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☆ 3月12日(水)酸味と辛味がおいしい「ししゃもの南蛮漬け」!!

今日の給食は【中華風混ぜごはん、ししゃもの南蛮漬け、春雨入り中華スープ、ヨーグルト、牛乳】です。

今日は「ししゃもの南蛮漬け」について紹介します。

本来、ししゃもは北海道の太平洋沿岸でしか採れない、生息域の狭い魚です。鮭と同じく、産卵の回遊のために河川に上る時に漁獲されます。今日のししゃもも、正確には「からふとししゃも」といい、主にノルウェーなどで漁獲されていて、干物に加工することが多いです。

ししゃもは、骨も丸ごと食べることができるので、中学生に不足しがちなカルシウムをとることができます花丸

カルシウムたっぷりのししゃもを食べて、強い骨を作りましょう了解キラキラ

☆ 3月12日(水)3年生、最後の卒業式練習!!

暖かいながらも、小雨のぱらつく今朝の南流中。まるで、3年生との別れを名残り惜しんでいるようでもあります。

▼今朝のホワイトボード。河崎先生の言葉が胸に響きます。大切な、大切ないのちのバトンを受け継いで今、我々が生きています。

▼1年生、佐藤先生の社会科の授業。グループごとに課題を解決していきます。話し合いながら、とても楽しそうに学習が進められています。

▼1年生、渡邉久子先生の英語の授業。電子黒板に映し出されたクイズ形式の質問に対して、グループごとに解答を作り出しています。楽しそうな子ども達。

▼1年生、堤先生の理科の授業。グループごとに校内の危険箇所について調べ、どういうことに注意したら良いのか発表しています。実によく調べられています。クラスにとどまらず、全校に発表してもらいたい内容です。

▼2年生、吉田先生の数学の授業。吉田先生、エネルギッシュに教室内をあちらこちらと動き回ります。

▼第1グラウンドでは1年生が男女一緒にティーボールを行っています。応援の声も飛び交い、よい雰囲気です。

▼3年生は1~2校時に最後の卒業式練習を行っていました。3年生のみんな、いよいよだね。明日、お互い頑張ろうね!!

▼E棟2階に飾られている3年生の学年目標。すっと3年生のみんなを見つめてきました。

☆ 3月11日(火)3年生、最後は「ココアミルク揚げパン」!!

3月11日(火)の給食は【ココアミルク揚げパン、鶏肉のトマト煮、野菜スープ、牛乳】でした。

3年生最後の給食は、リクエストメニューの一つ、「ココアミルク揚げパン」でした。

ココアは、カカオという木の果実の中にある種子のことで、西アフリカ、中南米、東南アジアなど、高温多湿な環境で育てられています。ちなみに、ココアとカカオは同じもので、昔スペインから持ち込まれたときに、イギリスでカカオからココア、という発音に変わったといわれています。また、ココアには腸の中をきれいにする働きがある食物繊維が豊富に含まれています。

昨日で3年生は9年間の学校給食が終わりました。これから給食がなくなると、自分で食べるものを選んだり、料理を作ったりする機会が増えていきますひらめき今まで学んだことや、給食の献立を参考にして、栄養バランスの良い食事を心がけていきましょう笑う

キラキラご卒業、おめでとうございます3ツ星

☆ 3月11日(火)卒業式予行、頑張る子ども達!!

▼今朝のホワイトボード。このメッセージを書いた1学年主任の渡邉久子先生は、当時まだ幼かった二人のお子さんを守ることに必死だったとのこと。2011年3月11日午後2時46分。あの日、あの時間のことは、今を生きる人の数だけ物語があります。

▼午後は明後日に迫った卒業式の予行が行われました。みんな、素晴らしい態度で本当によく頑張っています!!

▼校歌の練習。1年生も含めて全校で歌う最後の校歌です。見事な歌声が響き渡ります。

▼震災当時、福島県内でちょうど車を運転していた古川彩子先生。当時のこと、今を生きる子ども達に伝えたいことを、精一杯気持ちを込めて話してくださいました。

▼産前休暇のため、今週いっぱいでしばらくのお休みに入る伊藤佳菜子先生から、ご挨拶をいただきました。

▼妊娠教員補助講師としてご勤務いただいた、佐藤佳奈子先生も今週で勤務は終了。子ども達のために本当にありがとうございました!!

▼3年生が退場時に歌う合唱曲「群青」。胸に染み渡る感動の歌声です。

▼3年生に続き、1年生も退場した第一体育館では、2年生が送辞の際に歌う合唱曲の練習を行っています。さすが、南流中が誇る最高の2年生です。

☆ 3月11日(火)ポスターに、読書感想文に、頑張る子ども達!!

