2018年4月の記事一覧
国特別天然記念物「牛島のフジ」の公開が始まりました
市内の文化遺産の中で唯一、「特別」が冠される国天然記念物である『牛島のフジ』の公開が4月14日(土)から始まりました。
例年、薄紫色の壮大なカーテンを演出する古木は樹齢1200年を超すといわれ、フジでは国内唯一の特別天然記念物として昭和30年に国指定となりました。
4月18日(水)にはフジの生育を祈願する「鎮花祭(ちんかさい)」が太く絡み合う古木の根元で行われました。
また、古くから幾多の文化人がフジの開花にあわせて足を運んでおり、詩人三好達治が「牛島古藤花」という詩を残しています。
▲明治44年の消印が押された絵葉書からは春の名所であることがわかります。
根元周囲は4メートル余り、藤棚は600平方メートルにもおよぶ国内最大級に加え、可憐な花房から漂う甘美な香りが園内を包んでおりますので、国を代表する天然記念物を間近に楽しんでみてはいかがでしょうか。
▲4月18日の園内の様子
藤花園の詳細・アクセスは
http://www.ushijimanofuji.co.jp/forecast.html#02ja
例年、薄紫色の壮大なカーテンを演出する古木は樹齢1200年を超すといわれ、フジでは国内唯一の特別天然記念物として昭和30年に国指定となりました。
4月18日(水)にはフジの生育を祈願する「鎮花祭(ちんかさい)」が太く絡み合う古木の根元で行われました。
また、古くから幾多の文化人がフジの開花にあわせて足を運んでおり、詩人三好達治が「牛島古藤花」という詩を残しています。
▲明治44年の消印が押された絵葉書からは春の名所であることがわかります。
根元周囲は4メートル余り、藤棚は600平方メートルにもおよぶ国内最大級に加え、可憐な花房から漂う甘美な香りが園内を包んでおりますので、国を代表する天然記念物を間近に楽しんでみてはいかがでしょうか。
▲4月18日の園内の様子
藤花園の詳細・アクセスは
http://www.ushijimanofuji.co.jp/forecast.html#02ja
春季展示初日。展示資料を少し紹介
本日、4月17日(火)より春季企画展示「かすかべの宝もの15近代の交通・流通」がはじまりました。
本展示会は交通・流通に関する収蔵品や市域に伝来する貴重な資料を展示し、近代の交通・流通の歴史を紹介するものです。それほど広くない展示室ですが、実物資料101点、写真や図など53点の計154点が並びました。
今回は、展示資料のなかから、展示会の見どころともなる、貴重な資料を紹介させていただきます。
まずは、荷札です。
大正~昭和初期に西金野井の河岸場(かしば)で使われていたものです。西金野井は、江戸時代以来の河岸場として賑わった地域であり、明治時代以降には蒸気船が停泊しました。この荷札は、蒸気船で東京の青果市場などに発送された白菜や甘藷苗(サツマイモの苗)などに付けられたのでしょう。荷札は大量にあり、河岸に周辺の農産物が大量に集荷されたことがうかがえます。
次に、桃の出荷用の木箱です。
詳しい伝来はわかりませんが、豊野地区の藤塚で昭和30年ごろに使われていたものと考えられます。河畔砂丘という内陸性の砂丘が分布する藤塚では、古くから果樹園があり、桃を栽培していました。高度経済成長期になると、道路の舗装やトラックの普及があって、東京の中央卸売市場に出荷されるようになります。この木箱は、東京に出荷された桃を梱包したもので、市域の交通・流通の歴史の一端を物語る貴重な資料といえます。古写真もあるので合わせてご覧ください。
普段は藤塚小学校の郷土資料室で展示しているものなのですが、とても珍しいものなので展示させていただきました。
このほかにも、現在では想像もつかない、失われつつある市域の交通・流通の歴史の一コマを紹介しています。春日部の新たな一面を発見できるかもしれません。
7月8日(日)まで開催しておりますので、ぜひご覧ください。
本展示会は交通・流通に関する収蔵品や市域に伝来する貴重な資料を展示し、近代の交通・流通の歴史を紹介するものです。それほど広くない展示室ですが、実物資料101点、写真や図など53点の計154点が並びました。
今回は、展示資料のなかから、展示会の見どころともなる、貴重な資料を紹介させていただきます。
まずは、荷札です。
大正~昭和初期に西金野井の河岸場(かしば)で使われていたものです。西金野井は、江戸時代以来の河岸場として賑わった地域であり、明治時代以降には蒸気船が停泊しました。この荷札は、蒸気船で東京の青果市場などに発送された白菜や甘藷苗(サツマイモの苗)などに付けられたのでしょう。荷札は大量にあり、河岸に周辺の農産物が大量に集荷されたことがうかがえます。
次に、桃の出荷用の木箱です。
