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修善寺・熱海温泉紀行『新編図録春日部の歴史』ーその69
明治16年(1883)4月、当時の下柳村に住んでいた染谷保次郎さんは、伊豆の修善寺、熱海まで、旅行をしました。その際の記録が、『修善寺・熱海温泉紀行』です。郷土資料館で保存している資料は、後年の明治25年に書き写されたものです。
『修善寺・熱海温泉紀行』には、約1か月の行程が詳細に記されており、下柳から粕壁を経て、馬車、人力車、鉄道を乗り継いで伊豆に行った交通事情の様子がわかります。
当時、浅草から宇都宮間には1日3便、旅客10人の馬車が運行されており、浅草と粕壁間の運賃は一人63銭でした。
『修善寺・熱海温泉紀行』春日部市郷土資料館
「宿場町粕壁と交通の変容」『新編図録 春日部の歴史』160ページ
『修善寺・熱海温泉紀行』には、約1か月の行程が詳細に記されており、下柳から粕壁を経て、馬車、人力車、鉄道を乗り継いで伊豆に行った交通事情の様子がわかります。
当時、浅草から宇都宮間には1日3便、旅客10人の馬車が運行されており、浅草と粕壁間の運賃は一人63銭でした。
『修善寺・熱海温泉紀行』春日部市郷土資料館
「宿場町粕壁と交通の変容」『新編図録 春日部の歴史』160ページ