水道に関する啓発を図り、水道に対する理解を深めることを目的に毎年行われている「水道週間ポスターコンクール」。

本年度のコンクールについて、大橋柑奈さん(1年)の作品が最優秀賞に輝いたことは、既に本ホームページにてご紹介したところですが(→詳細はこちら:本校HP)(→流山市HP)(→「ぐるっと流山」はこちら)、本日、優秀賞に輝いた野村澄和さん(2年)へ賞状が授与されるとともに、出品した他5名の生徒にも記念品が贈呈されました。

どの作品も水の流れる音が聞こえてくるような、迫力のある素敵な作品ばかりです。是非ご覧ください。

また、今日は「第70回千葉県青少年読書感想文千葉県コンクール」にて、「いつか私も、マエストロ」で佳作を受賞した北林さくらさん(3年)にも、賞状と記念品が授与されました(→市内審査での「最優秀賞」の様子はこちら)。おめでとうございます!!

▼「おいしい水道水 自然の恵み」大橋 柑奈さん(1年) 最優秀賞

▼「ありがとう おいしい水道水」野村 澄和さん(2年)優秀賞

▼「ぼくたちの 未来を支える水道水」薄 玲音さん(2年)

▼「おいしい水道水 いつまでも」宇佐見大河さん(2年)

▼「おいしい水道水」山田 陽さん(2年)

▼「美味しいお水に 感謝」鈴木 醍哉さん(2年)

▼「おいしい水道水」栗原 明莉さん(1年)

☆ 3月11日(火)3.11を忘れない ~あれから14年~

昨日発行された1年1組の「学級だより」。本日3月11日は東日本大震災から14年。皆さんはどこで何をしていらっしゃったでしょうか。

あの大地震の発生時、震災の真っ只中、福島の地にいらっしゃった古川彩子先生が、今を生きる子ども達に伝えたい思いとは・・・。

古川先生、渾身の学級だよりでそれを感じていただきたいと思います。

 

3.11を忘れない ~あれから14年~

明日は、東日本大震災から14年です。この年、あなたたち中学1年生の多くが産声をあげました。その瞬間は、ご家族のみな様にとって忘れられない瞬間だったことでしょう。私も忘れられません。14年前の3月11日、午後2時46分。雪がしんしんと降り続く、寒い春でした。マグニチュードは9.0。未曽有の大震災が福島を、東北の地を襲ったのです。それは、何の予兆もない、とある普通の日でした。

急に鳴り響く緊急地震速報。「何?何?なにが起きるの!?」学生だった私は、自分が運転する車に母を乗せ、千葉へと引っ越すための買い出しに出ているところでした。とどまることのない大きな揺れ。その答えを知る余地もなく、ただただ必死にドアにしがみついて耐えるしかありませんでした。揺れがおさまり、地割れを避けながら車を走らせ自宅に戻ると…玄関が崩れ、家が傾いていました。それからはもう、長く辛い日々でした…。でも幸い、家族みな無事でした。私も今、ここにこうして生きて、みなさんと出会うことができた。それは本当に偶然であり、奇跡。

「大変だった」とは、決して言えない。

震災直後の3月28日、誕生日なんてそれどころではなかった。傾く家と、心配そうな家族の表情を後目に、着任のために千葉に向かいました。片道分のガソリンを積み、途中幾度となく余震に遭いながら、なんとかたどり着き、教師となりました。

新しい方々と出会い、「福島出身です。」というと、必ず言われました…「地震大丈夫だった?」「大変だったでしょう?」と。その度に私は、何とも言えない気持ちになりました。何故か。家が崩れ、避難生活を強いられました。でも、私より“大変”な人が大勢いたのです。大学の友人は、地元岩手で、津波によりお母さんを失いました。高校の友人は、お父さんが、放射能で汚染された原子力発電所へ、調査のため被爆を覚悟で派遣されました。そして私の祖父。祖父母の家は農家でしたが、震災により畑を、家を失いました。生きがいを失くしました。そしてあっという間に寝たきりになって亡くなりました。震災関連死、という言葉もあります。直接的な被害を受けていなくても、色々なものを失った絶望や、心労で亡くなっていった人たちも大勢いるのです。出会った方々はもちろん、気を遣って言ってくださったことは分かっています。だけど…正直辛かったです。それが5年ほど続きました。

昨年、震災と同じ年に生まれた子どもたちが、中学校に入学しました。命は巡っている。復興も進んでいる。夏に見た福島の海は、何事も無かったかのように穏やかでした。でも私は、それほど時が経ったとは思いません。あれから14年、されど14年。昨日のことのように鮮明に蘇る記憶。

