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2024年4月の記事一覧
道徳ノート001「短所を武器とせよ」
001「短所を武器とせよ」
テーマ:自信をもって前向きに
内容項目:希望と勇気、強い意志
< 2学年 >
授業の概略
バレーボール選手としては身長が低いがゆえに、頭を使い技術とスピードを磨くことで逆にそれを武器にして世界と戦ってきた竹下佳江選手。人間は誰でも短所・欠点と向き合うことで新たな創造性に出会うことを知り、自分の個性とどう向き合うか考える。
生徒の学び・気付き
・授業を通して、苦手な事から逃げたりするのではなく、立ち止まって目を向ける事で自分の短所を活かしていくことが大切だと思いました。
・自分も短所、欠点は考えれば考えるほど出てくるけど、それをプラスに考える。その短所を理由に何かを諦めない。挑戦していきたい。
・今まで自分は短所を無理やり長所にしていたけれど短所は人にはあるものだから、無理に長所にせず、短所に向き合っていつか時間をかけてでもいいから長所にできるようにしたい。
・自分のハンデをマイナスにとらえるのではなく、そのハンデをどう活かすのかを考えてプラスとする大切さを知れました。足りないものを埋めようとするのは本能で努力ではないというストイックさがすごいなと思いました。「自分が思うままにやる」自分を信じて一生懸命に活動していく凄さを尊敬したい!!欠点は直らないと思うのではなく、直そうとしていないんだ!!っていうのを気づかされました。自分の欠点をどう生かすかを考えて今後につなげていきたいと思います。
・自分にしかできないことをしようと思った。自分のできることをしようと思った。何事も自信をもってやろうと思った。
マイクと過ごしたお正月
マイクと過ごしたお正月
僕の家に12月下旬から1月中旬までアメリカからの留学生がホームステイすることになった。僕と同い年のマイクは1月3日に我が家にやってくることになった。僕の家族は、両親と祖父、兄、僕の5人家族だ。マイクはまったく日本語が話せないらしい。大学生で英語が得意な兄は「英語はオレにまかせろ!」と威勢よく言っていた。
お正月にマイクを迎えるにあたって、我が家では例年になく日本を意識して準備した。母はおせち料理を準備し、祖父と父はお正月飾りの担当、僕と兄は書き初めやカルタ、百人一首の準備をした。
そして迎えた1月3日、マイクがやってきた。お正月だったので、家族全員でマイクを出迎えた。マイクは玄関に置いてある門松やしめ縄飾りを見て声をあげていた。兄が「これが日本の伝統だから」と説明した。すると、マイクから「この飾りには何か意味があるのか」と聞かれ、兄は固まってしまった。兄は父を見たが、父も首を振っていた。すると祖父が「門松は年神様が家に来てくださる為の目印なんだ。しめ縄は年神様が来てくださっても失礼のないように神聖な場所を示すものとして飾るもの。家の玄関に飾ることで、年神様が来てくだされば幸運がいただけるんだよ。」と説明してくれた。兄は一生懸命英語で説明し、マイクは嬉しそうに聞いていた。
早速母がおせち料理をふるまった。またマイクにおせちの意味を聞かれるかもしれないと兄が祖父をつつくと、祖父は「料理の方はちょっと…」とダメだった。母は「私もわからないわ。なんか、小さい頃聞いたことがあるけど。昆布巻きは『喜ぶ』からきていることと、鯛が『めでたい』しか覚えてないわ」と困ってしまった。兄がおせち以外のことで話をしている時に、僕はちょっと席をはずしてパソコンで調べた。僕自身、おせち料理にいろいろと意味があることは知っているけど、実際に人に説明することはできない。調べていてなるほどと思うことがたくさんあり、かきあつめた情報をプリントアウトして兄に渡した。
兄は僕が印刷した資料を見ると「ふ~ん。そうなんだ!」と感心していた。
