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2024年8月の記事一覧

校長ブログNo148災害に備えて(9月1日「防災の日」を前に)

九州に上陸した台風10号。気象情報によると、今後、東に向きを変え、ゆっくりとしたスピードで日本列島を縦断する予想です。

懸念されるのは9月2日(月)第2学期始業式当日の登校についてです。昨日8月29日(木)の段階では、台風の進路予想が不確定でまだ様子を見ているところです。決定次第、メール配信でお伝えします。今しばらくお待ちください。ご理解をお願いたします。

最新の台風情報はこちらから

https://tenki.jp/bousai/typhoon/2410/

さて、折しも9月1日は防災の日です。101年前の、1923年(大正12年)9月1日午前11時58分に関東大震災が発災しました。

1995年(平成7年)1月17日の阪神淡路大震災に始まり、

2011年(平成23年)3月11日「東日本大震災」

2016年(平成28年)4月14日・16日「熊本地震」

2024年(令和6年)1月1日「能登半島地震」 

そして2024年(令和6年)8月8日宮崎県日向灘を震源とする南海トラフ地震臨時注意情報(横芝光町は対象地域に該当)と大きな地震が各地で起きています。風水害、浸水害等、地理上の特性から海岸や河川沿いに位置する本校学区エリアは、日頃から災害と向き合って生活していかなければなりません。

本校でも、毎年、「危機管理マニュアル」の作成と定期的な見直しを行っています。特に、地震、火災、風水害等想定される災害への対応や、定期的な避難訓練の実施を行っています。また、大雨警報や暴風警報など気象警報発令時の登下校については、校長会と町教育委員会と検討を重ね、7月に保護者様あてに通知しました。「引き渡し訓練」については、5月の運動会終了後に皆様のご協力のもと行われましたが、今後も、災害を教訓に危機管理意識を高くもちながら進めてまいります。

以下、防災に向けた行政の取組や広報のホームページを紹介しますので参考にしてみてください。

マイ・タイムラインとは(国土交通省HPより)

「マイ・タイムライン」とは、住民一人ひとりのタイムライン(防災行動計画)であり、台風等の接近による大雨によって河川の水位が上昇する時に、自分自身がとる標準的な防災行動を時系列的に整理し、自ら考え命を守る避難行動のための一助とするものです。 その検討過程では、市区町村が作成・公表した洪水ハザードマップを用いて、自らの様々な洪水リスクを知り、どの様な避難行動が必要か、また、どういうタイミングで避難することが良いのかを自ら考え、さらには、家族と一緒に日常的に考えるものです。

★ 洪水・土砂災害には 横芝光町防災マップ

https://www.town.yokoshibahikari.chiba.jp/uploaded/attachment/27749.pdf

★ 津波には 横芝光町防災マップ

https://www.town.yokoshibahikari.chiba.jp/uploaded/attachment/27750.pdf

ハザードマップポータルサイト(白浜小学校を中心に)

https://disaportal.gsi.go.jp/hazardmap/maps/index.html?ll=35.62821,140.531874&z=14&base=pale&vs=c1j0l0u0t0h0z0#disasterRiskPopup

千葉県民だより8月号「作ってみよう!」マイ・タイムラインより

▼千葉県民だより8月号2面に上記の図を含んだ資料が掲載されています。

https://www.pref.chiba.lg.jp/kouhou/kenmindayori/r6/r6-8/tayori-2.html

校長ブログNo147 夏の思い出アルバム(その1)

まずは非常に強い台風10号情報から。予報がしにく迷走台風。徒歩並みのゆっくりとしたスピードで、九州上陸後、進路を大きく東に変えて日本列島を縦断しそうです。気象庁も警戒を呼びかけています。関東地方にも影響大と予想される台風10号(サンサン)の最新情報はこちらから

https://tenki.jp/bousai/typhoon/2410/

「二百十日」という言葉をご存知かと思います。立春(今年は2月4日)から数えて210日が経つ頃(今年は8月31日)、台風(野分(のわき)ともいう)が発生しやすく重大な被害を及ぼしやすいという古からの言い伝えで、農業に携わる人たちにとっては警戒する時期にあたります。

台風襲来に向けて備えましょう(政府広報より)

さて、今日は7月・8月のブログに掲載した写真(主に、横芝光町周辺の美しい自然を素材としたもの)を中心に今年の夏をふりかえります。

▼屋上から太平洋方向を望む(白浜小)景色だけでなく、潮騒も聞こえてきます。

▼地曵船(模型)(白浜小)

▼巻網船(模型)(サンライズ九十九里)

▼5年ぶり開催の「しらはま祭り」船神輿

https://www.chibanippo.co.jp/sites/default/files/IP240813shTAN000016000_00.jpg

▼地曳網絵馬 江戸時代(天保14年(1843年))大漁祝に現在のいすみ市玉前(たまさき)神社に奉納された絵馬。令和6年度特別展「万祝博覧会~海をまとう~」は9月29日(日)まで千葉県立中央博物館で開催中。自由研究にもおすすめです。

▼明治時代のイワシ漁の様子(錦絵)

▼匠の技術に感動しました。「万祝(まいわい)」背と裾に吉祥の絵柄や大漁の様子が描かれた漁師の祝い着「万祝(まいわい)」。江戸後期の房総半島で発祥したといわれ、その後大漁などの祝儀として船主から船子や親類縁者へ衣装を贈る文化が東日本の太平洋沿岸に広まった。(千葉県立中央博物館での特別展覧会にて)

▼九十九里 夏の海に夏の青空が映る(木戸浜)

▼九十九里 夏の海と紺碧の空(木戸浜)

▼暑さをしのいで百葉箱の日陰で過ごすカエル。夏休みの猛暑日(35℃以上)は、7月が5日、8月が3日(8月25日現在)(参考:アメダス横芝光の統計による)

▼「カメさ~ん、ゆっくりでいいから安全な場所へ移動してくださいね。」尾垂浜で撮影後、車を出そうとしたところ前方に黒い物体「ニホンイシガメ」を発見。車から降りて撮影し、再び車に乗ろうと振り返ったら、すでに姿はなかった。「逃げ足が速い!!(驚)」そのあと、カニも道路に出てきたが、ものすごい速さで茂みへと入っていった。

▼職員研修で作ったフラワーアレンジメント。みんなちがってみんないい。ゴージャスです。

▼白浜小学校の夏の花。花にとっても厳しい暑さです。

▼いつもステキで美しい横芝光町図書館の花壇の花

▼道の駅「オライ蓮沼」のヒマワリ畑

▼道の駅「オライ蓮沼」から太平洋方向を望む

▼道の駅「オライ蓮沼」かかしコンテスト2024 ▼蓮沼上空を成田空港へ向かって飛行するジェット機

▼台風一過の朝、屋上から見えた夏の富士山(8月17日(土))

▼台風襲来前日の九十九里の海と空(木戸浜)

▼セグロカモメの足あと。浜に打ち上げられた貝類の中身をつついて食べていました。

▼セグロカモメ九十九里(飯岡)翼の色と脚が薄いピンク色であることが特徴。

▼みんな同じ方向を向いています。浜辺にたたずむセグロカモメ九十九里(飯岡)

 ▼成田山不動明王御上陸之地 台風一過の日の朝に(尾垂浜)

▼台風一過の夏空(尾垂浜)

