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2024年9月の記事一覧

#ハルカイト 見学のススメ(1) #社会科見学 でご活用ください

今年8月にオープンした「ハルカイト」(大凧文化交流センター)。数回にわけて、展示の見どころを紹介します。 #かすかべプラスワン

まずは、何と言っても「大凧あげ」。毎年5月3日・5日に西宝珠花地区で行われる大凧あげは、もはや春日部の代名詞、一大観光イベントにもなっていますが、宝珠花の大凧揚げは、市指定無形民俗文化財、国選択の無形民俗文化財「関東の大凧揚げ習俗」の一つにもなっている、地域がはぐくんできた文化遺産でもあるのです。

2階の大凧文化展示室では、床面にはみ出さんばかりに貼られた、実寸大の大凧のシートをはじめ、大凧揚げの起源や歴史、大凧づくりの過程を模型や資料・パネルで紹介しています。

写真:ハルカイト大凧文化展示室

ところで、埼玉県内の小学校4年生の社会科学習では、県内の伝統・文化や特色のある地域を学ぶ単元が設けられています。春日部市の社会科副読本では川越の川越まつりや蔵造りのまちが教材として取り上げられていますが、県内の市町村では、「春日部の大凧あげ」がテーマや教材として取り上げられることもあるそうです。ハルカイトの大凧文化展示室は、その課題に応えられる、もっとも相応しい施設といえるのではないでしょうか。

市内には、巷で注目されている防災施設・首都圏外郭放水路(龍Q館)もありますので、防災学習で首都圏外郭放水路を見学したのち、県内の伝統・文化を学ぶため、ぜひハルカイトをご利用いただく、そんなルートでの社会科見学をぜひご計画ください。

そして、展示を見学するだけでなく、来館の思い出に写真も撮れます。

写真:大凧揚げ記念写真

こちらは、担当の職員がひねりにひねって出したアイデア、トリックアートで体験する大凧揚げです。手元の縄は本物の縄を使用しており、とても臨場感のある仕上がりになっています。子どもだけでなく、大人の方もはしゃいで記念撮影をされ、好評のようです。

大凧あげは、毎年5月3日・5日の2日間限定のイベントなので、年間を通じて春日部の大凧あげの魅力を発信することは、なかなか厳しい状況にありました。しかし、ハルカイトがオープンしましたから、これでもう、年がら年中、大凧あげ。いつでもその魅力に接することができるようになりました。

子どもだけでなく、大人も楽しめる展示となっています。ぜひ、ふるってご来館ください。

9月の近隣博物館・資料館の考古学情報

9月の近隣博物館・資料館の考古学情報をお届けします。(毎月28日ごろに掲載します。随時、情報を更新します。)

見学の際は、休館日等、よくご確認の上お出かけください。

(展示会_閉会日順)
・10月28日(月曜日)まで 松伏町役場 都鳥が見た古代(パネル展)

・10月31日(木曜日)まで 神川町多目的交流施設(神川町)「鏃のうつりかわりinかみかわ」

・11月4日(月曜日・祝日)まで 松戸市立博物館「異形土器 縄文時代の不思議なうつわ」

・11月8日(金曜日)まで 立正大学博物館(熊谷市)令和6年度館務実習生 ミニ企画展「立正大学のDOGU-土偶ー」

・11月14日(木曜日)まで 国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館(東京都三鷹市)「野川中流域の旧石器時代―ホモサピエンス 氷期の暮らし」

