓迎」だそうです。まさに、入り口に展示するに相応しい、と思いますが、いかがでしょうか。天候不順が続きますが、変わりゆく郷土資料館の展示を、ぜひご覧ください。

【県外の春日部スポット】春日部ゆかりのフランス文学者

先日、資料調査で都内の春日部ゆかりの施設にお邪魔しました。その名も豊島区立鈴木信太郎記念館です。今日は、同館についてご紹介します。 #かすかべプラスワン #書斎 #フランス文学

写真 鈴木信太郎記念館

東京メトロ丸の内線の新大塚駅から徒歩3分ほどの住宅街の中にある鈴木信太郎記念館。

鈴木信太郎は、20世紀前半の日本のフランス文学研究黎明期に活躍したフランス文学者です。鈴木家は、下総国葛飾郡下吉妻村(今の春日部市下吉妻)の農家で、大地主でした。明治期になり、自家で所有する田んぼからあがる小作米を商売の元手とし、神田佐久間町(現東京都千代田区)で米穀問屋を営むようになったいいます。信太郎がフランス文学に打ち込めたのは、米穀問屋、そして地主として経済的な後ろ盾があったからのよう。信太郎自身は東京生まれ、東京育ちですが、先祖の地(下吉妻)に訪れることもあったようです。

現在の記念館の地は、信太郎の父の時代、大正7年に住まいを移したものですが、戦災で一部が焼失してしまいました。焼失した家屋部分には、昭和23年に下吉妻の鈴木本家から明治20年代に建てられた書院座敷が移築されました。ですから、下の写真の和風建築の座敷棟は、春日部ゆかりの近代和風建築なのです。

下吉妻から移築された家屋室内の様子

室内は落ち着いた雰囲気です。記念館の建物は、信太郎が亡くなった後は、息子で建築学の専門家である成文氏が住んだそうです。建築学に通じた方であったことから、古い図面や当時の意匠を保存されたそうです。小生は建築のことは明るくありませんが、春日部の吉妻にあった当時の雰囲気もそのまま遺っているといえそうですね。春日部市内で古民家の内部までを公開している施設はありませんので、古民家をみたいという方には、鈴木信太郎記念館を紹介してもよいのかなと思いました。

鈴木信太郎記念館の見どころは、これだけじゃありません。おすすめは書斎棟です。書斎棟は、信太郎の書庫兼書斎(仕事場)でした。昭和3年に当時としては非常に珍しい鉄筋コンクリート造で建てられました。それだけの経済力があったということにも驚かされますが、頑丈な書庫にこだわった理由は稀覯本の収集家でもあった信太郎の悲しい経験に求められるそうです。かつて、フランスに留学していた信太郎は、パリで買い集めた約1000冊の貴重書を日本へ船便に送ったところ、輸送中の船内の火事によりすべて焼失してしまいました。信太郎は大変落胆したそうですが、再び収書をするにあたり、二度と本を失わないように鉄筋コンクリート造の書庫を建てました。

戦中の城北大空襲で母屋などは焼失してしまいましたが、この書斎棟は焼失を免れ、中の本も無事に守られました。下の写真は書斎棟の内部です。

鈴木信太郎の書庫書斎

帝大の先生のこだわりの書庫とだけあって、圧巻されました。写真では伝わりづらいのですが、本当に別世界です。昭和初期の学者の書庫・書斎が、そのまま遺っているようで、和風建築とは180度雰囲気が違います。こんな書庫がほしいなぁと思わず漏らしてしまいました。書庫だけでも見学の価値あり!おすすめです!

ちなみに、書庫の棚は一部は展示ケースとして活用されており、信太郎が集めた貴書や知人の文学者の署名入り本などが展示されています。フランス文学の貴重本は、獨協大学に寄贈され、保管されているそうです。

鈴木信太郎記念館、知る人ぞ知る春日部ゆかりのスポットといったところでしょうか。ぜひ、見学をおすすめします。

なお、鈴木信太郎・鈴木家と春日部の関係については、信太郎の次男でフランス文学者の鈴木道彦氏『フランス文学者の誕生』(筑摩書房、2014年)に詳しく紹介されています。 

所在地
〒170-0013東京都豊島区東池袋5-52-3

電話
03-5950-1737

交通案内
東京メトロ丸ノ内線新大塚駅より徒歩約3分  詳しくはこちら(池袋から) 詳しくはこちら(銀座・茗荷谷方面から)
JR山手線大塚駅南口より徒歩約8分
都電荒川線大塚駅前及び向原停留場より徒歩約8分
(駐車場・駐輪場はありません。公共の交通機関をご利用ください。)

