ほごログ
#牛島のフジ がスゴイ件(1)
令和3年4月13日(火)から「渋沢栄一もみた春日部の藤」展が始まりました。この展示は、渋沢の足跡をたどりながら、春日部の藤の歴史文化を紹介するものです。#ビビる大木 さん、渋沢センパイは本当に春日部に来ているのですよ!
企画展示室の入り口は、手作りの藤のモニュメントで華やかに彩られました。藤の花言葉は「歓迎」だそうで、ご覧いただく皆さまを歓迎しています。
ところで、展示のための調査・準備の過程で、国指定特別天然記念物「牛島のフジ」が如何に「スゴイ」のかが明らかになってきました。でも、そのスゴさを知らない、気づいていない方も多いようです。
そこで、今回の展示では「牛島のフジがスゴイ件」というリーフレットを制作し、そのスゴさを「う・し・じ・ま・の・ふ・じ」の7文字をとって紹介しています。あいうえお作文です。
「う」浮世を忘れさせるフジの聖地
「し」渋沢だけじゃない各界の著名人がやってきた
「じ」人力車・待合茶屋に、お土産でうるおう観光産業
「ま」まちづくりの中核に かすかべisフジ
「の」飲みすぎ注意!酒と料理でおもてなし
「ふ」フジの花房は最大9尺 愛称は「九尺藤」
「じ」地元かすかべの文化的サロン
今回は、あいうえお作文の「う」「し」について詳述します。
「う」浮世を忘れさせるフジの聖地
牛島のフジの庭園藤花園内には、紫雲館とよばれた料亭(貸席料理店)がありました。紫雲は藤の花を形容する表現のようで、後に総理大臣となる清浦圭吾(きようら けいご)が名付け、その扁額が飾ってあったそう。紫雲館では、料理が提供され、古利根川で獲れた川魚料理が提供され、「閑雅」な雰囲気だったといいます(小泉一郎『東武鉄道線路案内記』・明治37年刊)。また、最近発見した資料によれば、能登の和倉温泉の鉱泉を引き入れて、薬湯を開き、観藤客やその他一般にも入浴・宿泊できる施設があったとされます(昭和3年「史跡名勝天然記念物調査報告書」・埼玉県行政文書№昭15024)。東京からの訪れた来客は、見事な藤をみながら、日常では味わえない、しとやかで優雅のひと時をおくれたことでしょう。
「し」渋沢だけじゃない各界の著名人がやってきた
今回の展示会名称にもなっている、渋沢栄一は、粕壁に用件があった明治45年(1912)4月28日に牛島のフジを鑑賞しています。大河ドラマ「青天を衝け」の主人公であり、埼玉の偉人とされることから、ご興味を惹かれた方も少なくないようですが、藤をみたのは「渋沢だけじゃない」のです。牛島のフジに訪れた著名人については、以前紹介したことがあります。ただ、これらはほんの一例にすぎません。様々な紀行文や新聞記事を調べると、まだまだ牛島のフジに関する記述がでてきます。
たとえば、明治38年(1905)5月23日には、伯爵会(華族会館に集うサークル)の例会として、華族の松平・徳川・真田などの諸氏が粕壁に遠足し、牛島のフジを鑑賞したそうです(「朝日新聞」明治38年5月25日号)。
牛島のフジは、太宰治(だざい おさむ)「斜陽」にも登場しますが、太宰が訪れたのかはわかっていません。様々な著名人が本当に訪れたのかを知るすべは限られていますが、近代(明治~昭和)の政治家や文化人にとって、牛島のフジは、私たちが思っているよりも有名だったととらえていただいて差し支えないでしょう。
こんな人も来ているという情報をお持ちの方は、ぜひご教示ください。
(つづく)
春日部と俳句 # 桜咲くかすかべ
# 桜咲くかすかべ
郷土資料館では、「桜咲くかすかべ」に協力しています。
古利根川の遊歩道(古利根きらめき通り)には、いくつかの案内板があります。案内板の下半部に注目していただきますと、主に古利根川や春日部にちなんだ俳句が書かれています。すべてが当地で詠まれたものではありませんが、松尾芭蕉、正岡子規、高浜虚子、水原秋桜子、加藤楸邨等々の俳句は、川歩きをする人々へ心の彩りを与えてくれます。