▼台風一過の九十九里(尾垂浜)

▼飛行機雲 紺碧の空に白い一本線 

▼台風が来る前に流木と海(木戸浜8月15日)

▼台風が過ぎ去って流木と海。流木は荒波で15日とは正反対の方向へ打ち上げられていた。(木戸浜8月17日)

▼ハマヒルガオの淡いピンク色が美しい(木戸浜)

校長ブログNo146 わたしを束ねないで

校長ブログNo143 で金子みすゞさん(山口県出身:1903年(明治36年)‐1930年(昭和5年))の詩は、詩人であり作詞家の西條八十(さいじょうやそ)氏に発掘されたことを書きましたが、関連して、先日、戦後を代表する詩人 新川和江(しんかわかずえ)さん(茨城県出身:1929年(昭和4年)‐2024年(令和6年))が亡くなられていたことが8月20日(火)のニュースで大きく取り上げられていました。新川和江さんの詩の師は西條八十氏だったとのことです。『わたしを束ねないで』(1966年(昭和41年)発表)は、中学校(1984年(昭和59年)初掲載)や高等学校の国語科の教科書に掲載されており、みなさんも心に残っている詩だと思います。

1連目を中心に紹介します。(詩の本編は5つの連から構成される。)

わたしを束ねないで

     新川和江

わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂

以下、各連のはじまりの言葉と作者の言葉

2連目 わたしを止(と)めないで わたしは羽撃(はばたき)

3連目 わたしを注(つ)がないで わたしは海

4連目 わたしを名付けないで わたしは風

5連目 わたしを区切らないで わたしは終わりのない文章

そして最後はつぎのようにしめくくられます。

川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

と 読み手に訴えるかのような言葉からは、誰からも束縛されず、信念をもち自分らしく自由に生きたいというエネルギーが伝わってきます。

茨城県出身の新川和江さんは、詩を、戦争中に茨城県に疎開してきた西條八十(さいじょうやそ)氏(東京府(現在の東京都)出身:1892年(明治25年)ー1970年(昭和45年))(代表作:『蘇州夜曲』『青い山脈』童謡『かなりあ』『かたたたき』など)に出会い、師事していたとのことです。西條氏は、薄幸の詩人、幻の童謡詩人とも呼ばれる金子みすゞさんの詩を発掘し、その後さらに矢崎節夫(やざきせつお)氏により再度発掘され、広く知られるようになり小学5年国語科の教科書の掲載に至りました。

 中学校や高等学校の教科書に掲載されていることを考えると、多感な青年期だからこそ感じるものがあります。新川和江氏は、36年間「朝の詩」の選者を続けた産経新聞の取材に次のように答えています「私たちが成人したとき、戦争も終わって男女同権という言葉が叫ばれ、これからは女も男の人と同じように社会に出て、勉強したり働いたりできる時代が来たんだ、という意識はかなり強烈でしたね。」(2015年(平成27年))

参考資料:新川氏が名誉館長を務めている「ゆうき図書館」HPより

新川和江コレクション.pdf

 

校長ブログNo145 ラストウィーク「夏休みスイッチ」

来週月曜日9月2日は第2学期始業式です。この夏休みいかがお過ごしでしょうか。保護者の皆様、地域の皆様ありがとうございます。それぞれのご家庭で子供たちも思い思いの夏休みを過ごされていることと思います。「夏チャレンジ」学校から離れ、また一段と成長した姿で始業式の日に会えることをとても楽しみにしております。いよいよラストウィークです。よろしくお願いいたします。

 さて、ここでもう一度、本校生徒指導担当から児童向けに指導のあった「夏休みスイッチ」を思い出しながら、今年の夏を振り返ってみましょう。

まずは「夏休みスイッチ」から

某TV局人気番組の「〇〇〇〇スイッチ」のようにはじまりはじまり~♪

それではスタート!!「なつやすみスイッチ『な』」からです。

「な」・・・なつやすみを利用して健康診断の結果で治療が必要なところを治しましょう。

「つ」・・・不審な人についていかないようにしましょう。声掛けや誘われても車などに乗らない。

「や」・・・やり残しのないようにしましょう。2学期から気持ちよくスタートできるように準備をしましょう。

「す」・・・すすんで手伝いをしましょう。おうちの人も助かりますよ。

「み」・・・みず(水)の事故に気をつけましょう。また、花火など火の取り扱いにも気を付けて。

 いかがでしょうか。終業式の日、児童と大切な約束をしました。9月2日(月)にお互い、また元気に学校で会うことです。まだ1週間ありますのであせらず、気づいたことは2学期開始に向けて準備をしていきましょう。特に8月31日(土)と9月1日(日)のすごし方は私も十分気をつけて体も心も休めて9月2日(月)にみんなと元気にまた会えるようコンディションを整えていきたいです。

重要事故が起きないことを願って重要

夏休みもラストウィーク。観光地としてにぎわうここ九十九里エリアのほとんどの海水浴場で、今年度の営業が終了しました。今年も全国的にみると、水難事故による行方不明や死亡事故や、山の事故など痛ましいニュースが多く起きています。

また、残念ながら、8月25日(日)現在、交通事故死者数において、千葉県は全国ワースト1位です。死者数の多い順に、千葉県88名、東京都・愛知県86名、大阪府71名となっています。(千葉県警察交通事故日報8月26日付より)。尊い命が失われていることは極めて憂慮するべき事態となっています。特に車を運転する大人にとって、「事故を起こさない」だけでなく、「事故に遭わない」ためにも交通安全をいっそう意識したいものです。交通事故は、道路を利用する一人一人の心がけ次第でなくすことができます。

校長ブログNo144‐2 特別な夏 心熱い夏

特別な夏 熱い夏の第2弾。毎年、感動を与えてくれる全国高校野球選手権大会(今年は第106回)が23日(金)阪神甲子園球場で決勝戦が行われ終了しました。

▼ 8月23日(金)決勝戦(写真は現地観戦した知人による提供)

京都国際高等学校(京都代表)が関東第一高等学校(東東京代表)を延長十回タイブレークの末に2―1で破り、初優勝。両軍無得点のまま延長戦に入った試合は実に35年ぶりとのことで大接戦でした。夜、決勝戦の模様をスポーツニュースで見ましたが、今年も歴史に残る最高のゲームとなりました。2022年度優勝校仙台育英の須江監督の言葉「青春って密なので」のとおり、全ての高校球児から今年も夏の終わりにパワーをもらった感じがします。また、京都国際高校・小牧憲継監督の言葉も、関東第一高等学校・米沢貴光監督の言葉もどちらも心に響くすてきな言葉でした。

野球に関連して...同日(日本時間24日)「40本塁打40盗塁」の偉業を達成したドジャース大谷翔平選手の活躍もすばらしかったです。

▼全国に寄贈された大谷翔平選手からの贈り物(前任校にて開封時に撮影2024年1月)

 本校では児童が休み時間や授業等で使用しています。

 さて、「特別な夏」の最後(第3弾)は...「パリ2024パラリンピック競技大会」です。

8月28日(水)~9月8日(日)の12日間 第17回パリ2024パラリンピック競技大会が行われます。

競技数22競技549種目 185か国が参加 出場選手数:4,400人。日本選手は160人。千葉県にゆかりのある選手は、10競技(陸上競技、車いすラグビー、バドミントンなど)に21人が出場予定です。

