ほごログ(文化財課ブログ)

タグ:牛蒡

【 #11月25日 】 #今日は何の日? in春日部

今から92年前、大正4年(1915)11月25日は #内牧村 から 皇室に #梅田ごぼう が献上された日です。 #かすかべプラスワン

梅田ごぼうは、知る人ぞ知る、春日部固有の在来野菜。栽培が盛んだった市内の梅田地区の地名を冠したゴボウです。市内の梅田女體神社に御買上の記念碑があり、それもあってか地元では、大正天皇が即位されたときに皇室に献上されたことで知られています。梅田ごぼうについては、以前も少し紹介したことがあります(以前の記事のリンク)

梅田ごぼうが皇室に献上されたのは、大正4年11月に行われた大正天皇の即位礼(大正大礼)に際してのことでした。地方から皇室への献上は、「伝献」(でんけん)と呼ばれる間接的な献上の方法で行われることになっており、実際の献上にあたっては、村役場から、郡庁、県庁を介して、宮内省と調整して進められました。その過程を、埼玉県や宮内省の行政文書から追ってみましょう。

大正4年8月27日、内牧村では臨時村会が行われ、大正大礼の奉祝のため、村の特産物である梅田牛蒡1箱(15本入)宮内省に献上することが決議されました。これを受けて、9月27日、内牧村の村長高橋喜右衛門は、南埼玉郡役所、埼玉県を介して、宮内大臣に献上願を発出します。10月9日、埼玉県は伝献願として、南埼玉郡の糯白米、内牧村の梅田牛蒡、北足立郡七里村の長芋を、大正大礼の奉祝ために伝献したいと出願をします。これを受け、宮内省では、10月21日に伝献の採納通知を埼玉県に発出しました。この文書では、当時の内牧村村長の高橋喜右衛門は赤坂離宮に持参し、現地にいる埼玉県職員に献上品を引き渡すようにと指示されています。

 埼玉県から同時に伝献願が出された南埼玉郡の糯白米、内牧村の梅田牛蒡、北足立郡七里村の長芋は、11月4日に赤坂離宮で引き渡しされることになりましたが、梅田牛蒡は収穫時期が尚早であったため、梅田牛蒡に限り、伝献期日が変更されることになります(11月2日)。残された文書によれば、南埼玉郡長が電話で、牛蒡の株取りは11月20日ごろが最も好時期であると申し伝えたようで、直前に延期とされたようです。

おそらく11月20日前後に収穫されたことでしょう。

そして、11月25日、梅田牛蒡は埼玉県内の他の特産物とともに献上(伝献)されました。

梅田牛蒡の皇室への献上は、上にみたように、行政のなかで事務的に進められ、実現することになりました。きわめて淡々と進められていく過程のなかで、収穫はまだ早いと判断され、期日が延期されることになったことは注目されます。詳しいことはわかりませんが、92年前の生産者や地元のこだわりが感じられます。

大正大礼の伝献について、少し詳しく述べましたが、実は、梅田牛蒡、この前後にも皇室に御買上げされていたようです。下の書簡は、大正4年2月9日、南埼玉郡長の鎌倉恒松から、梅田牛蒡の生産者にあてられた宮内省の御買上げの礼状です。

画像:梅田ごぼう御買上の礼状

書面からみると、すでに2月の時点で内牧村産の梅田牛蒡が御買上となっており、大正大礼以前に梅田牛蒡が宮内省に買い上げられていたことになります。宮内省の御買上は、産業の奨励のために実施されたもので、厳密にいえば献上・伝献ではありませんが、梅田女體神社の石碑に「大嘗祭御用梅田牛蒡御買上記念」と刻まれるように、地元にとっては、皇室に献上したように認識されたことでしょう。それだけ、梅田牛蒡は、地元の誇るべき特産品であったといえるのです。

しかし、梅田牛蒡は残念ながら、種が途絶えてしまいました。現在は同じ太牛蒡の一種の大浦ごぼうの種が市内で作付けされ、いままさに収穫、店頭に並んでいるところです。当方も先日道の駅で購入し、食べましたが、普通のゴボウよりも香りが強く、柔らかくて美味しかったです。11月末から正月にかけて、太牛蒡は旬です。皆さんも、ぜひご賞味ください。

 

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過去の今日は何の日?in春日部シリーズは、のリンクからお読みいただけます。

展示解説講座その2「梅田ごぼうの献上」

8月20日(土)講師に二ノ宮幹太先生(宮内庁宮内公文書館)をお迎えして、「明治天皇と春日部」展の展示解説講座を開催しました。

テーマは「梅田ごぼうの献上」。二ノ宮先生は、現在開催中の「明治天皇と春日部」展において、「第3章春日部市域の恩賜と献上」の展示設営を担当いただいた方です。梅田ごぼうは、春日部市内では割と知られた特産農産物。梅田女體神社の石碑もあり、大正時代に皇室に献上されたことが語たり継がれてきました。そのことは、前にも紹介しました。

