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花のまち春日部 #桜咲くかすかべ

桜の花びらも散り、葉桜もみかける今日この頃。今回は桜の季節が終わっても、 #花のまち春日部 はまだ終わらんよ!という話題です。 #牡丹 #桃 #藤咲くかすかべ

郷土資料館では、イベント「桜咲くかすかべ」に協力し、期間中、本ブログでも市内の桜のスポットを文化財や町の歴史とあわせて紹介してきました。イベントは大変盛況のうちに終わったそうです。おかげさまで、「桜咲くかすかべ」からほごログや郷土資料館を知ってくださった方も少なくないでしょう。関係者の皆様、ありがとうございました。

桜は言うまでもなく、現代の春日部は、藤の花(牛島のフジ・4月下旬~5月上旬)蓮の花(内牧黒沼公園・6月下旬から7月上旬)やヒマワリ(エンゼルドーム前広場・8月)など花に彩られたまちとして、かすかべガイドマップなどにも紹介されるところです。

明治・大正の時代、春日部は、実は花の名所として知られていました。思い浮かぶのは、なんといっても、現在も春日部のシンボルでもある「藤」でしょう。もちろん「藤」も春日部を語る上では欠かすことはできないのですが、それだけじゃないのです。著名なものとしては牡丹(ボタン)、桃の花があります。

牡丹については、以前紹介しましたが、備後の石井立敬が牡丹の栽培技術を開発し、500坪もある庭園には、接ぎ分けを望む人が近隣や東京からも訪れたといいます。その後、「成金」で著名な鈴木久五郎の実家(八丁目)の庭園に牡丹が株分けされ、鈴木家が退転した後も牡丹と庭園は引き継がれ、さらに粕壁・最勝院にも株分けされ、粕壁の牡丹として花の名所となりました。下のような最勝院の牡丹園の写真がのこっています。牡丹園のあった粕壁では地元の方が牡丹の俳句を詠んだり、藤と並んで春日部を象徴する花だったようです。まさに「牡丹のかすかべ」「牡丹咲くかすかべ」ですね!

写真:粕壁の牡丹

次に桃の花について。明治時代の古地図(フランス式迅速測図)をみると、春日部市域には、桃林があったことが読み取れます。具体的には、藤塚、小渕、浜川戸、宝珠花、西金野井、中野(現東中野)、新宿新田のあたりです。

藤塚・小渕・浜川戸は河畔砂丘があり、その砂地を利用して桃畑(林)としていた模様です。写真絵葉書もあります。下は古利根川越しに見る小渕の桃林と題された写真です。

写真:小渕の桃林

新宿新田の桃林に関しては、市内を撮影した最古級の古写真が、宮内庁図書寮文庫に伝来しています。写真は、「各種写真(第6号)」という簿冊に収載されており、データベースでご覧いただけます(126コマ目)。松伏町の築比地や江戸川対岸の岩名・座生沼周辺には桃林が広がっており、「野田八村の桃林」とも称されていました(野田市郷土博物館『野田の桃源郷』)。新宿新田・東中野の桃林は「野田八村の桃林」と一体のものだったのでしょう。

また、(ちょっと記憶があいまいですが)昭和初期の新聞には、豊野の桃花として、観光客をいざなう広告が掲載されています。藤塚の桃林は、一ノ割駅の近くに所在したため、沿線の観光スポットとして宣伝されたのでしょう。「桃のかすかべ」「桃咲くかすかべ」ですね!

ただ、牡丹、桃は、時の移り変わりのなかで、春日部の表舞台から姿を消していきました。牡丹園は閉園し、桃花は埼玉県東部では大林・大房(現越谷市)の「越ケ谷の桃」が著名になっていったようです。郷土にゆかりある花の復活を切に願いますが、今となっては、そもそも牡丹、桃が春日部と関係あることを知る方も少ないのではないでしょうか。

とはいえ、藤は春日部のシンボルとして現代にも継承されています。近代・現代の春日部の歴史は藤と切っても切れない縁があります。それについては、現在開催している「NSNM牛島のフジ」展をご覧いただければと思います。

これから藤の季節です。花のまち春日部は、まだ終わらんよ!

