2020年12月の記事一覧
北風と太陽のはなし
寒波の影響で、寒い日が続いていますね。昨日は冷たい北風の吹く一日でした。そこで…、イソップ物語の中に、「北風と太陽」という話があります。ある日、北風と太陽が力比べをすることになりました。そこへたまたま、コートを着た1人の旅人が通りかかりました。そこで北風と太陽は、「あの旅人のコートを脱がせた方が勝ち」ということに決め、さっそく力比べをはじめました。最初に北風が、冷たい風を激しく旅人に吹きかけました。しかし、旅人はコートのえりを立て、しっかりとコートの前を合わせて、吹き飛ばされまいとします。北風が懸命になって力を入れれば入れるほど、旅人はコートをしっかりと押さえつけ、離しません。とうとう力つきた北風は太陽と交代しました。太陽は、暖かい日差しを優しく旅人にあてます。どんな強風にもコートを離さないでいた旅人でしたが、ポカポカと暖かい太陽の光を浴びて、身も心も温まり、ついにコートを脱いでしまいました。この北風と太陽の話は例え話です。一般的な解釈は、北風は冷たく厳しい非難や押しつけをあらわし、太陽の光は、温かい思いやりや賞賛をあらわしているということです。人を変えようと思ったとき、北風のようにピューピュー吹いても人は受け入れてくれません。また逆に、暑くてもコートを脱がないような人は、人の気持ちやアドバイスを受け入れないのでこれも良くありません。人間関係を温かく、素敵なものにするには、言う側は、相手の立場に立った温かな言葉や態度で、また言われた側は、素直な心で受け入れるようにしましょう。一週間お疲れさまでした。(12月18日 校長)
生徒諸君へ 朝活のすすめ
今日は、学校の脇にある用水路の水が凍っていました。厳しい寒さが続いています。健康に気をつけて過ごしましょう。さて、人はみな平等に1日24時間という時間を生きています。私は子供の頃から朝早く起きる人間でしたので、当時、勉強も朝にやっていました。教師になってからも、毎朝早く学校に行き、まず、職員の一員として、職員室のゴミを集め、お湯を沸かしていました。それが終わると、自分で決めた日課であった学級通信を書き、その後、部活動の朝練習でグランドに出ていました。今は、朝4時半に起き、洗濯物を干し、ごみを出して、5時半頃家を出て、6時ごろ学校に到着します。2つの新聞に目を通し、教育関係の記事があれば、職員に紹介する準備をします。それから学校のホームページの給食のページの準備をし、それが終わると、学校を出て、健康づくりも兼ねて、学区の地域を日ごとに違うコースを歩いて回り、最後に川辺小学校の交差点で立哨指導をして学校に戻ります(約1時間)。そうしていよいよ、学校が始まります。朝は、夜と違い、頭や体の疲れが取れていて、外の空気は澄み、何をするにも、とても気持ちよく、そして効率よく進みます。部活動の朝練習、3年生の朝勉強、飯中生みんなが毎朝取り組んでいる朝読書など、生徒諸君には、ぜひ、朝のちょっとした時間を活用して、何かに真剣に取り組んでみることを勧めます。「毎日のちょっと」が続けば、きっと目に見える結果となって表れますよ。(12月17日 校長)
今日は朝の特集です。
生徒諸君へ 負ける練習
負ける練習
柔道の基本は、受け身です。受け身とは、投げ飛ばされる練習です。人の前でたたきつけられる練習、人の前でころぶ練習、人の前で負ける練習です。つまり、人の前で失敗をしたり、恥をさらす練習です。自分の格好の悪さを人前でさらけ出す練習、それが受け身です。そして、長い人生には、格好良く勝つことよりも、ぶざまに負けたり、だらしなく恥をさらしたり、思い通りにいかない事の方がはるかに多いのです。そして、負け方や受け身の取り方が本当に身についた人間が、苦しみに耐え、人の胸の痛みを心から理解できる、優しく温かい人間になれるのです。格好良く見られたい。格好悪いことはしたくない、ちょうどみんなはそういう年頃ですよね。とってもよくわかります。でも、格好悪く投げ飛ばされることだってたくさんあり、その時に受け身ができないと大きなけがをしてしまいます。昔、公式戦で1度として負けることなく引退した、柔道の山下 泰裕さんは、引退するときに、「自分は幸いなことに、負けることなく引退するわけだが、これから指導者として、負ける辛さや苦しさを知らずに引退することはとても心配なことだ」というようなことをおっしゃったことがありました。たまには派手に投げ飛ばされて負けたっていいのです。その事が必ず役に立つのですから。投げられまい、投げられまいとするよりも、投げられたときに受け身をとり、すぐ体勢を立て直す。そんな人になりたいものですね。(12月16日 校長)
いきいき子育て⑳
波騒は世の常である
吉川英治の小説の傑作「宮本武蔵」の最後に、次のような文があります。「波騒(なみざい)は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に雑魚は歌い、雑魚は踊る。されど誰が知ろう、百尺下の水の心を。水の深さを」佐々木小次郎との巌流島の決戦で終局を迎えた後に続くこの作者のメッセージは、混乱の極みにある今の時代にも通じるのではないかと思います。私が解釈するに、国や社会も、個人の人生にしても、いい時もあれば、悪い時もある。「波騒は世の常である」とはまさにこのこと。その際、多くの人は、その時々の浮き沈みに一喜一憂するが、悠然たる底の水の流れを知れば、落ち着いて行動できるはずだ、ということです。新型コロナウイルスの影響で、国がまた動きを示しました。学校教育もどうなっていくのかまったく先行き不透明です。しかし、私は困難な事態に直面した時、「すべてが人生勉強」と思うようにしています。そうしてよく考え、よく情報を収集し、勇気を持って事にあたれば、自然に打開策は見えてくると考えています。今年度様々な行事が中止となりましたが、本校教職員の知恵と汗、創意工夫で代替行事を行い、例年と同じかそれ以上の教育効果を発揮できたと考えています。3年生の進路についても、親や教師は人生の先輩として、大きく構えて指導にあたりたいものです。(12月15日 校長)
見える学力、見えない学力
見える学力、見えない学力
現在進行形の表現ができるようになった。因数分解の計算が解けるようになった。シャトルランで目標を達成することができた。これらは、すべて見える学力です。授業でやっていることであり、テストで確かめられること。手のひらの裏側には手の甲があるように、見える学力の裏側には見えない学力というものがあります。「ありがとう」、「ごめんなさい」と素直に言える。ゴミが落ちていたら拾う。元気に「おはよう」って声がかけられる。「わー、花がきれい」と感じる心など、これらは見えない学力です。人の優しさや思いやり、ボランティア精神、心のたくましさ…こういったものは机の上ではなかなか身に付かない見えない学力です。机の上の勉強も大切です。またその土台となる人間の芯である、見えない学力も大切です。大切なものを見失わないようにしないといけませんね… (12月14日 校長)