校長室のひとりごと
校長室のひとりごと「インフルエンザ」
ここ数年コロナに対する予防が徹底されてきたため、あまり意識していなかったインフルエンザですが、今年はコロナよりもインフルエンザに脅威に感じています。ご存知の通り年末年始も含め晴天続きで空気が乾燥しきっています。このような天候も手伝ってかインフルエンザの流行が広まっており、統計開始以来最悪の流行だそうです。本校では、まだ学級閉鎖などの措置を取るほどの流行はありませんが、いずれ流行の波が来ることでしょう。
今週からの千葉県の私立高校の入試を皮切りに、本格的な受験シーズンを迎えます。また2月はじめには2年生のスキー林間が予定されているなど生徒達にとって特に大事な時期でもあります。本校では各教室に加湿器を置くなどしていますが、まずは一人一人が感染症対策を徹底するよう指導しています。
ところで、本校にはいませんが巷では受験前に、元気にも関わらず欠席する生徒がとかく話題になります。コロナ禍では「心配だから…」はわからなくはありませんが、中には学校を休んで昼間から塾に通っているという例もあるようです。義務教育である中学校の校長という立場では、何とも複雑なものです。
まずは、学校でできる感染症対策と個人でできる感染症対策の双方の徹底が必要だということでしょう。
校長室のひとりごと「タロとジロ」
「南極物語」をご存知でしょうか。そうです、南極観測隊が南極での移動の犬ぞりを引くための樺太犬と観測隊との感動の実話です。時は1957年、第一次越冬隊と15頭の樺太犬は昭和基地を拠点に様々な活動をしていましたが、天候を含め様々なアクシデントに見舞われてしまい何とか隊員達は帰国できましたが、15頭の樺太犬は無人の昭和基地に置き去りにせざるおえませんでした。すぐに第二次越冬隊が入れ替わり南極に行くはずでしたが、天候は回復せず第二次越冬は中止となってしまった。極寒の南極昭和基地に餌もなく鎖に繋がれた15頭の樺太犬達の多くは力尽きてしまいました。結局、第三次越冬隊が昭和基地に入ったのは1年後のこと。第三次越冬隊には、第一次も犬係を務めた隊員も同行し昭和基地にたどり着きました。犬係の隊員が目にしたのは鎖に繋がれたまま息絶えた数頭の樺太犬の姿でした。残りの数頭は自力で鎖を抜けさまよった末に息絶えてしまったのだろうと落胆していた犬係の隊員のもとに、遠くの丘から二頭の樺太犬が隊員目がけて走り寄って1年ぶりに奇跡の再会を果たし、その二頭が「タロとジロ」だったという話です。その犬係の隊員と「タロとジロ」が奇跡の再開を果たしたのが、1959年の今日、1月14日だったことから今日は「タロとジロ」の日と制定されました。
校長室のひとりごと「鏡餅」
今週は「正月特集」のようになってしまいますが、明日11日は「鏡開き」、正月に各家に宿っていた歳神様の滞在中の居場所とされている鏡餅を家族で分けて食べる行事です。鏡餅とはその昔、稲から作られた貴重なお餅を丸く型取り、円満に歳を重ねられますようにと願いを込めるために2段に重ねるそうです。「円満に」ということもあるでしょうが、光り輝く昔の宝である鏡は丸い「銅鏡」、そこから丸く2段に重ねるお供え餅を「鏡餅」と呼んでいるそうです。
また、歳神様が宿っていた丸い鏡餅を家族、子供にも分け与えていたのが「お年玉」の始まりと言われています。幼い頃を思い出せば、私も正月に親戚が集まり、次から次へとちょこんと正座して新年の挨拶をかわし、「大きくなったな」などの言葉と「ポチ袋(お年玉袋)」に入ったお年玉をもらっていたものです。きっと昭和の子ども達は同様だったことでしょう。楽しみでなりませんでした。
昨今のお年玉事情も随分と変化し、子どもはソファーでゲームしながら、スマホを通して親からキャッシュレスでのお年玉を受け取る、なんてやりとりも年々増えているようです。キャッシュレスでお年玉をもらった子ども達は「すぐにゲームに課金できて現金よりもうれしい」だそうです。
校長室のひとりごと「初詣」
元日、近所の櫻木神社に初詣に行きました。息子、娘はそれぞれどこか別に初詣に行ったようで、今年は妻と二人での初詣でした。まずは手水舎で口と手を清め、本殿でお賽銭を捧げてお参りする。そしてその流れで「おみくじ」を引き、帰りがけに出店で小腹を満たす…これが毎年の我が家の初詣です。初詣の由来は古く、一説によれば「歳籠り」という各家長が大晦日の夕方から元日の朝にかけて氏神様のいる神社に籠り、新しい1年間の豊作や無病息災を夜通し祈ていたという風習です。そしてこの「歳籠り」が時代の流れで、大晦日の夜にお参りする「除夜詣」と元日の朝にお参りする「元日詣」に別れ、この「元日詣」が現在の「初詣」だと言われています。
