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豊野小6年生”縄文体験”授業を行いました!!

 7月13日(水)、出張授業「縄文体験」の7校目、豊野小学校6年生の2クラスで実施しました。学校付近には未だ発掘調査を行ったことがない沼廻(ぬままわり)遺跡がありますが、子ども達はその存在すら初耳。ちょうど歴史の授業で学習している古墳時代や奈良時代の遺跡であること、土器と漁で使われたのおもりが発見されていることでも驚きの声があがりました。さらに市内には多くの縄文時代の貝塚が存在すること、その最大規模が史跡になった神明貝塚であること、また外郭放水路の工事の際には縄文時代と、はるか12万年前の地層にも海が押し寄せた証として多くの貝が発見され、市域は過去2度、海原に覆われたことを導入で伝えました。

授業導入

 

 

 

 

 

▲導入では「神明貝塚」紹介動画と、学校近くの遺跡について紹介。併せて授業の振り返り。「狩りを中心とする生活だったから食べ物に困っていた印象が強い」という声がありました。

 

 実物に触れた体験では、「なぜ?」「どうして?」「どのように?」と考え深めたところ、「結構食べ物の種類が多かった」「貝塚だけでなく植物や動物と、バランスが取れていたのでは」と、縄文時代の印象が変わったようです。

体験学習1

石器体験

▲体験は3コーナーを設け、「土器」「貝殻・獣骨」「石の道具」。触れるだけでなく、使い方を考え、どのような生活であったのか、 グループディスカッションの場にもなります。

引き続き、このような機会をとおして市内の縄文時代や史跡新明貝塚での暮らしが広まるよう、学校での出張授業や市民の皆さまへの講座などを進めていきます。

「明治天皇と春日部」展の展示設営が始まりました

7月20日(水)を初日とする「明治天皇と春日部」展の資料陳列の作業が始まりました。今回は、共催展示なので、宮内庁宮内公文書館の皆さんと協力しながら進めています。「展示なんてただ並べるだけでしょ」と思った方、違いますよ。 #博物館 #学芸員

資料は、一つずつ丁寧に梱包されておりますので、まず、それを一つずつ開梱(かいこん)するところから始まります。

写真:開梱作業

資料は薄葉紙(うすようし・うすばがみ)という品物を梱包するときにつかう専用の紙で梱包してあります。開梱しながら、資料の状態を確かめ、資料の性格を踏まえ、どのように展示したらよいのかを考えて、陳列するのです。上の写真は開梱の様子です。

資料の形状や状態を鑑みながら、資料に負荷・負担がかからないように、ケアしながら、資料を並べます。

下の写真は、冊子状の資料の下にあてがう、通称「マクラ」を製作しているところです。分厚い冊子を開いて展示すると、開いた箇所に負荷をかけることになります。そこで、冊子が水平になるように「マクラ」をあてがい、負荷がかからないようにするのです。マクラづくりは、展示現場でないと高さや大きさがわからないので、その場で製作するのです。

写真:マクラづくり

大きな博物館であれば、ゆったり陳列できますが、春日部市郷土資料館は、小さな博物館なので、どれだけ見栄えよく陳列できるかが勝負です。宮内庁宮内公文書館の皆さんも、これまでの展示経験から、ギッチリ並べて見せる派のようで、その意味では当館のやり方と親和的でした。下の写真は絵図を展示しているところです。展示台にどれだけのせられるかを確認しています。また、見栄えとともに、地震などへの対応、資料保護などの点にも注意します。なお、美術館では、作品をじっくり鑑賞していただくため、高さや位置に気を配りながら、一点一点の作品間の距離を適度に保つような展示法をとります。このように展示会のテーマ・内容や展示する資料・作品の違いによって、展示の方法は異なってきます。

絵図の展示

展示作業初日の今日は、宮内庁さんの展示技術や展示哲学に接し、また、こちらからも展示技術や哲学を伝え、刺激的な一日となりました。このように「あーでもない」「こーでもない」と話し合いながら、試行錯誤して、展示設営作業を進めています。果たして会期までに間に合うのでしょうか。

【体験ワークショップ】糸でんわをつくろう!

7月24日(日)に体験ワークショップを開催します。

体験ワークショップでは蓄音機の上演や昔のおもちゃ作りをします。

今回作る昔のおもちゃは「糸でんわ」です。

 

糸でんわ写真

糸の長さは約5m!伸ばしてみると結構長いですよ♪

色塗りをした画用紙を紙コップに張り付けて、オリジナルの糸でんわを作りましょう!

今回は「音」に関するちょっとした実験も行うのでお楽しみに!

 

申し込み不要、おもちゃの材料も資料館で用意してあります!

当日の午前10時30分と午後2時からの計2回開催しますので、お時間までに郷土資料館にお越しください!

小さいお子様でも簡単に作れるおもちゃなので気軽に参加してみてください♪

 

【体験ワークショップ】

日時:令和4年7月24日(日)午前10時30分~・午後2時~

場所:春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3-2-15)

内容:蓄音機の上演

   昔のおもちゃづくり(糸でんわ)

費用:無料

申込:不要(開催時間までに郷土資料館におこしください)

※参加者多数の場合、人数制限をさせていただく場合がございます。当日はマスクを着用いただき、体調が優れない場合は参加をお控えください。

【ハミ出し夏季展示】粕壁宿模型に明治天皇の御昼食所

7月20日(水)からはじまる「明治天皇と春日部」に先立ち、常設展示の粕壁宿推定復元模型に明治天皇の御昼食所、供奉者の昼食所を表示しました。 #かすかべプラスワン

前の展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」展の撤収も終わり、展示室はガランとしています。

写真:企画展示室

資料の搬入も終わり、いよいよ展示の設営が始まります。

これに先立ち、常設展示の粕壁宿町並み推定復元模型(ジオラマ)に少し細工をしました。明治14年7月31日、明治天皇は、巡幸の途次に、粕壁の字三枚橋の高砂屋を御昼食所とされ、休まれたことが知られています。ですから、ジオラマの該当地点に次のような立て札を置きました。

写真:ジオラマの明治天皇の表示

今回、当時供奉した有栖川宮熾仁親王や北白川宮能久親王、大隈重信や大木喬任などの昼食所の位置が、記録により判明しましたので、同様にジオラマに表示しています。いろいろ調べていく中で建物の配置や構造が判明し、模型の考証に修正を加える必要性があることもわかってきています。

展示は7月20日(水)からですが、先取りしたい方は、ぜひご覧になってください。

市民夏祭り 旧日光道中にお御輿がズラリと並びました

令和4年7月9日(土)、3年ぶりに春日部夏祭りが開催されました。

ただし、今年は御輿は担がず、展示のみ。屋台や御輿パレードなど、祭り独特の雰囲気はありませんでしたが、旧日光道中の春日部大通りが御輿の見物客でにぎわいました。

写真:大通りに並ぶ御輿

春日部夏祭りの歴史については、かつて紹介したことがありますが、もともとは、粕壁宿の市神とされる牛頭天王社(現・八坂神社)の祭礼が起源であり、江戸時代まで遡れる歴史ある祭りの一つです。詳しくは昨年の記事を見てください。

ですから、夏祭りは、藤通りやゆりのき通りといった現代に造られた街路で開催されるのではなく、旧日光道中で開催されることに、歴史的な意味があるのです。郷土資料館的には、この点を強調させてください!

御輿パレードはありませんでしたが、普段はなかなかじっくりみれないお御輿を目の当たりにして、見物客の方は楽しそうでした。でも、各町内会の関係者の方は手持無沙汰なご様子。来年こそは、例年並みの夏祭りになるとよいですね。

さて、夏祭りなので、昨年の記事でも書いていた八坂神社にも立ち寄ってみました。

 写真:八坂神社

いつもと変わりなく、静かでした。

ぷらっとかすかべにお御輿が展示されているそうです。

八坂神社のおすすめは、柳内匠の筆小塚。筆小塚は市内では数えるほどしかない貴重な石造物です。

写真:八坂神社の筆小塚

柳内匠は宗教者(神事舞太夫)で寺子屋の師匠でした。地域の子弟の教育に尽力した功績をたたえ、その子弟たちがこの石塔を建てたようです。世話人のなかには、学芸員が密かに注目している、あの牛島のフジのあった庭園のかつての持ち主藤岡宅弘(伊予太郎)の名もありました。

来年こそ夏祭りが開催できますように、とお願いしながら、筆小塚とあわせて訪れてみてはいかがでしょうか。

7月、8月、9月に行われる講座等の電子申請お申込み入り口

7月、8月に行われる講座等の電子申請入り口をまとめました。

お申込みされる際にご活用ください。

小学生向け講座は7月9日(土)、一般向け講座は7月12日(火)、9月3日(土)の記念シンポジウムは8月5日(金)より、それぞれ午前8時30分から受付開始です。 

●●●7月9日(土)よりお申し込み開始●●●

春日部市郷土資料館体験講座「dokidoki音楽づくり」
講師:国立歴史民俗博物館 中村耕作先生、国学院大学栃木短期大学 早川冨美子先生、郷土資料館学芸員
日時:令和4年8月7日(日)14時~16時30分
会場:春日部市教育センター視聴覚ホール
定員:20名(申込順)
申込受付:7月9日(土)8:30~

dokidoki音楽づくり電子申請申し込み

 dokidoki音楽づくり

春日部市郷土資料館たんけん郷土資料館「めざせ!キッズ学芸員」
講師:資料館学芸員
日時:令和4年8月27日(土)10時~12時
会場:春日部市教育センター
定員:20名(申込順)
申込受付:7月9日(土)8:30~

めざせ!キッズ学芸員電子申請申し込み

 キッズ学芸員

●●●7月12日(火)よりお申し込み開始●●●

春日部市郷土資料館歴史講座「鎌倉武士と春日部」
講師:郷土資料館学芸員
日時:令和4年7月31日(日)10時~11時30分
会場:春日部市教育センター
定員:30名(申込順)
申込受付:7月12日(火)8:30~

歴史講座「鎌倉武士と春日部」電子申請申し込み

7/31歴史講座「鎌倉武士と春日部」

春日部市郷土資料館古文書講座入門編
講師:郷土資料館学芸員
日時:令和4年8月6日(土)、7日(日)、20日(土)、21日(日)(全4回)
10時30分~12時
会場:春日部市教育センター
定員:30名(申込順)
申込受付:7月12日(火)8:30~

古文書講座入門編電子申請申し込み

古文書講座入門編 

春日部市郷土資料館展示解説講座「江戸川筋御猟場と春日部」
講師:篠崎佑太氏(宮内公文書館)
日時:令和4年8月6日(土)14時~16時
会場:春日部市教育センター視聴覚ホール
定員:50名(申込順)
申込受付:7月12日(火)8:30~

展示解説講座「江戸川筋御猟場と春日部」電子申請申し込み

 江戸川筋御猟場と春日部

春日部市郷土資料館展示解説講座「梅田ごぼうの献上」
講師:二ノ宮幹太氏(宮内公文書館)
日時:令和4年8月20日(土)14時~16時
会場:春日部市教育センター視聴覚ホール
定員:50名(申込順)
申込受付:7月12日(火)8:30~

展示解説講座「梅田ごぼうの献上」電子申請申し込み

 梅田ごぼうの献上

春日部市郷土資料館展示解説講座「明治天皇と粕壁宿」
講師:榎本博(春日部市郷土資料館)
日時:令和4年8月21日(日)10時~12時
会場:春日部市教育センター視聴覚ホール
定員:50名(申込順)
申込受付:7月12日(火)8:30~

展示解説講座「明治天皇と粕壁宿」電子申請申し込み

 明治天皇と粕壁宿

春日部市郷土資料館展示解説講座「埼玉鴨場の設置について」
講師:辻岡健志氏(宮内公文書館)
日時:令和4年8月28日(日)14時~16時
会場:春日部市教育センター視聴覚ホール
定員:50名(申込順)
申込受付:7月12日(火)8:30~

展示解説講座「埼玉鴨場の設置について」電子申請申し込み

 埼玉鴨場の設置について

●●●8月5日(金)よりお申し込み開始 ●●●

春日部市郷土資料館記念シンポジウム「江戸川筋御猟場ー埼玉県東部・宮内省・民衆」
講師・演題:吉岡拓氏(明治学院大学准教授)「江戸川筋御猟場と民衆」、篠崎佑太氏(宮内公文書館)「江戸川筋御猟場における宮内省と埼玉県東部」、榎本博(春日部市郷土資料館)「御鷹場から御猟場へ」、司会進行:宮間純一氏(中央大学教授)
日時:令和4年9月3日(土)13時~16時
会場:春日部市教育センター視聴覚ホール
定員:60名(申込順)
申込受付:8月5日(金)8:30~

記念シンポジウム「江戸川筋御猟場ー埼玉県東部・宮内省・民衆」電子申請申し込み

 記念シンポジウム

内牧小学校6年生”縄文体験”授業を行いました!!

