お知らせ
全国大会報告
白井くんが参加した全国中学校陸上岡山大会は、晴天・追い風0.5Mの比較的よいコンディションの中2:40ごろ予選が行われました。千葉県チャンピオンとして堂々の戦いでした。
残念ながら15秒25と自己ベストには入れませんでした。
素晴らしい経験と次への目標ができたと思います。
全国大会
白井伶欧君が14:35からの110Mハードル予選に出場します。
全国大会へ壮行会
陸上部の白井くんが明日19日岡山市で行われる全国大会へ出発します。
110MH予選は、20日の14:35分からです。
出発に先立ち、本日部活動に参加している生徒、先生方がささやかな壮行会を行いました。
関東大会で学んだこと、さらに全国大会で自己ベストを更新し、全国の広さを感じてほしいと思います。
白井くんは、91㎝のハードルを飛び越えて行きますが、今後は(高校以上で)1㍍を超える高さのハードルに挑戦していく予定です。
精一杯レースをしながらも、高いレベルの経験をしてほしいと思います。
終戦の日
昨日は、73回目の終戦の日でした。
終戦時の内閣総理大臣は、言うまでもなく鈴木貫太郎閣下です。鈴木貫太郎は野田市関宿の出身で、関宿小学校には2.26事件で撃たれ退院してきたときにお礼として送られたSeiko社の時計が飾られています。
貫太郎記念館は今でも多くの来館者があります。地元にある實相寺には貫太郎さんのお墓があり、終戦記念日には多くの人がお参りに訪れます。
終戦以来73年諸先輩たちの努力により、平和と繁栄が築かれました。
我々は、さらに平和で人間味あふれる社会を創っていかなければいけないものだと思う日となりました。
郷土の偉人
終戦時の内閣総理大臣は、言うまでもなく鈴木貫太郎閣下です。鈴木貫太郎は野田市関宿の出身で、関宿小学校には2.26事件で撃たれ退院してきたときにお礼として送られたSeiko社の時計が飾られています。
貫太郎記念館は今でも多くの来館者があります。地元にある實相寺には貫太郎さんのお墓があり、終戦記念日には多くの人がお参りに訪れます。
終戦以来73年諸先輩たちの努力により、平和と繁栄が築かれました。
我々は、さらに平和で人間味あふれる社会を創っていかなければいけないものだと思う日となりました。
郷土の偉人
関根 金次郎(せきね きんじろう、1868年4月23日(慶応4年4月1日) - 1946年(昭和21年)3月12日)は、明治から昭和初期の将棋棋士、十三世名人。本来の表記は關根金次郞。八代伊藤宗印及び十二代大橋宗金門下。将棋連盟や実力名人制を創始した。「近代将棋の父」とも称される[1]。
下総国葛飾郡東宝珠花村(後の千葉県東葛飾郡二川村東宝珠花、さらに関宿町、現在の千葉県野田市東宝珠花)の生まれ。
船橋 随庵(ふなばし ずいあん、寛政7年(1795年)-明治5年4月9日(1872年5月15日))は、幕末の関宿藩士・学者。墓は、関宿宗英寺
等も調べてみてはいかがでしょうか。
全国大会に向けて
今月の19日(日)~21日(火)に控える全国大会に向けて,3年生の白井くんが夏休みも返上で練習に励んでいます。
大きな舞台で活躍する裏には,並外れた努力が積み重ねられているのだと実感させられます。
中学校3年間の集大成として,岡山の地で最高のパフォーマンスを発揮してくれることを期待しています。