千葉県でのパラスポーツの推進について熊谷俊人知事は「障害がある人が身近な地域で障害の特性に合った障害者スポーツに出会える環境、これをパラリンピックを開催した県として、これからも大事に他県に負けず充実していきたい」と述べています。

昨年度(令和5年度)本校で行われた県教委による「パラアスリート等学校訪問事業」の様子はこちらから

https://www.pref.chiba.lg.jp/shousupo/para-sports/para-gakkouhoumon/r5/231020shirahamashou.html

 

校長ブログNo144 ‐1 【お知らせ】第3回講師登録説明会(東上総教育事務所より)

千葉県教育庁東上総教育事務所からのお知らせです。

千葉県の東上総地区で勤務可能な方を募集しています。
◇小・中学校教諭の免許がない方でも、可能な仕事があります。
 幼稚園教諭の免許状、高等学校教諭の免許状だけをお持ちの方も、 小中学校で働けます。ぜひお越しください。
◇教員免許状を取得したが、今まで教壇に立ったことの無い方についても、講師に興味がある方はお越しください。
◇栄養職員の募集も行っています。栄養士の免許状をお持ちの方も、ぜひお越しください。
◇事務職員、スクールサポートスタッフには、教員免許状は不要です。

以下の日程で、講師等についての説明会・登録会を開催します。

詳細はこちらから

https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/kj-hkazusa/kanrika/koushitouroku727.html

校長ブログNo143 カモメは白いと思っていた

海とかもめ

    金子 みすゞ

海は青いとおもってた、
かもめは白いと思ってた。
                      
だのに、今見る、この海も
かもめのはねも、ねずみ色。  
                  
みな知ってるとおもってた、                        
だけどもそれはうそでした。
         
空は青いと知ってます、
雲は白いと知ってます。
                       
みんな見てます、知ってます、
けれどもそれもうそかしら。

海は青色、空は青色、雲は白色...人は生後、視覚が発達するにつれ「〇〇は何色」と物の名前とと色を結びつけながら認識していきます。教科書にも掲載される、金子みすゞさん(本名・金子テル:1903年(明治36年)‐1930年(昭和5年))の詩は、「私と小鳥とすず」に代表されるように、思いやりのあるあたたかい言葉で綴られています。また、「いのち」を見つめる詩も多くあります。

冒頭の詩のように、見る人の心の状況や、環境により本来の色とは違って目に映ることもたくさんあります。海は青という先入観がありますが、このブログでも折々掲載する私が撮った海にもそれぞれ違いがありますし、青とは限りません。私が着任して初めて見た木戸浜の海の色は「黒」。新鮮な驚きでしたから、波の音と共に心に残っています。その後も何度か見た海は、当たり前ですが、いつも違った景色を見せてくれました。金子みすゞさんは、当たり前だと思っていることが実は当たり前ではなかったということに気づき、この詩で「真実」は自分の目で確かめることの大切さについて教えてくれています。そういえば、この夏に訪れた美術展で、鎌倉時代に描かれたという絵に添えられた和歌を思い出しました。

「世の常に見ることは みな違い(たがい)けり 

烏(カラス)の黒く 鷺(サギ)も白くて」

解説パネルには「歌意は難しいですが、目に見えているものだけが真実ではないという何か仏教的な意味かもしれません。」と書かれていました。鎌倉時代は民衆にさまざまな仏教の教えが広まった時代であることは理解していても、妙に謎めていることがその後もひっかかっていたのです。でも、金子みすゞさんの詩を読んだとき、この和歌の意味することと似ているなと感じました。しかも先の和歌が詠まれた鎌倉時代と、みすゞさんがたくさん詩を作った大正~昭和初期の時代と、時代が異なっても感覚は同じであることに驚きます。この夏、九十九里の海で撮影したカモメの写真を改めて見返してみると、写真を撮ったときには気づかなかったことが見えてきます。目に見えているものは実は真実の姿ではない。ものごとの真実を見ることは難しいことをこの詩が改めて教えてくれました。

▼波打ち際のセグロカモメ(飯岡にて)

 

幻の童謡詩人とも呼ばれる金子みすゞさんの詩は、最初、詩人であり作詞家の西條八十(さいじょうやそ)により発掘された。その後、さらに、児童文学作家であり童謡詩人である矢崎節夫(やざきせつお)氏(東京都出身:1947年(昭和22年)~)により再度発掘され、広く知られるようになり小学国語科の教科書の掲載に至った。(教科書掲載初出は1996年(平成8年)です。教師になりたての頃、銚子市で開かれた研修会で矢崎さんご自身から金子みすゞさんの詩との出会いについてのエピソードを伺ったことがあります。)

矢崎節夫氏が館長を務める『金子みすゞ記念館』のサイトはこちらから

https://www.city.nagato.yamaguchi.jp/site/misuzu/

書籍:『海とかもめ』(矢崎節夫・選)

https://m.media-amazon.com/images/I/71S8RRolx+L._SY466_.jpg

過去には、ドラマ特別企画として『明るい方へ 明るい方へ』童謡詩人金子みすゞ(2002年(平成14年)主演・松たか子)や『金子みすゞ物語─みんなちがって、みんないい─』(2018年(平成30年)主演・上戸 彩)などが放映されています。 

校長ブログNo142 花も野菜にも厳しい暑さでした

21日(水)朝、職員全員による草刈りから1日が始まりました。夏の間、伸びに伸びた草を、2週間前に数名の職員が草刈りをし、再び今週から芝刈り機を中心とした草刈りを行い、2学期に子供たちを出迎える準備をしています。

玄関前に教頭先生が種から育てて植えたヒマワリも、8月13日の朝に初めて花が咲きました。閉庁期間中に交代で水やり当番をした職員が教えてくれました。(16日の台風7号で傾いてしまい、とても残念ですが...)2学期が始まる9月2日には満開になりそうです。楽しみにしていてください。今年は昨年以上の厳しい暑さで、作物を育てるにはとても厳しい環境です。テレビでも取り上げられていましたが、7月は高温多雨のため野菜が例年と比較し巨大化し、出荷できない悩みがありました。猛暑の8月はこれから野菜によっては価格が変動する可能性が大とのことです。4年生が育てている暑さに強いと言われるツルレイシも猛暑の影響で実は小ぶりでした。学年の花壇は南側に位置し、1日中強い日差しを浴びる場所にありますが、校舎北側(玄関側)にある花壇は、半日かげになり、マリーゴールドや秋の訪れを知らせるコスモスがきれいに花を咲かせています。ポーチュラカは8月後半に入り少し暑さが和らいだため以前よりも色鮮やかになりました。このように、日直の職員や閉庁期間中は学校近くに在住する職員が交代で水やり当番をしたおかげで何とか花たちも暑さを乗り切りました。私たち人間だけでなく、花壇の草花や野菜の苗にとってもとても苦しい夏だったと思います。

校長ブログNo141 がんばった席書大会

7月22日「第73回千葉県小・中・高校席書大会」の地区審査会がありました。本校からは作品展への参加を希望申し込みした23名の児童が出品しました。

今年の課題は、

小学1年 「たい」

小学2年「つばめ」

小学3年「花たば」

小学4年「竹とんぼ」

小学5年「大きな波」

小学6年「広い海原」

です。各学年の参加児童は課題の字の特徴をしっかりとらえ、家で何枚も何枚もたくさん練習したことでしょう。濃い墨でていねいに書かれた一文字一文字からその様子が伝わってきます。見ごたえある作品がんばりましたね。残念ながら8月2日に行われた中央席書大会への参加推薦はありませんでしたが、「書星会賞」をはじめとするすばらしい賞をはじめ、全員に賞がつきました。おめでとうございます。これからもますますがんばってください!!

