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【歴史文化講演会】消えゆく町の記憶をたどる

令和元年11月10日(日)、大川明弘先生をお迎えして、古地図から明治期の粕壁地区の歴史を読み解く講演会を開催しました。
写真:歴史文化講演会の様子
大川先生は、現在、昭和30年代の粕壁の町並みを復元するため、地元粕壁の方々に聞き取り調査をされておられます。今回は、その成果も踏まえ、古地図やさまざまな文献を合わせながら、粕壁が「近代化」を遂げ、また町の人々がそれを主体的に受け止め、町を発展せしめていった明治時代の歴史を、楽しくわかりやすくお話しいただきました。
写真:地図を説明する先生
担当者が個人的に重要だと思ったのは、近世以来粕壁には白木綿の仲買商が多かったことに着目されたことです。
先生のご指摘に触れた後、手元の近世史料を確認したところ、「木綿糸幷綿類商」や「綿屋」などの白木綿糸買継ぎ商の存在が確認されますし、近隣の藤塚村には農間に「晒渡世」をする者、備後村には「紺屋渡世」の者もおりました。また、粕壁の町中でもわずかな手作畑に野菜とともに木綿を栽培する者や、農間渡世として女性は機織りをしていたという記事も確認されますし、時代は下りますが、かの加藤楸邨も「棉の実を摘みゐてうたふこともなし」と昭和初めの粕壁の風景を句に遺しており、畑がちの粕壁では木綿作が広く行われていたようです。
産業の「近代化」による町中の業態の変化については、今後詳しく検討していく余地がありますが、近世以来の木綿商の存在に着目されたことは、通説的に語られてきた「粕壁は麦わら帽子・桐箪笥の町だ」とか「米問屋が多い」といった従来の町のイメージを改め、より多彩に描いていくきっかけになるのではないでしょうか。

最後に、来場者から様々なご質問やご意見が飛び交いましたが、先生は来場者のみなさんに「私たちの記憶を遺していくために、皆さんご協力いただきたい」と呼びかけ、今後の調査の協力を仰ぎました。
写真:大川先生
日々変わりゆく町の姿、つい最近の町並みですらも、私たちの記憶の奥底に眠り、いつしか消えてしまいます。消えゆく町の記憶をたどり、それを遺し、未来に伝えていく取り組みの重要性を痛感させられた、大変有意義な講演会でした。