文字
背景
行間
令和6年度
折り紙ヒコーキ教室(1・2年生)
9日(火)
「『空』を通じて未来を考える授業」(日本航空 空育HPより)を実施しました。
JALのスタッフが来校してくださり、1・2年生を対象に「折り紙ヒキーキ教室」を行いました。
連日猛暑が続いており、紙飛行機作りはエアコンのある図工室を使用し、飛ばすときに体育館に移動しました。
快適な図工室での作業で、昨年度より集中してていねいな飛行機が折れました。
海保漁村先生誕生之處
9日(火)
先日紹介した、海保漁村に関する史跡です。学校の近くにあります。
道路に面した案内板にも「渋沢栄一」との関わりが記されています。
クワガタ来校
5日(金)
読み聞かせのある金曜日、先週の糸トンボに続き、またまた昆虫が玄関前にいました。
今回は立派なクワガタ(ノコギリクワガタ?)のオスでした。
学校の周りは、自然が豊かです。
まもなく夏休み。1学期も残り少なくなってきました。
読み聞かせ(1学期最終)
5日(金)
1学期の読み聞かせボランティア最終日でした。
どの学級も、静かに集中して話を聞いていました。
海保漁村と渋沢栄一
昨日、7月3日に新紙幣が発行となりました。
新しい1万円札の肖像は「渋沢栄一」になりました。
横芝光町の地元の偉人、歴史的人物の一人として「海保漁村」という儒学者がいました。
なんと渋沢栄一は、海保漁村が開いていた私塾の門弟だったことが
横芝光町のホームページや千葉県のホームページに記載されています。
話題の新紙幣「渋沢栄一」とつながっていたとは驚きです。
以下は県のホームページ「海保漁村先生誕生之處(かいほぎょそんせんせいたんじょうのところ)」からの引用です。
「海保漁村は江戸時代後期の儒学者である。寛政10年(1798)11月22日に、現在の山武郡横芝光町北清水に生まれた。幼名を彦三郎、名を元備(もとなり)、字を郷老といい、漁村は号である。父は名を修之(のぶゆき)、号を恭斎といい、医学者であった。漁村は幼少の頃から学問を好み、14歳で江戸に出て学んだ。一度郷里に戻った後、文政4年(1821)に再び江戸に出、後に折衷学派の儒学者である太田錦城に師事した。
(中略)彼の塾からは、渋沢栄一、鳩山和夫、島田篁村(こうそん重礼)などの、明治時代の政治・経済・文化の各分野で活躍する有名な人々を多数輩出しています。」