 7月4日(月)、出張授業「縄文体験」の6校目、内牧小学校6年生の3クラスで実施しました。

 学校付近には内牧公園をはじめ、大規模な発掘調査の積み重ねで縄文時代のムラの跡が確認されています。まずはその調査の成果を伝え、土器や石器、貝殻を“触れて”“みて”をとおして内牧に暮らした縄文人の実態や特徴を知っていただくことを主眼に置きました。社会科の授業では既に古墳時代に入ったため、縄文時代は復習の場。座学で振り返りを、実物を触れた体験では、「なぜ?」「どうして?」「どのように?」と考え深める機会となりました。 

  体験               ▲体験をしながらグループディスカッションにも発展。使い方や効果などの深める学習もできました。授業導入                

 

 

 

▲導入では縄文時代の学習を振り返りました。「狩猟採集の生活」の回答に、市内には漁労もあったことを伝えました。

 貝殻や獣骨、土器や石器の実物を6年生の皆さんが臆することなく触れて、間近に観察していただきました。このような機会をとおして市内の縄文時代の暮らしの理解が進むよう、各校での出張授業を進めていきます。

【休館のお知らせ】7月9日(土)午後、10日(日)

令和4年7月10日(日)は教育センターが参議院議員通常選挙の投票所として利用されます。そのため、準備を含め下記の日程で郷土資料館は休館となります。ご迷惑おかけしますが、ご来館の際はご注意ください。

〈休館日〉

令和4年7月9日(土)午後(正午から)

令和4年7月10日(日)終日

今年もオンライ土器作り教室を開催します!

昨年、新型コロナウイルス感染拡大の中、新たな取り組みとして実施しました、「オンライン土器作り教室」を今年も開催します。

土器作りポスター

昨年も応募多数となり、参加者の皆さまからはご好評の声を多くいただきました。

主な内容としては、配信される土器作り動画を参照のもと、各ご家庭での土器作り体験です。詳しい内容及び日程は市ホームページをご覧ください。

受け付けは本日、7月1日(金)から13日(水)午後5時までとなります。

参加者の住所・氏名・年齢・電話番号を記入のうえ、メールにてお申し込みください。

(宛先)bunkazai@city.kasukabe.lg.jp

 

【ハミ出し夏季展示】近代の皇室史跡まっぷを展示

7月20日(水)からはじまる宮内庁との共催展「明治天皇と春日部」に先立ち、「埼玉県東部地区近代皇室史蹟まっぷ」をロビーにハミ出し展示しました。 #かすかべプラスワン

画像:埼玉県東部地区近代皇室史蹟まっぷ

今回の共催展の見どころの一つに、近隣市町で同時開催する連携展示「近代の皇室と埼玉県東部」があります。この事業は、春日部市の近隣市町(八潮市・草加市・越谷市・杉戸町・幸手市・久喜市)にご協力いただき、各市町の博物館施設や社会教育施設で近代の皇室と地域のつながりについて、展示・紹介するものです(会場等は下記のとおり)。

今回の共催展の準備・調査の過程で、春日部市のみならず、近隣市町ゆかりの資料を多く見出すことができました。春日部市郷土資料館と宮内庁宮内公文書館ではこの成果を生かすため、近隣市町に資料を提供し、連携展示を開催する運びとなりました。

各会場では、宮内庁から提供された資料パネルのほか、その会場でしかみれない実物の資料も展示される予定です。春日部会場では見られない貴重な資料も並ぶと聞いています。合わせてお楽しみいただけると幸いです。

そして、今回、ロビーに展示した「埼玉県東部地区近代皇室史跡まっぷ」は、連携展示会場の紹介にくわえて、近隣に所在する近代の皇室と地域の歴史を物語る史蹟を紹介するものです。展示の準備の過程で、宮内庁の方と実際に踏査したものになります。ダウンロードはこちら→宮内庁共催展東部地区関連マップ(公開用).pdf

この夏は、「明治天皇と春日部」展、各市町の連携展示、そして皇室ゆかりの史蹟をめぐり、埼玉県東部の郷土の歴史をお楽しみください。

 

連携展示「埼玉県東部と近代の皇室」会場・内容一覧

 ◆久喜市立郷土資料館「明治天皇と久喜」

  会期:7月20日(水)~9月4日(日)

  住所:久喜市鷲宮5-33-1

  電話:0480-57-1200

 ◆幸手市郷土資料館「明治天皇幸手行在所―中村家の資料―」

  会期:7月20日(水)~9月25日(日)

  住所:幸手市下宇和田58-4

  電話:0480-47-2521

 ◆杉戸町南公民館「明治天皇行幸と杉戸」

  会期:7月20日(水)~9月4日(日)

  住所:杉戸町堤根4089-1

  電話:0480-33-6476

◆越谷市大間野町旧中村家住宅「越谷への行幸・行啓と埼玉鴨場」

  会期:7月20日(水)~9月4日(日)

  住所:越谷市大間野町1-100-4

  電話:048-985-9750

 ◆草加市立歴史民俗資料館「明治天皇草加行在所」

  会期:7月20日(水)~9月4日(日)

  住所:草加市住吉1-11-29

  電話:048-922-0402 

◆八潮市立資料館「八潮の御鷹場・御猟場」

  会期:7月20日(水)~9月4日(日)

  住所:八潮市南後谷763-50

  電話:048-997-6666

「縄文体験出張授業」3日目・・・桜川小学校での様子

 6月29日(水)縄文体験出張授業の3日目、桜川小学校の6年生3クラスで行いました。社会科の授業では既に弥生時代、クラスによっては古墳時代に入ったため、縄文時代は復習の場となりました。

導入の座学では「縄文時代とはどんな時代?」と問うと、狩りや植物の採取という生業活動が皆さんには印象が残っていたようでした。史跡神明貝塚の紹介動画や学校近くの遺跡を画像で説明を進めると、郷土資料館の入口にどーんと展示されている縄文の復元家屋の記憶がよみがえり、口々に「たてあな住居」が縄文人のイエであることを発表してくれた生徒さんもおり、3年生時の資料館見学を鮮明に覚えてくれていました。うれしい一言でした。

 また、現在、学習を進めている古墳時代については、学校周辺の遺跡からもムラが発掘されていること、古墳時代に使われた土器を授業で間近にみて、触れることを紹介すると、興味津々、目を輝かせてくれました。

導入座学

土器観察

石器観察

 

 

 

 

 

 

 

貝殻や獣骨、土器や石器の実物を6年生の皆さんは臆することなく積極的に触れて、間近に観察していただきました。特に遠方からもたらされた資源の代表である黒曜石については、どのような方法で200km以上も離れた春日部の地にたどり着いたのか、様々な考えをディスカッションしてくれました。このような機会をとおして市内の縄文時代の暮らしの理解が進むよう、各校での出張授業を進めていきます。

【7/3まで宝珠花の歴史と大凧あげ】僧・浄信の過去帳

7月3日(日)まで「宝珠花の歴史と大凧あげ」春季企画展示を開催中です。

 大凧あげの最古の記録として、天保12年(1841)に旅の僧、浄信(じょうしん)が「紙だこ」をあげて占うことを伝えたと記す小流寺の過去帳があります。

小流寺過去帳小流寺過去帳(クリックすると画像データがダウンロードできます:205KB)

(読み下し文)

釋浄信禅門 天保十二年丑九月十一日

右ノ僧生國出羽國山本郡水沢邑西光寺弟子

廿四輩順拝ニ罷出候処当寺ニ一宿致シ病気重く也

十日斗リ相煩ひ終ニ病死致シ右当人ノ往来一札を以て

村役人同所世話人立會之上取仕末致シ申候念為記ス

占ヒニ紙だこを伝ふ(蚕豊作)

 

この小流寺の過去帳は、宝暦12年(1762)から嘉永4年(1851)にかけてのもので、天保12年(1841)9月11日に、旅の僧、浄信の記載があります。

記載によれば、浄信は、出羽国山本郡水沢村(現・秋田県山本郡八峰町(旧峰浜村)水沢)の生まれで、秋田県能代市にある西光寺の弟子でした。廿四輩(にじゅうよんはい)旧跡をめぐるため、関東地方にやってきて、当時は上吉妻にあった小流寺に泊まりました。浄信は、この時点ですでに重い病気にかかっていて、10日ほどして小流寺で亡くなりました。寺では、上吉妻村の役人と世話人が立ち会って、遺体を処理したとあります。

そして、最終行に「占ヒニ紙だこを伝ふ(蚕豊作)」と記されています。

 

 まず、「廿四輩」とは、浄土真宗の開祖、親鸞(しんらん)の高弟24人を開基とする寺院で構成されたもので、江戸時代に成立しました。これらの寺院は、岩手県から長野県の広い地域に分布していますが、とりわけ親鸞とゆかりが深い常陸国(ひたちのくに)であった茨城県にその多くが所在します。春日部市の周辺では、茨城県境町の妙安寺、同じく坂東市の妙安寺、西念寺、千葉県野田市の長命寺、埼玉県吉川市の清浄寺が含まれています。『埼玉県の大凧あげ習俗ー庄和町西宝珠花の大凧あげ』では、浄信は、江戸と茨城方面の移動の際に、宝珠花河岸を利用したのではないかと推定しています。

 

次に、最終行の「占ヒニ紙だこを伝ふ(蚕豊作)」についてです。まず「(蚕豊作)」の部分は、( )の存在や字体からあとから書かれたものとみられています。また「だこを」、「ふ」の部分も「タコヲ」、「フ」の字の上から上書きしています。したがって、元の文は「占ヒニ紙タコヲ伝フ」であり、「浄信は占いのために紙たこを伝えた」となります。宝珠花の凧には、凧が「舞い上がる」が「まゆ(の値段)が上がる」につながり、養蚕のできを占ったとの言い伝えがあります。「(蚕豊作)」の部分は、後世の人が地元の言い伝えとして書き加えたのかもしれません。(『庄和町史編さん資料(十二)民俗Ⅱ-まつりと儀礼』)

