ほごログ(文化財課ブログ)

カテゴリ:郷土資料館

郷土資料館体験ワークショップを開催しました♪

令和元年7月6日(土)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ ぶんぶんごまを作ろう!」が開催されました。
春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「ぶんぶんごま」を作りました。

ワークショップの様子

自分で選んだ色鉛筆で台紙に色を塗り、ハサミ・のりを使って一生懸命作り、最後は出来上がった”ぶんぶんごま”を回し”ぶーん・ぶーん”と音を鳴らしながら遊んでいました。

ワークショップの様子

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
 次回ワークショップは、令和元年8月3日(土)に「からくり屏風」を作ります。ご参加をお待ちしています。

木櫛製作用具ー指定文化財でめぐる春日部

7月7日まで第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。

春日部市の木櫛作りは、明治初期に藤塚村六軒(ふじつかむらろっけん/現・六軒町)で農家の副業として始められたのが最初といわれます。戦前まで木櫛製作を行う家が18軒ほど存在したようです。

春日部市有形民俗文化財「木櫛製作用具」は、春日部市緑町で3代続いた木櫛職人に伝えられ、市内最後の職人である故・塚田蔵吉(つかだくらきち)氏が平成10年まで愛用したものです。
各用具をみると、職人自ら用具に工夫を加え使いやすくしていることがわかります。

塚田氏が木櫛作りのハズリを行っている様子

榎囃子神楽連面芝居用具-指定文化財でめぐる春日部

7月7日まで第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。

「榎囃子神楽連面芝居用具(えのきはやしかぐられんめんしばいようぐ)」は、榎囃子神楽連に伝わる「面芝居」の道具類です。面27点をはじめ、衣装、幕、台本などが残されています。榎囃子神楽連では、江戸の神楽師から、「面芝居」を伝授され、大正時代から昭和初期にかけて盛んに行われました。写真の面は有名な日本三大仇討ち(あだうち)と言われる『曽我物語』の曽我五郎の面です。

現在は残念ながら、榎囃子神楽連に面芝居を演じられる方はいらっしゃいませんが、これら道具類が往時の様子を伝えてくれます。

曽我五郎の面
『曽我物語』の曽我五郎の面

ギャラリートーク開催のお知らせー指定文化財でめぐる春日部

7月7日まで第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。

第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」の最終日、7月7日(日)10時30分~と15時~、展示担当学芸員によるギャラリートークを行います。
ギャラリートークでは、展示室にて、展示品を1点ずつ丁寧に解説いたします。時間はおおむね30分程度を予定しておりますが、出入りはご自由にして頂いて結構です。また皆様からのご質問も随時受け付けます。
第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」、最後のイベントになります。ぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。

5月25日のギャラリートーク
5月25日のギャラリートーク

6月9日のギャラリートーク
6月9日のギャラリートーク

今回の企画展示では、5月29日と6月9日にギャラリートークを行いました。ご参加いただきまして誠にありがとうございました。

「鈴木久五郎」展のチラシできました!

春日部市郷土資料館にて、令和元年7月23日(火)から開催する企画展示「元祖成金!鈴木久五郎ー鈴久を生んだ商いのまち春日部」のチラシ・ポスターが仕上がりましたのでご披露します!
画像:ポスター(表)

画像:ポスター(裏)

記念講演会は8月31日(土)に埼玉大学の水村典弘先生をお招きして開催します。また、7月24日(水)、8月10日(土)、9月1日(日)には、ミュージアムトークも開催いたします。
チラシは各所で配布、ポスターは掲示される予定です。お楽しみに!

講演会「春日部の指定文化財ー史跡・考古資料」

7月7日まで第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。

6月29日、第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡・考古資料」を開催しました。
あいにくの天気にも関わらず、大変多くの方にご参加いただきました。

講師は、考古学がご専門で春日部市文化財保護審議委員の杉崎茂樹先生にお願いいたしました。
文化財保護の制度の歴史や史跡と考古資料について、一つずつ詳しくご解説いただきました。さらに、各文化財に関連する学史や最近の調査情報などについてお話いただきました。

会場の皆さんも熱心に受講していただき、質疑の時間では文化財の指定についての話題や縄文土器の型式の話題、埴輪の話題など多岐にわたりました。


講演会の様子

杉崎茂樹先生

春日部市郷土資料館では、7月7日まで第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」を開催中です。この機会にぜひ郷土の指定文化財をご覧ください。

浜川戸遺跡出土の板石塔婆ー指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

浜川戸遺跡は、浜川戸の自然堤防、河畔砂丘がある八幡公園周辺に所在します。
浜川戸遺跡出土の板石塔婆(いたいしとうば)は、昭和62年(1987)に行なわれた浜川戸遺跡の発掘調査で、河畔砂丘の上で発見された墓の跡から出土しました。
板石塔婆には、最も古い弘安6年(1283)をはじめとして、13~14世紀の年代が刻まれています。これらの板石塔婆から、13世紀ごろには砂丘上で人々が活動を始めていたことがわかり、河畔砂丘の形成時期を考える上で重要な資料です。

浜川戸遺跡出土の板石塔婆

本日14時から、第60回企画展示記念講演会として、講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きし、浜川戸遺跡出土の板石塔婆などの市内の史跡・考古資料の指定文化財についてご講演いただきます。
ぜひご来場ください。

記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」

 日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
 場所:春日部市教育センター
 定員:100名(先着順)
 費用:無料
 定員に余裕はありますので、会場で直接お申し込みください。
「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」講演会チラシ

