ブログ

2025年10月の記事一覧

校長室のひとりごと「3年生から受験生へ」

 今日は3年生の保護者(生徒同席)を対象とした「第2回進路保護者会」が行われます。6月に第1回目の進路保護者会(生徒も同席)を行いましたが、そのときの内容は「進路開拓に向けて」「受験校の選び方」「夏休みの過ごし方」など受験生としての「心構え」が中心でした。生徒達は7月の「三者面談」を経て、各高校の「学校説明会」に参加し、自分の肌で各高校を知り、受験校を選び始めています。そして、決まりつつある受験校について「進路希望調査」を行い、間もなく始まる「三者面談」で最終的な受験校を絞っていくわけです。話を戻しますが、今回の進路保護者会では、具体的な進路関係の今後の予定や進路事務の進め方などについて教員と保護者、生徒達本人が共有し、自分が選んだ受験校に照らし合わせながら各自のスケジュール感を掴むことが主な目的です。

 高校受験は毎年同じ高校でも少しずつ変化しています。かつては「紙」が主流だった出願も「インターネット出願」に代わるなど今年も様々な変化があるようです。各高校8月、9月に正式な受験日程、募集人員、受験制度など募集要項を発表しました。夏休み返上で受験勉強に励んできた受験生3年生にとって、またその家族にとっても、この第2回進路保護者会を境に「受験モード」に切り替わる、そんなきっかけになるのが「第2回進路保護者会」というわけです。

校長室のひとりごと「野田から世界へ!」

 「ジョージア」という国をご存じでしょうか。日本では余り馴染みがないかもしれませんが「旧グルジア」と言えば少しはピンとくる方もいるかもしれません。この3連休中、野田市国際交流協会主催の野田市制施行75周年記念事業「講演会」に行ってきました。「野田から世界へ!ジョージア大使が語る国際交流」という演題で、ジョージアの大使「ティムラズ・レジャバ閣下」による講演です。レジャバ閣下は、幼少期から日本との関わりがあり、早稲田大学を卒業され「キッコーマン株式会社」に入社され、その後ジョージア外務省に入省され、2021年には特命全権大使に任命され現在に至っています。現在はSNSで積極的に情報発信するなど日本とジョージアの架け橋となり活躍されています。このような立派な方がなぜ野田で講演かというと、そうです、閣下にとって第二の故郷、それが野田だったからです。講演は、流暢な日本語で時折ユーモアを交えながらわかりやすく、ジョージアの歴史や文化、日本との関わりをお話しいただきました。招待された市内の中学生も終始目を輝かせながら話を聴き、講演後多くの質問を投げかけていました。

 現在、ロシアによるウクライナ侵攻が続いていますが、同様に2008年ロシアとグルジアの間で紛争が勃発した暗い歴史もあり、ロシア語読みのグルジアから2015年に英語読みのジョージアに改名されました。そんなジョージアは約8000年もの歴史を持つワイン発祥の地で、訪問者を各家庭が作るワインと家庭料理、伝統の歌でもてなす文化が今も残っているそうです。コーカサス山脈と黒海に接する豊かな自然など、機会があれば一度訪れてみたいと思わされた講演会でした。

校長室のひとりごと「一つの区切り新たなスタート」

  約半年間の開催だった「大阪・関西万博」も昨日閉幕しました。また、イスラエルとハマスの戦闘も停戦合意に基づき人質を解放する映像が報じられるなど、何か世の中の一つの区切りを迎えたように感じます。

 学校はといえば今日から「令和7年度後期」がはじまりました。「実りの秋」「充実の秋」、生徒達には後期も様々な経験を通して「実りある」「充実した」学校生活を送ってほしいものです。1年間を「走り幅跳び」に例える(体育科教師なので)なら、4月に助走を始め、各学年共に徐々にスピードを上げ、9月には「共栄祭」「体育祭」など力強く大きく高く踏み切ることができました。この高さや力強さ、勢いをそのままに、まずは距離を伸ばすために空中での姿勢を整えなくてはなりません。気張り過ぎたり、脱力し過ぎたりと、どちらにしても空中で失速してしまいます。そして着地です。砂場に尻餅をつかないよう大きく手を上から後ろに振り、先を見据え上体を前傾します。着地の目標地点、3年生は「卒業式」、1.2年生は「修了式」が着地点の目標です。

 WHOによると人間が活動するのに適している気温(室温)は18~22℃、湿度55%~65%だと示されています。まさにこれからの季節です。運動にしても勉強にしても読書にしても何にしても本気を出すのに丁度良い「実りの秋」「充実の秋」の到来です。皆さんは「何の秋」を目指しますか?

