学校長から

令和6年度(3年度より継続)

2学期終業式校長挨拶

おはようございます。

さて、2学期も今日で最後の日となりますね。

今から、校長先生がみなさんの過ごした2学期を振り返って成績を付けてみたいと思います。

まず、学年ごとに行き先は違いましたが、校外学習です。どの学年も実行委員を中心に皆さんは頑張っていました。中でも6年生の修学旅行は、充実した「濃い2日間」となり、校長先生もとても思い出に残っています。他にも、新小オリンピック、市内音楽発表会、ミニバス大会、ふれあい遊び、持久走記録会と、どれも頑張っていました。

ここまでで、もう既に100点満点なのですが、最後に「はなまる」を付けたいことがありました。

それは、4年生の職員玄関や廊下掃除から始まった「ボランティアの輪」です。今では、落ち葉履き掃除やあいさつ運動に、3年生、5年生、6年生と加わり、「ボランティアの輪」が新川小に広がりました。

「自分たちでできること」を「自分たちの頭で考えて」行動できた皆さんは、本当に素晴らしいです!!そして、よくがんばりました。200点!

明日から冬休みですが、校長先生から1つの宿題と3つの注意をします。

よく聞いてください。宿題は、来年の自分の目標を立てることです。

来年1年、どんなことを頑張ってみたいか自分で目標を決めることで、さらに自分自身が大きく成長できると思うからです。

注意する3つは、交通事故、不審者、新型コロナ予防です。

3つとも気をつけてほしいのですが、特に新型コロナ予防については、おとといまで校長先生自身が家族全員陽性になって苦しんだので気をつけてほしいです。去年のことを思い出すと、冬休み明けに一気に流行って緊急事態宣言が発せられたのを覚えています。年末年始で人が集まることが多くなる時期です。健康管理は特に頑張ってください。

では、令和5年1月10日に、いつも通り、校長先生は正門でみなさんと元気に会えるのを楽しみに待っています。

これで校長先生のお話を終わりにします。

良いお年をお迎えください。

11月 全校集会校長の話

新川小学校の皆さんこんにちは。

今月は、132年前に本当にあったお話をします。日本とトルコ共和国の友情の物語「エルトゥールル号」のお話です。よく聞いてください。

 

ドガーン!グワーン!

ギーギリギリギリ!

船底がきしむ音が聞こえました。船が座礁した音です。傾き始めた甲板で、みんなが必死で何かにしがみついています。

「助けてくれーっ!」「もう、だめだ」

大きな波が船を襲い、今にもバラバラになりそうです。

「おい、陸地が見えるぞ!」「どこでもいい。板につかまって岸まで泳げ!」

ザバン!ザバーン!

荒波にもまれ、岩に当たり、服は破れ、けがもしました。

それでも、5人、10人と少しずつ浜に泳ぎ着きました。

時は明治時代。1890年9月16日。船の名前はエルトゥールル号。日本との友好行事を終えたトルコ共和国の使節団は横浜を出発し、家族の待つトルコへと向かいました。しかし、和歌山県の串本町の沖合で激しい風と波のためにエルトゥールル号は座礁してしまったのです。助かった人はわずかに69名、亡くなった人は580名と言われる大惨事でした。

崖の上から浜辺を見下ろしていた串本町の人々がいました。

「ずぶぬれだし、けがもしとる」
「天狗かの?鼻が高けえの…」

「天狗は山じゃ。海におったなんぞ聞いたことない。ありゃあ、鬼じゃ。赤鬼じゃ。」

「違うよ。多分、南蛮人じゃ。お寺の和尚さんに聞いたことがある。」

「だけんがよう、こりゃあ、はよう皆に知らせたほうがいいの」

沖合の船と浜辺のけが人を一目見るや、一刻を争う事態であることを皆が理解しました。しかし、串本町の人々にとっては初めて見る南蛮人です。少し怖かったけれど、助けることができるのは自分ちだけだと思ったら、ひとりでに体が動いていました。串本町の人々はトルコの人に衣類や芋、卵などを提供して介護し、手厚くもてなしました。その後、助けられたトルコの人々は神戸の病院に移って体力を回復した後、当時の日本の軍艦「比叡」と「金剛」によって無事祖国であるトルコ共和国に帰れたのです。

