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タグ:底部穿孔

【令和5年夏季展示予告その6】須釜遺跡の底部穿孔土器

須釜遺跡3号再葬墓出土底部穿孔土器

3号再葬墓出土底部穿孔土器の底

須釜遺跡3号再葬墓出土底部穿孔土器

 

須釜遺跡は、倉常の中川(庄内古川)左岸の水田地帯で、周りより1~2mほど標高が高い自然堤防と呼ばれる微高地に立地します。これまでに3回の発掘調査が行われ、1・2次調査では、古墳時代前期の竪穴状遺構や包含層、近世の屋敷跡が確認されています。3次調査は、平成13年(2001)に土地所有者が耕作作業をしている際に弥生土器が発見されたことがきっかけとなり行われました。弥生時代中期の11基の再葬墓と呼ばれる墓跡と、それに伴って約30点の完全な形に近い弥生土器が発見されました。須釜遺跡の出土遺物は平成17年に埼玉県の有形文化財に指定されました。

 

須釜遺跡の底部穿孔土器は3号、4号、6号、7号再葬墓から出土しています。壺以外に、甕や筒形の土器も穿孔されています。いずれも焼成後の穿孔です。底の外面(下側)に何かを当てた痕跡がないことから、内面(上側)からあなをあけているものと考えられます。

須釜遺跡7号再葬墓出土土器

須釜遺跡7号再葬墓出土土器底部

須釜遺跡7号再葬墓出土土器内面

須釜遺跡7号再葬墓出土土器(側面、底面、内面)

 

ほかの再葬墓の遺跡でも底部穿孔土器が出土することはあるものの、須釜遺跡のように多くの土器が穿孔されることはありません。須釜遺跡の再葬墓は、お墓の形が再葬墓から方形周溝墓に移り変わる時期に営まれたと考えられており、そういった時代背景から底部穿孔土器が多く出土している可能性も考えられます。

 

須釜遺跡については、下記の記事などもご覧ください。

【常設展】須釜遺跡出土土器を展示替えしました

須釜遺跡再葬墓出土遺物一括-指定文化財でめぐる春日部

 

●春日部市郷土資料館 第68回企画展示

権現山遺跡発掘調査60周年記念「あなのあいた壺」権現山遺跡の底部穿孔壺と墓でつかわれた土器

会期:令和5年7月22日(土)から9月3日(日)

開館時間:午前9時から午後4時45分

休館日:毎週月曜日・祝日・8月5日(土)午後・8月6日(日)

会場:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15・048-763-2455)

【令和5年夏季展示予告その2】第68回企画展示ーあなのあいた壺

 

考古学講座第4回を開催しました

12月24日、春日部市郷土資料館では午前中から考古学講座を開催しました。

本日は、年代の決定と春日部の古墳時代をテーマとしました。

年代の決定では、絶対年代を求める方法として、放射線炭素年代法と年輪年代法をとりあげました。放射性炭素年代測定法は、1970年代に開発された加速器質量分析法によって、考古学で得られる少量の試料でも年代を測定できるようになり、また暦年較正曲線が頻繁に見直されており、より精緻な分析が進められています。

株式会社パレオ・ラボ様より頂いた加速器分析装置の資料を使いながら、炭素12、炭素13、炭素14が分析電磁石の中で曲がる際に、重量の違いによって曲がる方向が分かれ、3つの炭素が分けられることなどを学びました。

春日部の古墳時代では、東中野の権現山遺跡と内牧の塚内古墳群をとりあげました。権現山遺跡では、古墳時代前期の方形周溝墓が発見され、底部穿孔壺形土器が発見されていること、塚内古墳群では、4号墳のみで墳丘の調査が行われていて、下総系と武蔵系の円筒埴輪が出土していることをお話ししました。

塚内4号墳の埴輪を見ていただく

本日は、塚内4号墳から出土した埴輪を会場に展示し、武蔵系、下総系の埴輪の違い、特に使われている土の違いを見ていただきました。

講座中で、埴輪に使われている粘土の話ばかりしてしまい、説明が足りませんでしたが、内牧地区に武蔵と下総の粘土を持ってきて埴輪を作ったのではなく、武蔵地方と下総地方で作られた埴輪がそれぞれ内牧地区に運び込まれているということですので、補足します。

講座終了後のお話のなかで、埴輪にあけられた穴のことや弥生時代の戦争のことについて質問がありました。次回、最終回の考古学講座で、考えてみたいと思います。