ブログ

ほごログ

郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」を開催しました

平成29年12月10日(日)、郷土資料館体験講座「しめ縄を作って新年を迎えよう」が開催されました。
    最初に、半紙を使い紙垂を作成した後、しめ縄本体の作成をしました。2人が両端を持ち、ねじって作成したしめ縄は、新年を迎えるのにふさわしい立派な物が完成しました。
    参加者からは、「手作りのしめ縄は、感激です」「難しかったけど楽しかった」と感想をいただきました。2回目のしめ縄作りは、12月16日(土)に行います(事前申込必)。
講座の様子
全体

不動院の図『新編図録春日部の歴史』からのご紹介29

春日部市小渕にあった不動院は、戦国時代から近世を通じて関八州(かんはっしゅう)の修験宗(しゅげんしゅう、修験道:しゅげんどう)を支配しました。関八州とは、江戸時代までの国である相模(さがみ)・武蔵(むさし)・安房(あわ)・上総(かずさ)・下総(しもうさ)・常陸(ひたち)・上野(こうずけ)・下野(しもつけ)の8国のことで、現在の関東地方にほぼ一致します。また、修験宗とは、山伏(やまぶし)の活動に代表される山岳で修行し悟りをひらく宗教です。
このような不動院は、徳川幕府からも100石(こく)という寺領を認められた大寺院でした。

江戸時代に隆盛をきわめた修験宗は、明治5年(1872)の修験禁止令によって衰退します。不動院は、明治42年(1909)から大正5年(1916)にかけて、東京の砂村(現:江東区南砂)へ移転しました。この砂村の不動院は、昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失し、昭和23年(1948)に正法院(現:東京都台東区竜泉)に合併されました。

今回ご紹介する「不動院の図」は、文政元年(1818)に記された『日光巡拝図誌』という書物に掲載されているものです。不動院入口からの広大な境内地と、巨大な本堂、また小渕砂丘と考えられる山の上には、祠(ほこら)とともに「神変大菩薩(しんぺんだいぼさつ)の祠 役ノ行者ナリ」と記され、最も高いところには修験宗の宗祖である役行者がまつられている様子がわかります。

出典:『日光巡拝図誌』国立公文書館内閣文庫所蔵
「不動院・観音院と円空仏」『新編 図録 春日部の歴史』106ページ

不動院の図

武里小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました

平成29年12月6日(水)午後に武里小学校第3学年が、郷土資料館を見学しました。
児童たちは、カタカナで書かれた小学校の教科書を見て、ひらがなで書かれた今の教科書との違いを発見したり、少し前まで実際に使われていた冷蔵庫や洗濯機など身近な道具を見て、昔との生活の違いに驚いていました。
見学の様子
見学の様子

ちょうど武里小学校が見学している時に、ご年配の方が郷土資料館に来館してくださり、児童たちと一緒に展示を見学して、楽しそうにお話しをされていました。


郷土資料館では、3月18日(日)まで「くらしのうつりかわり―懐かしの暮らしと道具展」を開催しており、昔の懐かしい道具や写真を展示しています。小さなお子様からご年配の方まで、一緒に楽しめる展示となっております。ぜひ遊びにいらしてください。

第7回春日部市民俗芸能公開事業が開催されました。

今年度は、「神楽囃子が聴こえる~榎・倉常・不動院野の共演~」をテーマに神楽囃子を継承する3団体(榎囃子神楽連、倉常神楽ばやし保存会、東不動院野神楽保存会)の方々が素晴らしい神楽囃子を披露されました。
第1部は各団体の神楽を、第2部では3団体が一堂に舞台に上がり、団体ごとにお囃子(五人囃子)をメドレーし、迫力のあるお囃子の音色が会場を包みました。各団体からは小学生の出演者を交え、日頃の練習の成果を発揮し、堂々とした神楽囃子を披露いただきました。通常は地域の祭礼に限って披露される民俗芸能を、舞台で観覧できる貴重な機会ですので、ぜひ来年度には多くの皆さまのお越しをおまちしております。(開催については、広報やホームページでお知らせします。)