当たり前のように引いていた「おみくじ」も歴史は平安時代まで遡り比叡山延暦寺の僧侶が中国のくじを日本版に変更したものが始まりだと言われています。この頃は「吉」や「凶」などの区別もなく書かれた内容を実行することで皆「吉」になるというものでした。
現在では様々な工夫を凝らした「おみくじ」があって当たり前ですが、伊勢神宮には「おみくじ」が昔からありません。それは「一生に一度の憧れのお伊勢参りに大吉がないわけはない」という理由からだそうです。
ちなみに私の初詣の「おみくじ」は「大吉」でした。良い一年になりそうです。
校長室のひとりごと「七草がゆ」
昨日1月7日は「七草がゆ」を食べて祝う「人日の節句」でした。野草である七草の生命力にあやかって一年の無病息災を願う行事です。また「七草がゆ」には、正月のお酒やご馳走で疲れた胃を休め、不足しがちな栄養を補うためとも言われています。皆さんは「七草」全てを言えますか?毎年この時期になると必死に「春の七草」を覚えていますが、一年経つと「あれ、何だっけ?」となってしまいます。春の七草は、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの七種類です。今年は価格の高騰や、入荷できないという青果店やスーパーもあるようですが…
この「人日の節句」に「七草がゆ」を食べるという行事は中国から伝わり、平安時代には宮中行事となり、江戸時代に入ると庶民にも広まり「七草がゆ」を食べる習慣が現代まで伝わっていると言われています。
社会は目まぐるしく変化し、正月の風物詩「凧上げ」「羽子板」なども見かけなくなってしまいました。日常の文化が忘れ去られてしまいがちな今だからこそ、なんとか後世にも、ちょっとした伝統文化が残ってほしいと思います。
「ところで七草がゆを食べたのか?」というと、昨夜しっかりと頂きました。
(本来は1月7日の朝に食べるそうですが…)
校長室のひとりごと「新年明けましておめでとうございます」
新年明けましておめでとうございます。
いよいよ2025年令和7年、新しい一年がスタートしました。昨年は能登半島地震で始まった令和6年でしたが、今年はいったいどんな一年になるのか、期待と希望に満ち今から楽しみです。
今年の干支は「巳」、一般的に巳年は脱皮する蛇のイメージから、「復活と再生」を意味し、「一皮剥ける」など大きく成果が現れる年、また種子ができ始める年、新しいものが誕生する年、「巳」と「実」をかけて身を結ぶ年とも言われています。
2025年令和7年が皆さんにとって素晴らしい一年になりますように…
PS:またこれからも毎日ブログをアップします。今年もどうぞよろしくお願いします。
校長室のひとりごと「年内最後の登校」
今日12月23日、上皇陛下は91歳の誕生日をお迎えになられました。上皇陛下が天皇時代には「天皇誕生日」今日は祝日でしたね。どことなく今日が祝日でないことに違和感を感じるのは平成時代に活躍されてきた皆さんも同じではないでしょうか。
そんな今日、野田市の学校は年内最後の登校日になります。二学期制のため終業式ではありませんが、年内最後、そして冬休み前ということで全校集会をこの後行います。我々教員にとって冬休みなど長期の休みはとても心配なものです。例えば夏休み、40日以上の長期となれば、思春期の中学生が変貌するのに十分な時間があるためです。そしてこの冬休みは、Xmasや年末年始、社会全体がどことなく落ち着かず初詣など夜間の外出もあるかもしれません。大人はお酒の機会が増え、子どもが初めて飲酒を経験するのも実はこの時期です。ましてお年玉など多額のお金を手にする時期でもあり、悪い輩はそんなお金を狙っています。教師として注意喚起をあれもこれもしたいのですが、話が長ければ長いほど子ども達の心には届かないものです。今日この後の全校集会で私は、一番の心配事である「SNS」の使い方について話そうと思っています。やはりこの時期、仲間同士で写真を撮り「SNS」にアップすることが考えられ、それがトラブルに発展することが懸念されるためです。
3年生は受験生でもあります。生徒たちにとって楽しい冬休みになることを願っています。
それでは皆さん、また新年にお会いしましょう。良いお年をお迎えくださいね。
校長室のひとりごと「右手?左手?」
