飯中 Now
大人になる No34
【 進路について学んで行こう ① 】
今週で1学期の教科の授業は終わりになります。季節も梅雨の終わりが近づいていますね。しとしと降る雨ではなく、昼間は晴れて暑くなり、夕方、雷と共にゲリラ豪雨が私達の住む地域を襲いますね。さて、3年生諸君にとっての夏、それは進路を考え、目標に向かって精一杯の努力をする夏となります。これまでは、小学校も中学校も義務教育ということで、同じ地域の仲間と同じ学校で勉強や運動に励み、楽しい時間や喜び、そして悲しみや苦しみをも共にしてきました。そんな仲間も中学校を卒業すると同時に、それぞれ違う道を歩き始めるのです。その道の方向を決めるのが進路です。これから君達は、卒業後の人生をどの方向に進むのかを本人、保護者、先生、まわりの大人達と考え、自己実現に向けて努力をしていかなければなりません。初めて経験する、人生の別れ道に差しかかっているのです。色々と不安なこと、苦しいこと、悩むことなどが自分に降りかかってくるときでもあります。君達の今までの人生の中で1番大変なときがこれから来るのです。でもだからこそ私は言いたい。苦しかったり、悩んだりするから人間的に成長できるのです。苦しみや不安、悩みなどにつぶれてしまったり、逃げて楽な方に進んでしまったりしていては、自分の人生を切り拓くことになりません。挑戦し、壁にぶち当たり、死に物狂いで努力しなければなりません。傷ついたり、しんどかったりするだろうけど、へこたれないで乗り越えてほしいと先生は思っています。なにも成績が上がったり、学力がついたり、希望する高校に合格することだけを言っているのではありません。それは単なる結果であって、大切なことは、苦しさに立ち向かい、それを乗り越えようとがんばること。その経験が人間としての厚みを増していくのです。これからの人生の中には、もっともっと大変なことはたくさんあります。その時、楽な方へ逃げてしまったり、潰れてしまったりしないような、たくましく、しなやかな強い人間性をこの進路活動においても身に付けていくのです。 つづく (7月12日 校長)
大人になる No33
【 君と一緒に誰かの陰口を言う者は、君の陰口もどこかで言うだろう 】
陰口とは、その場にいない誰かのことをあれこれ言うことですね。だから誰かと一緒に陰口を言えば、その相手と親密な関係で結ばれたような気がするものです。しかし相手が変われば、「あの人はあなたのことをこう言っていたよ」となるのが世の常です。誰かの行為の一面だけを目にとめて悪く評価し、次々に人に悪口を言いふらす人がよくいますよね。あなたがそういう人でないことを願います。また、同じ行為にも良い見方と悪い見方があり、自分の行為に恥じるところはないという自信を持っている人は、他人の行為を良い方に解釈することができます。「○○さんって、ものすごくケチなのよ」と誰かが言ったとしても、「ケチじゃなくて物を大切にする人なんだよ」というふうに切り返し、陰口をうのみにしないように出来るものなのです。飯沼中の生徒も仲間との人間関係づくりが苦手な人が少なくないようです。また、口を開けば不平不満を言っている生徒もいますよね…。校長の私より生徒諸君の方がずっとよく生徒同士のことは分かっていますよね…。もし心当たりがあるという人がいたら、もう不平不満を口にしたり、人の陰口を言うのをやめなさい。周りからの評価も上がり、仲間からの接し方も変わってきます。そして考えや心が前向きになり、すべてが良い方向に進み始めますよ。(7月9日 校長)
本日はお足元の悪い中、1学期末の保護者会のためにご来校いただきましてありがとうございました。
小学生と仲良く、楽しくザリガニ釣りをしました
今日は、中野小学校の2年生の児童のみなさんが本校に来校し、本校周辺の用水路でザリガニ釣りをしました。中学生の地域貢献の1つと考え、3年1組の生徒達に協力してもらい、小学生の面倒を見てもらいました。小学生は安心して中学生に頼り、楽しく体験学習ができました。私が感心し、嬉しく、そしてありがたく思ったことは、3年1組の生徒達が、父性、母性をいかんなく発揮して、とても優しく小学生に接し、小学生とともに自分達も楽しそうに活動していたことでした。ぜひ将来は、保育士や教員になってもらいたい生徒ばかりでした。3年1組の生徒諸君、ありがとう。(7月8日 校長)
7月7日は七夕(たなばた)
今日、7月7日は七夕です。七夕とは日本の伝統文化である節句の1つです。節句とは、季節の変わり目に行う儀式的なもので、1年に5つあります。1月7日の七草、3月3日は桃の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕も節句です。5つ目は、あまり知られてはいませんが、9月9日は重陽の節句といいます。七夕のお話は、中国古代の民間伝承がもとになっているそうです。織姫と彦星は、中国風だと織女(しょくじょ)、牽牛(けんぎゅう)というそうです。日本には、奈良時代に宮中儀式として伝わり、織姫が機織り(はたおり)の上手な働き者だったという言い伝えから、手芸や裁縫の上達を願う風習につながりました。星に願い事をする原型はここから始まっているのだそうです。現在は、笹竹に折り紙で作った飾りを吊るしたり、短冊に願い事を書いて吊るしたりします。日本の伝統的な行事を正しく理解し、受け継いでいきたいものですね。(7月7日 校長)
大人になる No32
【 本当に役立つ勉強とは何か 】
先日、ある教育関連誌を読んでいると、高校の中途退学者に対する調査で、彼らが高校に望むこととして、約半数の者が社会に出てから役に立つことを教えて欲しいという回答を選んだという記事が目にとまりました。彼らは高校では社会に出て役立つことを教えてもらえなかったという思いを持っているのでしょうか…。一見、もっともらしい要望のようにも見えますが、果たしてそうでしょうか?私はそうは思いません。そもそも社会に出て役立つとは、どういう意味なのでしょうか?漢字が読めなければ不便だろうし、ローマ字も同様ですね。足し算・引き算が出来なければ買い物だってできません。しかし、これらのことは小・中学校で習うことですよね。それとも、英会話やコンピュータの操作や帳簿類の作成、管理または設計図を描くための技術などというものをイメージしているのでしょうか?確かに、これらのことは、覚えればすぐに役立つものばかりです。しかし、すぐに役立つようなものは、実は大して役に立たないものなのです。本当に役立つことというのは、授業をはじめとする思考の訓練を通じて、世の中の色々な事象に敏感に反応する感性であったり、興味や関心を持って調べたり、実行したりして、より良い選択をしながら生きることのできる力であったり、困難に出会っても簡単にはくじけない強い心や身体を持つことだと私は思います。協力してことに当たり、喜びを分かち合える仲間を持つことのできる人間関係づくりの能力もそうです。そういうものを手に入れることはなかなか難しいものです。訳のわからない(?)勉強をはじめ、学校で部活動や学校行事など様々なことを経験しながらでしか、なかなか身に付かないものなのです。
いま君達は、期末テストが終わり、その結果に一喜一憂していないだろうか。3年生は自分の卒業後の進路について真剣に考えて行かなければならない時期でもある。生徒諸君には、本当に役立つ勉強とは何なのかということを見失わないでほしい。(7月6日 校長)