「祝い肴三種、これはおせちにはなくてはならない基本なんだな。関東と関西ではその3つが異なる場合もある…と。うちは関東だから、黒豆、数の子、田作りか。黒豆はまめに働けるようにという意味と、黒豆の黒は邪気を払って不老長寿をもたらしてくれる色という意味があるんだね。数の子は卵がたくさんあるところから、子孫繁栄。田作りは豊作になるようにという願いが込められている。よーし。」
兄は苦労しながら英語で説明していた。マイクはアメリカでも黒豆に似た縁起物の食べ物でブラックアイドピーという豆を食べるんだと言っていた。
僕も説明しやすいおせち料理を選んで、つたない英語で説明をした。海老は腰が曲がるまで長生きできますようにという意味があり、れんこんは穴があいているので遠くのことを見通すことができるようにという意味があることを伝えた。おせち料理一つ一つに意味が込められていることを考えると、今まで何も考えずにお正月だからおせち料理を食べるというのではもったいなかったなと思った。
マイクは僕や兄の説明を笑顔で聞いていたが、今度はアメリカの話をしてくれた。アメリカでは新年を何日もかけて祝うということはせず、むしろクリスマスを盛大に祝うそうだ。新年は大晦日の夜に親戚や友だちが集まりパーティーを開き、12時に向けてカウントダウン「スリー、トゥー、ワン、ハッピーニューイヤー!」と新しい年を迎えるということだった。マイクは新年に食べる縁起物の料理がこんなにあるなんてと驚いていた。僕もあらためてそう思った。
マイクと過ごしたお正月は今まで自分が意識していなかった日本のお正月についてあらためて考えさせられる機会となった。僕は書き初めに意味があるということも今まで知らなかった。まして書き初めをする日も本当は1月2日だったなんて…。
マイクが帰国する前日、ちょうど僕の地域のどんど焼きが行われる日だった。いつもお正月のお飾りを持っていくよういわれていたが、どんど焼きにも意味があるに違いないと思い調べるとやっぱりそうだった。竹や茅を燃やすだけの行事ではなかった。無病息災を願う行事。しかも、書き初めを火に投じ、それが高く舞い上がるほど字がうまくなるという言い伝えがあるということも。マイクにどんど焼きの話をすると、マイクは興味を示した。
1月15日、僕とマイクはどんど焼きに出かけた。お飾りとお正月に書いた書き初めを持っていった。知り合いのおじさんがマイクの書き初めをどんど焼きのやぐらの一番いいところに飾ってくれた。マイクに説明してあげようと思い、おじさんに尋ねた。
「このどんど焼きっていつ頃から行われているんですか。」
「おじさんが子どもの頃からやってるからわかんねぇな。おじさんが中学生の頃は、このやぐらを中学生が全部作ったもんだ。」
「え、中学生が全部!?」
「そうだよ。このどんど焼きも、やぐら作ってんのはおじさん達だけだから、これから先いつまでできるかわかんねぇな。今度手伝ってみるか?」と言われた。僕はちょっと心が動いた。
お昼頃お焚き上げが始まった。どんど焼きの火はあっという間に大きな炎となり、ときどき竹がパーンと割れる音が響いた。マイクの書き初めが燃えながら高く舞い上がっていった。毎年見ていたどんど焼きなのに、今年はなんだか熱い気持ちで見入ってしまった。僕は、マイクに「きっと字がうまくなるよ」と言った。どんど焼きの火であぶった団子を二人で食べた。なんだか今までとは違う味に感じた。
マイクは翌日帰国した。日本の伝統文化についてたくさん学ぶことができてよかったと本当に喜んでいたが、一番学んだのは僕だと思った。
「中学校道徳自作資料集‐生徒が思わず語り合いたくなる24の話‐」三浦摩利著(明治図書)より
未来へのバトン
未来へのバトン
この話は、3つ年上の兄に聞いた話だ。ちょうど3年前、兄は中学2年生だった。コロナ対策で学校行事が制限されていたころだ。当時、多摩市は市制施行50周年ということで、いろいろなイベントが催されていた。兄が当時の先生や友達の物まねをしながら僕に話してくれたことを皆に紹介したい。