貝の内遺跡出土の下総国分寺軒平瓦ー指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

貝の内遺跡は、西宝珠花の下総台地上、宝珠花小学校周辺に所在します。これまでに奈良時代、平安時代の竪穴建物跡が約140軒調査されています。
「貝の内遺跡出土の下総国分寺軒平瓦(しもうさこくぶんじのきひらがわら)」は平成4(1992)年に行なわれた調査で、煮炊きを行うカマドの内部から出土しました。
軒平瓦は、屋根の最下部に文様が見えるように葺かれます。この瓦の文様は、「宝相華文(ほうそうげもん)」という下総国分寺(市川市)と同じ文様です。また文様を付ける際に使われた范型(はんがた・文様が彫られた木などで作られた型)の傷の位置が、下総国分寺で出土した瓦の中に共通するものがあることから、下総国分寺の瓦と同様に、現在の市川市周辺で作られた瓦と考えられます。


貝の内遺跡出土下総国分寺出土瓦
貝の内遺跡出土の下総国分寺軒平瓦

6月29日(土)14時から、第60回企画展示記念講演会として、講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きし、貝の内遺跡出土の下総国分寺軒平瓦などの市内の史跡・考古資料の指定文化財についてご講演いただきます。
ぜひご来場ください。

記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」

 日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
 場所:春日部市教育センター
 定員:100名(先着順)
 費用:無料
 郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。
「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」講演会チラシ

小渕河畔砂丘出土の須恵器大甕ー指定文化財でめぐる春日部

現在第60回企画展示「指定文化財でめぐる春日部」開催中です。
また6月29日(土)第60回企画展示記念講演会「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」受講者募集中です。

小渕河畔砂丘(こぶちかはんさきゅう)は、小渕の古利根川沿いに形成された砂丘です。古代から中世の時期、利根川本流を流れてきた砂が河原にたまり、北西からの強い季節風によって巻き上げられ形成されたと考えられています。
須恵器大甕(すえきおおがめ)は、昭和31年(1956)に小渕河畔砂丘の下部から発見されました。口の直径33.8㎝、高さ54.6㎝、底の直径20.5㎝の大きなもので、ほぼ欠けることなく発掘されました。須恵器に使われた粘土の特徴から群馬県方面の窯で作られた製品と推定されています。
砂丘下部から出土していることから、河畔砂丘の形成時期を考える上で重要な資料です。
小渕河畔砂丘出土須恵器大甕

小渕河畔砂丘出土須恵器大甕

6月29日(土)14時から、第60回企画展示記念講演会として、講師に、杉崎茂樹先生(春日部市文化財保護審議委員)をお招きし、小渕河畔砂丘出土須恵器大甕などの市内の史跡・考古資料の指定文化財についてご講演いただきます。
ぜひご来場ください。

記念講演会「春日部の指定文化財―史跡と考古資料」
 日時:令和元年6月29日(土)14時~16時
 場所:春日部市教育センター
 定員:100名(先着順)
 費用:無料
 郷土資料館へお電話(048-763-2455)、または直接ご来館の上、お申し込みください。

「春日部の指定文化財ー史跡と考古資料」講演会チラシ

かすかべの牡丹と成金鈴久

春日部市郷土資料館にて、令和元年7月23日(火)から開催予定の「元祖!成金鈴木久五郎」展の準備を進めています。今回は展示資料を少しご紹介します。

春日部は古くから「藤のかすかべ」と称されてきたように、国特別天然記念物の「牛島の藤」を筆頭として、藤の花は市のシンボルとして現在も親しまれています。今回は「藤だけじゃなかった!」というお話です。

「粕壁の牡丹」といっても、今は知る方もほとんどいないのかもしれませんが、戦前には東京近郊の名所として知られていました。
はじめに、市域で牡丹が有名になったのは、備後村の医師石井家です。石井家は牡丹栽培で著名な人で、明治14・15年に牡丹の接木技法を発明したといい、同家の庭園では、接ぎ分けを望む人が近隣や東京からも訪れたといいます。
この牡丹を株分けしたのが、幸松村の鈴木兵右衛門(久五郎の実兄)です。邸宅に造られた牡丹園は政治家を招く社交の場として利用されました。五月からその末にかけては、毎日のように、粕壁の町に用はなくても、牡丹園があるがために東京から「政客」がやってきたそうです。警察の定員が増え、町にいいお茶ができたのも、鈴木邸の牡丹園のおかげだといわれました。鈴木邸は粕壁町の近在であったため、「粕壁の牡丹園」と呼ばれました。
しかし、鈴木銀行が破たんに追い込まれ、大正7年(1918)に屋敷・牡丹園は売却されると、粕壁の古刹最勝院に牡丹が株分けされ、境内に牡丹園が開園しました。
最勝院の牡丹園は、一般の客でも自由に出入りができたようで、「粕壁町春日部牡丹園」と呼ばれます。最勝院の牡丹園は古い写真絵葉書があり、当時の様子がうかがえます。

写真:粕壁の牡丹園
絵葉書の裏面には「大正七年五月」とメモ書があり、牛島の藤とセットで巡った方の持ち物だったようです。
その後の牡丹園の足跡はよくわかりません。しかし、かすかべの観光名所には藤だけでなく牡丹があり、そして牡丹には成金鈴久の生家鈴木家が深くかかわっていたこと、牡丹の栽培名人が武里にいたことも「粕壁の牡丹園」の成立の背景にあったことが、鈴木久五郎を調べるなかで明らかになってきました。

そんな、鈴木久五郎について紹介する、展示会は、令和元年7月23日(火)~9月8日(日)まで。乞うご期待。