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#桜咲くかすかべ 郷土資料館にも #桜 咲きます
3月18日(土)より、春日部ハルのキカクテン「春の花*春日部」展が始まります。本展は春の花咲く春日部で春のお花をもっと楽しむための企画展示です。 #かすかべプラスワン
春日部のゆかりの春の花は、藤だけじゃない。春日部の歴史にとって、桃、藤、牡丹、そして桜は、縁の深い花です。今年も微力ながら「桜咲くかすかべ」を盛り上げんがため(むしろ便乗して)、「春の花*春日部」展から、桜の話題を一つ。
でばりぃ資料館や小学校の団体見学で、市内の小学校の児童たちと触れ合うなかで、彼らの身に着ける名札や黄色い帽子に桜、藤があることに気づきました。なんと、桜や藤は、市内の学校の校章のモチーフに取り入れられていたのです。学校要覧や各校のブログ・学校だよりなどを手掛かりに桜と藤の校章をピックアップしたのが下の図です。
桜をモチーフとする校章は新旧合わせて6校、藤は3校見出しました(もしかすると武里南小は桔梗かもしれない説が浮上しています。要検討)。
桜の校章は、まず校名(地名)に「桜」がはいる学校、南桜井小・桜川小にありました。「南桜井村」は明治22年(1889)に成立します。桜川小は昭和50年(1975)に開校する新設校。校名は南桜井と川辺から「桜川」と名付けられました。他方、「桜」の校名ではないですが、粕壁小・幸松小・富多小(江戸川小中学校に統合)にも「桜」をモチーフとした校章が採用されています。3校はいずれも明治時代に開校した伝統校です。卒業・入学の時期に「桜」は学校のはじまりとおわりを象徴する花でもあり、校章にも取り入れやすい花だったということなのでしょうか。また、明治時代半ばに「桜」は「日本らしさ」をイメージするものとして普及しました。そうした時代のなかで桜の校章が創られた可能性もあります。いずれにしても、桜の校章が生まれるのは、古くても明治時代以降のことでしょう。
手元の資料では、校章制定の年次や理由・背景はわからないのですが、粕壁小については、昭和14年(1939)築の旧木造校舎(下の写真)に掲げられていた校章を郷土資料館で保管しています。これと現在の校章を比較すると若干デザインが異なっています。もしかすると、粕壁小の現在の校章は、実は比較的新しい(もしかすると戦後に制定された?)のかもしれません。
藤をモチーフとする学校は、牛島小(昭和50年開校)、藤塚小(昭和54年開校)、春日部南中(令和元年開校)で、いずれも新設校です。藤が校章に取り入れられたのは、おそらく市の花が藤(フジ)だからでしょう。市の花の制定は昭和48年のことです。学区内に牛島のフジがあること、藤のつく地名であること、また市の花が藤であることが制定の理由だと思われます。
校章にみる春の花は、古ければ明治時代までさかのぼれますが、もしかすると意外に新しいものなのかもしれません。校章の成り立ちや制定までの過程は、今後追跡調査したいと思っています。校章からみれば、桜と藤は春日部にとってゆかりのある春の花であるといえるでしょうか。
写真は解体前の粕壁小木造校舎。町のシンボル的な建物だったので、懐かしい方も多いのでは?
「春の花*春日部」展では、屋根付近の建物正面に掲げられている校章(実物)を展示して、郷土資料館に桜を咲かせます。ぜひお楽しみに。
3月19日(日)には、みゅーじあむとーくも開催しますので、ぜひ資料館の桜もお楽しみ下さい。10:30〜、15:00〜(30分程度)
【出張授業】でばりぃ資料館in幸松小学校
令和5年2月3日(金)に幸松小学校に出向き、第3学年の児童に向けて「でばりぃ資料館」を開催しました。
今回は幸松ルーム・理科室・図書室を使用し、それぞれ「昔の家の道具」「昔の農業」「60年前の春日部・学校」のテーマに分けて行いました。
教室で受ける授業とは異なり、3クラスが入れ替わりながら3部屋を訪れる形式なので、児童のウキウキした気持ちが伝わってきました(笑)
昔の家の道具の解説は幸松ルームで。
幸松ルームには郷土資料室として多くの民具が設置されており、昔の家の道具だけでなく、各種解説パネル、農家で使われていた道具など、お宝がたくさん!実物に触れることで学びを深めていってください!