11月1日、学年集会があり、二浦先生が連絡があるからと皆の前で話し始めた。
「皆さん、11月1日は、とても大事な日ですが、何の日か知っていますか?」
「何の記念日?」「文化の日じゃないよね…」「何だろう?」
皆がざわざわした。1組の男子の中から「多摩市の誕生日!」という声が聞こえた。
「そう、その通り。11月1日は、多摩市の誕生日。南多摩郡多摩町から、多摩市になった日です。1971年、昭和46年に多摩ニュータウン計画により人口が増えたため、町から市になりました。偶然だそうですが、ハローキティの誕生日でもあります。皆さんの保護者や親せきで子どもの頃に多摩市で過ごした人はいませんか。実は、令和3年、11月3日に多摩市市制50周年記念イベントに司会として参加することになりました。あるものを開けるのですが…何でしょう。」
「宝箱?」「何だろう…」「あ、タイムカプセル?」
「そうです。今から40年前に、市制10周年イベントとしてタイムカプセルが埋められました。市内の各児童館に遊びに来ている児童たちが手紙やら工作、折り紙、写真などをタイムカプセルに入れて、40年後に開けましょうというイベントで、永山北公園で行われました。11月3日、いよいよそのタイムカプセルが開けられます。もし、おうちの人でタイムカプセルに入れた記憶がある人がいたら、14時から開始しますので、伝えてください。皆さんの中で興味がある人がいたら来ていいですよ。」
行かないつもりだったが、自分も小学校時代にタイムカプセルに手紙を入れた経験があるので、少し興味をもった。休み時間に二浦先生に質問した。
「先生、タイムカプセルってもう開けたんですか?」
「いや、実は開けてないらしいの。タイムカプセルが地中に埋まっているというところまでは確認したのだけれど、中は当日開けるんですって。司会原稿には、『こんなに綺麗に保存されているとは思いませんでした。』と書いてあるんだけど、実際はそうじゃないかもね。」
「じゃあ、濡れてたり、カビが生えてたりするかもですね…。」
「そうね…虫とかいっぱいいたら、言葉を失ってしまうかも。」
周りで聞いていたクラスメイトが「虫とか絶対無理~!」と叫んでいた。
そうか…もしかしたら綺麗に保存はされていないかもしれない。でも、自分が子どもの頃埋めたものを大人になって見るって面白そうだな…と思った。先生は、「康孝くん、興味わいた?見に来る?」と聞いてきた。
「いや、絶対行かないです。忙しいんで。」
「そうか、残念。タイムカプセルを開けるだけじゃなく、また新しいタイムカプセルを埋めるから、もし興味があったら、来てみて!」
教室の中から「面白そう!行ってみようかな~」という声が聞こえた。
11月3日、文化の日で学校はお休み、部活動もなかった。友達の貴弘から午前中に電話がきた。
「先生がさ、永山北公園って言ってたよな。タイムカプセル開けるの見に行かない?」
「え、やだよ。絶対行かないって先生に言ったし、タイムカプセルの関係者じゃないしさ。」
「実はさ、俺の弟が新しいタイムカプセル埋めるのに参加するらしくて、母ちゃんに心配だから見に行ってって言われちゃってさ。公園だからソーシャルディスタンスとれるし、遠くから見られるって言っていたから、遠くから見ようよ。」
「遠くからって…怪しくないか?まあ、いいか。」
結局、友達の貴弘と二人で見に行くことになった。
開始時刻ちょっとすぎに永山北公園に着き、会場に向かった。
「それでは、多摩市長のあいさつです。よろしくお願いいたします。」
二浦先生の声が聞こえてきた。
「お~、来賓あいさつということは、まだ開けてないな。」
2人の足取りは速くなった。
永山北公園の小高い丘の周辺に人だかりが見えた。人は円を描くようにタイムカプセル埋設場所を取り囲んでいた。到着すると、クラスメイトの直美と由紀子の姿が見えた。
「あれ、2人ともなんで来てるの?」
