飯中 Now
思い
明日、3年生は青春の1ページを過ごしたこの飯沼中学校を卒業していく。友や学び舎との別れに少しのさみしさを感じると共に、4月からの新しい生活に大きな希望とやる気に満ちた喜びで、身ぶるいしているのだろう。思い出はいつしかセピア色となり、懐かしくもあり、ほろ苦くもあり、切なさやさみしさの入り交じる遠く淡いものとなる。この先、道に迷ったり、困ったときには遠慮などせずに母校を訪ねてほしい。しかし、それは迷い、困ったときであり、元気ならば前だけを向き、疲れたら休んでもいいが、後ろを振り向かずに進み続けなさい。5年後の成人式で旧友や恩師に会うことでしょう。そこには、心身共に健康で、夢に向かって歩み続けている若者になっている君たちの姿を期待します。さあ、明日は卒業式です。3年間の集大成の授業です。在校生と先生方で会場その他の準備を精一杯心を込めて行いました。明日、会場に足を踏み入れたとき、在校生や先生方の思いを感じ取ることでしょう。諸君の立派な姿を期待しています。(3月14日 校長)
卒業式予行、3年生お別れ集会
今日は、来週15日(火)に行われる第40回卒業証書授与式の予行練習を行いました。3年生の態度は素晴らしく、ほぼ完璧と言える動きでした。あとは本番に中学校最後の授業として、魂のこもった態度や合唱をするのみという仕上がりでした。在校生と先生方で月曜日の午後に会場その他の準備を精一杯やります。みなさんの立派な姿を期待しています。
また、今日は予行の後、学年集会が行われ、クイズなどの楽しい企画やリーダーさん達からのあいさつ、そして先生方からの歌とギターやピアノ伴奏の贈りもの、最後に思い出スライドショーなどを楽しんでいました。私は、ステージの発表者と同じくらい、笑顔で楽しんでいる3年生の生徒たちを見ていました。その表情は、卒業や進学の喜びとさみしさの入り交じった、なんとも言えない表情や雰囲気を感じました。春は出会いと別れの季節、3年生、あと2日よろしくお願いしますね。(3月11日 校長)
東日本大震災…あれから11年
11年前の2011年(平成23年)3月11日、午後2時46分、東北地方を震源としたマグニチュード9.0の大地震が発生し、東日本を中心に大きな被害をもたらしました。死者、行方不明者は約22000人にものぼりました。いま中学生のみなさんは当時まだ2歳、3歳、4歳だったわけで、覚えている人も少ないのではないでしょうか。11年経った現在でも、東北地方には、それまで住んでいた家には戻れずに避難所生活をしている方々が38000人もいるそうです。私たちは、この出来事が起きた時に生きていた証人として、これから先も災害の恐ろしさを決して忘れずに、災害に対する備えをし続けていかなければなりません。また、毎年3月11日には、命あることに感謝し、精一杯生きることを誓う日としたいものです。今日は、震災でお亡くなりになられた方々への哀悼の意を表するため、3年生は卒業式予行の後に体育館にて、1、2年生は6校時の始まりに各教室にて黙とうを捧げました。(3月11日 校長)
引き継ぎ集会
本来であれば例年、卒業式に在校生も参列し、お世話になった3年生の先輩の卒業する姿を目に焼き付け、式での態度や合唱などで感謝の気持ちとこれからのエールを送る場とするところではあるのですが、新型コロナウィルスの影響で昨年同様、今年度も在校生の式への参加はなしとなりました。そこで1、2年生の先生方と生徒でお世話になった先輩方への感謝の気持ちを伝えるために動画を作成し、体育館で卒業式の練習をしている3年生の姿を教室で見せてもらい、代わりに1、2年生からのお礼のメッセージを見てもらうという企画を立ち上げ、本日実行しました。気持ちのこもった手作りの動画や在校生代表の言葉を3年生も真剣に見ていました。心温まる素敵な時間でした。1、2年生は、3年生から大切なことを引き継ぎましたね。4月から益々がんばりましょう。3年生はいよいよ来週火曜日、卒業式です。最後までカッコよく、心を後輩達に残していってくださいね。(3月10日 校長)
R3 引き継ぎ集会 校長あいさつ(3月10日) ←クリック
大人になる No97
【 立志とは… 】
立志という言葉を聞いたことはありますか。立志とはどんな意味なのでしょうか?漢字から推測すると「志(こころざし)を立てる」ですね。それでは何に対して志を立てるのでしょうか?中国の古い書である論語に次のような一節があります。「吾(われ)、十有五(じゅうゆうご)にして学びに志す」つまり、「私は、15歳の時に自ら学び、身を立てようと決意した」ということです。いままでは義務教育であったから、志そうと、なかろうと学習しなければならなかったわけですが、これからは違います。学ぼうと学ばなかろうとそれは個人の自由です。しかし、学ばないということは、いくつになっても今の君から進歩しないということです。ここでいう「学ぶ」とは、もちろん教科書の勉強だけではありません。人との接し方、社会がどの様に成り立っているのかなど、たくさんの事をこれから学ばなければならないのですが、それらは全て、自分から学ぼうとする意志がなければ学びは成立しないのです。
3年生は、もうすぐ義務教育が終わり、「大人になる」わけですから、いつまでも「子供」ではいけないのです。小さな子供が無邪気にじゃれあって遊んでいるところは可愛く、微笑ましいものですが、大人は決してそんな事はしません。よって君達もこれからは、何をやっても見捨てられずにいた子供時代からは別れを告げて、自らの責任のもとに行動しなければならないのです。言葉遣いや服装も全て大人としての在り方を求められるのです。さあ、今こそ志を立てよ、飯沼の若人たちよ。(3月9日 校長)