校長室のひとりごと「通知表」

 二学期制の野田市の学校では、今日前期終業式が行われます。本校も終業式を行い、その後は各学級担任より「前期通知表」が手渡されます。読んでくださっている皆さんの世代はわかりませんが、私が教師に成り立ての頃(昭和の終わり)に比べると、通知表も随分変化しています。昔は一枚一枚手書きだったため絶対に失敗できません。鉛筆で下書きし、それを先輩の先生に点検して頂いたうえで慣れない「万年筆」で記入していました。当時は「学習所見」「行動所見」「総合所見」があり、その生徒のことを思いながら、知恵を絞り何度も何度も書き直し文章で記載していました。若い教員にとって一つの試練とでも言えるほど大変でした。文章が下手な私などは仕上げるまで数日泊まり込みなんてこともありました。通知表の中身は、今も昔もほぼ共通で学習の記録「観点別の評価ABC」「5.4.3.2.1の評定」、そして責任感など該当の欄に〇印を記入する「行動の記録」、学級内での係や委員会活動、部活動など「特別活動の記録」などです。平成に入り徐々に所見も「総合所見」に一本化され、そのうちPCの普及により簡単に訂正ができるようになりました。現在では前期の通知表の総合所見も省略し、教育相談(三者面談)で学校での様子を口頭で伝えるという学校が増えています。本校も同様に前期の所見を省略し、かわりに教育相談を予定しています。後期の通知表には1年間の総合所見を記載しご家庭へ通知しています。

 昔も今も子ども達にとってハラハラドキドキの通知表、終業式であることには変わりありません。通知表を開くと「数字(評定)」に目が行きがちですが、全体を見てお子さんの良いところをほめてあげてほしいものです。

校長室のひとりごと「生徒目線を忘れずに」

 稀代の発明家「トーマス・エジソン」の言葉に「私は失敗したことはない。ただ、うまくいかない方法を一万通り見つけただけだ」という有名な言葉があります。これは「人生にとって無駄なことなど一つもない」「どんな経験も活かすも殺すも自分次第」という意味でよく取り上げられます。一方で効率化を重要視する現代では「世の中の90%は無駄なことばかり」という人も少なくありません。

 昨日は体育祭でした。コロナ禍を境に全国的に運動会や体育祭を縮小する傾向にあります。体育祭自体が「無駄」だとまでは判断しなくても、実際に種目を減らしたり短縮や省略、簡略化している学校も少なくありません。理由には「教員の負担軽減」「競争することに異論を唱える風潮」「教育的効果への疑問視」など大人側の言い分、判断がほとんどです。本校では、昨日の体育祭も開会式から閉会式までコロナ前と同様にフルサイズで実施しました。今年も3年生を中心に総合優勝、応援賞を目指して声を枯らしながら組織的に練習、応援をしてきました。そんな応援でさえ「時間の無駄」「なんの役に立つのか」と、体育祭の花形「選抜リレー」も「一部の生徒だけが」「選ばれない子の気持ちを考えると」と廃止している学校もあります。いつしか大人たちが昔を忘れ「無駄」と判断されているのでしょう。私はこれまでの生徒達の様子、変容ぶりを見る限り、開会式から閉会式まで、全ての種目が、時間が決して「無駄」ではないと考えています。実際に昨日一日生徒の様子をご覧いただけた方ならご理解いただけるでしょう。

 明日、前期の終業式を迎えますが後期も大人目線ではなく「生徒目線」で学校運営していこうと思います。(長くてすみません)