その後、時は流れて1985年3月17日。エルトゥールル号の遭難事故から95年後のことです。世界では、イラン・イラク戦争という戦争が起きていました。イラクのフセイン大統領は「戦争中に自分の国の上空を飛ぶ飛行機は今から48時間後に無差別に攻撃する」と宣言しました。当時、イランに住んでいた日本人もたくさんいました。しかし、危険で脱出できません。各国の飛行機は自分の国の人を救うので手一杯。日本からの飛行機はパイロットたち乗務員の命を優先するためにやってこれない。

そんな時、救いの手を差し伸べてくれたのがトルコ共和国だったのです。タイムリミットが迫る3月19日。トルコ共和国から救援の飛行機が来ると知った日本人は助かったと安心しました。「でも、どうしてトルコが?」という気持ちを持ちながら空港へ向かい、無事イランから脱出できたのです。トルコの人々は飛行機ではなく、日本人のために電車や車などを使って自分の国へと避難をしてくれたのです。でも、なぜ日本人のためにそこまでしてくれたのでしょう。よくわからずにいたところ、トルコ共和国からコメントが発表されました。「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです。」と。

また、その時、いつ撃墜されるかわからない中を飛行機に乗って助けに来てくれたトルコ人のキャビンアテンダントさんはこう言っています。「95年前、トルコ人は日本人に助けてもらいました。ですから、私たちは日本人を助けるためにこの仕事に携われたことを大変誇りに思っています。」と。

 

日本とトルコ共和国の友情の物語のお話はこれでおしまいです。このお話を聞いて新川小学校の皆さんはどう思いましたか。

今度、学校の中で校長先生に会った時に、ぜひ皆さんの感想を聞かせてくださいね。

音楽部を励ます会 校長の話

音楽部の皆さん、素晴らしい演奏を聴くことができて校長先生は感動しました。きっと本番でこの演奏をやり終えた時には、どの児童も精いっぱい演奏できたという爽やかな表情が顔に満ちあふれていることと思います。

全校児童の皆さんは、音楽部の発表を聞いてどのような感想を持ちましたか。高学年の児童の皆さんは、同じクラスの音楽部の人に直接感想を言ってあげられるといいと思います。低学年の児童の皆さんは、高学年になったら音楽部に入りたいなと思った人もいるのではないでしょうか。

最後になりましたが、練習が大変なときにもあきらめずに部活を頑張っている音楽部の皆さんの素晴らしい発表にもう一度感謝したいと思います。ありがとうございました。

10月 全校朝会校長挨拶

皆さんこんにちは。

今月は、校長先生が小学校2年生だった時の話をします。3才年下の弟が交通事故に遭ってしまった話です。

校長先生と弟といとこの子たち何人かで荒川河川敷に「がまの穂」を取りに行こうとした時のことです。最初に校長先生が道を渡った後、その後についてきていた弟は車にひかれてしまいました。1mぐらい飛ばされてしまったそうです。その時の記憶はもう残っていないのですが、何日か経ってから見た弟の姿は、病院の透明なビニールみたいなもので囲まれたベッドの中でした。お父さんとお母さんはずっと家にいなくて親戚のおばさんに「あなたが一番年上なんだから自分だけ先に道路を渡るんじゃなくて後ろのみんなのことも見なきゃダメなんだよ。」と言われました。

なぜこの話をしたかというと新川小の皆さんに交通事故に遭ってほしくないからですが、それだけではありません。親戚のおばさんの言葉が、校長先生にとってはつらい言葉だったけど、交通事故だけではなくて、どんなことにも通じる言葉だと思ったからです。

「自分のことだけではなくてみんなのことも考えなくてはいけないんだよ。」

賢い新川小の皆さんなら、みんなのことも考えなくてはいけない場面がたくさん思いつくと思います。

(間を空けて終わる)

 それでは、今月も図書の紹介をします。

避難訓練を終えて

避難訓練を終えて校長先生からお話があります。

今日の避難訓練は地震の後に火事が起きて校庭に避難するという内容でした。

火事というと火に焼かれて死んでしまうと思う人もいるかもしれませんが、火より怖いものは煙、ガスです。火事が起きると真っ黒い煙があっという間に広がってしまい、1m先でさえもよく見えなくなります。

そんな時に頼りになるのが避難経路を示す誘導灯です。煙の広がるスピードは人が歩くのとほぼ同じスピードです。ですから、走らずに落ち着いて誘導灯を見つけ、避難するようにしましょう。

誘導灯は、学校にもあるのでわかると思います。皆さんが旅行などで初めて泊まるホテルでは、もしもの時のために誘導灯がどこにあるのか必ず確認しておくようにしましょう。

これで校長先生のお話を終わりにします。