活動の様子(H24~H26)

活動の様子(過去分)

矢板の歴史小話

「矢板小学校の特別棟がある場所は、むかーしむかし・・・」




今日は、矢板小学校にちなんだ歴史小話を紹介します。

矢板小学校の特別棟がある場所付近は、今から400年以上も昔、「矢板城」というお城が建っていました。

矢板小学校の特別棟、三区公民館、ひばり公園、武道館、駐車場、NTTなどが建っている高台一帯は、この矢板城の跡地になります。




矢板城は、塩谷氏の重臣矢板重郎盛兼によって築かれ、その後代々矢板氏の居館になったと考えられていますが、その歴史はほとんど伝承がなく定かではありません。

塩谷氏の居城である川崎城の北の守りの支城として機能しており、平城ではありましたが、やや高台に城が築かれていました。

この高台にあたる場所が、現在の特別棟の北側にある三区公民館です。

戦国時代に矢板城の物見台として使っていた三区公民館の小高い所は、現在、権現様の古墳となっており、「矢板城跡碑」が建っています。




矢板城は、南側の一段低い土地に広がる湿地帯と、城の東を流れる人工の用水路である富田堀(現在の塚原川)を天然の要害とし、北に土塁を築いて防御を固めていました。

現在の矢板小学校の敷地の東側半分(新校舎、児童館、校庭東側一帯)は、当時は沼地のような湿地帯が広がっていたことになります。

なので、今でも運動会の入場門を設置するために校庭に穴を掘ると、70センチメートルぐらい掘ったところで地下水が出てきます。

矢板城の廃城後、この場所は「たたり山」と呼ばれ、城の土塁などがそのまま残されていました。

でも、明治時代に入り、学校の建設などの開発によって遺構が徐々に破壊され、土塁の土も矢板駅の建設や近くの窪地の埋め立てに使われて、現在はその遺構のほとんどを失っています。

ただ、三区公民館あたりは、現在も周囲よりやや小高くなっており、なんとなくお城があった面影が残っています。

↓矢板小学校北側の三区公民館入口。画像真ん中に、「矢板城跡碑」が確認できます。




矢板の歴史に興味をもった方は、ぜひ矢板市郷土文化研究会から発行されている「矢板の伝説」を御覧になってみてください。

矢板城にまつわるさらに詳しい歴史話やちょっとこわ~い話?まで掲載されています。

また、矢板に古くから伝わる様々な歴史や昔話がたくさん紹介されています。

ちなみに、「矢板の伝説」は、前編と後編があるのですが、現在この前編と後編を一冊に編集して、「合冊版」を発行する準備を進めています。

これまで3年間にわたって「矢板の伝説合冊版発行準備委員会」による編集作業を行ってきましたが、「矢板の伝説合冊版」が完成間近となりました。

「矢板の伝説」前篇・後篇は、矢板図書館や矢板小学校図書館にも置いてあります。


 

私たちの故郷「矢板」の歴史に、じっくりと思いを馳せてみてはいかがですか?