 

浄信の過去帳は宝珠花の凧の最古の記録として重要なものですが、記載をそのまま読めば、宝珠花についた浄信は、すでに重い病気にかかっていて、宝珠花で亡くなるまでの期間も10日ばかりとのこと、このような浄信がどのように凧を伝えたのかは謎です。

しかしながら、浄信のふるさと、秋田県能代市(のしろし)も凧あげが盛んなまちで、毎年行われる能代凧揚げ大会では、「ベラボー凧」(リンク先記事に写真あり)に代表される能代凧が盛んにあげられています。

 

その後、明治時代初期の宝珠花では、新暦6月5日と6日(旧暦の端午の節句にあたる)に各家で凧があげられて、このころから、凧あげに男子出産の祝いや健やかな成長の意味がこめられるようになりました。明治時代半ばからは、西宝珠花の上町と下町で一面ずつ共同で作るようになり、明治時代の終わりごろには、現在と同じくらいくらいの大凧を上げるようになったようです。

6月5日、6日であった大凧あげまつりの開催日は、昭和29年(1954)から5月5日と6日、昭和40年(1965)から、5月3日と5日になりました。

明治41年大凧(上若) 

明治41年(1908)の大凧(「上若」)

 

参考文献 

庄和町教育委員会『埼玉県の大凧あげ習俗ー庄和町西宝珠花の大凧あげ』平成5年(1993)

庄和町教育委員会『庄和町史編さん資料(十二)民俗Ⅱ-まつりと儀礼』平成17年(2005)

小渕小学校6年生”縄文体験”授業を行いました!!

 6月28日(火)は小渕小学校6年生の社会科出張授業で”縄文体験”を開催しました。社会科の授業では既に古墳時代に入ったため、縄文時代は復習の場となりました。

 導入の座学では「縄文時代とはどんな時代だったのか?」と問うと、狩りや植物の採集という生業活動が皆さんには印象に残っていたようでした。教室に持ち込んだ市内の貝塚遺跡から発掘された様々な種類の貝殻と併せて春日部にも長い時代、海原が広がっていたため、漁撈活動も活発であったことを画像や実物からは驚きの声が上がりました。

導入

画像視聴

▲暑い中、どのクラスも集中して、市内初の史跡になった神明貝塚の動画と小渕小付近の遺跡の様子を見入ってくれました。

 また、学校周辺には古墳時代から平安時代にかけて営まれたムラが発掘され、今まさに授業で学習している暮らしの痕跡が皆さんの足元に眠っていることを伝えると、興味津々の反応が印象的でした。

 貝殻や獣骨、土器や石器の実物を6年生の皆さんが臆することなく触れて、間近に観察していただきました。このような機会をとおして市内の縄文時代の暮らしの理解が進むよう、各校での出張授業を進めていきます。

緑小学校6年生”縄文体験”を行いました!!

 本日6月27日(月)は緑小学校の6年生の社会科出張授業で縄文体験を開催しました。今回、初めてパソコンルームでの授業となりましたが、クラス全体で画像をみるよりも個別のパソコンをとおして高い集中力で市内の縄文遺跡や貝塚の様子を学習していただきました。

 社会科の授業では既に古墳時代に入ったため、縄文時代は復習となりましたが、改めて史跡となっている神明貝塚の特徴や地球の温暖化現象によって縄文時代、さらには12万年前の二度、市域に海原が広がっている様子を大型のカキ化石とともに示すと驚きの声が上がりました。

 神明貝塚動画パソコンでの学習

▲授業導入ではパソコンと神明貝塚の紹介動画をとおして市内の縄文時代を学習しました

貝種比較

獣骨

▲海に生息する貝と汽水域の貝の比較、イノシシの顎骨にも興味津々、大人気でした

 石器観察土器観察

 

 

 

 

 

▲石器では関東外縁からの交易によってもたらされた黒曜石についてディスカッションができました。土器では縄文土器はもちろん、埴輪やこれから学習する奈良・平安時代の須恵器や土師器の違いを観察しました。

 貝殻や獣骨、土器や石器の実物を6年生の皆さんが臆することなく触れて、間近に観察していただきました。このような機会をとおして市内の縄文時代の暮らしの実態が理解が進むよう、各校での出張授業を進めていきます。

宮内庁の方が郷土資料館所蔵資料を調査

宮内庁宮内公文書館と春日部市郷土資料館の共催展示「明治天皇と春日部」展の準備のため、宮内庁宮内公文書館の職員が資料調査に来館しました。 #かすかべプラスワン

写真:資料撮影の模様

写真:内牧村村長肖像の撮影調査

といっても、騒ぎ立てるほどのものではなく、至極普通のこと。以前より、展示の準備のため宮内庁の方は何度も何度も足を運ばれています。

ここで、皆さんに知っていただきたいことは2つあります。

まず、地元春日部でしか見られない資料があるということ。宮内庁宮内公文書館は約9万点の資料を所蔵しているそうですが、膨大な資料をくくっても分からないことがあるのです。今回は、展示の準備が差し迫ってきていますので、東京にいては分からないこと、知りえないことを確認されるために、わざわざお越しいただいたのです。春日部市郷土資料館には、世界に一つしかないオンリーワンの資料が沢山あるんですよ。

もう1つは、だからといって春日部が「偉い」とか「凄い」とかではなく、資料は平等ということ。今準備している展示では、宮内庁からお借りしてくる資料が多く並びますが、宮内庁所蔵だから「偉い」とか「凄い」というものでもありません。資料は、春日部のものであっても、宮内庁のものであっても、歴史を伝えるという意味においては、まったく同じです。今回の共催展では、宮内庁の資料と春日部の資料が所狭しと(実際に狭いのですが!)陳列される予定です。展示では、春日部の資料、宮内庁の資料、という風に見ないで、それぞれが歴史的な意義をもつ資料であることをぜひ見ていただきたいと思います。

資料もそうですが、展示を準備する担当者としても、宮内庁と春日部市という立場や、普段の業務や取り扱う資料の性質が違いますが、宮内庁の皆さんのご厚意もあり、お互いにリスペクトしながら、対等な立場で調査を重ねてきました(と私は思ってますが合ってますか?)。宮内庁の皆さんには、本当に感謝しています。

展示の千秋楽のあいさつのような文章になってしまいましたが、まだまだこれからです。目下、展示準備中。ご期待ください。

まちづくりへの支援

近年、郷土春日部の歴史・文化遺産は、生涯学習や学校教育、学術研究に利用されるだけでなく、まちづくりや観光に役立てられるようになってきています。郷土資料館は、郷土の歴史・文化に関わる資料を展示・解説する拠点的な施設として、いろいろな方々に活用されるようになってきました。

去る6月19日(日)、建築や都市計画を学ばれている日本工業大学の学生の皆さんが、郷土資料館を見学され、当館の学芸員が春日部の歴史的な特徴について解説いたしました。特に、本市の特徴である利根川水系の河川が多く流れる自然・地形の特徴と遺跡の立地、生活拠点の推移との関連について、また現代の春日部市中心市街地発展の礎といえる江戸時代の粕壁宿について、模型や図、写真などを用いてわかりやすく解説いたしました。

江戸時代の粕壁宿推定模型

学芸員による粕壁宿の解説

一方で、地域コミュニティーの解散に伴う現地の地域資源の消失と記録及び一部資料の保存の事例についても紹介し、現代のまちづくりの難しさについても説明いたしました。

地区の稲荷社の解説

学生の皆さんには大変熱心に見学していただきました。そして、当館の見学後は旧粕壁宿を散策され、実地での学習をされました。まちづくりの研究と実践に役立てていただければと考えております。

今後も、郷土春日部の歴史・文化を伝えていく拠点として、皆さまの多様な関心に応えていけるよう、郷土資料館は努めてまいります。

 

 

市民の皆さんと古文書勉強会を開催しました

令和4年6月19日(日)、古文書勉強会を開催しました。前回に引き続き、粕壁宿にゆかりの「宝暦度より酒造用留」を講読しています。

皆さん、担当箇所の古文書の解読原稿を読み上げ、字の誤りや読み間違えがないか、意見を交わしながら、読み進めています。今回は2時間で4ページを読みました。

写真:古文書勉強会の様子

内容も分量も重厚でなかなか読み進めませんが、皆さん楽しんでご参加いただいているようでした。

館の事業の都合により、7月・8月はお休みです。

次回は、9月11日(日)14時~、次々回は9月24日(土)14時~に開催予定です。

【7/3までー宝珠花の歴史と大凧あげ】展示解説講座を開催しました

6月19日(日)、「宝珠花の歴史と大凧あげ」の展示解説講座を開催しました。

ご参加くださった皆さま、大変ありがとうございました。

展示解説講座

講座では、宝珠花の歴史、大凧の歴史、大凧の作り方、大凧会館と各地の凧の順でお話をさせていただきました。ややつめ込みすぎて、「各地の凧」をご紹介することが早口になってしまいましたので、こちらで紹介させていただきます。

東日本大震災で被災し、閉館した大凧会館では、開館当初から各地の凧を収集し、そのコレクションは実に800点以上に及びました。日本各地はもちろん、海外の凧もあります。

残念ながら東日本大震災による大凧会館の被災で、失われたものもありますが、多くは現在も大凧会館の所管課であった観光振興課により保存されています。

今回の展示では、関東近県の凧を中心に、春日部に大凧を伝えた僧、浄信の地元である秋田県能代市の凧や北海道、沖縄県の凧、計13点を展示しています。写真はいずれも展示中のものを撮影しています。

能代凧

能代(のしろ)凧(秋田県能代市)

 春日部の地に凧を伝えたといわれる江戸時代の僧、浄信のふるさと能代の凧。右側のものは「ベラボー凧」と呼ばれ、「男ベラボー」と「女ベラボー」がある。舌を出した異様な絵が魔よけの意味をもつ。現在の能代凧の形が確立したのは明治期。

 上総唐人凧

上総唐人凧(千葉県南部)

「唐人凧(とうじんたこ)」は江戸時代後期に日本に伝わる。3m前後の大きさが一般的。独特のうなり音をあげる。

伊勢原あぶ凧

伊勢原あぶ凧(神奈川県伊勢原市)

明治30年代に伊勢原市内の住職により、病気が軽く上がるようにとの願いを込めて始められた。連凧。現在は作られていない。

六郷トンビ凧

六郷とんび凧(東京都大田区)

江戸時代から作り始められる。多摩川でとった魚を河原に並べて干す時に、カラス除けとして使われた。

扇凧

扇凧(富士見市、川越市)

幕末から明治初期に作り始められ、昭和27~28年に途絶えるものの昭和51年に復活。扇は末広がりなので縁起物とされた。

龍ヶ崎トンビ凧

龍ヶ崎とんび凧(茨城県龍ヶ崎市)

明治末期に生み出された。独特の形状や鮮やかな絵柄が特徴。昭和62年に最後の後継者が途絶えたものの平成26年に復活。

まゆ凧

下野のまゆ凧(栃木県宇都宮市)