鈴木信太郎記念館ホームページ

ふれあい大学で「春日部市の歴史」を講義しました

5月18日(水)ふれあい大学で「春日部市の歴史」について、話させていただきました。 #かすかべプラスワン

写真:ふれあい大学

ふれあい大学は、春日部市の事業で、主に高齢者の方々が、生活、健康、市の環境や地域活動について学習し、心身の健康を培い、生きがいを高めることを目的としています。

「春日部市の歴史」の講義は、例年、ふれあい大学からご依頼いただいているもので、春日部の地名の成り立ち、春日部のあゆみについてお話しします。「春日部と粕壁の表記がどちらが古いか」という問い、そしてその由来をお話しすると、市内に住んで長い皆さんでも驚かれる方も多いようです。「春日部」と「粕壁」の話題は鉄板ネタです。春日部のあゆみについては、人が春日部に住んでから3万年の話をわずか60分で話します。地形に着目して、人々の生活領域が高いところ(台地)から低いところ(低地)へとだんだんと広がっていくことを軸に話しますが、近現代の市域の変貌に驚かれる方が多い印象です。

なかには「春日部市の歴史」を聞いても退屈に感じ、講義中、夢の中に迷いんこんでしまう方もおられるようですが、地元の歴史文化を見つめ直すことで、見識が広がり、普段何気ない平凡な日常が輝くこともあるのではないでしょうか。あるいは、今・現在を相対化することにもつながるのではないでしょうか。歴史を学び、豊かに生きる。まさに「かすかべプラスワン」だと思いますが、いかがでしょうか。

と、そんな話をしていたところ、受講者の女性の方からあるサイトを紹介されました。ご主人が運営されている「ピンピンコロリ村」というホームページです。庚申塔を紹介しているからぜひ見てくださいとのこと。ホームページを拝見すると、ただの庚申塔サイトではありません。かつて「ふれあい大学」を受講されたご主人は、ふれあい大学で学んだ「ピンピンコロリ」のポリシーを、春日部市内に点在する庚申塔を踏査することで果たしていこうとされるものでした。庚申塔をすべて写真で記録して、文字を解読し、一覧化されています。市では『春日部の庚申塔』『春日部の板碑』『庄和町史資料 石造物Ⅰ』『同Ⅱ』などを刊行しているところですが、この遺漏や誤謬も訂正されているとのことで、大変充実した内容となっています。石造物を一覧するデータベースとしても有用です。地元の歴史を顧みることは、「ピンピンコロリ」にもつながるという考えも、もっともだと思います。まさに「歴史を学び、豊かに生きる」の実践といえそうです。ふれあい大学現役の皆さんも必見です。「ピンピンコロリ村」ぜひご覧ください。

【祝!100万アクセス】一度でいいからバズりたい

「ほごログ」は、春日部の歴史・文化財の魅力を発信するブログ。気が付けばアクセスカウンターが100万を超え。市教育委員会のブログでは断トツの一番ノリです。 #拡散希望 #かすかべプラスワン

思い起こせば、春日部市の文化財保護課・郷土資料館のブログ「ほごログ」が誕生したのは、2017年(平成29年)1月23日のこと。記念すべき最初の記事はこちら。苦節(?)5年、地道に(?)更新を続け、多くの皆さんに見ていただきました。「ほごログ」の存在も徐々に浸透しているようで、「いい記事ですね」とか「紹介してくれてありがとう」とか、「こんな資料持っています」とか、よく言われるようになりました。一説には同業者がよく読んでいるとか。

一見、地味で、マニアック、小難しい春日部の歴史・文化財ですが、ブログで全世界に発信し、わかりやすく、ポップに伝えることで、その魅力を多くの方々に知っていただくことは、中の人たちの重要なミッションだと思っています。これからもご愛顧ください。

次の目標は200万!?

いや、良くも悪くも、一度でいいからバズりたい、というのが本音。「ほごログ」の存在をもっと知ってもらえるように、拡散希望です。

いつも目にする路傍の石仏なんて書いてあるの!?