前回の講座に引き続き、今回の展示解説講座では、現在「明治天皇と春日部」展で展示されている資料を丁寧に読み解きながら、皇室への献上の仕組みやプロセス、宮内省・埼玉県・南埼玉郡・内牧村の間で発信・授受される公文書のサイクルをまじえながら、梅田ごぼうがどのような目的で、何のために、どのように献上されていったのかを、解説いただきました。宮内省や埼玉県には梅田ごぼうの献上に関わる公文書が残されていますが、郡・村には文書がのこされていません。資料が限られているなかで、至極丁寧に史料を解釈され、歴史学研究の鑑のような報告だったと思います。

写真:講座の風景

質疑応答では、地元の石碑に刻まれる「大嘗祭御買上」と公文書の「伝献」「献上」はどう違うのか。梅田ごぼうは実際に供物としてささげられたのか、献上の規定の条文の解釈について、など、かなり鋭い質問が投げかけられました。

また、梅田ごぼうを実際に召し上がったことのある方も発言され、「昭和50年頃に甘辛く煮て食べ、香りがよくおいしかった」と、在りし日の梅田ごぼうの味を会場で共有することもできました。

写真:解説される二ノ宮先生

「伝説のごぼう」と言われますが、梅田ごぼうのことが着々と判明してきた貴重な機会となりました。

受講者の方からは、「公文書から梅田ごぼうのことがよくわかった」「丁寧なお話しありがとうございました」などの感想をいただきました。二ノ宮先生には、ご多忙のところ、貴重なご講演、丁寧なご対応、大変ありがとうございました。

展示解説講座は、引き続き、宮内庁宮内公文書館の辻岡健志先生をお迎えして、「埼玉鴨場の設置について」を解説いただきます。ぜひ、お申込みください。

企画展・来館記念オリジナルスタンプ

宮内庁との共催展「明治天皇と春日部」にオリジナルスタンプが登場。その名も伝説の「梅田ごぼう」スタンプ! #かすかべプラスワン #梅田ごぼう #在来種 #ゴボウ

梅田ごぼうは、知る人ぞ知る、春日部固有の在来野菜。栽培が盛んだった市内の梅田地区の地名を冠したゴボウです。市内の梅田女體神社に御買上の記念碑があり、それもあってか地元では、大正天皇が即位されたときに皇室に献上されたことで知られています。太いごぼうの一種で、江戸時代の農書や料理書にも登場します(これについては後日紹介します)。

地元の方にお話を聞くと、梅田地区は砂地だったため、ごぼう栽培に適してたとか。平成13~14年ごろまでは市内で栽培されていたそうですが、栽培・収穫に手間がかかることから、市内の農家での栽培は断絶してしまいました。その後、復活に向けて地元の農家の方や埼玉県の農林部局が尽力しましたが、種を入手することができず、復活はできなかったと聞いています。ですから「幻のごぼう」と言われることもあります。現在は、市内の農家の方が、近似する品種の大浦ごぼうの種を播種し、春日部太ゴボウ、梅田うまみゴボウというブランド名で売り出しています。厳密には従来の梅田ごぼうではなく、大浦ごぼう系であるとのこと。煮ると柔らかく香りがよいのは同じですが、形は大浦ごぼうとも少し違ったと聞いています。

今回の展示では、梅田ごぼうの献上に関する新出の資料が並び、歴史のなかの梅田ごぼうのことが、少しずつですがわかってきました。写真をはじめ、ごぼうの挿絵、それから「梅田牛蒡」と記された書類などなど見出すことができました。これらの資料を集約して、かつては春日部を代表する野菜だった伝説のゴボウ「梅田ごぼう」をスタンプにしました。下の画像はその案内です。

画像:スタンプ案内

どんなスタンプの柄なのかは、展示会場で捺してみてください。たぶんゴボウのスタンプは、かなりレアなのではないでしょうか。資料館の職員にも好評です。

 

1 展示会名 明治天皇と春日部~巡幸・御猟場・梅田ごぼう~

2 主  催 宮内庁・春日部市・春日部市教育委員会

3 会  期 令和4年7月20日(水)~9月4日(日)(休館日:月曜日、祝日)

4 開館時間 午前9時~午後4時45分

5 入  館 料 無料

6 会  場 春日部市郷土資料館(住所:〒344-0062 春日部市粕壁東 3-2-15(春日部市教育センター内))