2025年7月の記事一覧
校長室のひとりごと「明日から夏休み」
いよいよ明日から「夏休み」。今年はカレンダーの巡りで44日間にわたる長期の休みです。野田市は前後期の二学期制のため「終業式」ではありませんが、このあと長期休業中に向けた全校集会を行います。集会の中で私は、以前ある医学博士の講演を聴いて印象に残っていることを話そうと考えています。内容は「命」についてで「命とは自分が自由に使える時間」だと話していらっしゃったのが印象に残っています。そこで生徒たちに「みんなの日常は、朝起きて朝ご飯を食べる、そして学校に行き、勉強したり部活動に取り組んだり、家に帰れば塾に行ったり、スマホをいじったり、晩ご飯を食べてお風呂に入って寝るといったところでしょうか。どれも自分のために時間を使っています。でも夏休みはたっぷりと時間があり、その時間をどう使うかも自分で決めることができます。その自分で決めることができる時間の少しでも、自分以外の人のために使ってみませんか。医学博士の先生が言うように『命』が時間だと考えれば、自分以外の人のために時間を使うことが、心を豊かにし、豊かな人生を送ることにつながるのではないでしょうか・・・」というような話です。
3年生は受験生、1.2年生は部活動の新チームでの活動など忙しいとは言っても、日常に比べれば時間的な余裕はあるはずです。自分以外の人に目を向けることで、一回り成長した生徒達に9月再会できることを楽しみにしています。
※ 「・・・ひとりごと」も夏休みに入ります。また9月にお会いしましょう。
校長室のひとりごと「人型ロボット」
技術の進歩には驚かされるばかりです。特に昨今「人型ロボット」の進化は目覚ましく、コテコテの昭和世代の私は「未来がやってきたな」と感じてしまいます。4月には中国北京で世界初の「人型ロボット」のハーフマラソン大会が行われました。中国国内の企業や研究者が開発した20体が参加しました。スニーカーを履いたり、ランニングウェアを着たりと様々でしたが、スタート後に壊れてしまったロボットなどもいた中、6体の人型ロボットが完走し、優勝ロボットのタイムは2時間40分だったそうです。また同じく北京では、AIを搭載した人型ロボットによるサッカーの試合が行われたと報じられました。そしてこの8月には中国北京で「世界人型ロボット体育大会」が開かれ、中国はもちろん、アメリカ、ブラジル、ドイツ、オランダ、イタリア、ポルトガル、シンガポール、オーストラリア、アラブ首長国連邦、インドネシア、そして日本から選手(ロボット)が参加し、陸上、サッカー、武術、体操などの競技が行われるそうです。また、この大会ではスポーツだけではなく、日常生活の中の「資材の運搬」「接客」「清掃」「仕分け」などのジャンルでも「場面競技」で争われるということです。
昔憧れた「手塚治虫」の世界や「ドラえもん」のような猫型ロボットが活躍する社会が訪れる日は来るのでしょうか。
校長室のひとりごと「創造性・創造力」
「誠実・英知・壮健・創造 〜未来を創造する人材の育成~」。これは本校の学校教育目標です。昨年「創造」という言葉を加えました。昨日の話に通ずることですが、数年後の社会はどうなっているのか予想すらできない「VUCAの時代」と言われています。日本社会はこれまで長きに渡り、自ずと一定の価値観の中で、社会をどう発展させていくかを追求してきましたが、AIなどの技術革新により、価値観も変化し世の中は大きく変わり始めています。そんな先が見えない社会の中に飛び込もうとしている小中学生には、これまでの固定概念には捕われない「創造性・創造力」が求められているわけです。しかし「創造性・創造力を育もう」と力んだものの、難しいのはその手立てです。「創造」とは独自の方法で新しい何かを作り出すこと。生徒達に今までなかったことや物を作り出す力を育ませようとしても漠然過ぎて、なかなか手のつけようがありません。そこで実際に生徒達を指導する先生方には、これまで生徒達が身につけてきた知識や技能を、その教科だけにと留めず、他教科で得た知識・技能とを互いに見えない糸で関連付けさせること、そうして生徒個々の「引き出し」を増やすことが、新たな発見、新たな疑問、新たな価値観を持つきっかけになり、それが「創造性・創造力」に繋がることを話しました。昨日書いた「探究学習」は自分の知識・技能を結集させながら一つの結果を追い求めていくこと、つまり「創造性・創造力」を育む第1歩だと考えています。そうは言っても難しいことには変わりありませんね。
校長室のひとりごと「異年齢クラスでの探究学習」
これまで何度かこの場でも「探求的な学習」について話題にしてきました。AIなどの技術革新で社会の変化は著しく世の中はどう変化しているのかすら予測が難しいと言われています。そんな社会で主体的に生きてゆく今の子ども達には、これまでのように既習の学力だけではなく、自分で何かを作り出したり、変化させたりできるような創造性が求められています。そこで高校では「探求的な学習」が必修化され大学入試へも影響を与えています。中学校では「総合的な学習の時間」の中で探究学習を行います。今年度本校では、探求したいテーマを生徒個々が設定し、そのテーマごとに1年生から3年生まで一緒のクラスを新たに編成し、時には個人で、時には協働で探究学習を進めています。実際に生徒が設定した探求のテーマをいくつか紹介します。