出品者全員に賞状が渡されます。近年、賞状もパソコンによる印字が増えてきましたが、今年度から書写に限らず、賞状については、賞・学校名・学年・氏名等、校長が、がんばった児童一人一人に気持ちをこめて揮毫させていただいております。

9月2日(月)第2学期始業式の後の賞状伝達の場で上位入賞者を代表として表彰する予定です。

書写の作品展は年間を通して数々の作品展に出品する機会があります。近年では、パソコンなどの情報機器の発達により、鉛筆やペン、筆などで直接文字を書く機会が昔と比べたら減ってきています。しかし、学校教育においては書写の授業がありますし、鉛筆を使って文字を書くことは日常的に行われていることです。ぜひ、今後もより多くの児童が参加し、上達する機会の一つとしてとらえられればと思います。

 なお、令和6年度席書大会は、​9月1日(日)の千葉日報紙上にて、千葉日報社賞以上の成績が発表される予定です。

校長ブログNo140  処暑(しょしょ)

先週の休日、街を汗ダクダクになりながら「もう限界だ~」と歩いていたら、なにやらかわいいものを見かけました。アヒルが宙に浮いている?!いやいやよく見ると、たらいの中にある大きな氷(たらのかたまり(たらい氷)の上にのっていて涼しそうですよ。たらいには手拭いがかけてあり、前には水の入った桶とひしゃくが...風情がありますねぇ。これは「打ち水(うちみず)」といって暑い夏を少しでも涼しく過ごす日本に古くからある生活の知恵です。これを見たとたん一気に汗がひき、少し元気を取り戻しました。

今日8月22日は二十四節気「処暑」(8月23日~9月7日)

処暑(しょしょ)とは厳しい暑さの峠を越した頃です。朝夕には涼しい風が吹き、心地よい虫の声が聞こえてきます。暑さが和らぎ、穀物が実り始めますが、同時に台風の季節の到来でもあります。先日の台風7号以降、次々と台風が発生し、台風10号(サンサン)の今後の進路が気になるところです。

最新の台風情報はこちらから

https://tenki.jp/bousai/typhoon/japan-near/

これまでにもブログで折々触れてきた7月6日の「小暑(しょうしょ)」、7月22日の「大暑(たいしょ)」8月7日の「立秋(りっしゅう)」を経て、ようやく今日を境に厳しい暑さも峠を越すとの考え方です。昨日、8月21日(水)の朝、出勤するとき初めてエアコンなしで学校まで行くことができました。(窓は開けています。)やはり、確実に秋が近づいていますね。

一昨日、満月(スタージョーンムーン)の夜...

処暑とはいえ、このブログを書き始めた20日(火)の仕事帰りに見た夕方の空の景色からはまだまだ現実味がありません。というのは日中の猛暑の影響で、空にはさまざまな雲が乱舞しており、天気予報では毎日のように「大気不安定」「ゲリラ雷雨」が繰り返し流れ、「暑さにはもう参りました!」という気持ちで帰宅しました。その晩、当初の天気予報が変わり、雷雨もなかったため、私が住んでいる地域では夜はスーパームーンでもある満月をきれいに見ることができました。今日21日(水)も東京都心が数年に1度のゲリラ豪雨であるにもかかわらず、十六夜がきれいに見えています。カメラ撮影の知識がないので、今回は撮影はあきらめ、肉眼で楽しむことにしました。虫の音がずいぶん響き渡るようになりましたが、これからは日に日に大きくなることと思います。そして夜風もやわらかく涼しかったです。確実に秋は近づいているなあと感じながら見る満月はとてもきれいでした。きっとこのブログを読んでくださっている方も、どこかで空を見上げて月をご覧になったことでしょう。昨日紹介した先生からの夏だよりにもあった「たからもの」の1つになりました。

校長ブログNo139シリーズ先生からの夏だより⑦(残暑お見舞い)

今日は、J先生からのなつだよりをお届けします。

残暑お見舞い申し上げます!

2学期を目前にして、宿題が終わっていないと、すごく焦っているそこのあなた!!安心してください。9月1日は日曜日ですよ。

 みなさんは、どんな夏休みをすごしましたか?わたしは、「たからさがし」をしました。みなさんも夏休みに見つけた「たからもの」を教えてくださいね。まだ見つけていない人は、いまからでも間に合います。見つけてみてくださいね。

(ひらがな文)

ざんしょおみまい もうしあげます!

2がっきを もくぜんにして、「しゅくだいが おわっていない」と、すごく あせっている そこのあなた! あんしんしてください。9がつ1にちは にちようびですよ。

 みなさんは、どんな なつやすみを すごしましたか? わたしは、「たからさがし」を しました。みなさんも なつやすみにみつけた「たからもの」を おしえてくださいね。まだ みつけていない ひとは、いまからでも まにあいます。みつけてみて くださいね。

J先生の「たからさがし」という言葉がとてもステキですね。たくさん見つけたのかな?みなさんの中にも、「もう見つけたよ!」という人もいれば、「いやいや、まだまだこれからです。」という人もいるかもしれません。「たからさがし」いい言葉ですね。みなさんにとっての「たから」ってなんだろう。振り返ってみると、今となってはあれも「たからもの」だったかもということがけっこうあります。それは自分にしかない、けっしてお金では買うことのできないものです。まだ時間がありますからぜひ1つでも多くのたからものを見つけてくださいね。

 

校長ブログNo138 人はなぜ月を見上げるのでしょう

校長ブログNo81(6月24日(月))に掲載した6月21日(金)撮影の月。(翌日が満月「ストロベリームーン」だったが雨で見られなかった。)

今日、8月20日は満月。(月の出18時58分 月の入5時6分)
アメリカ先住民たちの間では「Sturgeon Moon(スタージョーンムーン)」と呼ばれるそうです。Sturgeonはチョウザメという意味。アメリカ先住民が五大湖でチョウザメの漁獲が盛んになる頃だからと言われています。また、今回は、最大の大きさで見えるためスーパームーンにもなります。

スーパームーンとは(るるぶKidsより)

https://kids.rurubu.jp/article/157023/

ここまで紹介して...残念なことに天気予報では曇り時々雨(8月18日時点)とのことで、せっかくの満月は見られそうもありません。ということで、8月18日(日)の夜に一足先に月見をしました。時おり雲隠れしましたが、夏の終わりの湿った夜風の中で見る月もよかったですよ。しかし、今回は写真が撮れなかった汗・焦る偶然撮れた前回の写真の設定はどうしたっけ?!悔いを残しつつ帰宅し、大河ドラマ「光る君へ」を見ていたら、主人公の紫式部(劇中では「まひろ」吉高由里子)が藤原道長(柄本佑)と共に満月を見上げるシーン(なんてタイムリー!)