蚕が繭から出たあとのような形をしていることから名付けられた。

絵馬凧

絵馬凧(千葉県茂原市)

江戸時代から作られる。絵画性が高い凧。

相模の大凧

相模の大凧(神奈川県相模原市・座間市)

天保年間から継承される。実際の大きさは14.5m四方。毎年5月4日、5日に大凧あげ祭りが行われる。座間市でも座間の大凧があげられる。

白根の角凧

白根角凧(新潟県新潟市)

毎年6月上旬、7m×5m(24畳大)の凧で、川の両岸に分かれ凧合戦をする。江戸時代の中頃から始まったといわれる。殿様から拝領した凧をあげたところ対岸の家屋に落下し、これに対し対岸側も凧をあげ家屋の上に落としたことが始まりと伝えられている。

蝦夷凧

蝦夷凧(北海道函館市)

北海道の形を簡略化した変形六角形になっている。展示のものは、アイヌの文様が採用されている。

カーブヤ―

カーブヤ―(沖縄県那覇市)

「カーブヤ―」はコウモリを表す沖縄の方言。曲線の骨を使う。展示しているものはハイビスカスが描かれているが、絵柄は自由。現在も盛んに作られる。

【夏季展示】情報解禁!【宮内庁コラボ展示】

春日部市郷土資料館の今年の夏季展示の情報発表が解禁されました。今年は宮内庁宮内公文書館との共催企画展「明治天皇と春日部~巡幸・御猟場・梅田ごぼう~」を開催します。 #かすかべプラスワン

今年の企画展はコラボレーション。コラボ先は、なんと宮内庁です。宮内庁宮内公文書館さんでは、毎年、首都圏の博物館や文書館を会場として、企画展示を開催していますが、埼玉県の施設で初コラボとなったのが、春日部市郷土資料館です。ですから、このコラボ展は県内初の試みになります。

内容は、明治天皇の巡幸、江戸川筋御猟場、梅田ごぼうを主要テーマとし、宮内庁宮内公文書館所蔵の資料をはじめ、春日部の郷土資料を陳列し、近代の皇室と春日部の歴史を展示紹介します。今回の調査で発見した資料も少なくなく、春日部の近代の歴史にとって、重要な資料が並びます。

 画像:チラシ表面

関連事業も盛りだくさんです。特におすすめなのは、県東部の近隣市町を会場とした連携展示です。近代の皇室と地域の歴史は春日部だけじゃない。近隣市町での展示やゆかりのある地もめぐりながら、春日部の特徴や他の町の地域の歴史も一緒に楽しんでいただこうとするものです。今年の夏は熱くなります。

 

展示は目下準備中です。ご期待ください。見どころや関連事業等、追々PRしていきます。

 

1 展示会名 明治天皇と春日部~巡幸・御猟場・梅田ごぼう~

2 主  催 宮内庁・春日部市・春日部市教育委員会

3 会  期 令和4年7月20日(水)~9月4日(日)(休館日:月曜日、祝日)

4 開館時間 午前9時~午後4時45分

5 入  館 料 無料

6 会  場 春日部市郷土資料館(住所:〒344-0062 春日部市粕壁東 3-2-15(春日部市教育センター内))

武里南小学校3年生「総合的な学習の時間」に縄文体験を行いました!!

 6月16日(木)は武里南小学校の3年生を対象に縄文体験の出張授業を行いました。第3学年の総合的な学習の時間では川辺小学校に続き2校目のお邪魔となりました。

 武里地区にはいまだ埋蔵文化財(遺跡)の確認はなく、授業導入では「なぜ、学区には遺跡がないのか」「内牧や豊春、幸松、粕壁、そして庄和地域に広がる遺跡の時代の武里地区の景色はどのようだったのか」を資料をみながら考えてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲パワーポイントで市内、そして武里地区が縄文海進によって海原が

広がっていた様子を示すと、遺跡がない理由が解けました。

▲現在では想像できない埼玉県内、そして春日部市内に海が押し寄せた縄文時代には資源豊富な海産物が、

そして、縄文時代の専らな道具である石器や土器に触れて、さまざまな印象を描いてくれました。

 体験授業の後はみなさんからの感想と質問がやまほど・・・。「貝の種類がいろいろあったけど、なぜなのか?」、「黒曜石はなぜ、ガラスのような石なのか」、「埼玉県では黒曜石がなぜ、とれないのか」などなど、”観て””触れて””考えて”を実践していただきました。

 6月末からは、6年生の社会科歴史の授業にお邪魔してきますので、改めてご紹介いたします

南桜井小学校”伝統芸能クラブ”の様子

 本日、6月15日(水)には南桜井小学校の伝統芸能クラブの活動にお邪魔しました。

 本校では平成23年以降、地域の伝統芸能であり、埼玉県指定無形民俗文化財「西金野井の獅子舞」を伝承されている西金野井獅子舞保存会の皆さまの指導により、クラブ活動を通して伝統の舞いの継承を続けております。

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、例年7月20日に近い日曜日に開催されてきた獅子舞の公開も2年見合わせしてきましたが、本年は感染防止に努めつつ、限られた時間ながら獅子舞を公開することとなりました。本年にクラブ活動に参加された4~6年生の児童20名は、代わる代わる中獅子・女獅子・太夫獅子と竹製のささらを奏でる巫女役をつとめ、5回目の練習ながら演目をとおして舞うことができていました。

 ▲保存会の山口会長さんら3名から熟練の技が指導されています。今年一年のクラブ活動をとおして立派な獅子役が誕生することを期待しています。

西金野井香取神社の祭礼は7月17日(日)午前9時から行われ、大人による勇壮な舞いとともに、子供らの獅子舞も公開されます。7月からは神社で練習を重ね、祭礼当日には立派な舞いが披露されます。ご期待ください!!

【 #常設展 】藤の花と水害関係史料展示替

常設展示を一部展示替しました。日々変わりゆく春日部のまちとともに、郷土資料館もまた日々変わっているのです。 #かすかべプラスワン

今回は2か所更新しました。

一つ目は、藤の花です。ところで、藤の花言葉を知っていますか? 答えはこの記事の末尾で。

入館された方を華やかな藤の花が出迎えてくれます。この藤棚は、ミニ展示「牛島のフジ」展で製作したものです。

藤の季節までしまったままにするのも惜しいので、展示しました。

写真:藤棚のモニュメント

これで一年中、市の花「フジ」を楽しめます。ただ、狭き展示室ですので、早速弊害が。入り口付近のパネルが藤の花の影で見づらくなってしまいました。

 写真:藤の花影

藤の花のシルエット・影を楽しむのも乙、と思いますが、いかがでしょうか。

 

もう一つは、展示室奥の「水とのたたかい」のコーナー。

長らく展示していた樋籠村の絵図を撤収し、明治42年7月に南桜井村から請願された江戸川の改修工事願を展示しました。内容は、南桜井村の人たちが、郷社香取神社(西金野井香取神社)の境内が江戸川に浸食されること、また粕壁と金野井を結ぶ「壱等公益道路」の起点にあたる河岸場が危険であることを理由に、県費で江戸川の改修を請願したものです。郷社香取神社の由来なども記されており、文書の内容も興味深いのですが、さらに興味深いのは添付の図面です。

 画像:岩井家文書157-2

当時の西金野井香取神社付近の様子が描かれています。西金野井香取神社は、昭和27年(1952)の江戸川改修工事により、現在地に移転しています。かつては参道がもっと長く、現在地よりも北方約100mに神社の本殿が鎮座していました。これ以前は、現在の堤防や河川敷の付近に、寺院や民家、河岸場などが所在していたのです。この史料(図面)は、市域屈指の舟運の拠点として栄えた西金野井の江戸川改修以前の状況を示した貴重な資料であると評価されます。

 

さて、冒頭の件ですが、藤の花言葉は「歓迎」だそうです。まさに、入り口に展示するに相応しい、と思いますが、いかがでしょうか。天候不順が続きますが、変わりゆく郷土資料館の展示を、ぜひご覧ください。

【 #6月10日 】 #今日は何の日? in春日部

今から144年前の今日。明治11年(1878)6月10日は、イギリス人女性イザベラ・バードが粕壁に宿泊した日です。

イザベラ・バードは、イギリスの女性旅行家・冒険家・探検家などと称され、明治初めの日本各地を遊歴した人物として知られています。バードは旅行の状況を文章として残しており、当時の日本各地の様子が克明にわかる『日本奥地紀行』は、東洋文庫や平凡社ライブラリーなどにも収録され、著名な紀行文の一つとして知られています。『日本奥地紀行』は「ふしぎの国のバード」という漫画にもなっているほどです。

さて、バードは、明治11年(1878)6月から9月にかけ、通訳の伊藤鶴吉を供に、東京から日光、新潟、日本海側から北海道へと旅をしています。東京を人力車で経った初日の同年6月10日、バードは粕壁の旅館に宿泊しました。バードが宿泊したのは、粕壁の高砂屋旅館。この旅館、前回の今日は何の日?in春日部をご覧いただいた方はご存じでしょう。明治9年6月3日、明治14年7月31日に明治天皇の御昼食所となった旅館です。

バードの『日本奥地紀行』によれば、高砂屋は「一階にも二階にも部屋があり、客がいっぱいで、実にさまざまないやな臭いが立ちこめていた」といいます。バードは二階の部屋に泊まることになりましたが、夜はカビ臭い蚊帳、蚤と蚊、そして襖がしょっちゅう開けられ、わずかな隙間から他の客が覗くなど、プライバシーと蚤・蚊に悩まされたと綴っています。

「粕壁の旅館は劣悪だった?」とか「バードの前後に明治天皇が御昼食をとられている!?」とか、様々な疑問が生じます。ただ、バードは日本に入国してから、横浜・東京で宿泊をしており、都市を離れて初めての一泊が粕壁の高砂屋でした。おそらく、西洋の婦人が異国の庶民の旅館に寝泊りすれば、どんな人でも上のような感想をつづるのではないでしょうか。西洋の女性がつづった明治初頭の日本の庶民の暮らしという視点で史料を読む必要があるでしょう。

高砂屋があった場所は、現在、春日部大通りに設置される歩いてみよう道しるべの標柱では脇本陣として紹介されている地点になります。

写真:現在の高砂屋旅館付近

明治天皇、そしてイザベラ・バードが通った日光道中(陸羽街道)、そして高砂屋旅館。『日本奥地紀行』は図書館等で比較的手に入れやすい図書です。バードの文章を読んで、町並みを散策してみてはいかがでしょうか。

 

過去の今日は何の日?in春日部シリーズ→1月1日版3月14日版3月27日版4月28日版6月3日版9月16日版

6/19展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催します

7月3日(日)まで「宝珠花の歴史と大凧あげ」春季企画展示を開催中です。

 6月19日、展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催します。郷土資料館学芸員が宝珠花の歴史と大凧あげについて紹介します。

当日は、昭和7年(1932)と昭和48年(1973)に撮影された16mmフィルムもご覧いただく予定です。

このうち、昭和7年の16mmフィルムは「大凧飛揚実況」という題名で、約5分と短いものですが、大凧あげまつりの様子とともに、移転前の宝珠花の街並みや江戸川に設置されていた船橋も撮影されており、大変貴重なものです。