「実は、私の妹と由紀子の弟が連光寺児童館でタイムカプセルに入れるメッセージ書いたって聞いて、見に来ているの。貴弘の弟もいたよ。児童館の友達と一緒に、ほら、あそこに。」直美の指さす方向に貴弘に似た弟の姿が見えた。
「そうなんだ~。今日は昔のタイムカプセルを掘り起こして、新しいタイムカプセルを埋めるんだもんな。」
オレ達は4人で一緒にタイムカプセルの掘り起こしを見ることにした。クレーンでコンクリートの大きな蓋が持ち上げられると、球状のカプセルが見えた!球状のカプセルもクレーンでつり上げられ、ブルーシートの上に置かれた。
「40年間も地中に埋められていたカプセルが今、掘りおこされました!中はどうなっているのでしょうか。皆さま、市の職員がこれより開封いたしますので、カプセルの周りにお集まりください!」
「先生、司会原稿通りのセリフ、『こんなに綺麗に…』って言える状態かな?」
「さあな~。ドキドキだな。」
カプセルのボルトが外された。ギギギ、カプセルがこじ開けられた。
「わぁ~」歓声が聞こえる。中がどうなっているのか、よく見えない。
「40年間も埋まっていた思い出の品がこんなに綺麗に残っているとは思いませんでした!」
先生の声が響き、原稿通り、実際に綺麗に残っていたことがわかった。先生が自分達に気づき、オッケーサインを出してくれた。
「お~」パチパチパチ思わず拍手をしている自分がいた。
そして、カプセルの中から児童館ごとに思い出の品が並べられた。連光寺児童館は皆で作った折り紙だった。当時の新聞やスーパーの広告にくるまれた粘土細工の手形、古い写真、竹で作った籠など、40年前を思わせるものがたくさんでてきた。当時児童だった大人が7人来ていた。二浦先生がインタビューしていたが、当時のことをはっきりと覚えている人は誰もいなかった。手形にドラえもんの絵を描いていた大人の人が
「自分が当時ドラえもんが大好きだったことを思い出しました。ノートとか、なんにでもドラえもんの絵を描いていましたね。」と言っていた。友達が皆、こっちを見てニヤニヤしてきた。オレがいつもノートにアンパンマンのイラストばっかり描いているからだろう。
40年前に入れた人たちのインタビューが終わり、今度は新しくタイムカプセルに入れる子供たちのインタビューが始まった。次回は30年後に開けるらしい。30年後の自分に向けてメッセージを書いたという子どもが多かった。貴弘の弟がインタビューを受けていた。
(実際のイベント時の写真)
「30年後もサッカーを続けていたいです。30年後も皆が健康で笑顔あふれる街になっていてほしいです。」
「30年後も多摩市に住んでいますか?」
「はい、そうであってほしいです。」
貴弘の弟は小さい時の貴弘にそっくりで、ハキハキと答えていた。
他の子どもたちは
「もう少し体育ができるようになっていたい。」とか、「アイドルになりたい。」「イラストレーターになりたい。」「住みよい街であってほしい。」など、自分も小学校のとき考えたようなことを答えていた。
そして、子供たちの思い出の品やメッセージなどがタイムカプセルに入れられ、ボルトでしっかりと閉じられ、地中に埋められた。
「はい、ただいま無事、カプセルが納められました。30年後まで今日のことを覚えておいていただいて、この場で再会していただきたいと思います。どうしても若い世代は市外に出てしまうことも多いですが、皆さんにはぜひ、今後何十年も、多摩市に関わっていただければ嬉しく思います。」
二浦先生の言葉を聞いて、みんなで顔を見合わせた。
「30年後、ここに来る?康孝はどうなんだよ。」貴弘が言った。
「オレは…多摩市が好きだし、住んでるかわかんないけど、来ようかな。」
「30年後、みんなどうなっているんだろうね。」由紀子がつぶやいた。
「皆さん空を見上げてください。この青空の下、ここで考えたこと、感じたこと、みんなでタイムカプセルを埋めたことを忘れないでください。30年後、ここでまた会える日を楽しみにしています。」イベント終了の挨拶があり、大きな拍手が起こった。