・11月17日(日曜日)まで 栃木県埋蔵文化財センター(栃木県下野市)巡回展「栃木の遺跡&発掘調査速報展」

・11月24日(日曜日)まで 埼玉県立嵐山史跡の博物館(嵐山町)ほか 比企歴史の丘巡回文化財展「比企の縄文時代ー縄文時代の道具」

・11月24日(日曜日)まで 群馬県立歴史博物館(群馬県高崎市) 第111回企画展「弥生人は二度死ぬー再葬墓ってなに?ー」

・10月12日(土曜日)から11月24日まで(日曜日) 行田市郷土博物館 第37回企画展「布をまとう―古代人の衣(ころも)―」

・11月24日(日曜日)まで 谷田部郷土資料館(茨城県つくば市) 巡回企画展「中根・金田台地区の遺跡」

・12月1日(日曜日)まで 埼玉県立さきたま史跡の博物館(行田市) 令和6年度 企画展「古墳時代の装い-おしゃれな古代人-」

・12月1日(日曜日)まで 観音塚考古資料館(群馬県高崎市)令和6年度 第36回企画展「地方から見た律令国家成立前夜 - 群馬の7世紀史を考える -」

・12月1日(日曜日)まで 大田区立郷土博物館(東京都大田区)「矢を放て!~関東の弓矢、1万年~」

・10月16日(水曜日)から12月8日(日曜日)まで 東京国立博物館(東京都台東区)挂甲の武人国宝指定50周年記念 
特別展「はにわ」

・12月22日(日曜日)まで 国立近代美術館(東京都千代田区)「ハニワと土偶の近代 」

・10月12日(土曜日)から12月22日(日曜日)まで 本庄早稲田の杜ミュージアム(本庄市)「埴輪ー本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉まで」

 ・10月19日(土曜日)から12月15日(日曜日)まで 草加市歴史民俗資料館 秋季企画展 「古墳時代の草加地域」

 

(現地見学会)

・10月19日(土曜日)山野貝塚(千葉県袖ケ浦市)袖ケ浦市教育委員会

・11月16日(土曜日)真福寺貝塚(さいたま市岩槻区)さいたま市教育委員会

 

レファレンスがレファレンスを生む

春日部市内の様々なことについて、郷土資料館にお問い合わせいただくことがあります。これに的確にお応えするのも郷土資料館の一つの役割。いわゆるレファレンス(情報探し)です。 #かすかべプラスワン

先日、春日部市内の小学校・中学校・義務教育学校の校歌について調べている方から、調べ方などについてお問い合わせいただきました。昔のことだけでなく、今・現在のことも尋ねられられることもしばしばあります。今のことを理解するためには、歴史を紐解く必要があるわけですから。今と歴史はつながっていると実感させられます。

実は、校歌について調べていらっしゃる方は、庄和地区市民大学のグループの自由課題に取り組まれている方で、市内の校歌にどのようなことが歌われているのか、を調査されているそうです。校歌には、地域の名所・旧跡や自然的な景観が詠みこまれていますが、とくに「富士山」に着目して、市内の浅間信仰にも派生して、様々なことを調べていらっしゃるそうです。そうした観点から校歌を捉えてみるということ、非常に興味深く感じました。

さて、今回は、資料の利用について相談のためご来館いただきました。「学校の校歌ができたころ、かつて校舎から富士山がみえたに違いない。それを証明するために、学校の周りに建物が少ないころの写真を提供してほしい」とのご相談でした。

思い当たるものはいくつかあるのですが、さしあたり、次の写真を提供させていただきました。いずれも昭和45年(1970)に撮影されたものです。

ほごログの読者の方から、画像が小さいというご意見もいただいているので、今回はめいいっぱい大きな画像で掲載します。拡大してご覧いただくのはスマホをスワイプしてください。ちなみ、右クリックでダウンロードもできます(利用は個人で楽しむ範囲でお願いします)。

まずは、豊春小学校。写真の上に横断する道は現在の県道2号(かつての国道16号)です。

写真:昭和45年豊春小

校舎はかつての木造校舎。道沿いに大きな池がみえます。古隅田川の旧流路沿いにあたるようです。これだけ大きな池なので名前もあることでしょう。ご存じの方がおられましたら教えてください。

次は、幸松小学校です。

写真:昭和45年幸松小学校

 こちらも、かつての木造校舎。円形の体育館は、今も幸松小のシンボルです。

もう一つの円形の体育館といえば、武里小学校。

 写真:昭和45年武里小学校

こちらも、かつての木造校舎がみえます。

いずれも、周辺がまだ住宅地として開発される直前であることがわかります。

白黒ですが、もう少し俯瞰した写真をみれば、さらにその状況がよくわかります。

写真:昭和45年武里小学校の周辺

写真の中央が武里小学校。左上には武里中学校がみえます。注目されたいのは、小学校の東側(右側)の敷地。Dの字を逆さにしたような形で田んぼが広がっています。いまや戸建て住宅が立ち並ぶ備後西の住宅街となっていますが、それは、この写真の少し後のことのようです。