 

お申し込みは等は下記の通りです。直接のお申込み、お電話でのお申し込みのほか、期間中いつでもお申込みできる電子申請でのお申込みも用意しております。ぜひご利用ください。

 

日時:6月19日(日)10時から12時

場所:教育センター

定員:30人(先着順)

申し込み:6月7日(火)より直接または電話で郷土資料館(048)763-2455へ、または下記より電子申請

春日部市電子申請・展示解説講座申し込み

 春日部市電子申請・展示解説講座申し込み

 

<春季企画展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」>

会期:令和4年5月17日(火)~7月3日(日)

休館日:毎週月曜日、6月18日(土)は臨時休館

開館時間:9時~16時45分

 

●ミュージアムトーク

郷土資料館学芸員が企画展示室内で展示資料を解説します。

日時:7月3日(日)10時30分~、15時00分~(各回、同じ内容です)

場所:郷土資料館企画展示室内

*申し込み不要です。お時間に企画展示室にお集まりください。 

【6月3日】 #今日は何の日? in春日部

今から147年前の明治9年(1876)6月3日は、明治天皇が粕壁で昼食をとられた日です。

明治天皇は、明治9年6月2日、奥羽巡幸のため、東京を発し、陸羽街道(旧日光道中)を北上され、同日は草加の大川家を行在所とされました。同3日、草加を立ち、蒲生(現越谷市)で馬車を停められ、田植えをご覧になりました。その後、大沢町で御小休し、粕壁に到着されたのは、午前10時40分ごろ。粕壁の三枚橋地区の竹内彦右衛門宅で御昼食をとられました。竹内家は、幕末期に本陣をつとめた旅籠高砂屋旅館。春日部大通りに設置される歩いてみよう道しるべの標柱では脇本陣として紹介されている地点になります。ご昼食を済まされた後、午後1時15分ころ粕壁を出発され、杉戸で御小休、幸手の知久家を行在所とされました。

ただ、高砂屋(竹内家)については、埼玉県による聖跡の調査報告書『埼玉県史蹟天然紀念物調査報告書』(大正12年刊)には、明治20年頃に家屋を売却し、当時の現状をとどめていないと報告されています。大正時代でもそうだったのですから、当然、現在は見る影もありません。

わずかに地元に残る資料として知られるのが、粕壁いろはカルタという昭和初期と推定される粕壁町の名所・名物などを紹介するカルタです。このなかの「ほ」の札が、「ほまれも高き高砂屋 君のみゆきを松のはな」となっています。絵札はこちら(『春日部市史近現代資料編1口絵より)。

画像:粕壁いろはかるた

当方も原物をまだみたことがありませんが、昭和初期の当時にはすでに無かったと思われる門が描かれる絵札です。当時の粕壁の人たちのなかには、かつてあった高砂屋が明治天皇の御昼休所(聖跡)であったという記憶が残っていたのかもしれません。

これまで、明治天皇が御昼食をとられたことは、話題になることも少なくありませんでしたが、実は、巡幸に供奉した面々も豪華なのは意外と知られていないようなので、少し蘊蓄を。当時の供奉していた人物として、岩倉具視、木戸孝允、土方久元などがいます。ことに木戸は日記を遺しており、粕壁では区務所で昼食したといいます。また、巡幸の先発隊に大久保利通がいます。ただし、大久保は粕壁で昼食はとりませんでした。

さすが、明治天皇、名立たる明治維新の功績者を連れ従えて巡幸されるのですから、いろいろなエピソードが残っていてもよさそうですね。小生も学芸員として資料調査に勤みたいものです。

147年前の今日6月3日、市域の人たちはどのように巡幸の行列をみたのでしょうか。また、明治天皇や供奉した人たちは春日部をどのようにみていたのでしょうか。そんなことを思い巡らせながら、かつての宿場町粕壁を散策されてみてはいかがでしょうか。

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川辺小学校3年生「総合的な学習の時間」に縄文体験を行いました!!

 6月1日(水)は今年度最初の出張授業(縄文体験)を行いました。通常は小学校6年生の社会科の歴史の学習が始まるころに出向いていますが、川辺小学校ではこの数年、3年生の「総合的な学習の時間」にお呼ばれしています。今回は『学校付近の昔むかし』と題し、児童のみなさんの自宅がある米島や東中野地区で確認されている縄文時代の貝塚を中心に学習に取り組みました。もちろん、さまざまな体験メニューで「観て」「触れて」「考えて」を実践してみました。

導入 貝塚紹介土器観察

▲ 導入では学区内の貝塚を紹介。熱心にメモを     ▲担任の先生と縄文土器の形、なわめをじっくり

とりつつ、周辺に海原が広がった歴史に驚きが      観察。「ぜんぶ、本物なの?!」『全部です!!』

貝観察    黒曜石切れ味体験

▲縄文時代と12万年前のアカニシと大きさを比較。  ▲6年生にも人気な黒曜石の切れ味体験。みるみるうちに

外郭放水路では12万前の木下層から多種の大きな    段ボールがぼろぼろになるほど、試し切りが楽しくなって

貝種が発見されたことを伝えると皆ビックリ!     しまいます。「こんなに切れるんだ!!」

 6月からは3年生の「総合的な学習の時間」をはじめ、6年生の社会科へ出向きます。授業の様子は本ブログでご紹介していきますのでお楽しみに覗いてください。

【県外の春日部スポット】春日部ゆかりのフランス文学者

先日、資料調査で都内の春日部ゆかりの施設にお邪魔しました。その名も豊島区立鈴木信太郎記念館です。今日は、同館についてご紹介します。 #かすかべプラスワン #書斎 #フランス文学

写真 鈴木信太郎記念館

東京メトロ丸の内線の新大塚駅から徒歩3分ほどの住宅街の中にある鈴木信太郎記念館。

鈴木信太郎は、20世紀前半の日本のフランス文学研究黎明期に活躍したフランス文学者です。鈴木家は、下総国葛飾郡下吉妻村(今の春日部市下吉妻)の農家で、大地主でした。明治期になり、自家で所有する田んぼからあがる小作米を商売の元手とし、神田佐久間町(現東京都千代田区)で米穀問屋を営むようになったいいます。信太郎がフランス文学に打ち込めたのは、米穀問屋、そして地主として経済的な後ろ盾があったからのよう。信太郎自身は東京生まれ、東京育ちですが、先祖の地(下吉妻)に訪れることもあったようです。

現在の記念館の地は、信太郎の父の時代、大正7年に住まいを移したものですが、戦災で一部が焼失してしまいました。焼失した家屋部分には、昭和23年に下吉妻の鈴木本家から明治20年代に建てられた書院座敷が移築されました。ですから、下の写真の和風建築の座敷棟は、春日部ゆかりの近代和風建築なのです。

下吉妻から移築された家屋室内の様子

室内は落ち着いた雰囲気です。記念館の建物は、信太郎が亡くなった後は、息子で建築学の専門家である成文氏が住んだそうです。建築学に通じた方であったことから、古い図面や当時の意匠を保存されたそうです。小生は建築のことは明るくありませんが、春日部の吉妻にあった当時の雰囲気もそのまま遺っているといえそうですね。春日部市内で古民家の内部までを公開している施設はありませんので、古民家をみたいという方には、鈴木信太郎記念館を紹介してもよいのかなと思いました。

鈴木信太郎記念館の見どころは、これだけじゃありません。おすすめは書斎棟です。書斎棟は、信太郎の書庫兼書斎(仕事場)でした。昭和3年に当時としては非常に珍しい鉄筋コンクリート造で建てられました。それだけの経済力があったということにも驚かされますが、頑丈な書庫にこだわった理由は稀覯本の収集家でもあった信太郎の悲しい経験に求められるそうです。かつて、フランスに留学していた信太郎は、パリで買い集めた約1000冊の貴重書を日本へ船便に送ったところ、輸送中の船内の火事によりすべて焼失してしまいました。信太郎は大変落胆したそうですが、再び収書をするにあたり、二度と本を失わないように鉄筋コンクリート造の書庫を建てました。

戦中の城北大空襲で母屋などは焼失してしまいましたが、この書斎棟は焼失を免れ、中の本も無事に守られました。下の写真は書斎棟の内部です。

鈴木信太郎の書庫書斎

帝大の先生のこだわりの書庫とだけあって、圧巻されました。写真では伝わりづらいのですが、本当に別世界です。昭和初期の学者の書庫・書斎が、そのまま遺っているようで、和風建築とは180度雰囲気が違います。こんな書庫がほしいなぁと思わず漏らしてしまいました。書庫だけでも見学の価値あり!おすすめです!

ちなみに、書庫の棚は一部は展示ケースとして活用されており、信太郎が集めた貴書や知人の文学者の署名入り本などが展示されています。フランス文学の貴重本は、獨協大学に寄贈され、保管されているそうです。

鈴木信太郎記念館、知る人ぞ知る春日部ゆかりのスポットといったところでしょうか。ぜひ、見学をおすすめします。

なお、鈴木信太郎・鈴木家と春日部の関係については、信太郎の次男でフランス文学者の鈴木道彦氏『フランス文学者の誕生』(筑摩書房、2014年)に詳しく紹介されています。 

所在地
〒170-0013東京都豊島区東池袋5-52-3

電話
03-5950-1737

交通案内
東京メトロ丸ノ内線新大塚駅より徒歩約3分  詳しくはこちら(池袋から) 詳しくはこちら(銀座・茗荷谷方面から)
JR山手線大塚駅南口より徒歩約8分
都電荒川線大塚駅前及び向原停留場より徒歩約8分
(駐車場・駐輪場はありません。公共の交通機関をご利用ください。)

鈴木信太郎記念館ホームページ

【7/3まで宝珠花の歴史と大凧あげ】ミュージアムトークを開催しました

7/3まで春季展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」開催中です

 

5月22日(日)、「宝珠花の歴史と大凧あげ」のミュージアムトークを開催しました。

ご参加くださった皆さま、大変ありがとうございました。

前にもお知らせしましたが、展示では、「宝珠花の歴史」、「春日部の大凧」、「大凧会館」、「大凧の歴史」、「各地の凧」の5つテーマで資料を紹介しています。

今回の展示のメインテーマは「大凧」なのですが、大凧あげが続いてきた素地として「宝珠花の歴史」も非常に重要です。展示では、古代の「貝の内遺跡出土下総国分寺軒平瓦(かいのうちいせきしゅつどしもうさこくぶんじのきひらがわら)」、近世の「小流寺縁起(しょうりゅうじえんぎ)」、「長久記(ちょうきゅうき)」の3点の実物の春日部市指定文化財を展示しております。このほかにも、宝珠花地区ゆかりの指定文化財があり、市内では最も指定文化財が多い地域です。本展の「宝珠花の歴史」コーナーはわずかなのですが、歴史ある地域だからこそ大凧あげが伝わったことをご理解いただければ幸いです。

もちろん大凧あげも、「宝珠花の大凧揚げ」として市指定文化財、「関東の大凧揚げ習俗」として国選択無形民俗文化財となっています。

なお、「貝の内遺跡出土下総国分寺軒平瓦」は常設展示で展示しておりますが、「小流寺縁起」と「長久記」は普段は展示しておりませんので、この機会にぜひご覧ください。

 ミュージアムトークの様子1

ミュージアムトークの様子2

次回のミュージアムトークは企画展示最終日の7月3日(日)を予定しております。また、6月はミュージアムトークを予定しておりませんが、座学での展示解説講座を開催します。ご参加お待ちしております。