理科室では昔の農業、特に米作りについてです。
昔と今、機械化される前と後の米作りの様子について比較しながら学習しました。さらに昔の米作り作業の一部を疑似体験し、体を使って印象に残るような経験を積んでもらえるような授業にしてあります♪
図書室では60年前の春日部や学校の様子について。
昔の春日部の様子を写した大きな航空写真を見てもらい、当時の春日部市域の様子や、幸松小学校の位置、周辺の様子などを観察しました。また、昔の学校で使われていた勉強道具と今自分たちが使っている勉強道具を比較したり、当時の子供の等身大イラストなどを利用して背比べをして楽しく学びました!
幸松小学校は教育センターとさほど遠くない距離に位置しているためか、児童の中には郷土資料館に来たことがある子もちらほら。昔のおもちゃや楽しめる企画を用意してますので、ぜひお友達を誘って来てみたくださいね♪
学校の先生方にもご好評をいただいております“でばりぃ資料館”!第3学年だけでなく、日程、内容などご相談いただければ、各学年対応いたします。これからもぜひ、郷土資料館をご活用ください!
「幸松っ子くらぶ」郷土カルタすごろくで遊ぼう
令和4年11月28日(月)に幸松小学校で行われた、放課後子ども教室「幸松っ子くらぶ」で“郷土カルタすごろくで遊ぼう”を開催しました。
幸松っ子くらぶは図書室・図工室・音楽室・幸松ルーム・体育館を使用し、各部屋で異なるイベントが開催され、子どもが自分の興味があるイベントに参加する方式です。(郷土カルタすごろくは幸松ルームでした)
今回は1年生から5年生まで合計9名の児童が訪れてくれました。
すごろくの前に、ひとつ「牛島の藤の伝説」という紙芝居を読みました。牛島の藤は幸松小学校からもほど近く、知っている子も多いようです。そこにはいったいどんな伝説が伝わっているのか、みんな真剣になって聞いてくれました。
続いては郷土カルタすごろく!
郷土カルタすごろくは、春日部郷土カルタをモチーフにした郷土資料館オリジナルのすごろくです。一般的なすごろくとは異なり、サイコロの出目の数だけ進むのではなく、出目に割り当てられたマスにワープしながら進みます。
大きなサイコロ!
みんな溢れんばかりのパワーで投げていました(笑)
止まるマスによってはクイズに答え、ポイントをゲットしながら進行していくのですが、これが大盛り上がり!低学年から高学年まで楽しそうに遊んでくれました♪
最後に郷土資料館から持参した手作りおもちゃでも遊んでもらいました!
郷土資料館に置いてあるから、遊び足りなかった子はいつでも遊びに来てね♪
子どもたちからは「世界一面白かった!!」との感想が(笑)
想定した以上にみんな夢中になって楽しんでくれて、私たちも笑顔で帰路につきました。
幸松小のみなさん、またお会いしましょうね!
幸松小4年生のお手紙に「めがね橋」を学ぶ
先日、幸松地区の水害の歴史について、出張授業にうかがいましたが、幸松小4年生のみなさんより、そのお礼のお手紙をいただきました。出張授業(でばりぃ資料館)では、幸松地区の水害の歴史、とくに幸松小の皆さんにとって身近なめがね橋がただの橋じゃない!ことを説明しました。
どんな話をしたのか、めがね橋のなにがすごいのか、幸松小の皆さんが手紙で説明しながら、お礼を書いてくれました。素晴らしい手紙のお礼として、みなさんに紹介することで、再度めがね橋とはなにかを紹介してみたいと思います。
その通り。めがね橋は明治24年(1891)に完成した古い橋です。そして、ただの橋じゃなくて、樋門(ひもん)なのです。樋門は川からの逆流を防ぐために造られました。古さと逆流を防ぐ点が「すごい」と思ってくれたようです。「なくてもいい」のではなく、必要だから造られた、そして今ものこされていること、知ってもらえたようです。ありがとうございます。
県内で2番目に古いレンガ樋門であるとともに、「めがね橋がさんがい(災害)からわたしたちを守ってくれていた」ことも知ってくれたようです。この点、幸松小の皆さんにとって、すごく重要です!ありがとうございます。
幸松小の皆さんは事前にめがね橋を見に行ったそうですが、そのときはよくわからなかったようですが、授業に接して、「せきばしら(堰柱)」「かくおとし(角落とし)」についてわかってくれたようです。そう、ここに板をはめて樋門にすることも理解してくれました。きっと、堰柱と角落としを知っている小学四年生は幸松小学校だけですよ!