紫式部:「きれいな月... 人はなぜ月を見上げるのでしょうね。」

道長:「なぜであろうな...。」

紫式部:「かぐや姫は、月に帰っていきましたけれど、もしかしたら、月にも人がいてこちらを見ているやもしれませぬ。それゆえ、こちらも見上げたくなるのかも。」

道長:「相変わらず お前はおかしなことを申すものだ。」

紫式部:「おかしきことこそ めでたけれにございます。」

ドラマと共に2回目の月見をしました(笑)

昔と比べたら断然年を重ねた今の方が月を見上げることが多くなりました。「なぜ月を見上げるのでしょうね。」と聞かれたら私だったらなんて答えるかな?自分が生まれる大昔からずっとそして自分の子どもが大人になってもそのさきの未来でも悠大な時の流れの中で変わらず、毎日月は昇り、沈んでいく。同じ空の下で星の数ほどいる人たちが同じようにどこかで月を見上げていることをふと思ったり...その神秘さゆえ月を眺めているのかもしれません。

▼8月18日(日)十三夜を撮影(今回はカメラ設定がうまくできずこれが限界汗・焦る

8月は天文ショーが続きます。私は見なかったのですが、ご覧になられたかたもいらっしゃることでしょう。8月12日深夜から8月13日未明にかけて3大流星群の1つである「ペルセウス座流星群」がよく見られ話題になっていました。YouTubeのLIVE配信やSNS等で今年の様子を見ることができます。このほかにも8月15日は火星と木星が最接近。8月20日~21日にかけて月と土星が最接近するなど話題になっています。晴れた日はたくさんの星が見られるチャンスですね。1学期に4年生は理科の授業で「夏の大三角形」について学習しました。夜風にあたりながら探してみるのもいいですね。

参考 るるぶKids HPより

「夏の大三角・天の川・さそり座の見つけ方!方角や星座の神話も紹介!夏休みに星空観察を」

https://kids.rurubu.jp/article/63562/

 

校長ブログNo137 セミの声にぞおどろかれぬる?!

♪ ジョワーン ジョワーン ジョワーン

♪ ミーン ミーン ミーン

♪ シャワ シャワ シャワ

♪ ジジジジジ ジリ ジリ ジリ ジリ

♪ カナカナカナ

里山や森林に囲まれた公園では、いろいろなセミの鳴き声が聞こえます。「セミの大合唱」と言いますが、みんながみんな元気に鳴いていて、互いのハーモニーを考えているようには思えません。はじめは、うるさいほどにぎやかですが、だんだんと森林の世界に溶け込み、なじんでくるとセミの鳴き声も溶け込んできて心地よく聞こえてきます。 

先々週、昔、セミの羽化を見たことのある近所の公園に行ったら、すごいことになっていました!

(虫が苦手な人は、スクロールしてくださいね。)

土の中から出てきた順番に並んでいるのかな?それとも誰かがいたずらして並べたのかな? 

きれいに整列している「抜け殻」を見てびっくりしてしまいました!

別の場所でも、ほら...

長いことかけて土の中で育ってきた幼虫がいよいよ地上に出てきて...思う存分、短い夏の時間をめいっぱい楽しみ、元気いっぱいに鳴いていることを考えると「歓喜の歌(よろこびの歌)」のように聞こえてきます。森の中を長い時間散歩することが好きだった作曲家のベートーヴェンもときにはセミの鳴き声など聞いたこともあったのでしょうか(笑)なんて冗談はここまでにして...

七十二候 寒蝉鳴 (ひぐらしなく)( 8月12日~8月16日)

「カナカナカナ…」と鳴くヒグラシの声を聞く頃は、夏も終わりに近づいてきたことを感じます。

しかし、実際には夏の始めから鳴いているとか。気温が下がると日中でも鳴き声がよく聞こえるとのことです。森林は太陽がガンガン照り付ける場所と比べたら3~4℃くらい気温が低く、涼しくかんじることもあるからでしょう。どことなく哀愁ただよう感じと秋の訪れを耳で感じます。

今から約1000年も前に詠まれた和歌から(「古今和歌集」より)

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどれかぬる (藤原敏行)

「立秋が過ぎ、秋が来たとはっきりと目にはみえないけれど、風の音で秋が来たんだなぁと、ハッと気づいたことだよ。」という意味です。

過去ブログでも書いたように、立秋(8月7日)の朝、玄関の扉を開けると、風が少し涼しく感じた日もありましたが、7月と比べ、セミの鳴き声もいろいろな種類を聞き分けられることが多くなったことを思うと夏も終わりが近づき、秋の気配を少しずつ感じるようになってきています。しかし、先ほどの和歌が「蝉(セミ)の声にぞおどろかれぬる」だとちょっと興ざめしてしまいますね。「風の音にぞおどろかれぬる」まではもう少し時間がかかりそうですが、ぜひ、五感で季節の移り変わりを感じる感覚を大切にしたいものです。

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声    芭蕉 

校長ブログNo136シリーズ先生からの夏だより⑥(残暑お見舞い)

夏休みもいよいよ残り2週間あまりとなりました。

この赤いものは なんでしょう?

そうです。郵便(ゆうびん)ポストです。

でも、ふだん見る郵便ポストとはちょっと変わったデザインをしていますね。

では、ここで問題です。「これは、どこにあるポストでしょう?」

(ヒント:ポストの上の建物をよく見てみよう。正解は最後に)

 

♪この赤い赤いポストは 君んちへとつながっている

 もっといえば きみの心の中につながっている 『虹色ラブレター』より

 

ということで...今日も、先生からみなさんにお手紙が届きましたよ。

I先生からの夏だよりをお届けします。

残暑お見舞い申し上げます

暑い日が続きますが、お元気ですか?

暑くてなかなか外に出ることも大変なので、私は家の中で夏らしいことをしました。

縁日ごっこです。「りんごあめ」「チョコバナナ」「かき氷」「フライドポテト」をおうちで作ってみました。残念ながら、りんごあめはお店みたいにパリパリになりませんでした。またチャレンジです!

みんなも「やってみたいな。」と思ったことはお休み中にやってみてください。

また白浜小のみんなに会えるのを楽しみにしています。

(ひらがな文)

ざんしょおみまいもうしあげます

あついひが つづきますが おげんきですか?

あつくて なかなか そとに でることも たいへんなので、わたしは いえの なかで なつらしいことを しました。 えんにちごっこです。

「りんごあめ」「チョコバナナ」「かきごおり」「フライドポテト」をおうちで つくってみました。 ざんねんながら、りんごあめは おみせみたいに パリパリになりませんでした。 またチャレンジです!

みんなも「やってみたいな。」とおもったことは おやすみちゅうに やってみてください。

また しらはましょうの みんなに あえるのを たのしみにしています。

「縁日(えんにち)ごっこ」ですって!!家の中でできるんですね。アイデアがとてもおもしろいです。きっとご家族や友達も喜んだのでは? 自分で工夫して「猛暑」を乗り切っているI先生、すごいですね!!「りんごあめ」はパリパリにはならなかったようですが、今度作るときは成功するといいですね。フルーツ飴(あめ)はみんなも大好きなんじゃないかな?今度I先生に作り方を教わってみよう!

