かすかべの人物史

かすかべの人物史

人名 岩井 弥一郎
事績 洋画家。床屋を営みながら独学で大正12年(1923)の新光洋画会展に初入選。帝展審査委員の牧野虎雄に師事し、帝展にもたびたび入選し「理髪師の画家」として知られる。昭和21年(1946)には旺玄会を起こし、昭和26年(1951)には一線美術会を設立し、門人の指導にあたる。概ね自然な写実描法で、静物画を得意とし、日展の審査委員や評議員を務めた。
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人名 加藤 楸邨
事績 人間探求派と称される俳句で知られる俳句雑誌『寒雷』を創刊・主宰した。昭和4年(1929)から昭和12年(1937)旧制粕壁中学校の教員時代、俳句を作り始め、俳人の水原秋桜子に師事、楸邨俳句の出発点を過した。
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人名 栗原 伝三郎
事績 独学で和算を学び「近道流算術師」と名乗り、近隣の子供たちに算術を教える。明治初期に行われた地租改正では、土地の測量にあたり、測量図面3部16冊を作成。
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人名 小島 正重
事績 江戸幕府の「関東郡代」伊奈忠治の親戚にして家臣。通称庄右衛門。埼玉県東部地域の天領を治めていた伊奈忠治は、三代将軍徳川家光に江戸川の開削を奏上し、寛永17年正月、農閑期の農民を動員し、開削工事を実施した。これにより、近隣の耕地開発が可能となったため、正重は、主君伊奈忠治に進言し、下総国葛飾郡庄内領(現幸手市・杉戸町・春日部市・松伏町)の新田開発を主導した。晩年は現在の春日部市上吉妻の地に小流寺を建て閑居し寛文8年(1668)死亡。小流寺に墓がある。
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人名 豊田 三郎
事績 小説家。旧制粕壁中学に入学し作家を志望、卒業後、旧制静岡高校、東京帝国大学文学部に進み、作家となる。雑誌『行動』の編集長を務め行動主義文学の旗手として157編の作品を残した。妻は歌人の森村浅香。作家・森村桂は子。
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