ほごログ(文化財課ブログ)

タグ:渋沢栄一

今年もやってきた藤の季節

桜はとっくに散り、春日部市内の藤の花が見ごろを迎えています。 #かすかべプラスワン #藤 #牛島のフジ

春日部人(かすかびあん)なら、桜よりも藤の花、のはず。粕壁小の敷地に自生している謎の藤の花も見ごろ。郷土資料館から見え、甘い香りがします。

写真:粕壁小の藤

かつて「世界一のフジ」と称された、牛島のフジ(国特別天然記念物)も、この数日間が見ごろのようです。

最近のニュースなどでは、他地域のフジの花が紹介されているのを見かけます。牛島のフジの歴史・文化性は唯一のもの。あの新一万円札男・渋沢栄一も見に来ているのだから、もっと紹介されてもいい、と個人的に思います。

春日部駅西口側では、藤通りの藤棚が見ごろのようで、藤テラス(4月21日)、藤まつり(4月28日)。藤まつりウィークと称し、とイベントが目白押しです。

郷土資料館では「*花の彩り*春日部*」展で、藤をめぐる春日部の歴史も紹介していますので、観藤のついでにお立ち寄りください。

春のミニ企画展「NSNM牛島のフジ」展やります!

 #牛島のフジは伊達じゃない!! 

企画展示の合間をぬって、そんなメッセージを込めたミニ企画展を開催します。

今回は、昨年度好評だった「渋沢栄一もみた春日部の藤」展を継承しつつ、国特別天然記念物牛島のフジにフィーチャーし、牛島のフジと春日部の町のあゆみを紹介するものです。

展示名称は、国特別天然記念物(National Special Natural Monument)の頭文字をとって、「NSNM牛島のフジ」展です。藤で、国特別天然記念物は牛島のフジが唯一です。けれども、特別天然記念物である自体がスゴイことではなく、牛島のフジをめぐって人々が歩んできた、歴史こそが唯一無二なのです。NSNMや渋沢栄一のネームバリューに頼らずとも、一本立ちの魅力がつまった牛島のフジ。新出資料も出展します。

関連イベントも予定しています。ぜひ、郷土資料館にお立ち寄りください。

画像:チラシ

会期 令和4年3月8日(火)~5月1日(日) *月曜祝日は休館

会場 春日部市郷土資料館 企画展示室(春日部市粕壁東3-2-15)

入場 無料

関連イベント(無料)

・展示解説講座「深堀り!牛島のフジ」

 日時:4月30日(土)10時~12時

 場所:春日部市教育センター

 定員:30名(申込制)申込受付4月5日(火)~

・ミュージアムトーク(展示解説)

 日時:4月13日(水)・24日(日)

    両日とも10時30分~、15時~(30分程度)

 場所:郷土資料館企画展示室

 

【4月28日】 #今日は何の日? in春日部

今から109年前の4月28日は、春日部に #渋沢栄一 が訪れた日です。 #かすかべプラスワン

明治45年(1912)4月28日、天気は晴れ。渋沢栄一は、粕壁中学校(現県立春日部高校)の父兄会より講演の依頼をうけ、粕壁に向かいました。その様子は、渋沢栄一伝記資料に詳しく記述されています。

これによると、栄一は朝6時に起床し、王子停車場から汽車に乗り、午前10時に粕壁駅に到着しました。「多数ノ人士来リ迎フ」と記録されており、大勢の人々に駅前で出迎えられました。その足で人力車に乗り牛島へ。

牛島には何をしにいったのかというと、藤を見に行きました。そう、かの有名な牛島のフジです。藤樹をみて渋沢は「頗ル大木ナリ、開花ハ未タ充分ナラサルモ、棚ノ広サ凡ソ二百坪アルヘク、真ニ稀ニ見ル所ナリ」と称賛しています。

東武鉄道の開通以後、牛島のフジは「粕壁の藤」と呼ばれ、関東地方で最も著名な藤の名所地として知られていました。渋沢も見たかったのか、それとも地元の人たちに請われ、見に行ったのか、わかりませんが、いずれにしても牛島のフジは、「渋沢栄一もみた春日部の藤」なのです。藤について詳しくは「渋沢栄一もみた春日部の藤」展をご覧ください。