●ミュージアムトーク

郷土資料館学芸員が企画展示室内で展示資料を解説します。

日時:7月3日(日)10時30分~、15時00分~(各回、同じ内容です)

場所:郷土資料館企画展示室内

*申し込み不要です。お時間に企画展示室にお集まりください。

 

●展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」

郷土資料館学芸員が宝珠花の歴史と大凧あげについて紹介します。

日時:6月19日(日)10時から12時

場所:教育センター

定員:30人(先着順)

申し込み:6月7日(火)より直接または電話で郷土資料館(048)763-2455へ、または下記より電子申請

春日部市電子申請・展示解説講座申し込み

大凧マラソン大会のパネルが追加されました

7/3まで春季展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」開催中です

展示室に大凧マラソン大会の紹介コーナーを、啓発品のポケットティッシュとともに、スポーツ振興課のご協力のもと設置しました。

大凧マラソン紹介コーナー

大凧マラソンの紹介

大凧マラソン大会は、大凧あげ祭りを全国に発信するための大会として毎年5月4日に行われています。しかしながら、コロナウイルス感染症拡大防止のため、令和2年、3年、4年と中止しています。

最も長い距離のハーフマラソンは、庄和総合公園東側をスタートし、庄和地区南部まで南下、江戸川の土手に出て北上し、西宝珠花から再度、南下して庄和総合公園でゴールとなる庄和地区をほぼ1周するコースです。田園風景や広大な江戸川など、豊かな自然に囲まれたコースを走ります。

第1回大会は平成元年(1989)5月3日に行われ、広報の記事によると、1,023人が参加されました。最も長い距離は20㎞でした。約300人の市民ボランティアが参加したようです。平成7年(1995)から開催日を5月4日とし、3日と5日の大凧あげ祭りの中日に行われるようになりました。

令和元年(2020)に行われた第31回大会では、エントリー者数が10,779人と第1回大会の10倍以上、ボランティアで構成される競技役員も、第31回大会では約900人と、規模の大きい大会になっています。

令和5年(2022)は、無事、大凧マラソン大会が開催されるよう願っています。

第1回大凧マラソンを伝える広報しょうわ

第1回大凧マラソン大会を伝える「広報しょうわ」平成元年6月号

 

 

ふれあい大学で「春日部市の歴史」を講義しました

5月18日(水)ふれあい大学で「春日部市の歴史」について、話させていただきました。 #かすかべプラスワン

写真:ふれあい大学

ふれあい大学は、春日部市の事業で、主に高齢者の方々が、生活、健康、市の環境や地域活動について学習し、心身の健康を培い、生きがいを高めることを目的としています。

「春日部市の歴史」の講義は、例年、ふれあい大学からご依頼いただいているもので、春日部の地名の成り立ち、春日部のあゆみについてお話しします。「春日部と粕壁の表記がどちらが古いか」という問い、そしてその由来をお話しすると、市内に住んで長い皆さんでも驚かれる方も多いようです。「春日部」と「粕壁」の話題は鉄板ネタです。春日部のあゆみについては、人が春日部に住んでから3万年の話をわずか60分で話します。地形に着目して、人々の生活領域が高いところ(台地)から低いところ(低地)へとだんだんと広がっていくことを軸に話しますが、近現代の市域の変貌に驚かれる方が多い印象です。

なかには「春日部市の歴史」を聞いても退屈に感じ、講義中、夢の中に迷いんこんでしまう方もおられるようですが、地元の歴史文化を見つめ直すことで、見識が広がり、普段何気ない平凡な日常が輝くこともあるのではないでしょうか。あるいは、今・現在を相対化することにもつながるのではないでしょうか。歴史を学び、豊かに生きる。まさに「かすかべプラスワン」だと思いますが、いかがでしょうか。

と、そんな話をしていたところ、受講者の女性の方からあるサイトを紹介されました。ご主人が運営されている「ピンピンコロリ村」というホームページです。庚申塔を紹介しているからぜひ見てくださいとのこと。ホームページを拝見すると、ただの庚申塔サイトではありません。かつて「ふれあい大学」を受講されたご主人は、ふれあい大学で学んだ「ピンピンコロリ」のポリシーを、春日部市内に点在する庚申塔を踏査することで果たしていこうとされるものでした。庚申塔をすべて写真で記録して、文字を解読し、一覧化されています。市では『春日部の庚申塔』『春日部の板碑』『庄和町史資料 石造物Ⅰ』『同Ⅱ』などを刊行しているところですが、この遺漏や誤謬も訂正されているとのことで、大変充実した内容となっています。石造物を一覧するデータベースとしても有用です。地元の歴史を顧みることは、「ピンピンコロリ」にもつながるという考えも、もっともだと思います。まさに「歴史を学び、豊かに生きる」の実践といえそうです。ふれあい大学現役の皆さんも必見です。「ピンピンコロリ村」ぜひご覧ください。

教育委員の皆さまが「宝珠花の歴史と大凧あげ」を見学されました

7月3日まで第65回企画展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催中です。

 

5月17日(火)、定例教育委員会終了後、教育委員の皆さまに「宝珠花の歴史と大凧あげ」をご見学いただきました。

じっくりとご覧いただき、歴史ある宝珠花と大凧文化をご理解いただけたことかと思います。また多くのご質問もいただき、やはり大凧は地域に根ざす、誇り高い文化であることを再確認しました。

このような大凧文化を未来へ伝えられるよう、微力ながら資料館も活動を継続していきたいと思います。

 教育委員見学

古文書解読ボランティアの活動を再開しました

5月15日(土)、市民の方々が主体となって #春日部市郷土資料館 所蔵の #古文書 を解読する「古文書勉強会」を再開しました。

写真:古文書勉強会の様子

古文書勉強会は、郷土資料館に眠る膨大な古文書を、古文書を解読したい、もっと勉強したいという有志の方たちで、解読し、その成果を館に還元していただこうとする取り組みです。本格的な活動としては、実に約2年ぶりです。今回からは、心機一転、粕壁の旧家から寄贈された記録「宝暦度より酒造用留」という古文書を講読しました。これまで春日部市史や諸研究で利用されたことのない新出史料であり、春日部市域をはじめ、県東部地域の酒造の動向が体系的に追える好史料だと思われます。

久しぶりの再開でしたので、参加者の皆さんも古文書仲間と「再会」された方も多かったようで、始まる前も休憩中も終わった後も話が尽きない様子でした。帰りがけに「楽しかった」と感想をいただきました。

小生も、ひとつひとつの字や史料を丁寧に読みながら、「あーでもない」「こーでもない」と話し合うのは非常に楽しいひと時でした。皆さんの熱意を感じ、パワーをもらったような気がします。関東の酒造業の歴史を一から学ぶ機会として、臨んでいきたいと思っています。

解読した成果は、一定度たまりましたら、ほごログでも紹介したいと思います。

次回は6月19日(日)14時~です。

大凧会館ー7/3まで春季展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」開催中です

5月17日より、春季展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催しています。会期は7月3日(日)までです。

展示では、「宝珠花の歴史」、「春日部の大凧」、「大凧会館」、「大凧の歴史」、「各地の凧」の4つテーマで資料を紹介しています。

資料の多くは、解体された大凧会館に展示されていた資料です。大凧制作模型や各地の大凧など、大凧会館の展示をご覧になったことがある方には、なつかしい資料と再会することができます。

大凧会館は大凧の常時展示と大凧文化の紹介を目的として、平成2年(1990)に開館した施設です。4階まで吹き抜けの大凧展示室では、15×11mの大凧4面を壁に展示でき、大凧あげ祭り前のシーズンには、床面を使用して大凧の制作をすることができました。建物2階には郷土資料室も設置され、庄和地区(旧庄和町)の郷土資料が展示されていました。

しかしながら、平成23年(2011)の東日本大震災(東北太平洋沖地震)で大きな被害を受け、平成26年(2014)に解体されました。

郷土資料館は、15m×11mの大凧はおろか、6m×4mの小凧でも展示することができません。今回の展示を通じ、大凧の大きさと大凧会館のスケールの大きさを改めて痛感しました。

大凧会館竣工時外観

竣工時の大凧会館

 竣工時大凧展示室

 竣工時の大凧展示室

 

「宝珠花の歴史と大凧あげ」について、会期、関連イベントは下記のとおりです。

会期:令和4年5月17日(火)~7月3日(日)

休館日:毎週月曜日、6月18日(土)は臨時休館

開館時間:9時~16時45分

 

(会期中のイベント)

●展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」

郷土資料館学芸員が宝珠花の歴史と大凧あげについて紹介します。

日時:6月19日(日)10時から12時

場所:教育センター

定員:30人(先着順)

申し込み:6月7日(火)より直接または電話で郷土資料館(048)763-2455へ、または下記より電子申請

春日部市電子申請・展示解説講座申し込み

 

●ミュージアムトーク

郷土資料館学芸員が企画展示室内で展示資料を解説します。

日時:5月22日(日)、7月3日(日)10時30分~、15時00分~(各回、同じ内容です)

場所:郷土資料館企画展示室内

*申し込み不要です。お時間に企画展示室にお集まりください。 

春季展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」準備中です

5月17日(火)から、春季展示が始まります。展示担当者は目下準備中。今回は、担当者になりかわり、大凧あげについて少し紹介します。

去る5月3日に無観客で実施された大凧あげ。無風状態が続き、大凧の飛揚はなりませんでした。ただ、実に3年ぶりに大凧あげとなりました。下の写真は下若組の大凧文字書きの模様です。

写真:下若組の大凧文字書き

関係者の皆さんは、大凧あげにあたり、準備から当日まで大変に力を注がれています。こうした大凧あげの製作過程を絶えることなく地元で脈々と続けてきたことが、大凧あげの伝統を担保しているといえます。いうまでもないですが、コロナ禍で中止されていた大凧あげが再び実施できたことは、伝統を継承するという意味で大変有意義なこととなりました。

なにかと、大凧が揚がったか、揚がらなかったかに話題が集まりがちですが、少し観点をかえて、大凧が揚がるまでの過程に注目してみることも重要なことでしょう。そこで、今回は、先日の取材で拝見した大凧を揚げる前の模様を少し紹介します。

大凧を揚げる前に、引手となる人たちは安全祈願のため、神社に参拝します。上若組は宝珠花神社へ、下若組は愛宕神社にそれぞれ詣でます。今回、取材は上若組の参拝に立ち合いました。

写真:宝珠花神社参拝の様子

上若組は、神社の裏手右側を回って、神前に集まり、参拝します。このとき、神前の鈴のあたりにお神酒を威勢よくかけます。その後、引手でお神酒と豆腐を飲食します。これをキヨメとよんでいます。神社での参拝が済んだあと、境内に「上若」と刻まれる常夜灯の前で参拝、常夜灯に再びお神酒を威勢よくかけます。地元の方は、常夜灯は上若組の守り神だと話していました。また、なぜ豆腐を食すのかは不明とのこと(『庄和町文化財資料11 埼玉県の大凧揚げ習俗』)。