詳しい伝来はわかりませんが、豊野地区の藤塚で昭和30年ごろに使われていたものと考えられます。河畔砂丘という内陸性の砂丘が分布する藤塚では、古くから果樹園があり、桃を栽培していました。高度経済成長期になると、道路の舗装やトラックの普及があって、東京の中央卸売市場に出荷されるようになります。この木箱は、東京に出荷された桃を梱包したもので、市域の交通・流通の歴史の一端を物語る貴重な資料といえます。古写真もあるので合わせてご覧ください。
普段は藤塚小学校の郷土資料室で展示しているものなのですが、とても珍しいものなので展示させていただきました。
このほかにも、現在では想像もつかない、失われつつある市域の交通・流通の歴史の一コマを紹介しています。春日部の新たな一面を発見できるかもしれません。
7月8日(日)まで開催しておりますので、ぜひご覧ください。
不動院野の神楽が公開されました
4月15日(日)に東不動院野の大杉神社の祭礼にあわせて、市指定無形民俗文化財『不動院野の神楽』が公開されました。
午前中には地区内の五穀豊穣、無病息災を祈願する「辻切り」が6箇所でお神輿と獅子舞の奉納が行われました。
午後はあいにくの降雨により、地区集会場で神楽が公開されました。お囃子では保存会の皆さんが指導されている地元幸松小学校の児童や中学生による堂々とした笛や太鼓の演奏が披露され、大きな拍手をいただきました。
神楽では五穀豊穣・家内安全を祈願する「大黒様」、そして保存会の見事な掛け合いで会場を楽しませていただいた「大江山」の2演目が公開されました。
不動院野の神楽は、地元のこの春例祭のほか、春日部夏祭りでもみることができます。郷土の文化遺産を間近に感じることができる貴重な機会ですので、ぜひ、足を運んでみてはいかがでしょうか。
午前中には地区内の五穀豊穣、無病息災を祈願する「辻切り」が6箇所でお神輿と獅子舞の奉納が行われました。
午後はあいにくの降雨により、地区集会場で神楽が公開されました。お囃子では保存会の皆さんが指導されている地元幸松小学校の児童や中学生による堂々とした笛や太鼓の演奏が披露され、大きな拍手をいただきました。
神楽では五穀豊穣・家内安全を祈願する「大黒様」、そして保存会の見事な掛け合いで会場を楽しませていただいた「大江山」の2演目が公開されました。
不動院野の神楽は、地元のこの春例祭のほか、春日部夏祭りでもみることができます。郷土の文化遺産を間近に感じることができる貴重な機会ですので、ぜひ、足を運んでみてはいかがでしょうか。
4月15日(日)不動院野の神楽が公開されます
茨城県稲敷市(いなしきし)にある大杉神社は「あんばさま」と呼ばれ、現在、全国に670社ほどある大杉神社の総本宮です。江戸時代、船を守る神、また疱瘡(ほうそう・天然痘:てんねんとう)から人々を守る神として信仰されました。
不動院野の大杉神社は、江戸時代に稲敷市の大杉神社から勧請(かんじょう)された神社です。不動院野の
不動院野の神楽は、毎年4月15日に近い日曜日に地元の大杉神社の祭礼の際に奉納されるほか、7月に開催される春日部夏まつりの際に
開催日時:平成30年4月15日 (日曜日) 午前9時~地区内で辻切り、午後1時30分~境内舞台で神楽の奉納が行われます(雨天時は集会所内で公開されます)。
開催場所:大杉神社(東不動院野集会所・春日部市不動院野615番地)
【交通機関】
最寄の公共交通機関はありません
国道16号バイパス八丁目(東)交差点を西宝珠花方面に折れ、埼葛広域農道との交差点にある1つ目の信号を杉戸方面へ、400メートル程度進むと左手に集会所あり
筆子塚『新編図録春日部の歴史』からのご紹介43
江戸時代、人々は生活や生業のために、文字や計算を学びました。学ぼうとする人々の存在は、学んだ人たちが亡くなった師匠のために建てた筆子塚(ふでこづか/筆子塔:ふでことう)とよばれる石造物から確認できます。
筆子塚は、寺社や墓地などにおかれ、「筆子中」や「筆子三十人」といった銘文や、時にはその師匠の経歴も書かれています。
市域には、下柳に所在する薬師堂の明和二年(1765)のものをはじめ、約20基の筆子塚が確認できます。地域別では粕壁宿が7基と多く、他に、中曽根、大衾、椚、米島、金崎、西宝珠花、永沼、木崎などの地域に所在しています。
「学び」『新編 図録 春日部の歴史』118ページ
下柳 薬師堂の筆子塚(明和2年)
筆子塚は、寺社や墓地などにおかれ、「筆子中」や「筆子三十人」といった銘文や、時にはその師匠の経歴も書かれています。
市域には、下柳に所在する薬師堂の明和二年(1765)のものをはじめ、約20基の筆子塚が確認できます。地域別では粕壁宿が7基と多く、他に、中曽根、大衾、椚、米島、金崎、西宝珠花、永沼、木崎などの地域に所在しています。
「学び」『新編 図録 春日部の歴史』118ページ
下柳 薬師堂の筆子塚(明和2年)