【第1部】
榎の神楽

          榎の神楽「天コサンバ」

倉常の神楽
          倉常の神楽「ヒョットコ」

不動院野の神楽
         不動院野の神楽「種蒔き」

【第2部】
お囃子メドレー
             
お囃子メドレー

庄和図書館で作家三上於菟吉展開催中

 庄和図書館のふれあいギャラリーにて、郷土資料館の出張展示を行っております。
 夏季展示「初代直木賞選考委員 三上於菟吉を知っていますか?」展のダイジェスト版です。

展示風景(1)

 展示では、三上於菟吉と夫人長谷川時雨の写真や、於菟吉の代表的な著作など69点を紹介しております。写真は今回初めて紹介させていただくものもあります。また、著作は、一部お手に取ってご覧いただけるものもございます。

展示風景(2)

 小さなスペースではありますが、大正から昭和前期にかけて文壇で活躍した、郷土ゆかりのベストセラー作家である三上於菟吉について、ぜひご観覧ください。
 
 
 会期は12月25日(月)までとなっております。文学ファンの方は、お見逃しなく。

神楽囃子が聴こえる~榎・倉常・不動院野の共演~

いよいよ12月3日(日)「神楽囃子が聴こえる~榎・倉常・不動院野の共演~」と題しまして、第7回民俗芸能公開事業が行われます。
春日部市指定文化財の榎の囃子神楽(はやしかぐら)、倉常の神楽ばやし、不動院野の神楽を一度に見られる舞台となっております。特に3つの保存団体の皆様による「祭り囃子」のリレーが見どころです。
皆様のご来場をお待ちしております。

開催日時:平成29年12月3日(日)13時10分開演(12時50分開場)
開催場所:庄和地区公民館(正風館)大ホール
所  在  地:春日部市大衾307番地1(南桜井駅北口より徒歩8分)
定員:500人
費用:入場無料
申込:不要。直接会場へお越しください。
※駐車場に限りがありますので公共交通機関のご利用をお願いいたします。
第7回春日部市民俗芸能公開事業開催のおしらせ

歴史文化講演会「三峰信仰と関東平野」

本日、三木一彦先生をお招きして、歴史文化講演会を開催しました。
講演のテーマは「三峰信仰と関東平野」です。
講演では、江戸時代に流行した代参講の三峰講の実相、三峰山の眷属数(配札数)の歴史的な変遷、関東地方や埼玉県東部における三峰信仰の分布などを示され、江戸時代には、関東地方のみならず、埼玉東部、そして春日部の人々も、火防や盗難除けなど現世利益の神様として広く信仰していたことを、わかりやすくお話しいただきました。
写真:講演される三木先生
当館所蔵の江戸時代の三峰山のお札や、お札を入れる木箱について、受講者の皆さんに示しながら、お話しいただきました。資料館の所蔵資料について、より深く理解することができました。
写真:お札を紹介する三木先生
個人的にも、お札を入れる木箱が「眷属箱」と呼ばれていたこと、ご著書『三峰信仰の展開と地域的基盤』を拝読させていただき、初めて知りました。

ちなみに、講演にも登場した、元治元年(1864)三峰山の表参道の丁目石を寄進した粕壁宿の国田屋七右衛門は、三枚橋に所在した旅籠屋です。三枚橋というのは、今の市民文化会館あたりになります。今回のお話が、意外に身近なところにリンクしていているんですね。

受講された皆さまからも、とてもわかりやすかったとのご感想を多くいただき、大変有意義な講演会となりました。

足利氏満御判御教書写『新編図録春日部の歴史』からのご紹介28

室町時代、室町幕府は東国支配のために鎌倉府をおき、市域の一部も含まれていた太田荘(おおたのしょう)は、鎌倉府の御料所(ごりょうしょ)となりました。
太田荘花積郷の元荒川、古隅田川には、御厩瀬の渡(みまやせのわたし)が設けられ、慈恩寺(現・さいたま市岩槻区)に、この渡の管理が任されていました。慈恩寺は当時、鶴岡八幡宮(現・鎌倉市)の遍照院頼印(へんしょういんらいいん)という僧侶が管轄していました。