写真:常夜灯参拝

次の写真は神前にかけたお神酒の跡です。鈴のあたりが濡れています。

写真:神前のお神酒

お神酒のかぐわしい香りが漂っていました。

こうしてみると、地元の方々にとっては、大凧あげに付随するこうした民俗的な儀礼をも後世に継承する機会となったともいえそうです。

今回の大凧あげは無観客で関係者や報道機関など限られた方々のなかで実施されました。また通常に開催された折には、大凧の飛揚だけでなく、前後に行われる慣例や儀礼などにも注目して、大凧あげ祭りを楽しんでみてはいかがでしょうか。

宝珠花の大凧あげを紹介する春季展示は、5月17日(火)から開催します。普段みられない貴重な資料も数々陳列されますので、ぜひご来館ください。

#特別天然記念物 #牛島のフジ を取り巻く地域の歴史を知る

 令和4年4月30日、展示解説講座「深堀り!牛島のフジ」を開催しました。この講座は5月1日まで開催のミニ展示「NSNM牛島のフジ」展について、より理解を深めていただくための講座です。大型連休真っただ中にも関わらず、多くの皆さまにご参加いただきました。 #藤のまち春日部

写真:講座の風景

講座では、牛島のフジをとりまく地域の歴史を様々な資料からたどるものでした。自然のものと考えられがちな天然記念物は、実は学術的・科学的な価値づけによって存在するのではなく、地域の歴史や暮らしと密接にかかわりながら、その価値づけがされています(と考えるべきです)。

そこで、牛島のフジをめぐる、明治から昭和初期の新聞、紀行文、観光案内などを読みながら、観光客や地元の人々がいかに藤に関わっていたのか、その歴史的な展開を考えてみました。資料は10頁に及び、文字数もかなり分量がありましたので、講師の当方は2時間もたないかなと不安でしたが、楽しんで、理解を深めていただけたようです。

参加者の皆さんからは、「一本の木にここまで深い歴史があったことは知らなかった」「藤の季節は過ぎたので、また来年、牛島のフジをぜひ見に行きたいと思います」など感想をいただきました。

まち全体で「フジ」を盛り上げるのはもっともなことですが、その本丸たる牛島のフジももっと盛り上げていくことが、歴史ある藤の木を後世に伝え、藤のまち春日部をブランディングしてくことになるのだと思います。と、こんな話は、藤の季節の前に話をすればよかったなと少し反省しました。

今年の藤の季節は終わりました。また来年、見事な花を咲かせ、明治・大正・昭和の文化人を楽しませたように、私たちをも楽しませてくれるよう願っています。

観音院で『円空仏』が公開されています!!

 本日5月3日から5日まで、小淵山観音院で埼玉県有形文化財に指定されている7体の円空仏の特別公開が行われています。

 円空は寛永9年に美濃国に生まれ、近畿地方から北海道にかけて行御し、生涯で12万体の仏像を製作した修行僧です。これまで全国で約5千体以上が確認されており、中でも埼玉県は愛知県や岐阜県に次いで160体が伝えられています。

 観音院には一木から彫り出された円空仏としては県内最大194㎝を測る「聖観音菩薩立像」や伝統的な作風では国内でも唯一とされている「蔵王権現立像」など、特徴的な円空仏が伝えられています。通常はさいたま市の埼玉県立歴史と民俗の博物館に収蔵されており、これら一堂をみることができる年一度の機会となっています。  

 円空仏の公開

 

 

 

 

 

 

 

 

▲本日3日は県内外から多数の方がお越しいただきました。観音院本堂

本堂正面には獅子や龍など細かな彫り物が出迎えてくれます。

江戸時代の建造物と一体となった繊細な彫刻、そして円空による豪壮な鉈彫の造仏と、対照的な文化遺産をこの機会に現地でご覧になってはいかがでしょうか。

 

展示解説をしました #藤のまち春日部

4月24日、春日部市郷土資料館のミニ展示「NSNM牛島のフジ」展の展示解説をしました。

牛島のフジも真っ盛りのようで、お陰さまで郷土資料館もこの土・日、大入りとなりました。

教育センターの隣の粕壁小学校に自生する藤の花もいい具合です。

写真:粕壁小のフジ

 往時の記録や紀行文を読むと、昔の人たちは目で藤の花を楽しむだけでなく、香りも楽しんだようです。粕壁小のフジは他の木に寄生するように絡みつき、木のテッペン近くに花をつけていますので、香りは確かめられませんが。。。

さて、ミュージアムトークですが、午前は5名の方、午後はお一人の方にお越しいただきました。

写真:展示解説の様子

あまりに身近すぎるためでしょうか。市民の方でも、牛島のフジに訪れたことのある方は、意外と少ないようです。

午後は、マンツーマンで。

写真:午後の解説

お話しながら解説しましたので、こちらも色々と教えていただきました。

展示は5月1日まで。30日には展示解説講座も開催します。

そして、ぜひ牛島のフジへ。

5/17~7/3「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催します

春日部市郷土資料館では、5月17日(火)~7月3日(日)、「宝珠花の歴史と大凧あげ」と題して、春季企画展示を開催します。

宝珠花の歴史と大凧あげポスター宝珠花の歴史と凧ポスター.pdf(267KB)

大凧あげは元来、養蚕の豊凶を占う行事として始められましたが、端午の節句と同じ時期だったことから地区内の男児の誕生を祝い、子どもが元気に育つようにという意味が込められました。現在では、「春日部大凧あげまつり」として、例年5月3日、5日に行われます。大凧あげまつりは令和2年、3年と新型コロナウイルス感染症の影響により中止しており、令和4年は無観客で行われます。

本展では、大凧あげが伝わった西宝珠花地区の歴史を紹介するとともに、資料館や旧大凧会館所蔵の大凧関係資料をもとに、大凧あげの歴史文化を紹介します。

会期:令和4年5月17日(火)~7月3日(日)

休館日:毎週月曜日、6月18日(土)は臨時休館

開館時間:9時~16時45分

 

(会期中のイベント)

●展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」

郷土資料館学芸員が宝珠花の歴史と大凧あげについて紹介します。

日時:6月19日(日)10時から12時

場所:教育センター

定員:30人(先着順)

申し込み:6月7日(火)より直接または電話で郷土資料館(048)763-2455へ、または下記より電子申請

春日部市電子申請・展示解説講座申し込み春日部市電子申請・展示解説講座申し込み

 

●ミュージアムトーク

郷土資料館学芸員が企画展示室内で展示資料を解説します。

日時:5月22日(日)、7月3日(日)10時30分~、15時00分~(各回、同じ内容です)

場所:郷土資料館企画展示室内

*申し込み不要です。お時間に企画展示室にお集まりください。 

【祝!100万アクセス】一度でいいからバズりたい

「ほごログ」は、春日部の歴史・文化財の魅力を発信するブログ。気が付けばアクセスカウンターが100万を超え。市教育委員会のブログでは断トツの一番ノリです。 #拡散希望 #かすかべプラスワン

思い起こせば、春日部市の文化財保護課・郷土資料館のブログ「ほごログ」が誕生したのは、2017年(平成29年)1月23日のこと。記念すべき最初の記事はこちら。苦節(?)5年、地道に(?)更新を続け、多くの皆さんに見ていただきました。「ほごログ」の存在も徐々に浸透しているようで、「いい記事ですね」とか「紹介してくれてありがとう」とか、「こんな資料持っています」とか、よく言われるようになりました。一説には同業者がよく読んでいるとか。

一見、地味で、マニアック、小難しい春日部の歴史・文化財ですが、ブログで全世界に発信し、わかりやすく、ポップに伝えることで、その魅力を多くの方々に知っていただくことは、中の人たちの重要なミッションだと思っています。これからもご愛顧ください。

次の目標は200万!?

いや、良くも悪くも、一度でいいからバズりたい、というのが本音。「ほごログ」の存在をもっと知ってもらえるように、拡散希望です。

#牛島のフジ のミュージアムトーク

4月13日、春のミニ企画展示「NSNM牛島のフジ」展のミュージアムトークを開催しました。平日にもかかわらず、多くの方にお越しいただきました。 #かすかべプラスワン #牛島の藤

写真:会場の様子

ミュージアムトークは、展示室内で展示や資料の見どころを担当の学芸員が解説するものです。

今回は、新出資料や新たに分かったことを中心に、牛島のフジの歴史について解説しました。とりわけ、昭和5年刊『世界一藤のかすかべ』の挿絵の地図に注目し、これをたどりながら、当時の牛島のフジ観覧の行程について詳しく説明しました。この行程については、かつて博物館実習生が資料紹介を準備するなかで発見したものでもあります。詳しくは、移行したての資料紹介ページをご覧ください。

午前の部・午後の部ともに熱心な方々から質問や様々なご意見をいただきました。新たな藤グルメの開発や、資料館のミュージアムグッツのアイデア、『世界一藤のかすかべ』の行程を実際に巡るツアーなどなど。春日部の藤の魅力は、尽きるところありません。

写真:展示室の様子

藤花園さんのホームページによると、4月20日ごろから牛島のフジは見ごろを迎えるそうです。

ミュージアムトークのなかでもお話ししましたが、牛島のフジの歴史はオンリーワン。この歴史こそが牛島のフジが国の特別天然記念物たる由縁でもありますし、ほかのどんな立派な藤棚もかなわない点だと思います。

春日部が世界に誇る、この藤を後世に伝えていくためにも、藤の季節には、ぜひたくさんの皆さんに観覧していただきたいです。

ミュージアムトークは、4月24日(日)10:30~、15:00~も開催予定です。

また、詳しい牛島のフジの歴史は、4月30日(土)10~12時の展示解説講座「深堀り!牛島のフジ」で、史料をねちねちと読んで「深堀り」したいと思っています。

あわせて、ご参加ください。

【本市の伝説がさいたま文学館で紹介されます】

埼玉妖怪見聞録チラシ

令和4年4月27日(水)~6月5日(日)まで、さいたま文学館にて、

企画展「埼玉妖怪見聞録」が開催されます。

(月曜・5月24日(火)休館、入館料あり)

 

また、その企画展に伴い

令和4年5月14日(土)に、さいたま文学館で

記念講演会「もうひとつの『山怪』!? 秩父で集めた妖怪譚」が開催され、

当館の職員 石倉慶子氏 が講師を務めます。

実は当館で貸し出ししている「春日部の伝説の紙芝居」のイラストも石倉が担当しています。

参加費無料の講座ですので、お申込みのうえ是非ご参加ください!

