法務省並びに全国人権擁護委員連合会が、人権尊重思想の普及高揚を図る一環として、昭和56年から毎年行っている「全国中学生人権作文コンテスト」。
今年度43回目を迎えるこのコンテストに、眞崎嘉一さん (3年)の作品「見えない障がい」が出品され、見事に松戸人権擁護委員協議会会長賞を授与されました。
眞崎さんは、スーパーに買い物に行った際、お母さんから「ヘルプマーク」(→詳細はこちら:東京都福祉局ホームページより)の存在を知らされます。「ヘルプマーク」について自分なりに調べる過程で感じた疑問。それをお父さんに伝える中で、新たな気付きが生まれます。
眞崎さんの素直さ、優しさ、温かさにあふれた素晴らしい作文です。是非ご一読ください。
見えない障がい 流山市立南流山中学校 三年 眞崎 嘉一
スーパーの買い物についていくと、駐車場に様々な標示があることに気付いた。電気自動車専用や高齢者専用、そして身体障がい者専用という標示を見つけた。そして特に高齢者専用や身体障がい者専用の駐車場はスーパーの入り口から近かったり、他の駐車場よりも広かったりします。よく空いているが、父親も母親も決してそこには車を停めない。
ある日、スーパーに行くと珍しく身体障がい者専用駐車場に停めようとしている車を発見した。私は珍しいなと思いしばらく見ていると、車から金髪の若い人が一人で降りてきて、スーパーの入り口に走って行った。私は母親に「あの人、ズルいよ。」と言ったが、母親は「トイレなんかじゃないの。」と取り合ってくれなかった。もしも、その後に身体障がいの人が来たら駐車できなくて困るのにと私はモヤっとした気持ちになりながら、スーパーへと向かった。
スーパーで買いたい商品をかごに入れてレジに並んでいると、目の前に先程の金髪の若い女性が並んでいた。「やっぱりトイレじゃなかったじゃないか。」と母親に言おうとしたその時に、母親から肩を叩かれて、その若い人のカバンを指さした。そこには、赤色で十字とハートのマークが描かれた札がぶら下がっていたのだ。私はそれを見たのは初めてだったが、なんだか病院のマークのようなものだった。
車に戻ってから、あの札について早速母親に聞いてみると、「あれはヘルプマークっていって、障がいのある人が周囲の人々に配慮が必要であることを知らせたり、助けてもらいやすいように付けているものなんだよ。」と教えてくれた。母親は最近病院で働くようになり、病院でもよく見かけるそうだ。 しかし私はまだ納得することができなかった。なぜなら、金髪の若い女性は入口まで走っていたので、特に体が悪そうには見えなかったからだ。なので、家に帰ってからヘルプマークについて少し調べてみることにした。
ヘルプマークとは、義足や人工関節を使用している人や内部障がいのある人、難病を患っている人、妊娠初期の人等援助や配慮を必要としていて、配布を希望している人に配られているピクトグラムであり、駅や病院でも配られていると書かれていた。ここで気になったのが「内部障がい」という言葉である。内部障がいとは法律で定められており、心臓機能障がい、腎臓機能障がい、呼吸器機能障がい、膀胱・直腸機能障がい、小腸機能障がい、ヒト免疫不全ウイルスによる免疫機能障がい、肝臓機能障がいと合計七種類あるようだった。何より驚いたのが、障がい者の内、手足が不自由な人の次に多いのが内部障がいの人であったことだ。私は手足が不自由な人や、目の見えない人、耳の聴こえない人が障がい者だと勝手に思っていたため、私の知らない障がいの人がかなりの割合でいることを初めて知った。しかし、まだ分からないことがある。もし内臓のどこかに障がいがあるのならば、もっと大変そうなイメージがある。それこそ、走ったりできないのではないかと思うのだ。
仕事から帰宅してきた父親に調べたことを教えて、この疑問も伝えてみた。すると、父親が前の職場で一緒に働いていた人にもヘルプマークをつけている人がいた事、その人は心臓にペースメーカーを入れているので、病院に定期的に行かなければならない事、周りの人はその事を知っているので、病院で不在の時にはみんなで業務分担していた事、その人は二児の母親であり、仕事と家事を両立させていたこと、さらには職場でも普通に走っていたことを教えてくれて、最後に、「見た目で人を判断してはいけない。」という風に言われた。
ここで私ははっとした。内臓の病気で障がい者になることは頭では理解できていたが、スーパーの駐車場で「金髪」「若い人」という見た目で判断していなかったか。そして走っていたということで元気な人だと勝手に判断していなかったか。見た目や年齢、元気そうだという理由だけで勝手に障がいの有無を判断していた自分に気付くことができた。
生まれた時から障がいを持っている人もいる。交通事故で大けがをして障がいを持ったという人もいる。特に内部障がいは病気でなることも多いだろうし、これから先誰でもなる可能性がある障がいだと思う。障がいまではいかなくても病気治療中の人も考えると「見えない障がい」を持っている人は沢山いると思うし、私の周りの人にももしかしたらいるのかもしれないと思うようになった。
今回のスーパーの駐車場で気付けたことを心にとめて、決して人を見た目で判断せず、もし助けを必要としている人がいたら積極的にサポートをしていきたいと思った。