大変だった。だけど、今生きている。“大変”って、何なのだろう?地震、豪雨、コロナ、そして戦争…大切な人やものを失った人たちに比べれば、私は全然、大変ではありませんでした。どんなに苦しいことがあっても「生きている限り、大丈夫」と、自然と考えるようになりました。いや、そう言い聞かせているのかもしれません。

毎年3月になると、「今ここに居ていいのかな…」とか、それは単なる自分のエゴに過ぎないのではないか、など、様々な思いが頭をめぐって、胸が締め付けられます。でも一つ言えることは、私がここ千葉に来て、教師となり、多くの生徒たちやご家族、先生方と出会えたことは、“生きている証”だということです。だから私は、これからも人との出会いに感謝し、今を、生きていることを大切にしたい。そして、私がここに居る意味…故郷福島を想い、震災の悲惨さと命の大切さを、こうやって学級だより等で子どもたちに伝えること。私にしかできないことだと思っています。それが私の生きる道。辛いことが沢山ありました。でもがんばって生きて、今は、「辛」の文字に、太く大きな「一本」が加わっています。14年前の自分にこう言ってあげたいです。

「今年もまた私は、素敵な生徒たちに出会えて幸せですよ」と。

 

▼1年1組の学級だより

☆ 3月10日(月)3年生、見事な絵皿の数々!!

3年生が美術の時間に作った「絵皿」の数々。

どれも絵の構成や細やかさ、丁寧さ、力強さなど、素晴らしい作品ばかり。3年生の子ども達が絵皿に懸命に向かっていた姿がよみがえります。

白と黒のみで表す、奥行きのある作品は息をのむほど。一枚一枚じっくりとご覧ください。

☆ 3月10日(月)3年生のみんな、こちらこそありがとう!!

穏やかな晴れ間の広がった今朝の南流中。今日も子ども達の頑張る姿が校舎のあちこちに広がっています。

▼午後のA棟2階、コミュニケーションスペースでは社会科の発表練習が行われています。子ども達は歴史上の人物を一人取り上げて、タブレットで資料を作成し、仲間に伝える練習をしています。自分の力で調べ上げただけに説得力は抜群。聞こえてくる子ども達の発表の声や表情は、自信に満ちあふれています。

 

▼タブレットや電子黒板は学習を進める上で、欠かせないアイテムになっているようです。

▼楽しそうに授業を進める照井先生。/1年5組の廊下に掛けられた制服は、まるでスーツの専門店のようにビシッとそろっています。こういうところをおろそかにしない学級は間違いなく良い学級です。

▼本日昼休み、ペットボトルキャップのコンクール表彰式が行われました。結果は以下の通り

【学年の部】優勝→3年3組・2年2組・1年3組

【全校の部】優勝→1年3組/2位→1年2組/3位→3年3組

【奨励賞】 ひまわり学級・ソレイユ学級

▼本日昼休み、3年生の学年委員が感謝の手紙を持って、ご挨拶に来てくれました。3年生のみんな、お礼を言いたいのはこっちの方だよ。これまで南流中を引っ張ってくれて本当にありがとう!!

☆ 3月10日(月)うまみたっぷり「ポークカレーライス」!!

今日の給食は【ポークカレーライス、ツナサラダ、豆乳いちごクレープ、牛乳】です。

今日は「ポークカレーライス」について紹介します。

明日でいよいよ3年生は中学校の給食が終わりますうれし泣きそこで、今日は給食の中でも人気メニューの一つ、ポークカレーライスにしました。

今日のカレーは、いつもの作り方に一手間加えていますキラキラ豚肉の肩に近い背中の部位である、肩ロース肉を、カレーの釜とは別に、1時間、コトコトじっくり煮込みました3ツ星肩ロース肉は、うまみやコクがあり、柔らかくおいしい部位です。それを、後からカレーと合わせて仕上げたので、トロトロとした食感が味わえます。

野菜と一緒に、チャツネという調味料や、りんごソースを入れて煮込み、仕上げに複数のスパイスを混ぜ合わせた南流山中特製のカレーですキラキラ豚肉のうまみを味わいながら食べましょう。

☆ 3月10日(月)眞崎さん(3年)、松戸協議会会長賞!!~全国中学生人権作文コンテスト~

法務省並びに全国人権擁護委員連合会が、人権尊重思想の普及高揚を図る一環として、昭和56年から毎年行っている「全国中学生人権作文コンテスト」。

今年度43回目を迎えるこのコンテストに、眞崎嘉一さん (3年)の作品「見えない障がい」が出品され、見事に松戸人権擁護委員協議会会長賞を授与されました。

眞崎さんは、スーパーに買い物に行った際、お母さんから「ヘルプマーク」(→詳細はこちら:東京都福祉局ホームページより)の存在を知らされます。「ヘルプマーク」について自分なりに調べる過程で感じた疑問。それをお父さんに伝える中で、新たな気付きが生まれます。