I先生は料理だけでなく、いろいろなものを作ることが得意な先生です。

みんなも、おうちの人の手伝いや、自分から進んで何か料理をしたり作ったりして食べたり飲んだりしているのかな?料理に限らず、I先生がおっしゃっているように「やってみたいな」と思うことたくさんあるのでは?校長先生もやりたいことはたくさんありすぎて、まだ少ししかできていません。 

ところで、「暑いから」とそれが理由になってあきらめてしまっていることってけっこうありませんか?暑いとそれだけでやる気が起きなくなり、なんだかめんどくさくなってしまいますよね。私はときどき「こんなに暑くなければもっとできるのに~」なんて言い訳をしている自分がいます。そんなふうに過ごしていると、せっかくの夏が終わってしまい、今度は寒い冬休みになったら、「寒いから」が理由になって結局なんにもしないということになってしまいそうです。だから「やってみたいな。」と思ったことは、今のうちにどんどんやってみること。おススメですよ。

最後に、今日のブログで紹介した郵便ポストの問題の答えです。

正解は、JR東京駅にあります。もっとくわしく言うと、「丸の内中央口」の近く(総武快速線の地下ホームから中央線ホームへ乗り換える途中)にあります。しかも、このポストは模型ではなく、本物のポストです。あなたが書いた葉書(はがき)や手紙を投函口(とうかんぐち:手紙を入れる窓)に入れれば、郵便局の人が相手のところへ届けてくれます。これを読んでいるあなたも「残暑見舞い」を書いて出してみませんか?

校長ブログNo135‐2 台風一過 初めて見た富士山

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台風一過 本校屋上から太平洋方向を望む

非常に強い台風7号(アンピル)接近に伴い、昨日は、大雨(浸水害)・暴風警報・波浪警報が発令されました。何よりも安全を優先し、被害を最小限におさえるため、公共交通の計画運休、店舗の臨時休業や営業時間の繰り上げなどが行われました。横芝光町も、突然風雨が強まるなどたいへんだったことと思います。大丈夫でしたでしょうか。

当初の進路予想よりも東方向へと進路が変更になったため、暴風圏内に巻き込まれずに済んだようです。しかし、学校のある沿岸部へ向かうにつれ、雲の量は増え、倒木や樹木が散乱しているところもあり、風雨が強かったことを物語っています。台風が過ぎ去った後は特に危険だと言われています。河川の増水、道路や交通状況などいつもと違いますので、どうか安全に気をつけてお過ごしください。

今朝の時点では横芝駅を通るJR総武本線も佐倉~銚子間は運休でしたが午前10時過ぎに運転再開になったとのことです。

台風襲来の前日(8月15日)、教務主任と風に飛ばされそうなものを格納しました。台風一過の8月17日朝8時頃、教頭と共に学校施設安全確認しましたが、被害もなくホッとしました。

▼特別教室棟の屋上に雨水がたまってしまったため、教頭先生が排水しました。

▼屋上からの眺め。はるか遠くに富士山が!(白浜小からは直線距離で約200㎞離れている)

普通の写真(上段)ではわかりにくいので加工(下段)してあります。

 

 ▼まだいたの~?!台風前日にいた百葉箱の中のカエルも無事でした。

上段:8月15日(台風襲来前日)酷暑で少し弱っているように見えてかわいそうでした困る..

下段:8月17日(台風一過)日かげを好んでいるのでしょうか。今日も残暑が厳しいよ汗・焦る

 

 

校長ブログNo135‐1 海に生きる

校長室に一隻の船の模型があります。

ガラスケースに入った船の模型は「地曵舟」(岩井・作)と書いてあります。初めて見たとき、精巧で緻密な模型に驚きました。また、海に生きるこの白浜にふさわしくすてきだなと思いました。7月28日に行われたしらはま祭りの船神輿にも形が似ています。木札の裏には原寸の20分の1と書いてあります。どのような方なのか気になっていたのですが、本校の職員で知る者はいませんでした。ところが、7月末に研修会場で訪れた国民宿舎「オーシャンビュー サンライズ九十九里」にある会議室に向かうとき、本校にあったものと似たような船の模型があり、よく見たら同じ「岩井・作」とありました。それが次の写真です。

解説には次のように書かれています。

巻網船(あぐり船)

大正中頃から昭和30年ごろまでの間、外房地方から遠く仙台方面に至る太平洋岸で使用された。焼玉機関の普及により樅木の和船も次第に大型となりその姿も変わってきた。巨大な船首、船楼は独特な風格さえあった。昭和の初め、鰯(イワシ)漁獲高日本一を誇った木船も30年に入り資源の枯渇と水夫の不足、港湾施設の不備等によりその数も減り今は全くその影もない。当時建造に従事した一人としてその姿を保存すべく実船を10分の1に再現した。巻網船は二隻の網船で操業されるが、本船は真網(まあみ)と呼ばれるそのうちの1隻である。ちなみにこの船は九十九里地方における最後のものである。 岩井 平成8年7月

サンライズ九十九里は1996年(平成8年)に九十九里町にオープンしました。この模型は開業当初からここにあるのでしょう。まさかここで本校にある船の模型の作者と同じ方が制作された模型と出会うとは思ってもいなかったのでたいへん驚きました。今回、岩井さんが木船の船大工であることがわかり、それだけでもうれしかったです。

また、「サンライズ九十九里」の宿泊棟には、地曵網漁の写真や浜から海で船を出し入れする「おっぺし」(千葉県の方言で「おす」という意)とよばれる様子が写真で飾られています。

九十九里周辺の市町に残されている写真は以下のリンクでも紹介されていますのでご覧ください。

「大網白里市デジタル博物館HP」より

https://adeac.jp/oamishirasato-city/top/topg/iwashi.html

本校の運動会では高学年児童が「ソーラン節」を踊ることが伝統となっています。

また、現在、千葉県立中央博物館において企画展が開かれているのでご紹介します。

詳細は、千葉県立中央博物館「令和6年度特別展 万祝博覧会-海をまとう-」のリンクへ

https://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/exhibition/events/maiwai_2024/

 

校長ブログNo134 シリーズ白浜小学校はあのとき⑧(最終回)「九十九里浜」幻の本土決戦

 

昨日までシリーズでお届けした「白浜小学校はあのとき」今回は最終回です。長きにわたりお付き合いくださりありがとうございました。

▼九十九里浜(木戸浜にて)今では穏やかな白砂青松と謳われる九十九里浜。九十九里浜は本校からも歩いて15分ばかりの距離です。この九十九里浜、今から30年以上も昔、テレビドラマ「ナースステーション」(1991年(平成2年))の主題歌として歌われたMi-Ke(ミケ)の『想い出の九十九里浜』で一躍注目されました。また、2022年(令和4年)には、「ご当地ソングの女王」ともよばれる演歌歌手の水森かおりさんが『九十九里浜』をリリースし、ヒットしました。九十九里浜といえば、千葉県を代表する観光地。この夏も、各地からの観光客でおおいににぎわっています。

