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二川
二川地区
二川地区紹介 | ||
東高野の路分け六地蔵 | 埋門 | 桐ヶ作旧商店及び渡場 |
埋門から一、二分北に歩くと広場に出る、その入口に小さな六体の地蔵がある。風化のため顔立ちが明確ではないが、古くからこの地で愛され親しまれてきた地蔵尊で今も近隣の人達によって手厚く祀られている。 | 関宿城にあった埋門を廃城令によって明治8年に移築したもので、通称四つ足門と呼ばれる門。現在は個人の所有。江戸時代の古絵図にも埋門として記載されており、当時の姿のままに保存されている。 | よく見ると当時をしのばせる商店が2~3軒と今は土手下になってしまった渡場であるが、商人・町人には重要な場所であったにちがいない。 |
常敬寺親鸞上人座像・阿弥陀如来座像 | 桐ヶ作道分地蔵 | |
親鸞上人座像は鎌倉末期の作と推定される高さ70cmの檜の木像で、県指定文化財。眉をしかめ、面長で鼻の秀でた面様が特徴の堅実な彫り物。また、阿弥陀如来座像は同じく鎌倉末期の作と推定される高さ52cmの木像で両手の甲を胸の前で対向させた珍しい印相である、これは後補の可能性が高いとされ、はじめは説法印を結んでいたと考えられている。 | 小さな街道の分れ道に静かに立ったきれいな地蔵様で、今も人々の信仰があつく大切にされている。周りの田園風景と良くあい、一度は見てもらいたい地蔵様です。 | |
新田戸・中戸地区 水塚 | 旧街道分かれ道 | 諏訪神社 |
今でもこの地区周辺には、ときどき見られるもので、水害から人や食料を守るために考え出した知恵の塚とも呼んでいいだろう。今は両河川に高い土手があり、水害はなくなり、いずれ塚もなくなってしまうかもしれない。 | 今は県道の脇になりあまり気付かないが、当時はこの道を通って関宿城の大手門に続いたわけです。少しの間ひっそりと歩いて見るのもいいかもしれない。 | 夏のお祭りはかなり盛大に行われ、子供達が引く山車はほほえましいものがあり、神社そのものも大きく、周りの人の信仰もあつく大事に守られている。 |
日光街道松並木 | 親野井の古墳 | 日枝神社 |
現在の県道結城~野田線で江戸時代の街道並木。日光街道の東にある事で日光街道東往還関宿多功通りと呼ばれ、江戸~日光の副路線として当時の通行量は多かった様です。大手門から元町、内町、西高野、そして新田戸に出るとこの街道に出ます。 | 小さな古墳ではあるが、高さは高く、きれいな円形をしている。町の中で古代のモニュメントとして貴重であり、古いものがだんだんこわされていく中大事にしたいものである。 | 歴史は古くまた町では比較的大きい神社である。関根金次郎名人が寄進したものも多く、また供養塔、康住塔も多く、中に入ると静かなふんいきもあじわえる。 |
関根金次郎の墓と石碑 | 浄禅寺 | |
義翁盛訓の開山になる曹洞宗の寺で、境内には本堂のほかに大師堂があり、山門をくぐると左手に金銅製の地蔵菩薩がある。また、この寺には昔禅の修行をしたと思われる行堂が残されており、今、地域の人たちの集会所として利用されている。 | ||
近代将棋界の父とされる13世名人関根金次郎は、明治元年に東宝珠花で生まれ、子供の頃から将棋の才能に恵まれ、11歳で11世名人伊藤宗印に弟子入り、20歳で三段、24歳で五段、53歳で名人位についた。当時一代一名人制であった棋界制度を実力名人制にかえ近代将棋の足掛かりを築いた。 |
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