タグ:神明貝塚
「ほごログ」ぷちリニューアル
新年度の機構改革に伴い、部署の名称が文化財保護課から「文化財課」になりました。これにより、「ほごログ」もプチリニューアル。 #かすかべプラスワン
文化財「保護」課でないので、皆様に愛されてきた「ほごログ」の名称変更が危ぶまれましたが、「春日部市の文化財保護と活用・郷土資料館のブログ」の「ほごログ」となりました。
ページ上段のバナーを一新しましています。おすすめは、国指定史跡「神明貝塚」の調査風景。
ほかにも数種類あるので、チェックしてみてくださいね。
3/5から富士見市で開催される「埼玉の4大貝塚」展に神明貝塚の資料が出品されます
郷土資料館の神明貝塚展示コーナーで展示している市指定文化財の「堀之内式組合せ土器」と、同じく神明貝塚の注口土器(ちゅうこうどき)が、富士見市の富士見市立水子貝塚資料館で3月5日(土)から行われる企画展「埼玉の4大貝塚ー水子貝塚 真福寺貝塚 黒浜貝塚 神明貝塚」にて展示されることになりました。埼玉県内の国の史跡に指定されている4つの貝塚を紹介する展示です。概要は下記の通りです。ぜひお出かけください。
<埼玉の4大貝塚ー水子貝塚 真福寺貝塚 黒浜貝塚 神明貝塚>
日時:令和4年3月5日(土)~5月8日(日)
会場:富士見市立水子貝塚資料館(富士見市大字水子2003-1、049-251-9896)
開館時間:午前9時~午後5時
休館日:月曜日(3/21は開館)、3/22(火)、5/6(金)
入館料:無料
ちなみに、富士見市の市の花は、春日部市と同じ「フジ」で、公式サイトには、各ページにフジのイラストがあしらわれています。春日部市郷土資料館では、3/8(火)からミニ展示「NSNM 牛島のフジ」展を開催します。
さて、貸出しに伴い、縄文土器展示コーナーの一部の展示品を変更し、ご要望が多かった「花積下層式(はなづみかそうしき)」土器の土器片を5点、展示しました。「花積下層式」は市内花積にある花積貝塚の土器をもとに設定され、花積の地名が使われた土器型式です。関東地方の約7,000年前にさかのぼる縄文時代前期の始まりとともに出現します。
郷土資料館ご来館の際は、ぜひご覧ください。
花積下層式土器
豊野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました
令和3年10月12日(火)に豊野小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
令和3年10月5日(火)より第38回小学校地域学習展「くらしのうつりかわり-なつかしのくらしの道具展-」がはじまりました。同展示会には毎年、社会科郷土学習の一環として、小学校3年生の団体見学の依頼を多くいただいています。
豊野小学校は今年のトップバッターです!ちなみに去年も豊野小学校は1番乗りでした!
1クラスを2つに分け、企画展示室の小学校地域学習展と常設展を入れ替わる形での見学です。
企画展示室では約60年前の生活の様子や、実際に使われていた道具の説明を受けました。
千歯こき(せんばこき)を使った脱穀(だっこく)体験体験では、バラバラを音を立てて落ちていく籾(もみ)の様子に歓声が上がります!
常設展の見学では、縄文時代の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)や、国史跡神明貝塚(くにしせきしんめいかいづか)などの解説を受けました。
本物の人骨におっかなびっくりの様子でした!
最近は新型コロナの感染者数が減少傾向にあるようですが、資料館の出入り口を開放し、適宜アルコール消毒をしながら見学会を行いました。今後も安心して楽しく資料館に来てもらえるように努めていきたいと思います。ぜひまた来てくださいね!
「くらしのうつりかわり-なつかしのくらしの道具展-」は、10月5日(火)から令和4年2月27日(日)まで開催しています。
昔懐かしい民具や勉強道具、おもちゃなどを展示し、お子様からご年配の方まで楽しんでいただける展示となっております。ぜひご来館ください。
粕壁小学校6年生が郷土資料館を見学しました。
令和3年6月9日(水)、粕壁小学校第6学年の皆さんが、社会科の歴史単元「縄文のむらから古墳のくにへ」の学習のため郷土資料館を見学しました。
学芸員による縄文・弥生・古墳時代の解説を聞いたあと、児童各々は竪穴式住居原寸大模型や神明貝塚の出土品、須釜遺跡の土器、塚内古墳群の埴輪などをじっくり観察していました。縄文時代の土器や石器を触ってみたり、なかには匂いをかいでみる児童もいました。はたまた、神明貝塚の人骨と自分の顔を比べる児童もいました。自らの身体をフルに活用して郷土の縄文時代を体感してくれたようです。写真をブログに載せてほしいとリクエストをいただきましたので載せます。タイトルは「人骨と小学生」
目的の学習を終えると、粕壁宿の模型で自分の家の位置を確かめたり、粕壁小学校の木造校舎の写真や粕壁の昔の風景をみて、まちの移り変わりを考えたり、学芸員に詳しく話を聞いたりして、身近な物事に基づきながら、さまざまな時代について楽しみながら歴史の理解を深めてくれていたようでした。