牛島のフジをはじめ、市内のフジの花を引き続きお楽しみください。

【休館のお知らせ】4月16日(土)午後、17日(日)

令和4年4月17日(日)は教育センターが春日部市議会議員一般選挙の投票所として利用されます。そのため、準備を含め下記の日程で郷土資料館は休館となります。ご迷惑をおかけしますが、ご来館の際はご注意ください。

〈休館日〉

令和4年4月16日(土)午後

令和4年4月17日(日)終日

 

郷土資料館のホームページ整理中です

昨年度の1月31日、春日部市のホームページがリニューアルされました。これに伴い、郷土資料館のホームページもデザイン等が一新されています。

郷土資料館ではホームページのコンテンツを見直しつつ、利用者の皆さまに使いやすく、格好いいページを、現在、鋭意整理・構築中です。

コンテンツの一部ですが、「日光道中粕壁宿~歩いてみよう道しるべ~」を教育委員会のポータルサイト内につくってみました。

また、収蔵資料の紹介も、データベースの形式に作り替えてみました(一部ですが)。

ほごログをご覧の皆さんには見やすくなったのではないかと思います。ぜひご活用ください。

歴代の博物館実習生の皆さんに制作してもらった収蔵資料の紹介など、マニアック(専門的)な内容は、順次、教育員会のポータルサイトに移行していく予定です。実は昨年度の実習生のページが公開できていないのですが、こちらも近日公開予定です。

なお、旧の郷土資料館のホームページは、こちらからご覧いただけます。

ウィズコロナの時代、ICTを用いた情報発信は重要です。バーチャルでも郷土資料館をご愛顧ください。

文化財の解説板を新たに設置しました!!

 市内南東部、国道4号バイパスと中川に挟まれた水角地区には、春日部市の有形民俗文化財に指定された「水角神社の富士塚」があります。この3月に指定文化財を詳しくお知らせする解説板を設置いたしました。

 この文化財は江戸時代後半に盛行した富士信仰の証で市内では計29基の富士塚が確認されています。その中でも「水角神社の富士塚」は春日部市内でも高く築かれる部類にあり、その姿も良好に保たれていること、さらに埼玉県内はもとより、東京都下や千葉県などの広域から寄進された多数の石碑から広域の信仰の範囲を知ることができます。現在でも7月1日に近い日曜日には富士山の山開きとあわせて「初山」の行事が行われております。

 ただいま3月末現在、解説板の周囲、そして富士塚の周りでは満開の桜が出迎えてくれますので、中川の散策と共に足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

南平野公園の桜と古隅田川 #桜咲くかすかべ

#桜咲くかすかべ

郷土資料館では、桜咲くかすかべに協力しています。

さいたま市岩槻区の南平野公園(さいたま市岩槻区南平野・Googlemap南平野公園)の桜が見ごろを迎えています。写真は令和4年3月28日(月)撮影のものです。岩槻区と春日部市の市境に近い南平野公園をご存知の春日部の方も多いのではないでしょうか。

南平野公園の桜1

南平野公園は、南平野土地区画整理事業によって、平成17年3月10日に開設され(さいたま市北部都市・公園管理事務所ご教示)、洪水時には調整池として機能します。

南平野公園は、春日部市にゆかりの深い古隅田川の旧流路に近接して立地しています。

現在の古隅田川は、岩槻東部図書館の北側を起点とし、春日部市方面へ流れ、春日部市梅田から古利根川に注いでいます。しかしながら、江戸時代以前の古隅田川は、春日部の古利根川から梅田あたりで西に流路を変え、蛇行しながら岩槻方面へ向かい、元荒川に注いでいたと推定され、これが現在の利根川の水が流れていた大河川であったと考えられています。

南平野公園の桜2

現在の古隅田川に道口蛭田で合流する、豊春小学校の東~南側を流れる旧古隅田川の流路は、江戸時代以前に利根川本流が流れた流路であると推定できます。南平野公園は、この流路に沿うように設置されています。

 ぜひお出かけいただき、利根川、古隅田川の歴史とともに桜をお楽しみください。

 

参考サイト

古隅田川ー埼玉県総合治水事務所サイト

 

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