未来へのバトン

未来へのバトン

この話は、3つ年上の兄に聞いた話だ。ちょうど3年前、兄は中学2年生だった。コロナ対策で学校行事が制限されていたころだ。当時、多摩市は市制施行50周年ということで、いろいろなイベントが催されていた。兄が当時の先生や友達の物まねをしながら僕に話してくれたことを皆に紹介したい。

11月1日、学年集会があり、二浦先生が連絡があるからと皆の前で話し始めた。

「皆さん、11月1日は、とても大事な日ですが、何の日か知っていますか?」

「何の記念日?」「文化の日じゃないよね…」「何だろう?」

 皆がざわざわした。1組の男子の中から「多摩市の誕生日!」という声が聞こえた。

「そう、その通り。11月1日は、多摩市の誕生日。南多摩郡多摩町から、多摩市になった日です。1971年、昭和46年に多摩ニュータウン計画により人口が増えたため、町から市になりました。偶然だそうですが、ハローキティの誕生日でもあります。皆さんの保護者や親せきで子どもの頃に多摩市で過ごした人はいませんか。実は、令和3年、11月3日に多摩市市制50周年記念イベントに司会として参加することになりました。あるものを開けるのですが…何でしょう。」

「宝箱?」「何だろう…」「あ、タイムカプセル?」

「そうです。今から40年前に、市制10周年イベントとしてタイムカプセルが埋められました。市内の各児童館に遊びに来ている児童たちが手紙やら工作、折り紙、写真などをタイムカプセルに入れて、40年後に開けましょうというイベントで、永山北公園で行われました。11月3日、いよいよそのタイムカプセルが開けられます。もし、おうちの人でタイムカプセルに入れた記憶がある人がいたら、14時から開始しますので、伝えてください。皆さんの中で興味がある人がいたら来ていいですよ。」

 

 行かないつもりだったが、自分も小学校時代にタイムカプセルに手紙を入れた経験があるので、少し興味をもった。休み時間に二浦先生に質問した。

「先生、タイムカプセルってもう開けたんですか?」

「いや、実は開けてないらしいの。タイムカプセルが地中に埋まっているというところまでは確認したのだけれど、中は当日開けるんですって。司会原稿には、『こんなに綺麗に保存されているとは思いませんでした。』と書いてあるんだけど、実際はそうじゃないかもね。」

「じゃあ、濡れてたり、カビが生えてたりするかもですね…。」

「そうね…虫とかいっぱいいたら、言葉を失ってしまうかも。」

 周りで聞いていたクラスメイトが「虫とか絶対無理~!」と叫んでいた。

 

 そうか…もしかしたら綺麗に保存はされていないかもしれない。でも、自分が子どもの頃埋めたものを大人になって見るって面白そうだな…と思った。先生は、「康孝くん、興味わいた?見に来る?」と聞いてきた。

「いや、絶対行かないです。忙しいんで。」

「そうか、残念。タイムカプセルを開けるだけじゃなく、また新しいタイムカプセルを埋めるから、もし興味があったら、来てみて!」

教室の中から「面白そう!行ってみようかな~」という声が聞こえた。

 

 11月3日、文化の日で学校はお休み、部活動もなかった。友達の貴弘から午前中に電話がきた。

「先生がさ、永山北公園って言ってたよな。タイムカプセル開けるの見に行かない?」

「え、やだよ。絶対行かないって先生に言ったし、タイムカプセルの関係者じゃないしさ。」

「実はさ、俺の弟が新しいタイムカプセル埋めるのに参加するらしくて、母ちゃんに心配だから見に行ってって言われちゃってさ。公園だからソーシャルディスタンスとれるし、遠くから見られるって言っていたから、遠くから見ようよ。」

「遠くからって…怪しくないか?まあ、いいか。」

結局、友達の貴弘と二人で見に行くことになった。

 

 開始時刻ちょっとすぎに永山北公園に着き、会場に向かった。

「それでは、多摩市長のあいさつです。よろしくお願いいたします。」

二浦先生の声が聞こえてきた。

「お~、来賓あいさつということは、まだ開けてないな。」

2人の足取りは速くなった。

 

永山北公園の小高い丘の周辺に人だかりが見えた。人は円を描くようにタイムカプセル埋設場所を取り囲んでいた。到着すると、クラスメイトの直美と由紀子の姿が見えた。

「あれ、2人ともなんで来てるの?」

「実は、私の妹と由紀子の弟が連光寺児童館でタイムカプセルに入れるメッセージ書いたって聞いて、見に来ているの。貴弘の弟もいたよ。児童館の友達と一緒に、ほら、あそこに。」直美の指さす方向に貴弘に似た弟の姿が見えた。

