かすかべの人物史

かすかべの人物史

人名 小島 正重
ふりがな こじま まさしげ
事績 江戸幕府の「関東郡代」伊奈忠治の親戚にして家臣。通称庄右衛門。埼玉県東部地域の天領を治めていた伊奈忠治は、三代将軍徳川家光に江戸川の開削を奏上し、寛永17年正月、農閑期の農民を動員し、開削工事を実施した。これにより、近隣の耕地開発が可能となったため、正重は、主君伊奈忠治に進言し、下総国葛飾郡庄内領(現幸手市・杉戸町・春日部市・松伏町)の新田開発を主導した。晩年は現在の春日部市上吉妻の地に小流寺を建て閑居し寛文8年(1668)死亡。小流寺に墓がある。
ゆかりの資料等
生没年 不明~寛文8年(1668)
出生地 不明
主な居住地 春日部市
別名・愛称など 小島庄右衛門(こじましょううえもん)
ゆかりの著作物・文化財等 「小流寺縁起」〔市指定有形文化財(古文書)、春日部市郷土資料館寄託〕
「木造小島庄右衛門正重坐像」〔市指定有形文化財(彫刻)、春日部市郷土資料館寄託〕
ゆかりの場所(住所) 小流寺(春日部市西宝珠花327):小島正重が晩年開基した寺院。県指定旧跡の小島庄右衛門墓がある。同寺院に伝わる市指定文化財の「小流寺縁起」及び「木造小島庄右衛門正重坐像」は春日部市郷土資料館へ寄託。