かすかべの人物史

かすかべの人物史

人名 三上 於菟吉
事績 明治24年3月中葛飾郡桜井村(現春日部市)に生まれる。粕壁中学卒業後、早大英文科に入って中退、文筆生活に入る。大正14年に時代小説『敵討明双紙』をあらわし、小説家としての地位を確立。作風は正義観を中心にえん色をまぜた傾向のもので『淀君』・『清河八郎』などが有名だが、中でも『雪之丞変化』は代表的作品。晩年、幸松村(現春日部市)へ疎開し、昭和19年2月病没した。54歳。夫人の長谷川時雨女史も女流文学者として有名である。
ゆかりの資料等
人名 見川 喜蔵
事績 粕壁宿の宿役人。諱は知挙。粕壁宿名主の家に生まれ、天明3年(1783)浅間山の噴火による降灰で生活に困り飢えた人々に粥を煮て施したり、宿内の地主を説いて雑穀を提供させた。また、寛政3年(1791)古利根川が決壊したため自費で古堤の上に盛り土をして堤を増築。この堤は喜蔵堤といわれる。
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人名 原 又右衛門
事績 古利根川と元荒川に囲まれた新方領と呼ばれる低湿田の土地改良事業に尽力。
明治42年(1909)、新方領耕地整理組合を組織して組合長に就任、事業を推進した。
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人名 豊田 三郎
事績 小説家。旧制粕壁中学に入学し作家を志望、卒業後、旧制静岡高校、東京帝国大学文学部に進み、作家となる。雑誌『行動』の編集長を務め行動主義文学の旗手として157編の作品を残した。妻は歌人の森村浅香。作家・森村桂は子。
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人名 小島 正重
事績 江戸幕府の「関東郡代」伊奈忠治の親戚にして家臣。通称庄右衛門。埼玉県東部地域の天領を治めていた伊奈忠治は、三代将軍徳川家光に江戸川の開削を奏上し、寛永17年正月、農閑期の農民を動員し、開削工事を実施した。これにより、近隣の耕地開発が可能となったため、正重は、主君伊奈忠治に進言し、下総国葛飾郡庄内領(現幸手市・杉戸町・春日部市・松伏町)の新田開発を主導した。晩年は現在の春日部市上吉妻の地に小流寺を建て閑居し寛文8年(1668)死亡。小流寺に墓がある。
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