「30年後の多摩市の未来はどうなっているんだろうな。また、この場所で、このメンバーで会おう。」貴弘が笑顔で言った。皆、うなずいていた。
40年前、タイムカプセルを埋めた大人のほとんどは、埋めた時のことを忘れてしまったと言っていた。でも、オレは忘れたくないと思った。見上げた空の青さ、永山北公園の芝生、そして、今、誰にも言っていないけど、自分が考えている将来の自分のこと…そして、30年後の多摩市への希望。オレは、未来へのバトンを渡されたような気がした。
作(三浦 摩利)
道徳教材 ひじり坂をあがると・・・
ひじり坂を上がると…
ぼくは、三郎、聖ヶ丘中学校の1年生。バスケットボール部に所属し、日々楽しく生活している。
先日、帰り学活のときに、美化給食委員の貴司が
「今度、21日の放課後、地域清掃を行います。参加希望する人は今週中に申し出てください。」と呼びかけていた。
「部活動がある人はどうするんですか?」という質問が出た。
「清掃活動は、4時半までなので、清掃活動が終わった後、部活動に出られます。」と答えていた。ぼくは、部活動を休んで掃除とかありえないな…と思った。
その後。貴司から、
「オレも委員として参加するから、参加しないか?」と誘われた。
「いや、清掃は教室だけで充分だから、いいや。」と言って断った。
その日の放課後、部活動の後に、先輩たちが地域清掃の話をしていた。仲のよい裕二先輩や、部長の宏行先輩も1年の時参加したというのだ。ぼくはボランティア活動には全然興味をもっていなかったので、あこがれの先輩たちが参加したということに驚いた。だから思わず、
「清掃活動したんですか?部活動の時間を削ってですか?」
と言ってしまった。すると、宏行先輩は笑顔で答えてくれた。
「オレもね、最初はそう思ってた。正直、面倒くさいと思っていたんだけど、美化給食委員だったから参加したんだよ。でも、参加してよかったと思ったよ。」
由希先輩もうなずきながら答えてくれた。
「わたしも同じようなものよ。美化給食委員の友達に誘われて参加したんだけど、やっぱりやってよかったと思った。」
「三郎もシュート入れる前にゴミ入れてこいよ!」
宏行先輩はシュートを決めながら、すすめてくれた。宏行先輩や由希先輩は一学年先輩だけれど、自分よりずっと大人に感じた。先輩たちがかっこよく思え、ぼくの心は揺れた。その時、クラスの美化給食委員の真理子から、
「三郎も前期、美化給食委員だったんだし、やろうよ。」
と声をかけられた。部活動をやっている方が絶対楽しいと思ったけれど、一回くらいはやってみようかと思い、
「じゃあ、やるか。」
と答えた。そして、ぼくは翌日、貴司に参加することを伝えた。
地域清掃の当日、集合時間の3時半に玄関前に集合した。いつもだったら、練習前のランニングが始まっている時間だ。先輩に誘われて、つい、参加すると約束してしまったが、あまり乗り気ではなかった。
「ボランティアの皆さん、ありがとうございます。これから、地域清掃を始めます。皆さんは、4時半まで、落ち葉掃き、周辺のゴミをひろってください。よろしくお願いします。」
とうとう地域清掃が始まった。ぼくはひじり坂周辺の担当になった。活動は僕たちだけではなく、地域イベントで見かけたことのある地域の方が数名参加していた。
先輩が担当したときは、歩道一面に落ち葉が広がっていたと聞いたが、そこまでではなかった。でも、道のわきに広がっている落ち葉を見て、
「これ、終わるのかな。」と不安な気持ちにかられた。よく見ると、落ち葉だけではなかった。道の端には、たばこの吸い殻がけっこう落ちていた。植え込みの下の方を見ると、お菓子のビニール袋やマスク、空き缶まで落ちていた。そんなゴミを拾いながら、落ち葉を掃き始めた。