さて、渋沢は「小亭ニ休憩シテ」とあり、園内の建物で休息をとり、その後、粕壁税務署で「地方人士」たちと昼食、懇談しました。当時の税務署の庁舎は完成して間もなかったようです。「地方人士」とは、おそらく粕壁の町中の有志たちでしょう。この点について少し補足しておきましょう。

さかのぼること10数年前、渋沢は男爵を授爵した明治33年(1900)に帝国ホテルで埼玉県の有志者90余名を集めて祝賀会を開いています。当日招待された名前をみると、市域からは粕壁の田村新蔵、練木市左衛門、山田半六、清水寿太郎といった粕壁の大店層の面々や、のちに「成金」として知られる鈴木久五郎、その一族で鈴木銀行役員の鈴木善五郎が招かれています。ですから、明治45年に粕壁税務署で会食した「地方人士」たちは、こうした渋沢と親交のあった人たちだったと考えられます。

さて、渋沢は午後2時に粕壁中学校に向かい、本来の目的である講演をします。「国家経済ト教育」に関する演題で話をし、聴講者は600~700名あり、盛会だったといいます。

午後5時40分、粕壁駅発の汽車に乗り、午後8時に王子停車場に到着しました。

以上の行程について、郷土資料館では「図説渋沢栄一の一日inかすかべ」というリーフレットを作りました。このときの渋沢の足跡が一目でわかるものです。このリーフレットは、観光ガイドさんにもご協力いただき、藤花園内でも配布していただき、牛島のフジに訪れたお客様から大変好評を得たと聞いています。ミニ展示のネタバレにもなってしまい、手前みそですがなかなかの出来栄えなので、「ほごログ」にもあげておきたいと思います。

画像:渋沢の足跡渋沢の足跡.pdf(1.1MB)

ところで、なんと渋沢はもう一度粕壁にやってきています。そのことについては、5月2日までのミニ展示「渋沢栄一もみた春日部の藤」展でちょこっとだけ紹介しています。気になる方は、展示を見に来てくださいね。

#牛島のフジ がスゴイ件(2)

牛島のフジ(藤花園)の開園日でもあった令和3年4月17日(土) #春日部市郷土資料館 でミニ展示「渋沢栄一もみた春日部の藤」展のミュージアムトークを開催しました。 #かすかべプラスワン

 写真:ミュージアムトークのようす

天気は雨の予報でしたが、多くの方にお集まりいただきました。ソーシャルディスタンス・感染症対策を十分にとった上で、渋沢栄一のこと、牛島のフジのことについての展示解説を聞いていただきました。参加された方からは「藤のトークめっちゃ面白かった!」「来てよかったです」などの感想をいただきました。「特別天然記念物」という冠だけでは語り切れない、牛島のフジの歴史文化について、ご理解を深めていただけたようでした。午後には、市内在住の歴史少年が「徳川昭武知っている!」と話し、熱心に牛島のフジで記念撮影をした写真をみていました。未来の学芸員を目指してほしいものです。トークの後、熱心に質問される方も多く、担当者として充実した一日となりました!

 

さて、一部では好評!?の、牛島のフジがスゴイ件のパート2です。

今日のミュージアムトークでも「これ考えたんですか!?」とお誉めいただきました。今回は、うしじまのふじの、「じ」「ま」について。

 

「じ」人力車・待合茶屋に、お土産でうるおう観光産業

東武鉄道の開通により、一躍有名になった牛島のフジ。最寄り駅が粕壁駅(現春日部駅)であったことから、当時は「粕壁の藤」と呼ばれることが多く、駅から藤花園まで観光客を運ぶ人力車が営業されていました。駅前には、汽車をまつ待合茶屋もありました。お土産は、「藤羊羹」「塩せんべい」。現在でも「かすかべフードセレクション」にも、藤をモチーフにした商品もありますね。その元祖といってもよいかもしれません。

