ブログ

ほごログ

夏季に行われる”伝統芸能”の公開の中止について

 例年、7月第3週目の「海の日」前後には、埼玉県や春日部市で指定されております伝統芸能(無形民俗文化財)が市内各所で公開されております。

 本年につきましては、昨年に引き続き、残念ながら新型コロナウイルスの感染拡大により、やったり踊りや西金野井の獅子舞など、獅子舞や神楽を継承しております6団体の公開が中止となりました。

 

 各団体ともに伝統の舞の継承のため、個人や少人数による自主練習が重ねられております。

コロナ渦の終息後には、賑やかな祭り囃子と華麗な舞の公開がされますよう、もう少し、おまちください!

 

やったり踊り西金野井の獅子舞

【プレ夏季展示第2弾】常設展の桐タンスの解説がグレードアップ!?

7月20日から始まる夏季展示「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展プレ展示第2弾です。今回も夏季展示をハミ出して、常設展に展示中の桐箪笥・用箪笥の解説パネルを更新しました。

写真:常設展の桐箪笥・用箪笥

これまで、常設展示の桐箪笥の解説パネルには、資料名「桐箪笥」と使用推定年代だけ表示していましたが、これを一新。今回の夏季展示の調査で、職人さんや関係者の方に教えていただいた箪笥の見方を踏まえて、キャプションを記述してみました。

写真下段の箪笥は、上段に板戸付きの箪笥、下段には2つ抽斗(ひきだし)の箪笥の二つ重ねの箪笥で、「二つ重ね上開き箪笥」(戸開二重箪笥)と呼ばれています。この形は、近世の草双紙にも描かれるもので、関東地方では近世から明治時代にかけて多く製作されたようです。

画像:二つ重ね上開き箪笥が描かれる近世の版本

この挿絵は、寛政元年(1789)刊『炉開噺口切』(国立国会図書館デジタルコレクションより)に掲載されるもので、武家の屋敷に戸開きの箪笥がみえます。

展示中の箪笥は、粕壁の旧家(商家)から寄贈されたものです。形からみて、幕末から明治時代頃の箪笥だと考えられれます。箪笥は使用される部材によって等級や価格が変わるのですが、この箪笥は厚さ六分(18mm)の板を使っていますが、人目につかない部分は薄い板になっています。こうした製法を「上羽(うわば・上端)」といいます。どこが薄いのかは原物をぜひ見てください。「材をまけて、見栄えがよいように作る」職人のワザなんだと思います。

もうひとつ。箪笥の上に置いている小型の箪笥は、用箪笥(ようだんす)といいます。「ヨウダンス」という言葉は、一部の国語辞典にも掲載される「洋箪笥」(洋服をつるして収める箪笥)と同じ発音・イントネーションでもあり、また製造数も少ないため、「用箪笥」は過去の遺物になりつつあります。用箪笥は「サカ」と呼ばれ、引戸(ひきど)のないものを「一寸サカ」。引戸(ひきど)があるものを「二寸サカ」といい、この用箪笥は七つの抽斗(ひきだし)があるので「七ツ割」であり、製造する職人は「七ツ割一寸坂」と呼んだのではないと考えられます。用箪笥は、桐箱よりも大きく、箪笥や長持(ながもち)よりも小ぶりなため、本箱や硯箱(すずりばこ)とともに「中箱(ちゅうばこ)」ともいわれました。明治時代後期、粕壁周辺には「中箱」製造を得意とする職人「中箱師」が300人もいたといいます。現在は、春日部の特産品の桐製品は、桐箪笥、桐箱に二極化していますが、元来は、箪笥と箱の中間があったようです。なぜ、用箪笥を「サカ」と呼んだのか、わかりませんでしたので、どなたか知っている方がいたら教えてください。

作った職人が違うとはいえ、桐箪笥も用箪笥も、前面がきれいに整った柾目(まさめ)の板材を使っています。柾目とは平行で均質に整った木目のことで、箪笥等の家具に好まれる部材です。一本の丸太からとれる柾目の板は限られているため、希少な部材です。どのように柾目の板をつくるのか、箪笥が作られるのか、これについては夏季展示でも解説するところですので、展示の「予習」として桐箪笥や用箪笥をぜひご覧ください。もちろん、夏季展示の会期中にも展示する予定です。

 奥深いぞ!春日部の桐産業

新収蔵品展のパンフレットを掲載します

春日部市郷土資料館かすかべの宝もの18新収蔵品展パンフレット.pdf(582KB)

7月7日ギャラリートークの様子

7月7日のミュージアムトーク

7月7日(水)をもちまして、「第63回企画展示 かすかべの宝もの18 新収蔵品展」は終了しました。期間中は、多くの方にご来館いただき、誠にありがとうございました。また、資料をご寄贈、ご寄託いただいた方、ご協力者の方に深くお礼を申し上げます。

会期中のイベント、展示解説講座「春日部の板碑」、ミュージアムトークにつきましても、盛況のうちに開催することができました。

通常の日程ですと、当館の企画展示は、日曜日までの会期が多いのですが、今回は、7月7日に春日部で聖火リレーが行われるということで、会期を7月7日水曜日までとしました。聖火リレーも無事行われ、ご来場いただいたお客様の中には、帰りに資料館にお立ち寄り頂いた方もいらっしゃいました。