「落ち葉っていつの間にかなくなっているけど、誰かがキレイにしてくれてたのか。」とか、「アスファルトの道に落ち葉が広がっているけど、土じゃないんだし、自然になくなることはないんだよな…。」などと思いながら、掃き続けた。大きなゴミ袋はすぐにいっぱいになった。先生の掛け声で終了したが、時間があっという間に感じた。集合場所に行くと、みんな落ち葉のいっぱい入った袋をもって集合していた。
集合場所で、担当の先生からお話があった。
「一年生の皆さん、今日、初めて聖ヶ丘中学校の地域清掃に参加していろいろ気付いたことがあると思います。ゴミがあまり落ちていないな?と思った人いますか?」
半分くらいの生徒が手を挙げていた。
「先週、2年生がだいぶ落ち葉を掃いてくれたので、みなさんはそこまで大変ではなかったと思います。先週は、2年生には遊歩道も担当してもらったのですが、そこには落ち葉はあってもゴミはほとんどありませんでした。それには理由があります。実は遊歩道付近は、聖ヶ丘子ども・おとしより見守り隊の皆さんが毎朝7時50分から8時半までゴミ拾いをされているそうです。知っていましたか?」
何人かの生徒がうなずいていた。
「毎日通っている道だけど、そうだったのか…。」裕二先輩がつぶやいていた。
先生は続けて説明してくれた。
「実は、本日、子ども・おとしより見守り隊の隊長の方がお見えになっています!こちらへどうぞ!」
「皆さん、こんにちは。私は聖ヶ丘子ども・おとしより見守り隊の隊長を務めさせていただいております。聖ヶ丘に在住しています。この地域清掃は聖ヶ丘の青少年問題協議会の皆さんがスタートした活動で、ここ数年、聖ヶ丘中学校の皆さんと地域の我々が一緒に活動しています。この時期、皆さんと一緒に活動するのを楽しみにしています。また、私たちは毎朝早朝にゴミ拾いをしていますが、なぜだと思いますか?」
「キレイな道を歩くと気持ちいいから?」貴司が答えた。
「そうですね。皆さんがキレイな遊歩道を歩いて気持ちよく通学、通勤してくれればいいなと思って毎朝活動しています。きっかけは、実は防犯です。」
「防犯?」首をかしげている生徒が多かった。
「防犯なら、暗くなるころにパトロールをすればよいと思うでしょう。それも行っていますが、防犯はパトロールだけではないのです。実は、ゴミ拾いをすることも防犯につながっているのです。『割れ窓理論』という言葉を聞いたことがありませんか?」
隣のクラスの美化給食委員の奈緒子が答えた。
「1枚の割れたガラスを放っておくと、いずれ街全体が荒れて、犯罪が増えてしまう…だったと思うんですけど。」
「その通り。逆に言うと、公園や地域の清掃活動などで街がキレイになれば、将来発生しうる犯罪を未然に防ぐ効果があるんですよ。まあ、防犯の為に始めたことですが、地域がキレイになって私たちも朝から爽やかな気持ちになります。もう14年間この活動を続けています。」
「すごい…。」
みんな絶句していた。地域の為に早朝から毎日活動するなんて…。隊長さんは続けて話してくれた。
「本日みなさんが一緒に地域清掃してくれたことも地域の為になっているのです。皆さんが清掃活動をしているのを多くの方が見ていました。中学生がこんなに頑張っているのだから、自分たちも街をよくしたいという気持ちになった方が多くいると思いますよ。私たちもみなさんが一生懸命活動している様子を見て、元気をもらいました。明日からまた頑張ろうと思います。」
たった一回のボランティアだけど、少しだけでも地域の為になったのなら、自分が参加した甲斐があったな…と思えた。
「三郎、お疲れ様!やってどうだった?」真理子が聞いてきた。
「やってみたら、結構楽しくなってきて、時間もあっという間だったな。」
「よかった。終わったとき、爽快感あったよね。来年もやろうよ。」
と言われた。
「そうだな!やるわ。」
と答えた。この前とは違う気持ちで答えた。
翌朝、いつもの時間に家を出た。学校へ行くいつもの道、ひじり坂を上がると、学校が見えてくる。ぼくは、勢いよく坂を駆け上がった。振り返ってみると、いつもの景色がちょっと違って見えた。
(三浦 摩利 作)
(くどうのぞみ 絵)