眞崎さんの素直さ、優しさ、温かさにあふれた素晴らしい作文です。是非ご一読ください。

 

  見えない障がい  流山市立南流山中学校 三年 眞崎 嘉一

 スーパーの買い物についていくと、駐車場に様々な標示があることに気付いた。電気自動車専用や高齢者専用、そして身体障がい者専用という標示を見つけた。そして特に高齢者専用や身体障がい者専用の駐車場はスーパーの入り口から近かったり、他の駐車場よりも広かったりします。よく空いているが、父親も母親も決してそこには車を停めない。

 ある日、スーパーに行くと珍しく身体障がい者専用駐車場に停めようとしている車を発見した。私は珍しいなと思いしばらく見ていると、車から金髪の若い人が一人で降りてきて、スーパーの入り口に走って行った。私は母親に「あの人、ズルいよ。」と言ったが、母親は「トイレなんかじゃないの。」と取り合ってくれなかった。もしも、その後に身体障がいの人が来たら駐車できなくて困るのにと私はモヤっとした気持ちになりながら、スーパーへと向かった。 

 スーパーで買いたい商品をかごに入れてレジに並んでいると、目の前に先程の金髪の若い女性が並んでいた。「やっぱりトイレじゃなかったじゃないか。」と母親に言おうとしたその時に、母親から肩を叩かれて、その若い人のカバンを指さした。そこには、赤色で十字とハートのマークが描かれた札がぶら下がっていたのだ。私はそれを見たのは初めてだったが、なんだか病院のマークのようなものだった。

 車に戻ってから、あの札について早速母親に聞いてみると、「あれはヘルプマークっていって、障がいのある人が周囲の人々に配慮が必要であることを知らせたり、助けてもらいやすいように付けているものなんだよ。」と教えてくれた。母親は最近病院で働くようになり、病院でもよく見かけるそうだ。 しかし私はまだ納得することができなかった。なぜなら、金髪の若い女性は入口まで走っていたので、特に体が悪そうには見えなかったからだ。なので、家に帰ってからヘルプマークについて少し調べてみることにした。

 ヘルプマークとは、義足や人工関節を使用している人や内部障がいのある人、難病を患っている人、妊娠初期の人等援助や配慮を必要としていて、配布を希望している人に配られているピクトグラムであり、駅や病院でも配られていると書かれていた。ここで気になったのが「内部障がい」という言葉である。内部障がいとは法律で定められており、心臓機能障がい、腎臓機能障がい、呼吸器機能障がい、膀胱・直腸機能障がい、小腸機能障がい、ヒト免疫不全ウイルスによる免疫機能障がい、肝臓機能障がいと合計七種類あるようだった。何より驚いたのが、障がい者の内、手足が不自由な人の次に多いのが内部障がいの人であったことだ。私は手足が不自由な人や、目の見えない人、耳の聴こえない人が障がい者だと勝手に思っていたため、私の知らない障がいの人がかなりの割合でいることを初めて知った。しかし、まだ分からないことがある。もし内臓のどこかに障がいがあるのならば、もっと大変そうなイメージがある。それこそ、走ったりできないのではないかと思うのだ。

 仕事から帰宅してきた父親に調べたことを教えて、この疑問も伝えてみた。すると、父親が前の職場で一緒に働いていた人にもヘルプマークをつけている人がいた事、その人は心臓にペースメーカーを入れているので、病院に定期的に行かなければならない事、周りの人はその事を知っているので、病院で不在の時にはみんなで業務分担していた事、その人は二児の母親であり、仕事と家事を両立させていたこと、さらには職場でも普通に走っていたことを教えてくれて、最後に、「見た目で人を判断してはいけない。」という風に言われた。

 ここで私ははっとした。内臓の病気で障がい者になることは頭では理解できていたが、スーパーの駐車場で「金髪」「若い人」という見た目で判断していなかったか。そして走っていたということで元気な人だと勝手に判断していなかったか。見た目や年齢、元気そうだという理由だけで勝手に障がいの有無を判断していた自分に気付くことができた。

 生まれた時から障がいを持っている人もいる。交通事故で大けがをして障がいを持ったという人もいる。特に内部障がいは病気でなることも多いだろうし、これから先誰でもなる可能性がある障がいだと思う。障がいまではいかなくても病気治療中の人も考えると「見えない障がい」を持っている人は沢山いると思うし、私の周りの人にももしかしたらいるのかもしれないと思うようになった。

 今回のスーパーの駐車場で気付けたことを心にとめて、決して人を見た目で判断せず、もし助けを必要としている人がいたら積極的にサポートをしていきたいと思った。