先日、市民の方よりお問合せいただきました。割と「あるある」なレファレンスなのですが、春日部市では、残念ながら石造物の悉皆的調査ができておりません。即答できるか、内心いつもドキドキしています。 #かすかべプラスワン

問題の石仏は、最近開園した「県営春日部夢の森公園」のすぐそば。下大増新田地区に所在します。

この石造物、以前紹介した『埼葛の道しるべ』に辛うじて収録されており、道しるべとして機能していたことがわかりました。ただ、『埼葛の道しるべ』では道しるべとしての文字を解読するのみであり、石造物の全容がよくわかりません。お問合せも、道しるべではない部分について解読できないというものでした。

館では調べる手立てがないので、現地へ見に行ってきました。

写真:下大増の交差点

交通量もそこそこある交差点にたたずんでいます(赤矢印)。

正面からみるとこのような感じです。

 写真:石造物正面

上の部分には仏さまがあしらわれています。摩滅して委細わかりませんが、おそらく地蔵菩薩ではないかと考えられます。問題の文字は下段の方形部分の正面と両側面に、以下の通り刻まれていました。

(正面)

文化三寅[   ]四日

観壽妙見信女   南 のじま

           こしがや

 

    秩父

奉納  西国 供養塔

    坂東

 

紅月妙童信女   北 かすかべ

享和三亥[   ]廿二日

 

(左側面)

文化三寅四月廿四日

智玉童女     東 よこて

幻夢童女       のミち

文化三寅五月七日

 

(右側面)

文化四卯三月吉日

   下大増邑

     [(施主)]木村氏

 

以上から次のことがわかります。

  1. この石造物は、文化4年(1807)3月、下大増村(下大増新田)の木村氏により造立されたものである。
  2. 基本的な性格は、秩父33か所・西国34か所・坂東33か所の巡礼の供養塔である。
  3. 享和3年(1803)には紅月妙童信女、文化3年(1806)には観壽妙見信女、智玉童女、幻夢童女が亡くなっている。いずれも女性で、「童女」は女児であり、造立者木村氏の縁戚者とみられる。
  4. おそらく、相次いで縁戚者が亡くなったため、木村氏は諸国巡礼をし、供養塔を建てたと考えられる。
  5. 供養塔は村の辻に建てられたため、道しるべも兼ねた。正面には「北 かすかべ」(北方は粕壁宿)、「南 のじま こしがや」(南方は野島村・越ケ谷宿)、左側面には「東 よこて のミち」と方角が刻まれています。

石造物が方位を示す南北の道は、上大増新田、下大増新田のメインストリートで今も旧家が並んでいます。粕壁や越ヶ谷といった町場へ続く道でもありました。

写真:南北の道

ただ、よくわからなかったのが「東 よこて のミち」です。「よこて」とは、漢字では横手と書くのでしょうか。いろいろ調べましたが大増の周辺には横手という地名を見出せませんでした。「のミち」も「野道」なのか、「横手の道」と読むのか、わかりません。横手は「横の方」という意味があるようですので、村から横の方向へ行く(野)道というような意味になりましょうか。お分かりの方がいらっしゃいましたら、そっと教えてください。

写真:石造物の左側面

今回の石造物からは、縁者の女性、女児が立て続けに亡くなるなかで、当時は命がけでもあった諸国巡礼をして彼らを供養しようとする下大増村(下大増新田)の先人の暮らしが読み取れました。「よこてのミチ」については謎ものこりましたが、現在もそこそこ交通量のある道が江戸時代の大増のメインストリートだったことを示しています。

何気なくたたずむ、路傍の石仏ですが、地域の歴史や庶民の暮らしを物語る貴重な資料です。見慣れた風景でも、石造物を丁寧に読み解くことで、また違って見えてくるのではないでしょうか。

市内の石造物を網羅しているわけではありませんが、路傍の石造物を調べる手はずとなる資料は以下の通りです。『埼葛の道しるべ』以外は市の図書館に架蔵されています。

  • 『春日部の庚申塔』(春日部市教育委員会、昭和51年刊)
  • 『春日部の板碑』(春日部市教育委員会、昭和53年刊)
  • 『埼葛の道しるべ』(埼葛地区文化財担当者会、平成8年刊)
  • 『春日部市の神社(上巻・下巻)』(春日部市教育員会、平成14・15年刊)
  • 『庄和町史編さん資料十一 石造物Ⅰ』(庄和町教育員会、平成16年刊)
  • 『庄和町史編さん資料十七 石造物Ⅱ』(春日部市教育員会、平成22年刊)
  • 『庄和の百神~石仏伝説編』『同~石仏信仰編』(庄和高等学校地理歴史研究部、平成4年刊)