「未来のAIと人間の関係」「絶滅危惧種の増加」「南海トラフに備えできること」「人間と機械と未来」「水位上昇問題」「海洋汚染問題」「未来の世界の中での日本」「未来の税金問題」「地球温暖化を防ぐ」「企業の人材確保の競争率激化」「少子高齢化の改善策」「20年後の輸入問題」「30年後の文化と伝統」「環境に良い家づくり」…
この他にもたくさん興味深いテーマを設定しています。これらのテーマだけを見ても、現在抱えている課題や問題が様々で、中学生が興味を持っていることがわかります。単に調べ学習で留まるのではなく1年間でどこまで掘り下げることができるのか今から楽しみです。
校長室のひとりごと「はいポーズ!」
校長は修学旅行や校外学習など、何かと写真(集合写真)を撮られる機会があります。いつも私は前列中央で写真屋さんの「はいみんな良い顔をして!」「じゃあ次はピースしてみようか・・・」など言われたとおりに操られています。最近はカメラと言うよりスマホで手軽に写真を撮れるので、プライベートでも撮られる機会が増えたように思います。しかしカメラ(スマホ)を向けられると、どうポーズを撮れば良いのか困ってしまい、いつもこわばり引きつった顔で写ってしまいます。カメラ(スマホ)を向けられたときのポーズには年代によりある特徴があるそうです。令和世代では、視線が顔に集中しないようにと、顔を隠す、横顔、視線をそらすポーズが多いそうです。では平成世代ではどうかというと、手をアゴに添えたり手に持った飲み物などを顔周りに持ってくるなど、ファッション誌の表紙のような決めポーズが多いそうです。また「ギャルピース(手のひらを上に向けたピース)」などを考えた世代でもあり「ギャルピース」は今も健在だそうです。では昭和世代はというと、恥ずかしがりながら控えめに胸の前でピースが多いようです。また私のようにどうして良いか迷った末に、手を前に組んでみたりソワソワしている間に撮影終了なんてパターンが多いようです。どうでしょう、アルバムを開いて見直してみたら面白いかもしれませんね。
※ この週末「セミ」が鳴き始めましたね!
校長室のひとりごと「崖っぷち」
先月「関東甲信越中学校長会研究大会」に参加しました。楽しみにしていた記念講演「絶対にあきらめない」銚子電鉄の竹本勝紀社長のお話は大変印象に残っています。竹本社長は、何度も経営難による廃線の危機に直面しながらも、その度に独特の発想で乗り切ってきた経験談をユーモア交えてお話ししてくださいました。その中で「崖っぷち」の経営状態を逆手にとって新たな企画を考えているとも話しておられました。
先日新聞を見ると、この「崖っぷちプロジェクト」について紹介されていました。まずは「犬吠崖っぷちライン」という名称です。もうお気づきだと思いますが銚子の犬吠埼、屏風ヶ浦など崖の景勝地と崖っぷちの経営難とをかけて名付けたものです。JRと連携し、車内の乗り換えアナウンスで「犬吠崖っぷちライン」と流されているそうです。また竹本社長は、「崖っぷち」の中小企業を応援しようと「崖っぷちサミットin犬吠埼」を開催すると意気込んでおられ「最低7社以上集めたい、崖っぷちだけにG7サミットだ」と話されているそうです。
これらの逆境を逆手にとるという発想で、これまでも「銚子名物ぬれ煎餅」や「まずい棒」、本銚子(本調子)駅になぞらえて「運気アップ記念切符」、銚子名産「鯖(サバ)」にかけて「鯖威張る(サバイバル)カレー」など様々な商品をヒットさせてきました。これらの一つ一つに商品化までのドラマがあり、社員一丸となって「地域のために銚電を残さなくては」という全社員の「地域のために銚電を残さなくては」という強い思いを感じます。勉強になりました。夏休みにぜひ銚電に乗りに行こうと思います。
校長室のひとりごと「あれ、セミは?」
西日本や東海地方は短い空梅雨で、例年より早い夏の到来で連日猛暑が続いています。関東地方も連日の暑さは、既に真夏と言っても良いかもしれませんね。いつもなら梅雨明けと同時に「ミーンミーン・・」と暑さに輪をかけるようなセミの鳴き声があちらこちらから聞こえてくるのですが、今年は全国的にセミの鳴き声が聞こえてきていないようです。虫の生態に詳しい専門家によると、今年は梅雨が短く、集中豪雨はあったものの空梅雨で地中深くまで水分が行き渡らず、木々にも十分な水分が足りず、セミの幼虫の栄養分となる樹液が少なかったこと、またセミの羽化には地温が20℃以上の日が続かなくては幼虫の羽化のスイッチが入らないこと、地面が乾燥して固まっているため幼虫が地表に出てこられないことなどの原因が重なっているからではないかと推察しています。
