ほごログ(文化財課ブログ)

カテゴリ:郷土資料館

夏季展示がはじまりました。

7月22日(土)、夏季展示(第57回)「初代直木賞選考委員 三上於菟吉を知っていますか?」展の初日を迎えました。
夏季展示風景
この展示会は、春日部ゆかりの大衆作家・三上於菟吉を紹介する展示会です。
三上於菟吉は、「雪之丞変化」などの作品で著名な昭和初期の作家です。明治24年(1891)市内の木崎に生まれ、旧制粕壁中学校(現県立春日部高等学校)に進学し、晩年は市内の八丁目に疎開し、昭和19年(1944)当地で53年の生涯を閉じました。
今回の展示では、地元に伝わる三上於菟吉関係の資料をはじめ、希少本や自筆の短冊・書簡などの貴重な品々が、所狭しと展示されています。
初日には、展示担当者による解説講座「三上於菟吉と春日部」を開催しました。また午後3時からは展示室で資料を解説する
ギャラリートークを開催します。
解説講座
展示会は、9月3日(日)まで開催しています。来場された方には無料で展示パンフレットを差し上げておりますので、ご興味のおもちのかたはぜひご来場ください。

神明貝塚の人骨が常設展に登場!

7月22日(土)から、神明貝塚で発掘された縄文人の人骨を展示しています。
縄文コーナー展示替
神明貝塚は、今から約3800~3500年前(縄文時代後期前半)の貝塚で、市内の西親野井地区に所在しています。
平成28年度の調査で、3体の縄文人骨が新たに発見され、話題になりました。
縄文時代の人の骨が残るケースは、非常に稀なことで、神明貝塚には縄文人が食べた貝殻が大量にたい積し、酸性土壌が中和され、奇跡的に現代まで残ったものと考えられています。
今回、展示した人骨(頭蓋骨)は、30歳~60歳の縄文時代の女性のものです。身に着けていた装飾品や、縄文時代の骨格と比較するために江戸時代の人骨(頭蓋骨)なども展示し、解説パネルもリニューアルしました。

博物館などでは、レプリカの人骨を目にすることはあっても、本物・原物の人骨を目にすることはあまりありません。本物の人の頭蓋骨だけあって、なかなか迫力がありますし、少しゾッとします(個人の感想です)。

縄文時代の人骨
この暑さを吹き飛ばすため、よく冷えた展示室で、縄文人と見つめあってみてはいかがでしょうか。

なお、今回の展示替については、
産経新聞さん、ヤフーニュースさんにもとりあげていただきました。

にっこり 図書の寄贈を受けました

栄東中学・高等学校の理科研究部の皆さんから、『歴史地震』第32号の寄贈をうけました。
歴史地震32表紙
本誌は、歴史地震研究会が発行する学術雑誌で、本号には、以前、同校の理科研究部の皆さんが市内や当館所蔵資料を調査した成果が掲載されています。
①「埼玉県春日部市に残る1923年関東地震に関する石碑」では、市内の寺社、小学校に残る関東大震災にかかわる石造物を踏査し、碑文を翻刻、当地震の被害状況を考察するものです。すでに『春日部市史』に紹介されているもののみならず、地道な調査のなかから見出したものもあり、春日部の歴史をひもとくうえで大変貴重な成果といえます。
②「埼玉県春日部市郷土資料館に残る1923年関東地震に関する記録~大震災記念児童文集と大正12年粕壁町震災写真帳~」では、当館で保管している粕壁小学校
「大震災記念児童文集」「震災写真帖」の内容を一部紹介するものです。当館では、両資料ともにすでに展示会等で紹介しているところですが、学術雑誌上で紹介されるのは初めてです。今後、詳しい検討がまたれます。

栄東中学・高等学校の理科研究部の皆さんの成果を、今後郷土資料館の活動に活かしていきたいと思います。
皆さん、ありがとうございました。

企画展示室を撤収しました。

7月9日(日)まで開催していた、春季展示(収蔵品展14)「あなたの家にも眠っていませんか?」展が終わり、展示されてた資料を片付けました。
展示ケースがからっぽになると、なぜだかさみしい気持ちになるのはわたしだけでしょうか。


いよいよ、夏季展示(第57回)「初代直木賞選考委員 三上於菟吉を知っていますか?」がはじまります。
初日の7月22日(土)に向けて絶賛準備中です。乞うご期待。

笑う 市民の方から資料の寄贈をうけました。

市内在住の方から、昭和12年(1937)5月~昭和18年(1943)10月「南桜井村報」を寄贈していただきました。
「南桜井村報」は、北葛飾郡南桜井村の村民向けに発行された村の広報誌です。
これまで、「南桜井村報」の存在は知られており、当館では昭和13年4月~昭和16年6月の一部を所蔵していましたが、欠号が多く全容がわかっていませんでした。

今回、ご寄贈をいただいたものは、「南桜井村報」の第一巻第一号から、第九巻第四十四号までほぼ欠号がなく綴りこまれています。


第一号の巻頭の辞によれば、「紙上を通じて村の皆様に、村の希望、注意指導等を、お伝へする」ために毎月一回発行したことがわかります。また「読者欄」が設けられ、村民「体験、抱負、希望等」を発表する場を兼ねていたようです。
南桜井村報巻頭の辞
実際に、発行初期には「小学校で今度養鶏をやつて居る様ですが、種卵は譲って戴けるのでしょうか」などの農産業に関するQ&Aや、「南桜井村和楽音頭」(作詞:石原江風)という郷土の歌が掲載されるなど、地域の産業・文化の情報発信・伝達の場として機能していました。
しかし、日中戦争が深刻化すると、出征者からの報告の手紙を紹介する「戦場便り」や、出征者が戦没すると追悼や村葬儀の案内等、「銃後奉公」や戦地に関する情報が、村報の紙面を占めるようになっていくことがわかります。



戦前・戦時期の南桜井村、県東部の農村の状況を示す大変貴重な資料といえます。
今後、調査研究して、活用させていただきたいと存じます。
改めて、寄贈いただいた方にはお礼を申し上げます。