いずれも本邦初公開の写真です。とくにカラー写真は当時はまだ少なかったのでとても貴重な写真となります。

ご来館いただいた方に、これらの写真を提供したところ、大変喜んでいただきました。

校歌・富士山・富士浅間信仰の調査は、記録としてまとめられると聞いています。成果がまとまりましたら、まとめたものを郷土資料館にご提供いただけますと幸いです。なぜなら、次のレファレンスにつながるからです。

そうして、レファレンスは次のレファレンスに続いていくのです。私たち学芸員は、資料と資料、そして資料や歴史と人をつなぐ「コンシェルジュ」といったところでしょうか。またのご利用をお待ちしております。

#民具 のクリーニングをしました

暑い盛りも過ぎたようなので、民具のクリーニングをしました。今回の民具は、今夏に寄贈を受けた桐下駄の製作用具です。 #かすかべプラスワン

写真:クリーニング

寄贈を受けた桐下駄製作道具は、埼玉県立民俗文化センター編『埼玉の桐細工』(1987年)に報告されているもので、桐下駄製作の職人さんが亡くなられた後、使用されず保管されていたものです。

寄贈されて直ぐに展示、というわけにはなかなかいきません。資料の活用の前に、一つ一つ調書をとって整理を進めることになりますが、さらに、その前にクリーニングを行います。

たとえば、このカンナ。

写真:カンナの写真

よってよくみると・・・

写真:白い斑点

白い斑点が。カビなのかもしれません。水洗いをして、よーく陰干しをして除去しました。

つぎは、木製の道具。

写真:木製の道具

おそらく、ゲタを製作するときのカタ(型)や作業の台なのだろうと思われます。

ゴキブリの卵の跡や埃もついていましたので、水洗いしましたが、裏をみると・・・

写真:木製の道具裏面

虫に喰われて、大きく破損しています。

こういった脆弱なものは丁寧にクリーニングをしました。

クリーニングをするなかで、大正時代の墨書のあるものがありましたので、古くは大正時代から桐下駄製造をされていたお宅であることがわかりました。

今後は、『埼玉の桐細工』などを参照しながら、調書をとっていくことになります。

 

それにしても、桐箪笥や桐箱のみならず、桐下駄製作まで。春日部は本当に「桐のまち」だったこと、実感いたしました。

9/27 #ハルカイト で #ミュージアムトーク 西宝珠花の歴史を学ぶ

8月にオープンした大凧文化交流センター「ハルカイト」でミュージアムトークを行います。

当日は、ハルカイトと郷土資料館の職員が、各展示室を解説します。

どうぞこの機会に、大凧文化交流センター「ハルカイト」にお越しください。

 

日時:令和6年9月27日金曜日 10:00から12:00

場所:大凧文化交流センター「ハルカイト」(春日部市西宝珠花593 宝珠花小学校跡地)*集合場所2階大凧文化継承室

定員:30名(お申し込み順)

講師:ハルカイト職員 春日部市郷土資料館学芸員

お申し込み:9月25日水曜日までに、下記へお電話でお申し込みください。

春日部市大凧文化交流センター「ハルカイト」 (048)748-1833

受付時間8:30~17:15 休館日:毎週火曜日

 

(過去のほごログより)

8月8日に行われたミュージアムトークの様子

#大凧文化交流センター 「 #ハルカイト 」オープン

大凧あげの背景 #ハルカイト 展示室より

【新発見!】見川喜蔵の文書(2)

前回紹介した安永3年の借金証文。差出人の安左衛門が郷土の偉人見川喜蔵であると紹介しました。

なぜ、安左衛門が見川喜蔵といえるのか。その秘密は、文書に捺されているハンコです。拡大してみましょう。

画像:安左衛門のハンコ

印文を見ると、右から「知擧」と彫られているようです。安左衛門の諱と考えられます。

「知擧」の名は、前回紹介した見川喜蔵と同じ諱です。粕壁・成就院の見川喜蔵の墓(市指定文化財)には、喜蔵の事績とともに彼の諱が「知擧」であったことが刻まれています。安左衛門という通り名は、喜蔵の息子も名乗っていますので、見川家当主が襲名する名前であったと考えられます。ですから、この安左衛門は見川氏、そして後に活躍して様々な事績を遺す見川喜蔵であると考えられるのです。

