かすかべの人物史

かすかべの人物史

人名 三上 於菟吉
事績 明治24年3月中葛飾郡桜井村(現春日部市)に生まれる。粕壁中学卒業後、早大英文科に入って中退、文筆生活に入る。大正14年に時代小説『敵討明双紙』をあらわし、小説家としての地位を確立。作風は正義観を中心にえん色をまぜた傾向のもので『淀君』・『清河八郎』などが有名だが、中でも『雪之丞変化』は代表的作品。晩年、幸松村(現春日部市)へ疎開し、昭和19年2月病没した。54歳。夫人の長谷川時雨女史も女流文学者として有名である。
ゆかりの資料等
人名 加藤 楸邨
事績 人間探求派と称される俳句で知られる俳句雑誌『寒雷』を創刊・主宰した。昭和4年(1929)から昭和12年(1937)旧制粕壁中学校の教員時代、俳句を作り始め、俳人の水原秋桜子に師事、楸邨俳句の出発点を過した。
ゆかりの資料等
人名 岩井 弥一郎
事績 洋画家。床屋を営みながら独学で大正12年(1923)の新光洋画会展に初入選。帝展審査委員の牧野虎雄に師事し、帝展にもたびたび入選し「理髪師の画家」として知られる。昭和21年(1946)には旺玄会を起こし、昭和26年(1951)には一線美術会を設立し、門人の指導にあたる。概ね自然な写実描法で、静物画を得意とし、日展の審査委員や評議員を務めた。
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