なかでも、航空写真から自分の家や友達の家を探すことや、
「かすかべ弁」として掲示している県東部地域の方言の意味を考えることに夢中になっているようでした。
最近では、文化財保護課による出張授業や当館の「でばりぃ資料館」などの出張メニューも好評をいただいていますが、先史時代から現代まで、すべての時代の歴史を順を追って体感できるのは郷土資料館しかありません。6年生の皆さんには、江戸時代の参勤交代や宿場町を学習する単元でも、日光道中や粕壁宿の模型を身近な教材として活用していただき、もう一度社会科見学に来ていただけるといいなぁと思います。
#エア博物館「藤のまち春日部」展の紹介(その4)
引き続き、 #春日部市郷土資料館 のミニ企画展「藤のまち春日部」( #コロナ禍 のため中止)を #おうちミュージアム として紹介します。今回は、昭和初めに国の天然記念物に指定され、ますます有名になっていく「牛島のフジ」(国特別天然記念物)について蘊蓄(うんちく)を語ります。
昭和3年(1928)1月18日、「牛島のフジ」はに国指定天然紀念物に指定されました。当時、埼玉県の天然紀念物としては5つ目でした。国会図書館デジタルコレクションで当時の『官報』を御覧いただけます(2コマ目左下段)が、『官報』上の表記は「牛島ノ藤」だったのですね。
ところで、国指定の文化財といえば、先日、市内の西親野井地区の神明貝塚が国の史跡に指定されました。市内では「牛島のフジ」に次いで2例目の国指定となりました。神明貝塚の例のように、国の文化財の指定にあたっては綿密な調査・研究が積み重ねられ、学術的な評価・価値づけがされた上で指定となります。同様に「牛島のフジ」も、当時の国の調査団による調査が行われ、価値付けがなされています。
調査は指定を遡る数年前の大正末年、植物学の大家で、日本に天然記念物の概念を広めた三好学(理学博士)の指導のもと、内務省の名勝天然紀念物保存調査会により調査されました。当時の調査報告『史蹟名勝天然紀念物調査報告』第35号(大正13年刊・98~99コマ目)によれば、「世ニ紫藤ノ大ナルモノナキニ非ザレドモ未本樹ノ如ク著シキモノアルヲ聞カズ、天然紀念物トシテ指定セラルベキモノト信ズ」と評価されています。つまり、藤の大木は無くはないが、「牛島のフジ」ほどものは未だに聞いたことがないので、天然紀念物に指定すべきだと評しています。同時に保存要件としては、根・幹・枝の損傷を防いで、適切な施肥をすることも指摘されています。
前にも触れた通り、明治時代には、花房を取ったり、和傘でさして藤花の下を(おそらく傘で花を痛めつけながら)くぐる観覧客がいました。天然紀念物に指定されることによって、「牛島のフジ」は国内有数の保存されるべき樹木として位置づけられることになったのです。
一方で、「牛島のフジ」の国指定は、結果として観光資源としての価値を高めていくことにも繋がりました。大正末の新聞紙上では内務省の調査団が訪れ、国指定に向けて期待する声が報じられていましたし、国天然紀念物の指定直後の5月には、関係諸氏を招き開催された祝賀会が開催されています(下の写真・かすかべデジタル写真館より)。
さらに、昭和5年(1930)には『世界一藤のかすかべ』と題された、「牛島のフジ」を中心とした粕壁町・幸松村の観光ガイドブックが発行されています(館蔵)。明治時代には「関東一」だった「牛島のフジ」は「世界一」へと成長を遂げていったのです。国天然紀念物指定以降、「牛島のフジ」は国に認められた古木として、ますます多くの人々に知られるようになり、のちに春日部のシンボルにもなっていきます。
しかし、国の天然紀念物指定の本旨は、観光資源化でなく、その保存です(そういえば昨年は「史蹟名勝天然紀念物保存法100周年」でした)。表向きには華やかに「国の天然紀念物」と騒ぎ立てることは結構なのですが、その裏側の保存・保全にも光をあてるべき、と文化財行政に携わる職員として思います。こんなことを書くと、「観光マインドがない」と揶揄されてしまいそうですね。
「牛島のフジ」に関していえば、国指定以降、適切に保存・保全され、さらに戦後に施行された文化財保護法のなかで、昭和30年(1955)8月22日に国の特別天然記念物に指定され、今日まで保存・保全されてきています。昭和3年の国指定が今日までの「牛島のフジ」の保存・保全の起源となったといえ、こうした保存・保全の経緯があってはじめて「牛島のフジ」は存在しえているのです。
また、指定後のブランディングにも問題があるようです。「国指定」の冠を前面に押し出した刊行物等をみると、指定以前の由来や歴史が捨象される傾向が読み取れます。「国指定」のブランド力が強いため、中身が伴わず、空虚な価値付けに終始するものが多いようです。牛島のフジに関する伝説は昭和5年(1930)刊『世界一藤のかすかべ』が初見だったりします。
ですから、この#エア博物館「藤のまち春日部」展では、「国指定」以前の、「国指定」に留まらない牛島のフジの魅力を歴史のなかに見いだそうとしてきました。
藤の花は、もうすっかり散ってしまいましたが、あと2回ほど「牛島のフジ」に関する#エア博物館#おうちミュージアムにお付き合いください。