 

「そうなんだ~。今日は昔のタイムカプセルを掘り起こして、新しいタイムカプセルを埋めるんだもんな。」

オレ達は4人で一緒にタイムカプセルの掘り起こしを見ることにした。クレーンでコンクリートの大きな蓋が持ち上げられると、球状のカプセルが見えた!球状のカプセルもクレーンでつり上げられ、ブルーシートの上に置かれた。

 

「40年間も地中に埋められていたカプセルが今、掘りおこされました!中はどうなっているのでしょうか。皆さま、市の職員がこれより開封いたしますので、カプセルの周りにお集まりください!」

「先生、司会原稿通りのセリフ、『こんなに綺麗に…』って言える状態かな?」

「さあな~。ドキドキだな。」

 カプセルのボルトが外された。ギギギ、カプセルがこじ開けられた。

「わぁ~」歓声が聞こえる。中がどうなっているのか、よく見えない。

 

「40年間も埋まっていた思い出の品がこんなに綺麗に残っているとは思いませんでした!」

先生の声が響き、原稿通り、実際に綺麗に残っていたことがわかった。先生が自分達に気づき、オッケーサインを出してくれた。

「お~」パチパチパチ思わず拍手をしている自分がいた。

 
そして、カプセルの中から児童館ごとに思い出の品が並べられた。連光寺児童館は皆で作った折り紙だった。当時の新聞やスーパーの広告にくるまれた粘土細工の手形、古い写真、竹で作った籠など、40年前を思わせるものがたくさんでてきた。当時児童だった大人が7人来ていた。二浦先生がインタビューしていたが、当時のことをはっきりと覚えている人は誰もいなかった。手形にドラえもんの絵を描いていた大人の人が

「自分が当時ドラえもんが大好きだったことを思い出しました。ノートとか、なんにでもドラえもんの絵を描いていましたね。」と言っていた。友達が皆、こっちを見てニヤニヤしてきた。オレがいつもノートにアンパンマンのイラストばっかり描いているからだろう。

 

 40年前に入れた人たちのインタビューが終わり、今度は新しくタイムカプセルに入れる子供たちのインタビューが始まった。次回は30年後に開けるらしい。30年後の自分に向けてメッセージを書いたという子どもが多かった。貴弘の弟がインタビューを受けていた。

 
(実際のイベント時の写真)

「30年後もサッカーを続けていたいです。30年後も皆が健康で笑顔あふれる街になっていてほしいです。」

「30年後も多摩市に住んでいますか?」

「はい、そうであってほしいです。」

貴弘の弟は小さい時の貴弘にそっくりで、ハキハキと答えていた。

他の子どもたちは

「もう少し体育ができるようになっていたい。」とか、「アイドルになりたい。」「イラストレーターになりたい。」「住みよい街であってほしい。」など、自分も小学校のとき考えたようなことを答えていた。

 

 そして、子供たちの思い出の品やメッセージなどがタイムカプセルに入れられ、ボルトでしっかりと閉じられ、地中に埋められた。

「はい、ただいま無事、カプセルが納められました。30年後まで今日のことを覚えておいていただいて、この場で再会していただきたいと思います。どうしても若い世代は市外に出てしまうことも多いですが、皆さんにはぜひ、今後何十年も、多摩市に関わっていただければ嬉しく思います。」

 二浦先生の言葉を聞いて、みんなで顔を見合わせた。

「30年後、ここに来る?康孝はどうなんだよ。」貴弘が言った。

「オレは…多摩市が好きだし、住んでるかわかんないけど、来ようかな。」

「30年後、みんなどうなっているんだろうね。」由紀子がつぶやいた。

 

「皆さん空を見上げてください。この青空の下、ここで考えたこと、感じたこと、みんなでタイムカプセルを埋めたことを忘れないでください。30年後、ここでまた会える日を楽しみにしています。」イベント終了の挨拶があり、大きな拍手が起こった。

 

「30年後の多摩市の未来はどうなっているんだろうな。また、この場所で、このメンバーで会おう。」貴弘が笑顔で言った。皆、うなずいていた。

 

40年前、タイムカプセルを埋めた大人のほとんどは、埋めた時のことを忘れてしまったと言っていた。でも、オレは忘れたくないと思った。見上げた空の青さ、永山北公園の芝生、そして、今、誰にも言っていないけど、自分が考えている将来の自分のこと…そして、30年後の多摩市への希望。オレは、未来へのバトンを渡されたような気がした。

                         作(三浦 摩利)