さて、会期中、展示室でお配りした企画展示のパンフレットのPDFを掲載します。

春日部市郷土資料館新収蔵品展パンフレット.pdf(582KB)

(掲載資料:小流寺縁起、木造小島庄右衛門正重坐像、聖徳太子像、板碑、小学読本巻四、尋常小学習字本、粕壁中学校通知表、粕壁中学校会報、葛飾中学校椅子、上蛭田村高札、南桜井村議会議案、南桜井村報、亀田鵬斎カネコ薬局看板、5玉そろばん、往診用薬箱と道具、一円紙幣、田畑小作取立簿、粕壁町八坂神社祭典記念絵葉書、一般用米穀類購入通帳、1964年オリンピック審判補助員制服、日本オリンピック委員会バッジ、東京五輪ピンバッジ、1964年東京五輪組織委員会参加記念バッジ、1980年モスクワオリンピック公式記念メダル、プリントゴッコ)

 

7月20日(火)からは、「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展を開催します。引き続き換気・消毒等新型コロナウイルス感染症対策を実施しながら開館いたしますので、皆さまぜひご来館ください。

語り出したらキリがない!桐のまち春日部展チラシ

 

【プレ夏季展示】常設展の粕壁宿模型が桐のまちに!?

7月20日から春日部市郷土資料館の夏季展示「語り出したらキリがない!桐のまち春日部」展がはじまります。

画像:展示チラシ

今回の展示は、桐箪笥や桐箱の業者さんに聞き取り調査をし、その成果を紹介し、秘蔵の資料や資料館の収蔵品を展示するものです。調査を進めていく過程で、本当にいろいろなお話しがうかがえ、春日部の桐産業の奥深さが徐々にわかってきました(現在進行形です)。常設展示にも桐箪笥・桐箱が展示されていますが、これまでの展示方法、解説のキャプションは何も説明できていないことを痛感させられた次第です。担当者が思ったのは、「桐のまち」と言われるだけあり、本当に語り出したらキリがありません。ですから、おそらく当館の手狭な企画展示室には収まりきらないでしょう。

ということで、今回の夏季展示では、常設展示にも桐に関連する資料を陳列することが濃厚です。チラシの「展示室をハミ出して桐のまちの魅力をお届けします」とは、これを所以としています。

さて、今回はハミ出し展示の第一弾、展示を先取りした「プレ夏季展示」として、江戸時代の粕壁宿推定復元模型に、桐箪笥や桐箱の職人・問屋がいた地点に表示を立ててみました。

写真:粕壁宿の模型

模型のなかで特に密集しているのが、源徳寺の周辺で三枚橋や新々田と呼ばれたあたり。昭和32年の『商工名鑑』によると箱屋さん、箪笥屋さんが数件集まっています。ここには、老舗の箪笥問屋として島村箪笥製作所が所在します。同店は、創業者の島村忠太郎が大正7年(1918)に粕壁に転住し、箪笥製造と仲買を始めた店とされており、後の島忠家具(島忠ホームズ)の前身にもなります。現在の学校通り沿いに店舗があったことをご記憶の方も多いと存じますが、粕壁における最初の店舗は三枚橋に所在したようです。

このほかにも、日光街道沿いのこの模型の中に確認できる場所に立て札を置いています。桐箪笥職人や問屋の所在地が確認できるのは、明治時代以降となりますので、模型の想定年代とはずれるのですが、いかに春日部(粕壁)が桐のまちであったかがよくわかるのではないかと思います。

皆様には展示の前の「予習」としてご覧いただければ幸いです。もちろん、会期中も展示予定です。

【7/7まで新収蔵品展】1964年東京オリンピック時に使用した横断幕

新収蔵品展は、いよいよ7月7日(水)までです。最終日7月7日には、展示室内の展示解説「ミュージアムトーク」を開催します。開催要項は以下のとおりです。ぜひご参加ください。

◆ミュージアムトーク
日時:7月7日(水)
各日10:30~、15:00~(30分程度)
場所:郷土資料館企画展示室
費用無料、申込不要

みなさまのご来館をお待ちしております。

 

さて、新収蔵品展では、市民の方からいただいた1964年東京オリンピック時に使用した横断幕を展示しております。1964年東京オリンピック横断幕

 この横断幕は、幅約40㎝、長さ約520㎝、オリンピックの5色のライン上に白で抜く形で「WELCOME TO TOKYO 1964」の文字が書かれます。1964年の東京オリンピック時、オリンピックの海外選手の練習会場となった東京大学駒場キャンパス(東京都目黒区)に掲げられたものです。

駒場キャンパスでは、現在もある陸上競技場や野球場、ラグビー場が、全面的に陸上競技の練習会場になりました。またキャンパス内の現在「トレーニング体育館」と呼ばれる施設では、当時はまだめずらしかったウエイトトレーニングをすることができました。駒場キャンパスは、オリンピックによって、スポーツ施設の整備が急速に進められました。

横断幕の特に裏側をみてみると、布にペンキのようなもので5色のラインを引いています。既製品ではなく、手作りの横断幕で海外からの選手を歓迎したことがわかります。 

  

参考

教養学部報第561号 1964年東京五輪と駒場キャンパス(東京大学サイト)

日本のオリンピックを支えた東京大学の施設|オリパラと東大。(東京大学サイト)