実は、これまでの調査で、見川喜蔵の名前が確認される最古の史料は、安永9年(1780)4月のもの。粕壁宿喜蔵が、捉飼場御用のため人馬を差し出す旨を藤塚村名主へ通知する古文書でした(慶応義塾大学文学部古文書室蔵「村鑑雑集 上」)。同年に喜蔵は粕壁宿の問屋(宿場役人)を勤めているので、おそらく問屋の職務として藤塚村名主へ通知したものと考えられます。

喜蔵の最古の古文書が安永9年なので、これ以前「喜蔵」は何と名乗っていたのか、わかりませんでした。そのため、他の記録の見川家に関する記事をどのように理解すればよいのかが課題となっていました。その記事の内容は次の通りです。

(安永8年)正月、名主・問屋八郎左衛門、家開発以来両役相勤、御検地帳預り居、帳元名主ニ有之、然所病身ニ付、伊奈半左衛門様御役所江休役願上、跡役見立候迄相名主鉄郎次壱人ニ而相勤、同人親安左衛門後見、二月御検地帳鉄郎次江引渡(「公用鑑 下」『春日部市史』近世史料編Ⅱp712)

意味は、安永8年正月、名主八郎左衛門(関根氏)が病身のため名主・問屋役の休役を願い、跡役が決まるまで相名主鉄郎次が1名で両役を勤めることにになった。鉄郎次の親安左衛門がこれを後見し、同年2月には関根家の検地帳が鉄郎次に引き渡された。粕壁宿では、安永7年まで関根氏と見川氏の両家が名主・問屋役を勤めていましたが、関根氏(八郎左衛門)が休役したため、鉄郎次(見川氏)が名主と問屋と勤めることになったのです。しかし、鉄郎次は、後の喜蔵と同一人物であるのか、はたまた親の安左衛門が、後の喜蔵と同一人物であるのかが、上の記事から読み取ることができません。

しかし、今回発見した安永3年の借金証文によれば、安左衛門が「知擧」(後の喜蔵)と名乗っていますので、のちの喜蔵は当時安左衛門と称していたことがわかりました。したがって、安永8年正月の名主鉄郎次は、喜蔵の息子(後の安左衛門)、後見人となった親の安左衛門が後の喜蔵であるということが、ほぼ確定されることになったのです。

ちなみに、喜蔵と名乗って以後は、今回の借金証文とは別のハンコが使われていますが、印文はやはり「知擧」。安左衛門を改め、喜蔵と名乗る時期がいつなのか、今後考えなければなりませんが、息子の鉄郎次が安左衛門を名乗ったタイミング、すなわち後見人が不要になった段階に、喜蔵と名乗ったのではないかと推察されます。喜蔵という名前は宿行政の前線を退いた後のいわば隠居的な名乗りだったのかもしれません。

長年、見川喜蔵を追いかけてきた担当者は、上の古文書のハンコが「知擧」であるとわかったとき、小躍りする気持ちになりましたよ。個人的には、見川喜蔵の「知擧」のハンコを来館記念スタンプにしてもよいかもと思っていますが、喜ぶのは担当者だけですね。

この発見は、日本の歴史にとっては小さな一歩ですが、春日部・粕壁宿の歴史にとっては偉大な飛躍です。

【新発見!】見川喜蔵の文書

見川喜蔵といえば、天明の飢饉前後、粕壁近辺で水害が多発した時、私財を投げうって堤防の修復や、地元の人たちを指揮し、地域を水害から守った郷土の偉人として知られています。喜蔵は、のちに江戸幕府から褒賞され、また地域の人々からも慕われ、粕壁の成就院の見川喜蔵の墓(市指定文化財)には供花が絶えなかったといわれています。

史料整理を見直していたところ、一通の借金証文に目がとまりました。今回はマニアックです。

写真:古文書

古文書は次のように記されています(画像は紙が折れて一部文字が読めませんが)

   借用申金子之事

 一、金壱両壱分也

右は当午ノ御年貢ニ差詰り、貴殿江

御無心仕、只今不残慥ニ請取申所

実正ニ御座候、然上ハ何様之義有

之候共、当暮迄之内急度返済

可仕候、為後日仍而如件

         粕壁町

  安永三年午七月  安左衛門(印)

