ほごログ(文化財課ブログ)

タグ:粕壁宿

【 #常設展 】 #プチ展示替 しました

春日部市郷土資料館の常設展は、常設ですが、常に少しずつ変わっています。今回は二か所「プチ展示替」をしました。 #かすかべプラスワン

一つ目は、常設展にケースを増設し、粕壁宿の商家ゆかりの資料を展示しています。

かすかべ郷土かるたには「蔵造り 面影残す 宿場町」という札がありますが、粕壁は日光道中の宿場町であり、かつては蔵造りの建物が軒を連ねていました。現在でも、所々に老舗の商家さんなどに蔵造りの建物が残っています。今回は、上町の老舗の米問屋永嶋庄兵衛商店さんからご寄贈いただいた、蔵造りの建物の部材を展示しました。かつての粕壁の街並みの写真も合わせて展示しています。蔵造りの建物の見学は、どうしても遠目でみることになるので、部材を間近でご覧いただくと、思っていたよりも大きく感じるかもしれません。川越に行かずとも、蔵造りをお楽しみいただけるはずです。

写真:蔵造りの展示

二つ目は、展示室の最奥の古文書の展示です。長らく、詫び証文を展示していましたが、今回は江戸川の開削、そして流域の庄内領の新田開発の史料を解説しています。収蔵庫のなかで長く眠っていた古文書を点検するなかで、見出したもので、一応新出史料です。江戸川の開削や流域の開発については、同時代の史料が限られており、具体的なことがわかっていません。今回展示した史料も、近世後期の記録であり、同時代の史料とはいえませんが、江戸川の開削年代や「親野台」(親野井周辺か)で工事が難航して3か年を要したことなど、既出の関連史料と比較することで、考察が深められる史料だと思います。庄内領開発に携わった小島庄右衛門の名もみえます。江戸川の通水は6月2日だそうです!

春日部の歴史、埼玉県の歴史にとって河川の変遷は重要で、皆さんの関心も高いところですので、少しマニアックな展示ですが、ご覧いただければと思います。

写真:江戸川の古文書展示

少しずつ変わる郷土資料館。たまーに訪れると新たな発見があるかもしれませんよ。

 

まちづくりへの支援

近年、郷土春日部の歴史・文化遺産は、生涯学習や学校教育、学術研究に利用されるだけでなく、まちづくりや観光に役立てられるようになってきています。郷土資料館は、郷土の歴史・文化に関わる資料を展示・解説する拠点的な施設として、いろいろな方々に活用されるようになってきました。

去る6月19日(日)、建築や都市計画を学ばれている日本工業大学の学生の皆さんが、郷土資料館を見学され、当館の学芸員が春日部の歴史的な特徴について解説いたしました。特に、本市の特徴である利根川水系の河川が多く流れる自然・地形の特徴と遺跡の立地、生活拠点の推移との関連について、また現代の春日部市中心市街地発展の礎といえる江戸時代の粕壁宿について、模型や図、写真などを用いてわかりやすく解説いたしました。

江戸時代の粕壁宿推定模型

学芸員による粕壁宿の解説

一方で、地域コミュニティーの解散に伴う現地の地域資源の消失と記録及び一部資料の保存の事例についても紹介し、現代のまちづくりの難しさについても説明いたしました。

地区の稲荷社の解説

学生の皆さんには大変熱心に見学していただきました。そして、当館の見学後は旧粕壁宿を散策され、実地での学習をされました。まちづくりの研究と実践に役立てていただければと考えております。

今後も、郷土春日部の歴史・文化を伝えていく拠点として、皆さまの多様な関心に応えていけるよう、郷土資料館は努めてまいります。

 

 

古文書解読ボランティアの活動を再開しました

5月15日(土)、市民の方々が主体となって #春日部市郷土資料館 所蔵の #古文書 を解読する「古文書勉強会」を再開しました。

写真:古文書勉強会の様子

古文書勉強会は、郷土資料館に眠る膨大な古文書を、古文書を解読したい、もっと勉強したいという有志の方たちで、解読し、その成果を館に還元していただこうとする取り組みです。本格的な活動としては、実に約2年ぶりです。今回からは、心機一転、粕壁の旧家から寄贈された記録「宝暦度より酒造用留」という古文書を講読しました。これまで春日部市史や諸研究で利用されたことのない新出史料であり、春日部市域をはじめ、県東部地域の酒造の動向が体系的に追える好史料だと思われます。