その一方で、水害は「ちょっとこわい」とも感じてくれたようです。いやなことから目を背けず、歴史を学んで「こわい」と思うことも大事なことだと思います。ありがとうございます。
めがね橋を通学路にする子もいます。板が通るぐらいの「くぼみ」(角落とし)を再確認してくれたようですし、お家に帰ってお母さんにもお話ししてくれたようです。お家の方にもめがね橋のスゴさを伝えてくれてありがとうございました。
板を落として逆流を防ぐ状態の、めがね橋の挿絵を描いてくれた子もいました。堰柱と角落としも描かれ、きっちり板が落としてありますね!ありがとうございます。
めがね橋だけでなく、水塚(みづか)や用心船についてもお話ししましたが、幸松地区から江戸城にお米を納めていたという話も少ししました。幸松は米どころで、不動院野のもち米がとくに美味しいお米で、江戸時代の終わりごろ、江戸城の御膳に上納されていました。このことを感想に書いてくれた子がいました。趣旨から外れた、ちょっとマニアックな話題だったので、覚えていてくれて、とてもうれしいです。ありがとうございます。
社会科が苦手だった子も面白く感じてくれたようです。ありがとうございます。
社会科の学習は、国語や算数などの教科に比べると後回しにされがちですが、社会の成り立ち・仕組みを知るなかで、自分の位置を知る重要な教科だと思います。埼玉県、春日部市、幸松がどんな地域なのか、それが自分や世界とどうかかわるのかを考えながら、学べば、きっとこれからの社会科学習も楽しくなるはずです。
授業で説明したこと、きちんと伝わっていたようで、うれしいです。あと、どんぐりをくれた少年からもお礼のメッセージをもらいました。ありがとう。
めがね橋のスゴさ、幸松の水害の歴史について、お家の方だけでなく、知らない人はきっと沢山いるでしょう。今度は、そのスゴさについて、郷土資料館のわたしではなく、幸松小のみなさんが伝えてくれたら、とてもうれしいです。みなさん、素敵なお手紙ありがとうございました。
【幸松小でばりぃ資料館】めがね橋は、ただの橋じゃない
10月12日、幸松小学校第4学年の総合的な学習の時間に、でばりぃ資料館(出張授業)してきました。幸松小4年生のみなさんは、フィールドワーク、座学、コンピュータープログラムなどを通じて、幸松地区の防災について、様々な観点から学習されているそうです。本時は、その一環として「幸松と水害」というテーマで、幸松地区の水害の歴史について、学芸員がお話しするものです。
話題は水害。少し暗い話題なので、クイズなどを交えて、楽しく話を進めてみました。みなさん、元気よく、積極的にクイズに参加してくれました。
しかし、「馬や牛、人の死体が流れてくることもあった」とか、「家が流されてしまう人もいた」とか、水害のリアルな話をすると、表情を曇らせる児童もいました。ちょっとビックリしたかもしれませんが、実際に幸松であった事実なのです。
最後に、めがね橋について解説。事前にフィールドワークでめがね橋と傍らにある石碑を見学していましたので、めがね橋の存在を知らない子はいませんでした。けれど、なんで「めがね」っていうのか、「めがね橋はただの橋じゃない」という話をすると、みなさん驚いていました。実はめがね橋は、古利根川からの逆流を防ぐ、県内で2番目に古いレンガの樋門(ひもん)なのです。
幸松小学校の先生が記述した明治43年「幸松村水害誌」には、「この記録を読んだ人が水害当時の状況を知り、昔の水害について考え、失敗を反省する材料としてくれれば、この記録をつくってよかったと思う」と記しています。幸松は様々な水害の記録が伝わる地区で、めがね橋をはじめ、水塚など災害歴史遺産とでもいうべき史資料が比較的よく遺っています。昔の水害について克明にわかること、そして過去の水害を克服して現在の幸松があること。幸松小学校のみなさんには、今そして未来の春日部に暮らす一人として、この地区の過去の水害について知っておいてもらいたい、と最後にお話ししました。ちょっと難しかったでしょうか。
カスリン台風の水害については、前に紹介したこともあるのでこちらを参照ください。
授業の後、2組の男子からどんぐりをもらいました。もらったどんぐりは、大切にしますので、みなさん、今日の話を大切にしてもらえたら、うれしいです。