春日部来訪者で1、2を争う著名人といえる松尾芭蕉(1644~1694)は、同行していた弟子の曽良の日記によると、元禄2年(1689)『奥の細道』の行程で日光道中粕壁宿に一泊したと考えられています(今日は何の日)。芭蕉が当地で詠んだ作品はありませんが、案内板には、大和国で詠まれた「草臥て 宿かるころや 藤の花」が選ばれています。想像をたくましくして、藤の花で有名になった現代の春日部へ、もしも芭蕉が訪れたとすると、このように藤花を愛でて句を詠んだかもしれませんね。
古利根川と古隅田川沿いを実際に歩いたのは、近代俳句では著名な2人の人物、水原秋桜子(1892~1981)と加藤楸邨(1905~1993)です。旧制粕壁中学校(現県立春日部高等学校)へ昭和4年(1929)に新任で国語教師として赴任した加藤楸邨は、中学校の同僚教師に勧められて俳句を始め、安孫子医院(閉院)に月2回ほど東京から往診に来ていた水原秋桜子から俳句の指導を受けていました。句会が終了すると二人は古利根河畔を散歩して、俳句について論じあっていたといいます。加藤楸邨は、昭和12年に辞職し、俳句を志すため大学に進学し東京へと移ります。この間8年、夫人や子供たちとともに、古利根川と古隅田川の河畔を歩いたことでしょう。夫婦で散歩していて、生徒たちにからかわれたというエピソードも伝わっているようです。
*参考
平成6年 『第8回特別展 春日部ゆかりの文人たち(一)』パンフレット
平成10年 『第16回特別展 近代の俳人たちと粕壁 ~水原秋桜子・加藤楸邨と近代の俳人たち~』パンフレット
平成22年 『第41回夏季展示 俳人 加藤楸邨と粕壁』パンフレット
桜がつく地名 #桜咲くかすかべ
#桜咲くかすかべ
郷土資料館では、「桜咲くかすかべ」に協力しています。
桜川小学校の桜並木 (2021年3月28日)
春日部には、南桜井駅や南桜井小、桜川小など、桜がつく施設名があります。
「南桜井」という言葉は、明治22年(1889)、それまでの下柳村、上柳村、上金崎村、金崎村、西金野井村、大衾村、永沼村の7村が合併して南桜井村となったことによります。昭和29年(1934)に、川辺村、南桜井村、富多村、宝珠花村の4村が合併して庄和村になるまで使われた地名で、現在では、駅名や小学校名に残ります。
この「桜井」は、中世末期ごろから、中川周辺の村々がまとめられて「桜井郷」といわれたことにちなみます。同じく明治22年、春日部市北部から杉戸町、幸手市にかかる細野村、屏風(びょうぶ)村、椿村、深輪(ふかわ)村、倉常村、芦橋村、木崎村の7村が合併した際に、やはり「桜井郷」にちなみ桜井村としました。合併した下柳ほか6村は、この桜井村の南に位置したので村名を南桜井村としました。
桜井村は、現在の越谷市の北部の地区でも、やはり「桜井郷」にちなみ、明治22年に誕生しています。なぜ「桜井」の地名が流行したのか確かなことはわかりません。しかしながら、明治20年代は靖国神社や東京都内の公園などにソメイヨシノが多く植えられた時代だそうです。(佐藤俊樹2005『桜が創った『日本』-ソメイヨシノ 起源への旅 』岩波新書)
春日部や越谷の人も、桜を意識し始めた時代なのかもしれません。
ところで「桜川小」の「桜川」は、何がもとになっているのでしょうか。
桜川小学校は、昭和50年(1975)4月、南桜井小学校、川辺小学校の児童増加により、それまで葛飾中学校があった現在の桜川小学校の場所に校舎をそのままに新しく設置され、学校名は、南桜井小の「桜」と川辺小の「川」をとって桜川小学校としました。葛飾中学校は、現在の位置に移転しました。
桜川小学校新設を伝える広報しょうわ昭和50年2月号
(クリックすると大きな画像がダウンロードされます)
ちなみに、現在の埼玉県内の「桜」がつく地名には、以下のものがあります。(角川日本地名大辞典編纂委員会1980『角川日本地名大辞典11 埼玉県』角川書店)