突然ですが、皆さんはどちらの手でスマホを持ちますか。右手ですか、それとも左手ですか。ちなみに私は右利きですが、当たり前のように左手でスマホを持ちます。もう何十年もそうしています。ですから、ズボンの左ポケットに入れるのが定位置です。しかし、この利き手と逆の手でスマホを持つことが、どうやら「昭和世代」の特徴らしいのです。そう言えばZ世代の息子や娘は右手(利き手)でスマホを持っています。そもそも携帯電話が普及し始めたのは平成の時代、それまで電話といえば「固定電話」、それも昭和はダイヤル式だったりしました。その名残りで、右手でダイヤルを回し左手で受話器を持つことが習慣となっていました。また、電話口でペンを持ちメモするのも右手、受話器を利き手ではない左手で持つことが染み付いているためだと言われています。Z世代はそもそもダイヤルやボタンをプッシュする経験がないため、自然と操作しやすい利き手を使う習慣があるようです。おまけにZ世代の息子や娘を観察すると文字を入力する際も、ほとんどの操作をスマホを持っている手の親指で完結しています。ちなみに私は左手でスマホを持ち、右手で操作、つまり両手を駆使してスマホの操作をしています。こんなところでも「昭和世代は年寄り扱いされるのか(?)」と悔しくて右手でスマホを持ち親指で操作してやろうと意気込んでみても、できないばかりか違和感の塊です。仕方ないので今まで通り左手でスマホを持ち、せめて左手の親指だけで操作できるよう現在特訓中です。
皆さんはどちらの手で持ちますか?
校長室のひとりごと「日本式学校教育②」
今、一本の日本のドキュメンタリー映画が海外で話題になっています。この映画を見た各国の教育関係者の評価は次の通りです。
フィンランドでは「コミュニティづくりの教科書。自分たちの教育を見直す場になった」。アメリカは「自分たちのことは自分たちでやるということを学ぶ、最高の見本」。ドイツは「日本人は小さい頃から周りと協力する意識が自然と身についている。だから地震がきても慌てず、コロナ中もうまく対応できたのだろう」。ギリシャは「日本の子どもたちの責任感がすごい。小さな子どもを信頼する先生もすごい」などと高評価を得ています。
この映画はイギリス人の父と日本人の母を持つ「山崎エマ監督」が手掛けたドキュメンタリーです。監督自身は日本の公立小学校に通い、その後インターナショナルスクールへ。卒業後はアメリカの大学に通ってきました。そんな監督自身が周りから評価され自分の強みと感じている「自分のことは自分でやる」「時間を守る」などの習慣は、日本の小学校で学び身につけたことであり、日本人の原点は小学校にあると考えたそうです。その日本の小学校の様子を世界中に紹介したいと日本の公立小学校で1年間、150日、700時間にも及ぶ撮影で出来上がった「小学校〜それは小さな社会〜」という映画です。実は予告編は見ましたが、まだ私も見ていません。ぜひ近々見たいと思っています。最後にこの映画のキャッチコピーを紹介します。
「6歳児は世界どこでも同じようだけれど、12歳になる頃には日本の子どもは“日本人“になっている」
校長室のひとりごと「日本式学校教育」①
現行の学習指導要領では「全ての児童生徒の可能性を引き出す個別最適な学びと協働的な学びの一体化」を目指すことが「令和の日本型教育」だと記されています。似ている言葉で混乱しそうですが、今日は諸外国から注目を集めている「日本式学校教育」について書いてみます。
2016年エジプト首相が来日の際に訪れた小学校の様子に衝撃を受け5年前よりエジプトの学校で「日本式学校教育」を取り入れ始め、今やその「日本式学校教育」は中東各地に広がりを見せているそうです。ではその「日本式学校教育」とは何なのか、例えば「全員で分担して掃除をする」「話し合い活動で問題を解決する」「日直や給食当番」など、我々日本人がこれまで当たり前に経験してきたことをまとめて「日本式学校教育」と読んでいます。特に「特別活動」特活と言われる話し合い活動等は社会性を身につけるのに大いに役立っているとエジプトカイロの小学校の校長先生は話しています。またエジプトでは「掃除は社会階層の低い人がやること」という意識があり導入当時は保護者から疑問視する意見も少なくなかったようですが、今では「子供が家でも整理整頓するようになった」と評価する保護者が大半だそうです。
現在エジプトで「日本式学校教育」を取り入れているのは51校ですが、入学希望者は定員の5倍の人気で、今後「日本式学校教育」を取り入れた学校を増やしていく方針だそうです。日本人として誇らしい気持ちになる話ですよね。