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【春日部版】古記録にみる感染症への対応の歴史

昨今、新型肺炎の対応・対策をめぐり、日本だけでなく、世界中の人たちが動揺しています。皆さんの日常生活でもさまざまな影響がでているのではないでしょうか。

職業柄、こうした出来事があると「はて、昔の人たちはどうだったのかな?」と気になってしまいます。

今回は、春日部市域に伝わる感染症の流行をめぐる古記録から、先人たちがどのように「病」と対峙していたのかを紹介してみたいと思います。

その古記録とは、市指定有形文化財にも指定されている「長久記」です。「長久記」は、江戸川の河岸場として栄えた西宝珠花の薬種問屋「堺屋」(さかいや)の家の記録で、西宝珠花で起こった諸事件や日常生活について記述されています。

「長久記」には、「麻疹流行記」と題される幕末の文久2年(1862)の記事があります。内容は次の通りです。

文久2年4~5月、江戸で麻疹(はしか)が流行し、西宝珠花では7月上旬からはやり始め、流行当初よりこれまでの麻疹とは異なり、症状が極めて強いものだった。

堺屋では、7月17日に家人が患い、はじめは寒気を感じ、次いで発熱、嘔吐、下痢の症状がつづき、食事は3~4日間、まったくとれなかった。

久喜町に遣いに出していた家人も麻疹に罹ったため、当主の堺屋安右衛門は夫婦で看病に訪れ、薬を与え、便の世話もした。また、快方を願って、「御嶽講」(みたけこう)を信心し、久喜町の講中にも頼み、水行(すいぎょう)をした。

世間では、麻疹のあと皮膚病になったり、吹き出物ができることが多かったが、家人たちは翌年の春には徐々に回復した。

麻疹が流行していた期間には、薬種問屋であった堺屋では薬は品切れになるものもあり、江戸から薬をたびたび取り寄せました。薬が不足したため町の若衆たちは麻疹で臥せてしまった。

9月下旬になると、ようやく麻疹は鎮まったが、閏8月には「コロリン」(コレラ)が流行し、18~23歳くらいの男女が多く亡くなった。特に妊婦が多く亡くなり、江戸川対岸の木間ケ瀬村(現野田市)辺りでは、夥しい人たちが亡くなった。西宝珠花では、町で牛頭天王を出し、氏子一同で信心し、厄を払った。

 

以上が「長久記」の記述です。薬種問屋による記述であるため、症状等が細かく記されるとともに、西宝珠花で治療薬が不足したこと、疫病の鎮静を願って、地域の神仏を信仰したことなどが記録されています。

春日部市域では、町場として人口が密集していた粕壁宿、西宝珠花に疫病の神である牛頭天王が祭られていました。また、疫病退散のために舞ったともされる獅子舞が各地に伝わっています。身を清め、神仏を信心することが、前近代の人々の疫病を防ぐ一つの対策だったのかもしれません。 

先人たちの感染症への対策をみると、正体不明の病が流行し、様々な噂や情報が飛び交うなかでも、病人の看病に努めたり、薬を取り寄せたり、神仏にお願いをしたりと、当時の生活習俗のなかで「やるべきことはやる」強かな姿勢が貫かれていたことがわかります。

ひるがえって、こんにちにおいても、生活者を不安に陥らせるようなデマや流言飛語が飛び交い、先行きが見通せない日々が続いています。先人に学び、私たちも、病やデマに対して毅然とした態度をとり、集団感染を防ぐ日常の予防に努めたり、咳エチケットを守ったり、不要不急の外出は避けたりと、「やるべきことはやる」を徹底すべきではないでしょうか。そうした日々の積み重ねが、流行病の終息につながるのかもしれません。

【速報】神明貝塚が国史跡に指定されました!!+巡回展示のお知らせ

令和2年3月10日付の官報において、神明貝塚を国史跡として指定されたことが告示されました。つまり神明貝塚は正式に国史跡となりました!!もちろん春日部市としては初の国史跡指定となります。

 

多くの皆様のご理解とご協力があってこそ、国史跡への指定が実現したものだと思います。改めて感謝申し上げます。

 

また今後は神明貝塚の特徴や価値を全国に向け発信できるよう、展示や講演、環境整備を行っていきますので、更なるご理解とご協力をお願いします。

 

また先日まで埼玉県立歴史と民俗の博物館に貸し出をしていた、”貝塚のジオラマ”や土器などが返却され、郷土資料館では市指定文化財の「堀之内式組合せ土器」などがご覧いただけます。

 

さらに、お休みをしておりました神明貝塚の巡回展示が現在、豊春地区公民館で開催されています!巡回展示記念の講演会も予定されております。コロナウィルスの影響もありますので、無理のない範囲で、ご覧いただければと思います。

巡回展示の様子

 

 

ほごろぐのデザイン更新

ほごログは、春日部市視聴覚センターのシステムを利用して、皆様にお届けしています。

このたび、機器等の入れ替えにより、ほごログのデザインも一新されました。

ご覧いただくにあたり、今までと違うページが表示されたりするなど、ご不便をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします。