大正12年の粕壁町の旭町を主体として開かれた句会の句集には、次のような句があります。

 付く汽車も又付く汽車も藤見哉 

 新道の普請成り立つ藤の花

花の盛りには、汽車でやってくる客が絶えなかったこと、観光客のため、藤の周辺に「新道」が整備されていったことがうかがえます。多くの方がやってくることで、町のインフラ整備もすすんでいったことがうかがえます。

 

「ま」まちづくりの中核に かすかべisフジ

牛島のフジが有名になる明治も、大正も、昭和も、そして春日部市がまちづくりに活用されはじめる高度経済成長期から現在に至るまで、フジと春日部は切っても切り離せない関係にあります。昭和48年には、市の花にフジが制定され、以後、日本一の規模の藤の街路樹ともいわれる藤通り、藤まつり、藤テラス、藤音頭、マンホールや文化会館の緞帳、市役所の立体駐車場の壁面…

まちのシンボルとして、まちの景観、住民どうしをつなぐイベントのなかに、常に「藤」「フジ」「ふじ」があります。

これも牛島のフジが天然記念物として知られ、明治時代からかすかべの観光産業・町のくらしを支え、町を代表する象徴的な樹木だからです。牛島のフジが春日部のくらし・行政に与えた影響は計り知れないものがあります。まだまだ思わぬところに「フジ」があるかもしれません。まちにある「フジ」の情報をぜひお寄せください。

 

本日より牛島のフジが(藤花園)が開園されました。ミュージアムトークでも「牛島のフジの開花状況は?」と質問され、答えられませんでしたが、開花状況は藤花園のホームページをご覧ください。展示と合わせて牛島のフジもお楽しみください!

(つづく)

#牛島のフジ がスゴイ件(1)

令和3年4月13日(火)から「渋沢栄一もみた春日部の藤」展が始まりました。この展示は、渋沢の足跡をたどりながら、春日部の藤の歴史文化を紹介するものです。#ビビる大木 さん、渋沢センパイは本当に春日部に来ているのですよ!

 写真:展示室の入り口

企画展示室の入り口は、手作りの藤のモニュメントで華やかに彩られました。藤の花言葉は「歓迎」だそうで、ご覧いただく皆さまを歓迎しています。

ところで、展示のための調査・準備の過程で、国指定特別天然記念物「牛島のフジ」が如何に「スゴイ」のかが明らかになってきました。でも、そのスゴさを知らない、気づいていない方も多いようです。

そこで、今回の展示では「牛島のフジがスゴイ件」というリーフレットを制作し、そのスゴさを「う・し・じ・ま・の・ふ・じ」の7文字をとって紹介しています。あいうえお作文です。

画像:牛島のフジがスゴイ件

「う」浮世を忘れさせるフジの聖地

「し」渋沢だけじゃない各界の著名人がやってきた

「じ」人力車・待合茶屋に、お土産でうるおう観光産業

「ま」まちづくりの中核に かすかべisフジ

「の」飲みすぎ注意!酒と料理でおもてなし

「ふ」フジの花房は最大9尺 愛称は「九尺藤」

「じ」地元かすかべの文化的サロン

 

今回は、あいうえお作文の「う」「し」について詳述します。

「う」浮世を忘れさせるフジの聖地

牛島のフジの庭園藤花園内には、紫雲館とよばれた料亭(貸席料理店)がありました。紫雲は藤の花を形容する表現のようで、後に総理大臣となる清浦圭吾(きようら けいご)が名付け、その扁額が飾ってあったそう。紫雲館では、料理が提供され、古利根川で獲れた川魚料理が提供され、「閑雅」な雰囲気だったといいます(小泉一郎『東武鉄道線路案内記』・明治37年刊)。また、最近発見した資料によれば、能登の和倉温泉の鉱泉を引き入れて、薬湯を開き、観藤客やその他一般にも入浴・宿泊できる施設があったとされます(昭和3年「史跡名勝天然記念物調査報告書」・埼玉県行政文書№昭15024)。東京からの訪れた来客は、見事な藤をみながら、日常では味わえない、しとやかで優雅のひと時をおくれたことでしょう。

 