桜ヶ丘(深谷市)、桜木町(熊谷市、さいたま市、秩父市)、桜沢(寄居町)、桜町(熊谷市、行田市、川口市)
「桜」がつく地名は、意外と少なく貴重です。春日部市の「南桜井」や「桜川」は、現在は地名ではありませんが、♯桜咲くかすかべ には欠かせない名称だと思います。
「考古学講座ー権現山遺跡を探る」を開催しました。
3月28日、本来12月に行う予定でした「考古学講座ー権現山遺跡を探る」を開催しました。当日は、あいにくの雨模様でしたが、23名の方にご参加いただきました。
今回の考古学講座では、権現山遺跡の概要をお話ししたあと、実際に権現山遺跡の埋蔵文化財発掘調査報告書をみていただきながら、報告書の構成や図面の見方を説明させていただきました。何人かの方からは、「大変、勉強になった」とご感想をいただきました。
埋蔵文化財発掘調査報告書は、発掘調査成果の基礎的な情報が掲載されています。専門的な用語や図面がならぶので、最初に手に取った際は、なかなか読みにくい内容です。しかしながら、一定のルールに基づいて書かれているので、そのルールを覚えてしまえば、読み解くことが容易になります。
また、発掘調査報告書は、市立図書館や県立図書館、国立国会図書館などで閲覧することができますし、インターネット上で公開されているものや販売されているものもあります。ある遺跡のことをより深く知ろうと思った際には、発掘調査報告書をひも解くのが近道です。
考古学講座につきましては、新年度も定期的に開催する予定です。開催のお知らせは、こちらのほごログや広報かすかべでお伝えします。みなさまのご参加をお待ちしております。
#企画展 #渋沢栄一 もみた春日部の藤
#春日部市郷土資料館 では、令和3年4月13日(火)~5月2日(日)まで、ミニ展示(企画展)「渋沢栄一もみた春日部の藤」展を開催します。 #かすかべプラスワン
市の広報誌4月号の「かすかべ今昔絵巻」でも、大河ドラマ「青天を衝け」の主人公渋沢栄一が明治45年(1912)4月28日に牛島のフジを鑑賞したことを紹介しましたが、実は意外と知られていなかったことなので、驚いた方も多いのではないでしょうか。
渋沢だけでなく、跡見花蹊(あとみ かけい・跡見学園創始者)、清浦圭吾(きようら けいご・内閣総理大臣)、徳川昭武(とくがわ あきたけ・徳川慶喜実弟)、田山花袋(たやま かたい・小説家)など、近現代の著名な政治家や文化人も牛島のフジに訪れています。昭武は渋沢とパリに渡欧した人物としても知られていますよね。
この展示では、春日部のフジをめぐる歴史、そして、現代のまちづくりの歴史について紹介します。実は令和2年4月に開催できなかった展示のリバイバルでもありますが、その後、資料調査を進め、内容は少しバージョンアップしています。
今年は、コロナウイルスの影響により、藤まつり、藤テラスといった大型イベントが中止になっています。感染症対策に十分気を付けていただきながら、ご来館いただき、渋沢の足跡や郷土の歴史文化をお楽しみいただければ幸いです。
会期:令和3年4月13日(火)~5月2日(日) 開館時間は9:00~16:45
会場:春日部市郷土資料館 企画展示室(教育センター内)
入館料:無料
休館日:月曜日・祝日
関連イベント:4月17日(土)・25日(日)にミュージアムトーク(展示解説)を開催します。両日とも10:30~、15:00~(30分程度。申込不要)
<ご注意ください>
*新型コロナウイルス感染対策のため、皆さまの入館時にお名前と、連絡先のご記入をお願いしております。
**展示室内の入館者数の制限(30名程度)をしております。
***今後の新型コロナウイルス感染症拡大の動向によっては、展示・イベントが延期・中止となる場合があります。
市ホームページ、市教育委員会ホームページ、ほごログ等でお知らせします。