平和な時代に想像できないことですが、約80年前、この九十九里浜が戦時中、日本にとって国の存亡をかけた最重要な防衛地帯であったといいます。1944年(昭和19年)南方の絶対防衛圏であった南太平洋上にあるマリアナ諸島のサイパン島が陥落したことを契機に、アメリカ軍がマリアナ諸島を日本本土の攻撃基地とし、爆撃機B29による空襲が激化しました。翌年1945年には、唯一の地上戦となった沖縄で、組織的な日本軍の抵抗が終わり(1945年6月23日)、沖縄本島とその周辺は連合軍により占領されました。しかし、依然として日本軍の抵抗は続き、ポツダム宣言受諾を黙殺した日本政府は、陸軍による「本土決戦」に向けて徹底抗戦をする構えでした。そのため、アメリカ軍は、1946年(昭和21年)春「九十九里浜」と「相模湾」の2方面から首都東京に攻め込む計画だったそうです。日本軍も同様に本土決戦のシナリオをもとに、1944年(昭和19年)から本格的に九十九里浜周辺の防衛を進めていました。最終的に、1945年(昭和20年)8月10日の御前会議で千葉県ゆかりの当時の総理大臣鈴木貫太郎が奏上し、「ポツダム宣言受諾」が決定し、8月15日正午、終戦を迎えることになりました。両軍とも最悪の状況が回避されました。これまでご紹介した回顧録からも、米軍の艦隊が房総半島沖合に出没し、艦載機による機銃掃射や上空で日本軍が交戦していました。当時の白浜村民をはじめ、白浜国民学校の学童たちは恐怖だったことでしょう。仮に本土決戦が起きていたら、新たにおびただしい数の犠牲者を出し、学校そのものもどうなったか想像を絶します。

参照:8月13日付 読売オンラインに関連記事が掲載されていました。https://www.yomiuri.co.jp/national/20240813-OYT1T50056/

こちらも参照

「NHKアーカイブスより」

https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001100588_00000

<クレジット>
番組名 [証言記録 兵士たちの戦争]昭和二十年八月十五日 玉音放送を阻止せよ ~陸軍・近衞師団~
収録年月日 2010年1月30日

千葉県民だより8月号5面「日本を終戦に導いた千葉県ゆかりの内閣総理大臣 鈴木貫太郎」

https://www.pref.chiba.lg.jp/kouhou/kenmindayori/r6/r6-8/tayori-5.html#a5

いつまでも続いてほしいわたしたちのふるさと九十九里

本校学区周辺は、千葉県立九十九里公園に位置します。夏季休業に入り、近隣の大型レジャー施設、道の駅、海の駅、空の駅をはじめ、クラブチームの合宿等、学校の周辺でも他の地域からの観光客や合宿客を目にすることが多くなりました。連日の暑さでどこに行っても多く混んでいます。

<九十九里浜とは> 

九十九里浜は、「旭市(旧飯岡町)刑部岬(あさひし(きゅういいおかまち)ぎょうぶみさき)」から「いすみ市(旧岬町)太東岬(たいとうみさき)」のあいだ66キロメートルの海岸(かいがん)をいいます。

▼刑部岬を望む(飯岡海岸にて)

 <地名の由来>(山武市HPより引用) 

源頼朝(みなもとのよりとも)が太東岬(たいとうみさき)から刑部岬(ぎょうぶみさき)の間(あいだ)を6町(ちょう)を1里(り)とし、1里ごとに矢を立てたところ99本にたっしたことから九十九里(くじゅうくり)とよぶようになりました。

九十九は「きゅうじゅうきゅう」「くじゅうく」のほかに「つくも」とも読みます。

その語源は...

百は「もも」とも読みます。つまり百に次ぐ(つぐ)「ツグモ」が訛り(なまり)「ツクモ」と呼ぶようになりました。

他にも

九十九折り(つづらおり)・九十九湾(つくもわん)・九十九島(くじゅうくしま)のように「多く」「たくさん」をさす言葉です。

詳細は「山武市HP」から子供向けのホームページ「さんむしキッズHP」がわかりやすいのでこちらを参考に

https://www.city.sammu.lg.jp/page/page002161.html 

【千葉県立九十九里公園の概要】(参考 千葉県HP 千葉県の自然公園)
開園 1935年(昭和10年8月9日)の県立自然公園
県立九十九里自然公園
(1)区域:北の旭市刑部岬から南のいすみ市太東岬までの弓状に湾曲した九十九里浜、雄蛇ヶ池、洞庭湖

(旭市・匝瑳市・山武市・東金市・大網白里市・千葉市緑区・山武郡横芝光町・九十九里町・長生郡白子町・一宮町・長生村 にわたる面積 32.53平方キロメートル)
(2)特色:弓状に湾曲した約60キロの砂浜がおりなす海岸景観。海水浴場や、サーフィンとしての利用。
(3)主な見どころ:九十九里海岸、海鳥(シロチドリ、コアジサシなど)、海浜植生(ハマヒルガオなど)、雄蛇ヶ池(東金市)、軍荼利山(ぐんだりやま:一宮町)など

校長ブログNo133‐2 無事過ごせますように!台風7号接近中!!

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台風7号(アンピル)が、あすにも関東に最接近。最大限の警戒が必要です。8月に台風が連続して4つも発生。(5号マリア、6号ソンティン、7号アンピル、8号ウーコン)

どれも同じようなコースをたどっており、一昨日までは予報を見てもどれを見たらいいんだ?と混乱してしまいました。海上で次々に生まれてすぐに来襲。勢力が強く、非常に危険なパターンです。今回は少し東側のコースをたどるとはいえ、2019年(令和元年)9月の房総半島台風と似た進路だそうです。当時の大被害(建物や道路の損壊、浸水、高波、高潮、長期にわたる臨時休校、避難所、断水、停電、食糧や水などの物資の不足など)でたいへんな思いをしたことは記憶に新しいことと思います。例年ですと西から来る台風が東の海上に発生。「ラニーニャ現象」により、高気圧の勢力が強いため関東や東北寄りに台風が上陸する傾向が高くなるとのことです。

鉛筆ラニーニャ現象鉛筆(参照:気象庁ホームーページ)

西太平洋熱帯域の海面水温が上昇し、西太平洋熱帯域で積乱雲の活動が活発となる。 このため日本付近では、夏季は太平洋高気圧が北に張り出しやすくなり、気温が高くなる傾向がある。

鉛筆台風の名前のつけ方鉛筆(参照:気象庁ホームーページ)

一番下の欄「台風のアジア名と意味」の表中、No13~16が台風5号~台風8号に該当します。

https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-5.html

台風だけじゃない。地震、水難事故...落ち着かない夏

台風に限らず、8月8日夕刻、日向灘を震源とする地震は、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が発表され、緊迫しました。この情報を聞いたとき、 今年の元日を思い出しました。1月1日の能登半島地震。翌2日は羽田空港で起きた航空機地上衝突事故。緊迫し不安を抱いた年明けとなったことです。

夏休み中も毎日のように朝からテレビのアナウンサーが「災害級の暑さです!!」「水分補給をしっかりと!」「記録的猛暑」「熱中症警戒アラート厳重警戒!危険!!」などと伝えていますが、最近では聞き慣れてしまった感もあります。しかし、改めて言葉を見てみるとやっぱり異常ですよね。

21世紀以降目立つ 気象に関する流行語・新語

この他にも流行語や新語にノミネートされた気象用語がありました。21世紀(2000年~)以降特に増えているとのことです。

「気象観測史上(はじめての...)(1990年)」

「猛暑日(2007年)」

「ゲリラ豪雨(2008年)」

「爆弾低気圧(2012年)」

「PM2.5(2013年)」

「線状降水帯(2017年)」

「災害級の暑さ(2018年)」

「命を守る行動を(2019年)」

「記録的猛暑(2023年)」

さてさて...2024年 今年はどんな言葉がトレンド入りするか。いずれにしても8月から10月までは災害が多くなる月です。まずは、今回の台風7号接近。緊迫した週末になります(祈るような気持ちです!)が無事過ごせますように。十分気をつけていきましょう。