なお、以前からご要望の多い「文字の大きさ」については、画面右上のボタンから「大・中・小」が選択できますので、お好みのものをご利用ください。

「背景色」、「行間」も調整可能です。

【お知らせ】文化財公開の中止

 広報かすかべ3月号「かすかべ今昔絵巻」で紹介いたしました、仏教美術の優品であります一ノ割『圓福寺』所蔵の市指定文化財を公開する「圓福寺まつり」は、新型コロナウイルスの感染防止のため、4月5日(日)の開催が中止となりました。
 年1度の機会を楽しみにされていた方や関係者の皆さまには広報紙で広くご案内したにもかかわらず、申し訳ありませんでした。
 来年、同時期での開催となりますので、ぜひ、満開な桜の季節に足をはこんでみてはいかがでしょうか。


▲厨子入木彫釈迦涅槃図は代表的な文化財。
一般的な涅槃図は絵画だが、一点ずつ細部に
まで彩色が施された彫刻による仏教美術です。

♪今日は楽しい雛祭り~春日部と雛人形

春日部界隈で雛人形というと、人形の生産地の岩槻や越谷に話題が集まりがちですが、実は古くから春日部も雛人形に浅からぬ縁があるのです。

3月3日は桃の節句、雛祭り。女子の成長と幸せを願って、雛人形などを飾ります。戦前の調査記録『郷土の研究』(粕壁尋常高等学校編)には、旧暦の桃の節句にあたる4月3日に広く雛祭り行事が行われていたことが記録されています。『郷土の研究』によれば、昭和7年ころの雛祭りは次のような内容でした。
・3月28日頃から雛段を設け、分相応に雛を飾り、桃の花等を供える。
・供え物は、草餅、紅白の菱餅、アラレ、白酒など。ほかに、赤飯、五目飯、けんちんうどん等も馳走する。
・初節句には、親類近所の子供たちを呼び、馳走し、親元からは親王様・内裏様などの雛、親戚にも簡単な雛をお祝いとしてもらい、返礼として草餅・赤飯を贈る。
・初節句のほかは、家内だけで雛祭りのお祝いをする。
・4月5日に雛段をばらし、雛の箱には虫除けに草餅を入れてしまう。

以上は、昭和7年ごろの粕壁の町場の雛祭りで、農村や現在とは多少様子が違うのかもしれません。郷土資料館でも、季節展示で様々な手作りお雛様を飾っています。
写真:季節展示ひなまつり

ところで、伝統的な雛人形って、何でできているか知っていますか?
その答えが今回の本題の「雛人形と春日部の浅からぬ縁」と関係します。

ものにもよりますが、雛人形の頭や手足は、桐塑(とうそ)と呼ばれる練り物でできているものが多いそうです。この桐塑は、桐のおが屑と正麩糊(しょうふのり)を練ってつくります。弾性と粘着性があり、可塑性に優れ、乾燥すると木材同様に彫刻ができることから、細かい造形表現を可能にする素材として使われました。桐塑でできた人形は、整形したあと、胡粉(ごふん)が塗られ、和紙や布が貼られるものあるため、桐塑の生地面がみえなくなっています。

実はこの桐塑の原料の「桐のおが屑」こそ、春日部の地場産業の桐箪笥・桐小箱の製造過程で生じたもので、雛人形制作が盛んな岩槻や越谷の人形職人は、桐箪笥・桐小箱職人が出したおが屑を活用し、桐塑に加工して人形を生産しているのです。現代風にいえば、産業廃棄物を再利用する究極のリサイクルといったところでしょうか。
郷土資料館にも「桐のおが屑」がありましたので、参考まで少々ピンボケの写真を載せておきます。
写真:桐のおがくず
また、桐小箱は、雛人形を収納する箱としても用いられました。
もちろん、岩槻や越谷でも桐工芸産業は盛んでしたが、近隣の様々な地場産業が絡み合いながら、伝統的な地場産業が今も息づいていることがわかります。春日部近隣の雛人形は、もしかすると、人形の頭や手足、収納の箱などは春日部由来かもしれません。

国土地理院の地図の利用

歴史のことを調べる際に、地理情報はとても重要です。
最近では、インターネット上の地図も非常に使いやすくなっており、日本のみならず、世界中の詳細な地図を簡単に見ることができます。

ところで、昨年12月に、国土地理院の地図の利用手続きが改正されました。
国土地理院の地図の利用手続(国土地理院サイト)

主な改正点は「申請不要となる範囲の拡大」、「承認基準の見直し」です。特に申請不要となる範囲の拡大により、書籍やパンフレット、ウェブサイトへの地図の挿入が、出典を明示することのみで可能になりました。

国土地理院の地図は、インターネット上では地理院地図から利用できます。また、地理空間情報ライブラリーには、様々な地理空間情報がまとめられています。
地図を見ながら、さまざまな歴史上のできごとに思いをはせてみませんか。