「し」渋沢だけじゃない各界の著名人がやってきた

今回の展示会名称にもなっている、渋沢栄一は、粕壁に用件があった明治45年(1912)4月28日に牛島のフジを鑑賞しています。大河ドラマ「青天を衝け」の主人公であり、埼玉の偉人とされることから、ご興味を惹かれた方も少なくないようですが、藤をみたのは「渋沢だけじゃない」のです。牛島のフジに訪れた著名人については、以前紹介したことがあります。ただ、これらはほんの一例にすぎません。様々な紀行文や新聞記事を調べると、まだまだ牛島のフジに関する記述がでてきます。

たとえば、明治38年(1905)5月23日には、伯爵会(華族会館に集うサークル)の例会として、華族の松平・徳川・真田などの諸氏が粕壁に遠足し、牛島のフジを鑑賞したそうです(「朝日新聞」明治38年5月25日号)。

牛島のフジは、太宰治(だざい おさむ)「斜陽」にも登場しますが、太宰が訪れたのかはわかっていません。様々な著名人が本当に訪れたのかを知るすべは限られていますが、近代(明治~昭和)の政治家や文化人にとって、牛島のフジは、私たちが思っているよりも有名だったととらえていただいて差し支えないでしょう。

こんな人も来ているという情報をお持ちの方は、ぜひご教示ください。

(つづく)

#企画展 #渋沢栄一 もみた春日部の藤

#春日部市郷土資料館 では、令和3年4月13日(火)~5月2日(日)まで、ミニ展示(企画展)「渋沢栄一もみた春日部の藤」展を開催します。 #かすかべプラスワン

画像:ポスター

チラシはこちら(2.8MB)

市の広報誌4月号の「かすかべ今昔絵巻」でも、大河ドラマ「青天を衝け」の主人公渋沢栄一が明治45年(1912)4月28日に牛島のフジを鑑賞したことを紹介しましたが、実は意外と知られていなかったことなので、驚いた方も多いのではないでしょうか。

渋沢だけでなく、跡見花蹊(あとみ かけい・跡見学園創始者)、清浦圭吾(きようら けいご・内閣総理大臣)、徳川昭武(とくがわ あきたけ・徳川慶喜実弟)、田山花袋(たやま かたい・小説家)など、近現代の著名な政治家や文化人も牛島のフジに訪れています。昭武は渋沢とパリに渡欧した人物としても知られていますよね。

この展示では、春日部のフジをめぐる歴史、そして、現代のまちづくりの歴史について紹介します。実は令和2年4月に開催できなかった展示のリバイバルでもありますが、その後、資料調査を進め、内容は少しバージョンアップしています。

今年は、コロナウイルスの影響により、藤まつり、藤テラスといった大型イベントが中止になっています。感染症対策に十分気を付けていただきながら、ご来館いただき、渋沢の足跡や郷土の歴史文化をお楽しみいただければ幸いです。

 

会期:令和3年4月13日(火)~5月2日(日) 開館時間は9:00~16:45

会場:春日部市郷土資料館 企画展示室(教育センター内)

入館料:無料

休館日:月曜日・祝日

関連イベント:4月17日(土)・25日(日)にミュージアムトーク(展示解説)を開催します。両日とも10:30~、15:00~(30分程度。申込不要)

<ご注意ください>

 *新型コロナウイルス感染対策のため、皆さまの入館時にお名前と、連絡先のご記入をお願いしております。

 **展示室内の入館者数の制限(30名程度)をしております。

 ***今後の新型コロナウイルス感染症拡大の動向によっては、展示・イベントが延期・中止となる場合があります。

    市ホームページ、市教育委員会ホームページ、ほごログ等でお知らせします。

 

#エア博物館「藤のまち春日部」展の紹介(最終回)

前回まで5回にわたってお送りしてきた、 #春日部市郷土資料館 のミニ企画展「藤のまち春日部」( #コロナ禍 のため中止)の #おうちミュージアム 。今回は最終回。牛島のフジに訪れた歴史上の人物について紹介します。