早朝から安眠を妨げるかのような夏の始まりを知らせてくれる風物詩のセミ、鳴かないと鳴かないで何か物足りなく感じます。セミは寿命のほとんど4年以上を土の中で過ごし、ようやく訪れる夏に地表に出てきて羽化し、数日間だけ大合唱をし短い生涯を終えます。そう思うとあの「やかましい大合唱」が、やけに恋しく感じてしまいます。
校長室のひとりごと「テレビ離れ」
3年生と校長面接を行っています(6月30日参照)。生徒の普段の姿を引き出そうと質問内容も工夫しています。「どんなテレビ番組をよく見ますか?」と問えば、「〇〇とか△△などが好きです」と生徒達は答え、すかさす「昨日の◇◇見た?面白かったよね」などと私も返すというやりとりで生徒の緊張を和らげていたものです。しかし最近は「どんなテレビ番組・・・・見ますか?」と聞くと「テレビは見ません」と答える生徒が大半です。「ではニュースはわからないかな?」と聞くと「ニュースはスマホで見ています」といった具合です。年々テレビ離れが進んでいると実感します。テレビの視聴に関する調査がありますが、2014年実施の調査で「テレビコンテンツを全く見ない」と回答した13歳~19歳は10%だったのに対し、2022年実施の調査では「全く見ない」と回答した13歳~19歳は19%と倍増しています。調査によればこの傾向は、全ての年代で同様の結果が表れているそうです。テレビっ子だった私は「テレビばっかり見てるんじゃないよ!」とよく叱られたものですが、テレビ離れが良いのか悪いのか判断が難しいところです。情報を手に入れる手段としてスマホを利用することは悪いことではありませんが、AIが自動的に履歴から「興味のありそうな情報」を次から次へと表示し、そうでない情報は、表示されなくなる性質がスマホにはあります。それを理解した上で利用してほしいものです。昭和の学校の朝の風景「ねえねえ昨日〇〇見た?」「見た見た」なんてはしゃぐ姿は懐かしい過去のことなんですね。
校長室のひとりごと「水泳の授業」
今、水泳授業が話題になっています。愛知県大府市や静岡県沼津市などいくつかの市では、水泳の授業の廃止が報じられ、それに対し賛否両論の考えがネットでざわついています。学習指導要領では小1から中2まで水泳の授業は必修で行うことになっています。ただし「適切な水泳場の確保が困難な場合は実技で取り上げなくても良い」と記載があります。なぜ今水泳授業の廃止なのか、原因の一つがプールの老朽化です。1955年の小中学生の水難事故を期に、小中学校にプールを設置されはじめ水泳の授業を行うようになりました。本校は昭和47年にプールが設置され50年以上が経過しています。新設校は別として全国的にほぼ同時期の設置だと思います。沼津市の中学校のプールも老朽化が深刻で修繕には一校当たり2億円かかるそうで、学校での水泳授業を廃止したそうです。老朽化以外にも近年の猛暑の影響で、プールサイドは火傷しそうなくらいに熱くなり、水温も30℃、水中での熱中症の危険が高まっていること、宗教や多様化する生徒への配慮のため、体育教師の負担軽減など廃止する理由はいくらでもあります。中学校の体育の授業で水泳に充てられる時数も限られており、授業の中で全員が泳げるようになるには限りがあります。では、水泳授業は必要ないかと言えば、そうは思いません。7月に入り水の事故が全国で発生してる現状を鑑みれば、つまり原点に戻り、水難事故対策の一助と考えれば、水に慣れることは大いに役立つことだと思います。昔と違い、夏のレジャーも様変わりしプールへ行ったり海水浴に行く家庭も減少しています。水泳授業で水に慣れることの意味は大きいと考えています。
校長室のひとりごと「音を立てて崩れていく」
「これでもか」というくらいの晴天続きですが、心は重い雲に覆われているようなスッキリしない気持ちが続いています。原因は名古屋市の小学校教員による児童の盗撮、教員SNS仲間での共有による不祥事、というより逮捕されるという事件の報道をはじめ、連日新たに報じられる教員による盗撮やわいせつ事件の報道です。一般の視聴者と同じように私も「あり得ない」「酷すぎる」などと報道に胸を痛めています。全国で小中高等学校の教員は約92万人、その多くは身分や立場を自覚し「聖職」とまでは言いませんが、日々子ども達のために職責を全うしようと一生懸命励んでいます。しかし、連日これだけ教員としてあるまじき行為による逮捕者、不祥事が続いてしまうと、社会的に学校、教員に対する信頼や信用を失うことを懸念しています。大切な我が子を学校に預けている皆さんにしてみれば、例え当該校でないにせよ「先生の質も下がった」「日頃偉そうなことを言っているくせに」「これだけ芋ずる式に出るなら、もしかして・・・」「うちの学校は、うちの担任は大丈夫だろうか」「もう何も信じられない」と不信感を募らせるのも当然です。これまで積み重ねてきたことが音を立てて崩れていくような喪失感を感じずにはいられません。社会全体の学校に対する信用、教職員に対する信頼を取り戻すために、一つ一つこれまで同様、子ども達のために頑張っていこうと思います。