ご紹介する文書は、この渡が、渋江郷(しぶえごう、現・さいたま市岩槻区)の渋江加賀入道(しぶえかがにゅうどう)に押領された際、鎌倉公方(かまくらくぼう)の足利氏満(あしかがうじみつ)が、鎌倉府奉行人(かまくらふぶぎょうにん)の壱岐弾正大夫入道希広(いきだんじょうだいふにゅうどうきこう)に対し、現地におもむき、渋江加賀入道から渡を取り戻すよう命じたものです。永徳3(1383)年4月11日の出来事です。
翌月の5月8日には渡を取り戻し、現地の当事者に引き渡したことを記す文書も別に残っています。

『相州文書』鎌倉郡文書 所収 国立公文書館内閣文庫所蔵
「利根川流域と鎌倉府」『新編 図録 春日部の歴史』50ページ

足利氏満御判御教書写

中学生社会体験事業3日目

本日は社会体験事業の最終日でした。
一日かけて、体験講座「しめ縄づくり」の準備をしてもらいました。
社会体験事業では、準備だけでなく、実際に「しめ縄」を作るまで体験してもらいました。
まずは、稲わらをわらすぐり。
わら細工に不要な葉やわらくずを取り除いていきます。
世間話をしながらの作業で、今時の中学生の流行りがわかって楽しかったです。
もちろん、手は動かしながら。皆さん、真剣に取り組んでいました。
写真:わらすぐり

午前中に松戸市から団体見学がみえたので、昨日と同様に古写真やパネルを説明してもらいました。
写真:団体見学の説明をする中学生
午後は、いよいよ「しめ縄」づくりです。
わら打ちをして、わらを柔らかくしてから、まずは縄ないの練習。
それから、しめ縄を編み込んでいきます。半紙でつくった「紙垂」(しで)をつけて完成。そのあと、輪飾りもつくりました。
写真:しめ縄づくり
みなさんの作った「しめ縄」は大変出来栄えがよかったので、市のHPの体験講座しめ縄づくりのページの写真に使わせていただく予定です。最後は並べて写真にとってもらいました(展示業務の体験ということで)。
写真:中学生の作ったしめ縄と輪飾り
あわただしい3日間、いろいろなことを体験して、大変だったかもしれませんが、最後に楽しかったとの感想を話してくれました。
少しでも、春日部の歴史や文化に少しでも興味をもってもらえたのならば、喜ばしい限りです。3日間、お疲れさまでした。

めがね橋(倉松落大口逆除)『新編図録春日部の歴史』からのご紹介27


八丁目のめがね橋は、正式名称を倉松落大口逆除(くらまつおとしおおぐちさかよけ)といい、春日部市指定有形文化財です。
倉松落は普段は悪水路として、水田の排水を古利根川へ流す役割を担っています。しかし大雨が降ると古利根川の水位が上昇することにより、倉松落に水が逆流し、周辺に被害をおよぼすことから、逆流を止めるために設置されたのが、このめがね橋(倉松落大口逆除)です。

明治23(1890)年の洪水で、もともとあった木製の逆除が流されたため、明治24年6月、工期3か月、工費3,630円で、めがね橋は完成しました。焼しめられた様々な色のレンガで築かれ、また装飾性の高いアーチがその特徴となっています。
川と用水路や悪水路を結ぶ水路を樋門(ひもん)と呼びますが、めがね橋は県内に残るレンガ造りの樋門では、明治24(1891)年4月に竣工(しゅんこう)した越谷市の谷古田元圦(やこたもといり)に続き、2番目に古いものです。ちなみに同じくレンガ造りの樋門である水角地区の五ヶ門樋(ごかもんひ)は、めがね橋の翌年明治25(1892)年竣工で、県内で4番目に古いものとなっています。

めがね橋は、貴重な文化遺産であることから、日本土木学会により、「日本の近代土木遺産」にも認定されています。
現在は、倉松落の水は大部分が庄内古川に流れ、またほかの排水施設が稼働していることから、めがね橋は本来の逆流防止の役割を終え、道路橋として使われています。

さて、めがね橋は、11月18日(土)、午前8時30分からテレビ埼玉の「いまドキッ!埼玉」という番組で紹介されます。当日11月18日は日本土木学会の定める「土木の日」で、県内のほかの近代土木遺産とともにとりあげられます。
ぜひご覧ください。
県政広報テレビ番組 「魅力まるごと いまドキッ!埼玉」サイト

「庄内古川をめぐる苦悶」『新編 図録 春日部の歴史』178ページ