観光案内のパンフレットなどで、牛島のフジに訪れた著名人として、もっぱら語られるのは、詩人の三好達治。「何をうし島千歳ふじ はんなりはんなり」と詠んだ「牛島古藤花」は牛島のフジを象徴する詩として紹介されています。三好達治は著名な詩人ですし、彼が牛島のフジを題材にして詩を遺したことは春日部の誇るべき文化遺産だと思います。しかし、前々回の記事で紹介したように、牛島のフジが「国指定」天然記念物とされて以降、指定以前の由来や歴史が捨象されていく傾向がみられます。三好達治が牛島に訪れたのは昭和36年(1961)の春。古いようで、実は50年前の出来事、しかし新しいわけでもない。詩の世界に疎い展示担当者は、「牛島古藤花を詠んだ三好達治」と初めて聞いたとき、「三好達治って??」と正直思ってしまいました。

ミニ企画展「藤のまち春日部」では、三好達治に劣らない歴史上の著名人が牛島のフジに訪れたことをパネルで紹介しました。

写真:展示風景

さて、どんな人物が訪れたのか(ハードルあがっちゃいました)。

古くは、江戸時代の大名諸侯、慶応年間には日光山輪王寺門跡(のちの北白川宮能久)が訪れました。これについては初回の記事で紹介したところです。大名諸侯とありますので、近世史料を丹念に調査すれば、〇〇藩の御殿様が牛島のフジに来ていた!なんてこともわかるかもしれません。ちなみに北白川宮能久は、日清戦争の時に台湾に近衛師団長として出征し、現地でマラリアに罹り急死する人です。皇居外苑の北の丸公園内に馬上の姿の銅像があることでも知られます。

明治以降では、現在判明する限りでは、明治19年(1886)5月に跡見花蹊(跡見学園創始者)、同33年(1900)5月に幸田露伴(小説家)、松原二十三階堂(小説家)同35年(1902)5月に徳川昭武(徳川慶喜実弟)、同45年4月に渋沢栄一(実業家)が訪れています。また、訪れた年代は未詳ですが、清浦奎吾(総理大臣)、大和田建樹(詩人)、徳富蘇峰(思想家)、田山花袋(小説家)、大町桂月(詩人)、中野三允(俳人)なども訪れています。

大和田建樹についてはその2の記事で、田山花袋・大町桂月・清浦圭吾についてはその3の記事で紹介しました。

今回は、新紙幣1万円札の肖像になる渋沢栄一について少し紹介しましょう。渋沢が牛島のフジに訪れたのは明治45年(1912)4月28日のこと。旧制粕壁中学校(現・県立春日部高等学校)の講演会に招かれ、粕壁駅から人力車に乗り、牛島のフジを見学しています。ちなみに、渋沢は大正7年(1918)5月11日にも、町内の某家の敷地内にある碑文の除幕式に出席するため、粕壁に訪れています。

上述の著名人のほかにも、数多の政治家・文化人が牛島のフジに訪れたはずです。訪問したかどうかはわかりませんが、昭和の小説家太宰治の作品「斜陽」にも牛島のフジが登場しますし、平塚らいてうは牛島のフジに訪れようとしていたことが手記に記されています。「天国に一番近い島」で知られる森村桂さんの父で、旧制粕壁中学校(現県立春日部高等学校)卒業の純文学作家豊田三郎は、晩年夫人と牛島のフジを見に行こうと約束していていましたが、残念ながら果たせなかったそうです。余談ですが、昭和43年放送のNHK朝の連続テレビ小説「あしたこそ」は、森村桂さんの家族がモデルです。昭和以前の文化人にとって、牛島のフジは間違いなく藤の名所だったことがうかがえます。今後も調査をすすめていけば、牛島のフジを彩る歴史上の人物たちが見いだされることになるに違いありません。

 計6回にわたりお送りしてきた#エア博物館「藤のまち春日部」展は、今回が最終回になります。コロナのおかげで誰も観ることなく、バラされた展示会も無事「成仏」することができました。展示担当者としては、資料の原物をご覧いただき、皆さまからご意見・ご感想・お叱りをいただきたかったのですが、こうした形でWEB上に爪痕を遺すのも悪くないかなとも思っています。

最後に、「藤のまち春日部」のリバイバル展示ができること、そして皆様が牛島のフジをはじめとする春日部の藤により一層の親しみ・愛着を抱いていただくことを願い、擱筆させていただきます。最後までお付き合いいただきありがとうございました。