 

校長ブログNo133‐1 シリーズ白浜小学校はあのとき⑦ 終戦の日に

おはようございます。今日はまずこちらの写真から。木戸の「護国神社」です。同じ敷地内に「忠魂碑」もあります。(「護国神社」はフードショップいちはら様、木戸郵便局の隣に位置します。)

前回の、校章を発案した伊藤貫校長についての回顧録の続きに次のような文章があります。「奉安殿を寄贈されたのは椎名弘氏(消防団長、PTA会長、保育園長として多方面に活躍された)である。奉安殿は戦後学校に置くことができず移転させられた。現在は護国神社として辻(注:実際の「つじ」は、しんにょうは点が1つ)部落に安置されてある。

鉛筆奉安殿(ほうあんでん)鉛筆

戦前の日本において、天皇皇后の写真(御真影ごしんえい)と教育勅語を納めていた建物である。御真影の下賜が始まった時期は、教育勅語が制定された後の1910年代であり、奉安殿の成立もその時期と推測される。また学校への宿直も、この御真影の保護を目的として始められた面もある。日本が第二次世界大戦で敗れた年の1945年(昭和20年)12月15日、GHQの神道指令により奉安殿は廃止が決定。全国の奉安殿を小学校から全面撤去する具体的な指示が出た。

▼戦時中の「奉安殿」と思われる建物(椎名弘氏による寄贈)

No130に掲載した「日曜日の日直も宿直も、二人ずつの勤務に強化され、警戒警報が発令されると、夜中でも職員は出勤し、御真影奉安所の警護と、重要書類の持ち出し、校舎の警備にあたったものです。」といった記述にあるように、当時の教職員にとっては命がけだったことが分かります。

私がこれまで勤務した学校で、学校の隣の敷地に「忠魂碑」が建立されていた学校がいくつかありました。実際に石碑に「忠魂碑」と大きく刻まれていることからもそのことがわかります。ただし、石碑に記載されている内容についてはあまりに細かく、また歳月が経っていることもあり不鮮明なこともあり、読んだことがありません。今回も、この「護国神社」について、ネットで取り急ぎ調べてみましたが、残念ながらわかりませんでした。写真を撮影しに行ったときは、入口に柵があり、立入禁止の状態でした。いつどのような形でここに建立されのか、かつて学校敷地内にあった「奉安殿」が移転されたことなどは「創立100年誌」の手記がてがかりとなっています。戦後79年が過ぎてもなお、このように戦争遺産を目にし、当時の時代を想像するにつけ、今の平和な時代のありがたさを改めて感じます。

これまでシリーズで、白浜小学校に関わる教員や児童の戦時中の回想を取り上げてきました。私の世代であれば、激動の昭和を生きた祖父母の実体験を生で聴くことができました。初めて聞いたのは小学4年生のときです。きっかけは、担任の先生から与えられた夏休みの課題研究のテーマが「戦争について調べる」だったからです。卒業まで同じ担任だったため、その後も同じテーマで続けて取り組みました。最初は「戦争って何?」と何も分からなかったですが、千葉県出身で戦前から東京で生活していた祖母の話は、戦争中の暮らしに始まり、空襲や疎開についていつでも話を聞くことができたのは貴重なことで大変ありがたいことでした。さらに、担任の先生が授業中、実体験に基づいた歴史の話をしてくれたことなどに加え、新聞、テレビ、漫画や本、映画など調べていくうちに知らなかったことを知る楽しさとなり、興味をもつようになりました。今回、「創立100年誌」を読むことにより、これまで知らなかった地域の戦争時代のことを知る貴重な機会になり、たいへんありがたく思っています。 

校長ブログNo132‐2 オリンピックと平和への祈り

17日間にわたる「パリ2024夏季オリンピック大会」(世界206か国と地域から約1万5千人の選手が32競技329種目に参加)が閉幕。終わってしまいましたね。みなさんはどのように楽しまれましたか?推しの選手はいましたか?私はなかなか見る時間がなく、スポーツニュースでダイジェストで観たり、選手の生い立ちを特集している番組を観たりすることの方が多かったです。

日本のメダル獲得数45個(前大会の58個に次ぎ、海外の大会では最も多いメダル数。)開会後すぐメダルラッシュ。そして最後の数日間でまたもやメダルラッシュ。メダルだけでなく、日々練習し努力し続けることは、とてもたいへんだったんだろうな。オリンピックの舞台で日本代表選手一人一人が「あきらめない」で挑戦・活躍する姿はとてもすばらしかったです。特に、「体操競技」は、課外活動の「体操部」児童にとって、あこがれであり大きな刺激になったのではと思いました。

「Games Wide Open(広く開かれた大会)」をコンセプトとし、「SDGs」「多様性」「大逆転」「あきらめない」などの言葉が心に残りました。また、中学生の若い選手から「初老ジャパン」のベテラン選手までの活躍、けがや病気を克服して挑んだ選手の活躍、新種目から伝統的な種目まで、多様な見方で観戦でき、感動を与えてくれた大会でした。一方で、SNS上の誹謗中傷は大きな社会問題であり、たいへん残念でした。

今大会の最大の特徴である、男女の選手数が同数(5250人)になったことも新しい時代を感じました。近代オリンピックが始まり、128年かかってようやく実現したことは、容易ではなかったことがうかがえます。混合種目がさまざまな競技で見られたことも新鮮で感動でした。

ロシアのウクライナ侵略や、パレスチナ自治区ガザへのイスラエルの攻撃が続く状況下で開催された今大会。オリンピックは本当に「平和の祭典」となり得るのか、理想と現実は難しいなと改めて感じました。 

日が経ってしまいましたが、8月9日「長崎平和祈念式典」での長崎市長による「平和宣言」の最後の部分を紹介します。(8月6日「平和への誓い」は過去ブログで全文紹介)

冒頭では、23歳で被爆し52歳で亡くなった長崎出身の詩人・福田須磨子さんの詩「原爆を作る人々に」を引用していました。

「世界中の皆さん、私たちは、地球という大きな一つのまちに住む「地球市民」です。想像してください。今、世界で起こっているような紛争が激化し、核戦争が勃発するとどうなるのでしょうか。人命はもちろんのこと、地球環境にも壊滅的な打撃を与え、人類は存亡の危機にさらされてしまいます。だからこそ、核兵器廃絶は、国際社会が目指す持続可能な開発目標(SDGs)の前提ともいえる「人類が生き残るための絶対条件」なのです。(中略)平和をつくる人々よ!一人ひとりは微力であっても、無力ではありません。私たち地球市民が声を上げ、力を合わせれば、今の難局を乗り越えることができる。国境や宗教、人種、性別、世代などの違いを超えて知恵を出し合い、つながり合えば、私たちは思い描く未来を実現することができる。長崎は、そう強く信じています。」(令和6年8月9日 長崎市長による「平和宣言」より一部引用して転載)

「多様性」を理解し受け入れることが「平和」への実現のはじまりです。SNS上における誹謗中傷は「いじめ」であり、「戦争」となんら変わりません。一人一人ものの見方、感じ方、受け入れ方を尊重し、人とつながることが大事であることを感じたオリンピックでした。

パリ2024パラリンピック大会は8月28日開幕~9月8日閉幕予定。185か国地域の参加。22競技549種目。