 

【記念講演会「もうひとつの『山怪』!? 秩父で集めた妖怪譚」】

開催日:令和4年5月14日(土) 14:00~15:30

会 場:さいたま文学館1階 文学ホール

    (埼玉県桶川市若宮1-5-9)

講 師:石倉慶子氏

定 員:100名

参加費:無料

申込み:048-789-1515(さいたま文学館)

花のまち春日部 #桜咲くかすかべ

桜の花びらも散り、葉桜もみかける今日この頃。今回は桜の季節が終わっても、 #花のまち春日部 はまだ終わらんよ!という話題です。 #牡丹 #桃 #藤咲くかすかべ

郷土資料館では、イベント「桜咲くかすかべ」に協力し、期間中、本ブログでも市内の桜のスポットを文化財や町の歴史とあわせて紹介してきました。イベントは大変盛況のうちに終わったそうです。おかげさまで、「桜咲くかすかべ」からほごログや郷土資料館を知ってくださった方も少なくないでしょう。関係者の皆様、ありがとうございました。

桜は言うまでもなく、現代の春日部は、藤の花(牛島のフジ・4月下旬~5月上旬)蓮の花(内牧黒沼公園・6月下旬から7月上旬)やヒマワリ(エンゼルドーム前広場・8月)など花に彩られたまちとして、かすかべガイドマップなどにも紹介されるところです。

明治・大正の時代、春日部は、実は花の名所として知られていました。思い浮かぶのは、なんといっても、現在も春日部のシンボルでもある「藤」でしょう。もちろん「藤」も春日部を語る上では欠かすことはできないのですが、それだけじゃないのです。著名なものとしては牡丹(ボタン)、桃の花があります。

牡丹については、以前紹介しましたが、備後の石井立敬が牡丹の栽培技術を開発し、500坪もある庭園には、接ぎ分けを望む人が近隣や東京からも訪れたといいます。その後、「成金」で著名な鈴木久五郎の実家(八丁目)の庭園に牡丹が株分けされ、鈴木家が退転した後も牡丹と庭園は引き継がれ、さらに粕壁・最勝院にも株分けされ、粕壁の牡丹として花の名所となりました。下のような最勝院の牡丹園の写真がのこっています。牡丹園のあった粕壁では地元の方が牡丹の俳句を詠んだり、藤と並んで春日部を象徴する花だったようです。まさに「牡丹のかすかべ」「牡丹咲くかすかべ」ですね!

写真:粕壁の牡丹

次に桃の花について。明治時代の古地図(フランス式迅速測図)をみると、春日部市域には、桃林があったことが読み取れます。具体的には、藤塚、小渕、浜川戸、宝珠花、西金野井、中野(現東中野)、新宿新田のあたりです。

藤塚・小渕・浜川戸は河畔砂丘があり、その砂地を利用して桃畑(林)としていた模様です。写真絵葉書もあります。下は古利根川越しに見る小渕の桃林と題された写真です。

写真:小渕の桃林

新宿新田の桃林に関しては、市内を撮影した最古級の古写真が、宮内庁図書寮文庫に伝来しています。写真は、「各種写真(第6号)」という簿冊に収載されており、データベースでご覧いただけます(126コマ目)。松伏町の築比地や江戸川対岸の岩名・座生沼周辺には桃林が広がっており、「野田八村の桃林」とも称されていました(野田市郷土博物館『野田の桃源郷』)。新宿新田・東中野の桃林は「野田八村の桃林」と一体のものだったのでしょう。

また、(ちょっと記憶があいまいですが)昭和初期の新聞には、豊野の桃花として、観光客をいざなう広告が掲載されています。藤塚の桃林は、一ノ割駅の近くに所在したため、沿線の観光スポットとして宣伝されたのでしょう。「桃のかすかべ」「桃咲くかすかべ」ですね!

ただ、牡丹、桃は、時の移り変わりのなかで、春日部の表舞台から姿を消していきました。牡丹園は閉園し、桃花は埼玉県東部では大林・大房(現越谷市)の「越ケ谷の桃」が著名になっていったようです。郷土にゆかりある花の復活を切に願いますが、今となっては、そもそも牡丹、桃が春日部と関係あることを知る方も少ないのではないでしょうか。

とはいえ、藤は春日部のシンボルとして現代にも継承されています。近代・現代の春日部の歴史は藤と切っても切れない縁があります。それについては、現在開催している「NSNM牛島のフジ」展をご覧いただければと思います。

これから藤の季節です。花のまち春日部は、まだ終わらんよ!

牛島のフジをはじめ、市内のフジの花を引き続きお楽しみください。

【休館のお知らせ】4月16日(土)午後、17日(日)

令和4年4月17日(日)は教育センターが春日部市議会議員一般選挙の投票所として利用されます。そのため、準備を含め下記の日程で郷土資料館は休館となります。ご迷惑をおかけしますが、ご来館の際はご注意ください。

〈休館日〉

令和4年4月16日(土)午後

令和4年4月17日(日)終日

 

郷土資料館のホームページ整理中です

昨年度の1月31日、春日部市のホームページがリニューアルされました。これに伴い、郷土資料館のホームページもデザイン等が一新されています。

郷土資料館ではホームページのコンテンツを見直しつつ、利用者の皆さまに使いやすく、格好いいページを、現在、鋭意整理・構築中です。

コンテンツの一部ですが、「日光道中粕壁宿~歩いてみよう道しるべ~」を教育委員会のポータルサイト内につくってみました。

また、収蔵資料の紹介も、データベースの形式に作り替えてみました(一部ですが)。

ほごログをご覧の皆さんには見やすくなったのではないかと思います。ぜひご活用ください。

歴代の博物館実習生の皆さんに制作してもらった収蔵資料の紹介など、マニアック(専門的)な内容は、順次、教育員会のポータルサイトに移行していく予定です。実は昨年度の実習生のページが公開できていないのですが、こちらも近日公開予定です。

なお、旧の郷土資料館のホームページは、こちらからご覧いただけます。

ウィズコロナの時代、ICTを用いた情報発信は重要です。バーチャルでも郷土資料館をご愛顧ください。

文化財の解説板を新たに設置しました!!

 市内南東部、国道4号バイパスと中川に挟まれた水角地区には、春日部市の有形民俗文化財に指定された「水角神社の富士塚」があります。この3月に指定文化財を詳しくお知らせする解説板を設置いたしました。

 この文化財は江戸時代後半に盛行した富士信仰の証で市内では計29基の富士塚が確認されています。その中でも「水角神社の富士塚」は春日部市内でも高く築かれる部類にあり、その姿も良好に保たれていること、さらに埼玉県内はもとより、東京都下や千葉県などの広域から寄進された多数の石碑から広域の信仰の範囲を知ることができます。現在でも7月1日に近い日曜日には富士山の山開きとあわせて「初山」の行事が行われております。

 ただいま3月末現在、解説板の周囲、そして富士塚の周りでは満開の桜が出迎えてくれますので、中川の散策と共に足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

南平野公園の桜と古隅田川 #桜咲くかすかべ

#桜咲くかすかべ

郷土資料館では、桜咲くかすかべに協力しています。

さいたま市岩槻区の南平野公園(さいたま市岩槻区南平野・Googlemap南平野公園)の桜が見ごろを迎えています。写真は令和4年3月28日(月)撮影のものです。岩槻区と春日部市の市境に近い南平野公園をご存知の春日部の方も多いのではないでしょうか。

南平野公園の桜1

南平野公園は、南平野土地区画整理事業によって、平成17年3月10日に開設され(さいたま市北部都市・公園管理事務所ご教示)、洪水時には調整池として機能します。

南平野公園は、春日部市にゆかりの深い古隅田川の旧流路に近接して立地しています。

現在の古隅田川は、岩槻東部図書館の北側を起点とし、春日部市方面へ流れ、春日部市梅田から古利根川に注いでいます。しかしながら、江戸時代以前の古隅田川は、春日部の古利根川から梅田あたりで西に流路を変え、蛇行しながら岩槻方面へ向かい、元荒川に注いでいたと推定され、これが現在の利根川の水が流れていた大河川であったと考えられています。

南平野公園の桜2

現在の古隅田川に道口蛭田で合流する、豊春小学校の東~南側を流れる旧古隅田川の流路は、江戸時代以前に利根川本流が流れた流路であると推定できます。南平野公園は、この流路に沿うように設置されています。

 ぜひお出かけいただき、利根川、古隅田川の歴史とともに桜をお楽しみください。

 

参考サイト

古隅田川ー埼玉県総合治水事務所サイト

 

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新方川の桜 #桜咲くかすかべ

#桜咲くかすかべ

郷土資料館では、桜咲くかすかべに協力しています。

武里団地の南側新方川の桜が見ごろを迎えています。写真は令和4年3月28日(月)撮影のものです。桜は越谷市と春日部市にまたがって咲いていますが、団地の各部屋からも楽しめる桜です。

新方川の桜

春日部と越谷市境を流れる新方川は、古くは千間堀(せんげんぼり)と言われ、春日部市の西部の排水をになっていました。明治42年(1909)から大正5年(1916)にかけて実施された新方領耕地整理事業事業で整備され、「新方領堀」と呼ばれました。その後さらに、昭和2年〜8年(1927〜1933)に県営事業で整備され、合流先が元荒川から中川に変更となり、「新方川」となりました。

新方領耕地整理記念碑

国道4号沿いには、「新方領耕地整理記念碑」が建てられています。

新方領耕地整理については、国会図書館デジタルコレクションで竣工記念で出された冊子が公開されています。

国会図書館デジタルコレクション 埼玉県新方領耕地整理組合竣功記念

 

新方川沿いの桜は、せんげん台駅から歩いてすぐで、電車でのアクセスも便利です。ぜひお出かけいただき、新方川の歴史とともに桜をお楽しみください。

 

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観音院の桜 #桜咲くかすかべ

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郷土資料館では、桜咲くかすかべに協力しています。

小渕の観音院では、境内の桜が見ごろを迎えています。写真は令和4年3月28日(月)撮影のものです。

漢音院の桜

観音院は、小淵山正賢寺(しょうけんじ)観音院といい、鎌倉時代、正嘉(しょうか)2年(1258)建立と伝えられる古刹です。本山派修験宗という、春日部市内では唯一の修験のお寺です。

日光道中沿いに立地し、奥の細道の旅に出た松尾芭蕉が宿泊した寺ともいわれます。寺の入口には元禄2年(1689)に建立されたと伝わる仁王門(市指定文化財)があります。また江戸時代の僧、円空が彫った円空仏7体(県指定文化財)が伝わっています。なお円空仏は、ふだんは埼玉県立歴史と民俗の博物館に保管されています。

静かな境内で満開の桜をぜひお楽しみください。

 

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「考古学講座ー米島貝塚を探る」を開催しました

3月27日、「考古学講座ー米島貝塚を探る」を開催し、25名の方にご参加いただきました。ありがとうございました。

米島貝塚遠景

調査時の米島貝塚遠景(手前が谷部分の水田で、奥が高台、調査している人が見える。昭和36年か37年(1961か1962))

 

今回の講座では、米島貝塚の昭和36年(1961)および昭和37年(1962)の発掘調査に、國學院大學名誉教授の小林達雄先生が調査に参加され、発掘調査報告書では住居の廃絶と土器・貝殻の廃棄パターンや黒浜式土器の細分が研究されたことなどをご紹介しました。

また、米島貝塚の周辺に縄文時代前期の貝塚が集中していること、現在の江戸川の場所に江戸川開削前に存在したであろう谷にもご注目頂き、米島貝塚が作られた縄文時代の周辺地形についてもお考えいただきました。

米島貝塚は、現在は住宅地となっていますが、谷から高台へ向かう道路が坂になっていて、地形の変化を感じることができます。ぜひ、機会がありましたら現地を歩かれてみることをおすすめします。

講座

 

さて、考古学講座は来年度は、9月から1月に月1回程度、連続講座を開催することを計画しております。開催のお知らせは、こちらのほごログや広報かすかべ(7月号か8月号)でお伝えします。

みなさまのご参加をお待ちしております。