【お知らせ】3月のイベントは中止します

春日部市郷土資料館では、新型コロナウイルスの感染防止のため、3月に予定されていた、以下の各種イベントを中止することになりました。

・3月1日(日) 古文書勉強会 中止(今後の予定については参加者の方に書面で通知します)
・3月14日(土)・28日(土) 古文書講座(初級・中級) 延期(今後の予定については参加者の方に書面で通知します)
・3月21日(土) ミュージアムトーク 中止
・3月22日(日) 体験ワークショップ 中止

楽しみにされていた方や関係者の皆さまにはご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

南桜井小学校「伝統芸能クラブ」発表会

2月18日(火)、南桜井小学校ではクラブ活動の成果を発表する”クラブ発表会”が行われました。
4月から伝統芸能クラブでは、県指定無形民俗文化財『西金野井の獅子舞』を伝承する西金野井獅子舞保存会の皆さまの指導により、夏季の地元神社の祭礼や地域のお祭り、そして市主催の民俗芸能公開事業など、様々な機会で地域の宝である獅子舞に一生懸命、取り組んでいただきました。
 4年生4名、5年生7名、そして6年生6名の総勢17名で獅子舞の舞手、巫女役、そしてお囃子の笛役と、3つの役割をこなしていただきました。

▲三匹獅子による力強い「芝舞」。西金野井の獅子舞で最も基本的な舞。
5年生を中心に堂々とした獅子舞が披露されました。

▲太夫獅子が模造刀を携え、地域の家内安全・五穀豊穣を祈願する「辻きり」。
舞の所作と共に由縁を理解した上で舞ってくれました。
 お囃子の笛役も子供たちだけで2曲をとおして吹くことができるようになり、保存会会長さんも目を細めて見守ってくれました。
当日は来年度にクラブ活動に新たに加わる3年生が中心に見学され、真剣な表情で先輩たちの舞に見入ってくれました。引き続き、多くの児童が参加されること、期待しております。
保存会の皆さま、そして校長先生、教頭先生、顧問の先生、地域の舞の後継者養成に取り組んでいただき、ありがとうございます!

 

【くらしのうつりかわり展】手回し洗濯機

現在開催中の「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」に展示している「手回し洗濯機」は、昭和32年(1957)ごろ、群馬県の林製作所から発売された「カモメホーム洗濯機」です。
使い方は、球体の洗濯槽部分に、乾いたままの衣類などをつめ、洗剤を溶かした熱湯を注ぎ、ゴムパッキンがついているふたを閉めます。ふたにより洗濯槽内部は密閉され、ハンドルを回転させると、内部に残った空気の気圧が高まって、圧力で衣類の汚れを落とします。すすぎは、お湯を入れ替えて回転させたそうです。
この仕組みは、群馬県の高月照雄さんという方が発明したものです。

ふたを開けるときにポンと音がするので「ポン洗濯機」とか、ソ連の人工衛星「スプートニク1号」に似ていたので「スプートニク型」と呼ばれていました。

林製作所の「カモメホーム洗濯機」は、同じ時期に発売が開始された電気洗濯機に押され、残念ながら昭和38年(1963)には生産を中止しました。しかし、同様の仕組みを利用した手回し洗濯機は、現在でも販売されており、電気を使わずきれいに汚れが落ちるエコな洗濯機として注目されています。

さて資料館では、3月22日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しております。昔の懐かしい道具や写真を展示し、小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。
ぜひ遊びにいらしてください。

(参考)
(PDF) 板橋春夫「いせさきフロンティア27【 高月照雄 】~魔法のような球体洗濯機の発明者~」『伊勢崎佐波地区景気動向調査NO.33』伊勢崎商工会議所・アイオー信用金庫
豊富郷土資料館のブログ(山梨県中央市)「球形手回し洗濯機について」

手回し洗濯機
手回し洗濯機「カモメホーム洗濯機」

カモメホームウォッシャーのロゴ
「KAMOME HOME WASHER」のロゴ

洗濯槽内部
洗濯機の内部

底面の刻印
底の刻印

郷土資料館体験ワークショップを開催しました♪

令和2年2月15日(土)、郷土資料館展示室で「体験ワークショップ からくり屏風を作ろう!」が開催されました。

春日部の伝説をもとにした紙芝居や、蓄音機によるレコード鑑賞を楽しんだあと、昔のおもちゃ「からくり屏風」を作りました。

裏と表の2面しかないように見えるのに、4種類の絵柄が出てくる不思議な屏風に、参加した子供たちは大変喜んでいました。

ワークショップは、小学生までを対象とした、昔の遊びを気軽に体験できるイベントです。事前申込み不要、当日の飛び込みも大歓迎です。
 次回ワークショップは、令和2年3月22日(日)に「ぴょんぴょんカエル」や「紙てっぽう」を作ります。ご参加をお待ちしています。