久しぶりの再開でしたので、参加者の皆さんも古文書仲間と「再会」された方も多かったようで、始まる前も休憩中も終わった後も話が尽きない様子でした。帰りがけに「楽しかった」と感想をいただきました。

小生も、ひとつひとつの字や史料を丁寧に読みながら、「あーでもない」「こーでもない」と話し合うのは非常に楽しいひと時でした。皆さんの熱意を感じ、パワーをもらったような気がします。関東の酒造業の歴史を一から学ぶ機会として、臨んでいきたいと思っています。

解読した成果は、一定度たまりましたら、ほごログでも紹介したいと思います。

次回は6月19日(日)14時~です。

郷土資料館のホームページ整理中です

昨年度の1月31日、春日部市のホームページがリニューアルされました。これに伴い、郷土資料館のホームページもデザイン等が一新されています。

郷土資料館ではホームページのコンテンツを見直しつつ、利用者の皆さまに使いやすく、格好いいページを、現在、鋭意整理・構築中です。

コンテンツの一部ですが、「日光道中粕壁宿~歩いてみよう道しるべ~」を教育委員会のポータルサイト内につくってみました。

また、収蔵資料の紹介も、データベースの形式に作り替えてみました(一部ですが)。

ほごログをご覧の皆さんには見やすくなったのではないかと思います。ぜひご活用ください。

歴代の博物館実習生の皆さんに制作してもらった収蔵資料の紹介など、マニアック(専門的)な内容は、順次、教育員会のポータルサイトに移行していく予定です。実は昨年度の実習生のページが公開できていないのですが、こちらも近日公開予定です。

なお、旧の郷土資料館のホームページは、こちらからご覧いただけます。

ウィズコロナの時代、ICTを用いた情報発信は重要です。バーチャルでも郷土資料館をご愛顧ください。

【3月14日】 #今日は何の日? in春日部

3月14日はホワイトデー。いやいや、春日部市郷土資料館的には硬派に「多田新十郎の日」としましょう。 #かすかべプラスワン

今から453年前の3月14日(旧暦)は、北条氏政が多田新十郎に感状を発給した日です。時は戦国時代。永禄11年(1568)12月、武田信玄は相甲駿の三国同盟を破り、駿河国の今川氏を攻めました。今川氏真の義兄にあたる北条氏政は、氏真救出のため駿河に出陣し、現在の静岡県静岡市の薩た山(たは土篇に垂、以下同じ)付近で武田軍と衝突しました。この合戦を薩た峠の戦いといいます。

多田新十郎は、はじめは甲斐の武田氏に仕えていましたが、主君に諫言して退身し、岩付城主太田資正に従ったという土豪武士です。のちに小田原北条氏に仕え、この時に戦功をあげ、北条氏政から感状を与えられました。

その感状はこちらです。釈文などは、こちらをご覧ください。

「多田新十郎は、春日部と関係ないじゃん」と思った方は鋭いですね。その通り、新十郎と春日部は直接関係はないようです。すでに江戸時代には、新十郎が亡くなった年月や墓所すらも不明とされていますから、春日部に住んでいたのかも、春日部で亡くなったのかもわかっていません。

ただ、新十郎の子どもたち三兄弟がそれぞれ粕壁に住み、江戸時代の初めに宿場町が整備された時に、開発の主導的な役割を果たしました(草分け百姓)。その後、三兄弟の家は、江戸時代には関根姓、明治以降には多田姓を名乗り、近世・近代の粕壁宿・町の名主や町長などを歴任してきました。上の感状は、三兄弟の系譜をひく多田家に伝来したものです。

そういうわけで、多田新十郎のご子孫は粕壁、春日部の歴史に深いかかわりがあるのです。歴史に「たら」「れば」はありませんが、多田新十郎が活躍しなかったら、感状を拝領していなかったら、今日の春日部はなかったかもしれません。

もうひとつ。春日部ゆかりの中世の古文書はほとんどありません。その意味でも大変貴重な地域の資料なのです。 

春日部ゆかりの中世文書は限られていますので、また中世文書シリーズで「今日は何の日」をお知らせしたいと思います。

過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版3月27日版4月28日版9月16日版