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校長ブログNo48 校歌 大切にしたい私たちの学校の歌

前回の「校章」につづき今回は「校歌」です。これまでも入学式の式辞の冒頭や過去ブログでも校歌を紹介する機会がありました。

「校歌額」体育館

校歌の歴史

校歌が制定されたのは1956年(昭和31年)3月です。意外に新しいことに驚きました。

作詞 伊橋虎雄 作曲 高梨佳二 

教室掲示

学校には開校の頃から保管されている「沿革史」があります。

沿革史とは一言で言うと学校の「歴史書」にみたいなものです。

昭和31年3月7日の記事には次のように記録が残されていました。

「2月14日伊橋虎雄先生の作詞寄贈により校歌出来し 作曲者高梨桂二先生(千葉市立坂月小校長)を招聘し指導を仰ぐ

当日スケジュール

1 指導授業(5年合唱曲)

2 校歌発表並指導

3 音楽を聴く会」

 

校長室には作詞された伊橋虎雄先生のお写真が飾られています

白浜小学校への着任が決まり、3月末に引継ぎで来校したときに「学校要覧」(学校のことを紹介したリーフレット)校歌が掲載されており、作詞者と作曲者のお名前が書かれていました。どのような方かぜひ知りたかったので事前に少し調べていました。伊橋虎雄先生は本校の卒業生(1923年(大正12年)卒業)でもあり、おふたりとも他校の校歌の作詞や作曲をされている方ということがわかりました。そして4月に着任して校長室の書架や掲示物を一通り見ていたところ、伊橋虎雄先生の写真が飾られているのを見つけたときは喜びと共に、代々の校長先生方が大切にされていることを改めて感じました。せっかくですので、私は先生のお写真の隣に楽譜を額に入れて一緒に飾らせていただきました。伊橋先生は、南条小学校(令和2年閉校、東陽小学校と合併し、光小学校となる。)の校歌も作詞されています。また、職員玄関には伊橋虎雄先生が揮毫した校歌の歌詞の書が掲げられています。

▼ 校歌額(職員玄関)

▼ 校歌楽譜(歌唱用)

 

白浜小学校「創立百年誌」には伊橋虎雄先生の寄稿文がありました。

「辱しいやら懐かしいやら」(長塚 伊橋虎雄 大正12年卒)

尋常小学校ノ教科ヲ卒業セシコトヲ證ス という片仮名混じり文の証書が、私にとって大事な白浜小学校卒業のしるしである。(中略)日付は大正12年3月23日。この年は、9月1日に未曽有の関東大震災に襲われ、世情不安を惹起、戒厳令が布かれ軍隊の力によって治安が回復したという年であったから(中略)それでも私は師範学校に入学できた。これは校地の西隅に彰徳碑となって祀られている伊藤廣之助校長先生のお力添えがあったればこそである。(中略)後年、私は多くの方々から受けたご恩の万分の一にもと考えていた矢先、校歌の作詞を依頼され、喜んで拙作を高梨佳二先生に曲をつけて頂いて献じた。以後、代々歌ってくださっている白浜小関係の皆さん方に心から感謝申し上げる毎日である。と同時に校歌の作者は人間の道を踏み外しては歌ってはもらえぬと自省を怠らぬよう努めている。

▼ 文中に登場する伊藤廣之助校長先生の彰徳碑

本校正門を出て、敷地西側に存在します。

このような校歌作詞のエピソードが、「創立百年誌」に、ご本人の文章として残されていることに感慨をおぼえます。運動会の開会式では1番の春と2番の夏の部分のみを斉唱します。自分たちの学校の歌であることはもちろんのこと、美しい白浜の四季を歌詞に織り交ぜて作られた校歌です。これからも大切に歌い継がれていくことでしょう。