木間ヶ瀬

木間ヶ瀬地区

木間ヶ瀬MAP


木間ヶ瀬地区紹介
飯塚地区の塚 無量寿院・慈眼院
飯塚地区の塚 無量寿院 慈眼院
いつの頃からここに塚が作られたものか明確ではありませんが、江戸時代中期のものと思われる石碑が多数残されています。もともと供養塔として作られた意味合いが大きいと思われますが、中には、昔若者たちが力自慢を競い合った力塚と言うものもあります。 「東の寺」「西の寺」と呼ばれ隣りあっていて、両寺ともに真言宗の寺院。無量寿院は、その由来は明確ではないですが、行基律師が領主吉田五郎左ヱ門の祈願によって開いたとされています。慈眼院(霊光山金剛寺慈眼院)は慶長年間に僧行弁が地中より黄金の仏像を掘り出して祀ったと伝えられ、楼門を高く構え見応えのある寺院です。慈眼院の横に墓地があり、奥に木間ヶ瀬の代官を務めた深津家の六基の立派な墓があり歴史を感じさせてくれます。
駒形神社 白山神社
駒形神社 白山神社 白山神社 絵馬
木間ヶ瀬(こまかせ)の「こま」は馬の駒からきており、馬に関する神社として祀られた神社です。社殿への入り口には青面金剛像が安置され、その台座に三猿が彫られている。病気が去るという願いのもとに作られた素朴な民間信仰が残されているもので、駒形神社と延喜との時代差はあるが、この土地が古くから、馬の放牧地帯であったことが偲ばれる。 広い境内はいかにも宮居のたたずまいで、本殿と拝殿は権現造りの様式。拝殿には普通のものよりかなり大きな絵馬が奉納されています。境内に桜が多く植えられ、なかには平将門の御手植と伝えられる七本桜もある。この社の道はかつての街道であったらしく、西宝珠花方面、東筑波方面と記された道標が残っている。
松の木天満宮 八幡神社 武者土囃子
松の木天満宮 八幡神社 武者土囃子
毎年1月25日には歌舞伎調の衣装で昔の結婚式を表現する祭りは狐の面を付けた「はなっかけ」と呼ばれる道案内に始まり、はさみ箱・花婿花嫁・お供の者と続き天満宮参りの行列をする。花婿は大根で作った陽物を持ち、子宝信仰や陽物信仰がお比射とも重なり、豊かな実りを願う牧歌的な祭りとなったようで、地区の人たちによって守られている。 岡田地区の田園の中にあって、風景にマッチした八幡神社。人々の信仰も厚く、古き良き時代のなごりを感じさせてくれる。 毎年3月3日と9月26日(現在は海の日)の大杉神社の例祭に行われる郷土芸能で、講中の長男が参加、家々を神輿とともに巡り家内安全と五穀豊穣を祈願する祭り。(指定文化財)
下根香取神社 下根獅子舞棒剣術 下根本明院
下根香取神社 下根獅子舞棒剣術 下根本明院
創建の年代は不明。剣法秘伝書が宝物として伝えられているほか、獅子舞(三匹の鹿舞)が指定文化財として伝承されている。毎年11月23日に境内で剣の型と獅子舞が奉納される。すぐ近くに瑠璃光山東照寺本明院があり、剣の型と獅子舞はこの寺院の住職によって下根の青年たちに指導されており貴重な文化財となっている。 下根神社に古くから伝わる祭礼行事で、春の祭礼では二本の的を立て、氏子が交代で矢を射るおびしゃが守り伝えられています。秋の祭礼では獅子舞と棒仕合型が行われ、昔からこの地に武術が盛んであったことがしのばれます。左記にも記述がありますが、こちらは無形文化財に指定されています。 山伏の修行寺と呼ばれている天台宗の寺院。
大山の石碑 日福寺廃寺跡 須賀神社
大山の石碑 日福寺廃寺跡 須賀神社
県道二川安孫子線の道路沿いの大山地区に入った所に静かに立つ石碑で、寛政年間に建てられた供養塔。石碑の四面に凡語が刻まれており、下部には漢字を読み取ることができる。 戦後、河川改修などで荒廃し野田市に移転。今は畑のなかにひっそりと石仏が残るのみとなっている。 県道の脇に立つ入母屋造りの神社で、社殿には長髪の御神体が祀られている。夏の初めの祭りでは、氏子が仮宮で一週間宿り込んで神に奉仕をし、その間キュウリをたべないという風習が続けられている。