       同所 半六殿

内容は、安永3年(1774)7月に、粕壁町の安左衛門が粕壁町の半六から金1両1分を借用した、いわゆる借金証文です。借金の理由としては、当午の年貢の支払いに支障があるから、というものですが、「御年貢差詰り」は江戸時代の借金証文の常套句ですから、実態はよくわからず、詳しい理由は不明です。7月なので、夏に支払う「夏成年貢」の年貢金に不足が生じたのでしょうか。今年の暮れまでに必ず返すとしています。

宛名の半六は、粕壁で塩問屋として商売を大成する山田半六です。

注目したいのは、差出人の安左衛門。実はこの安左衛門こそ、冒頭に紹介した見川喜蔵だと考えられるのです。

どうして喜蔵なのか? その理由は・・・(つづく)

【東部地区文化財担当者会リレー展示_都鳥が見た古代】杉戸町カルスタすぎとでパネル展が開催されています

9月29日まで、杉戸町「カルスタすぎと」で、「都鳥がみた古代」のパネル展が開催されています。

「カルスタすぎと」は杉戸高野台駅から南東に直線で約1.2㎞の位置にあります。平成13年(2001)にできた、図書館、生涯学習センターが入る施設で、外観は近未来的なイメージですが、内部は木材が多用された空間になっています。図書館も、とても広い面積で作られています。

都鳥が見た古代のパネル展示は、創作室1で開催されています。

ご興味のある方はぜひお出かけください。

杉戸町都鳥が見た古代会場

開催期間 令和6年9月7日(土曜日)~9月29日(日曜日)

開催場所 カルスタすぎと 創作室1 杉戸町大字大島477-8

開館時間 午前9時00分~午後7時00分

休館日 月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)

お問い合わせ 0480-33-6476(社会教育課直通)

杉戸町ホームページ「東部地区文化財担当者会40周年記念リレー展示「都鳥が見た古代」開催のお知らせ」

杉戸町社会教育課町史・文化財担当公式インスタグラム

 

リレー展示は、下記日程で開催予定です。

9月7日から9月29日 杉戸町カルスタすぎと パネル展示

10月4日から10月28日 松伏町役場 パネル展示

11月2日から12月1日 羽生市立郷土資料館 パネル展示

12月14日から令和7年1月13日 越谷市立図書館展示室 パネル展示

1月25日から3月9日 八潮市立資料館 資料展示

3月15日から4月8日 白岡市立歴史資料館 資料展示

4月12日から4月29日 吉川市中央公民館 パネル展示 

5月3日から5月25日 久喜市立郷土資料館 資料展示

6月3日から7月21日 幸手市郷土資料館 資料展示

7月29日から8月24日 蓮田市文化財展示館 資料展示

9月5日から9月19日 加須市パストラルかぞ パネル展示

10月24日から11月26日 三郷市わくわくライブラリ― パネル展示

令和8年1月6日から3月1日 宮代町郷土資料館 資料展示

 

武里南小学校の3年生が郷土資料館を見学しました

令和6年9月12日(木)に武里南小学校の3年生が郷土資料館を見学しました。

武里南小3年生集合!

 

例年10月から開催の企画展「くらしのうつりかわり」展に合わせて来館してくれる学校が多く、その時は常設展示室と企画展示室を見学してもらうのですが、現在企画展示室は準備中です。
そこで、今回は常設展示室と“鉄道高架PR展示室”を見学しもらうことに!

鉄道高架PR展示室見学風景

鉄道高架PR展示室では、将来の春日部駅をイメージした模型や、平成28年に市内の小学生たちが作った粕壁宿の模型などを見学しました。
約10年後に鉄道高架が完了することを知ったこどもたちからは、「もうすぐ大人じゃん!」との声が!まさに、今日見学に来たみんなが新成人となる18歳、19歳の時代ですね!
これからみんなが活躍していく時代に春日部も変わっていくんです!

 

常設展示室見学風景

常設展示室では、縄文時代の竪穴建物や、粕壁宿の模型を見学しながら、学芸員から説明を受けました。

磨製石斧を持ってみる

自由時間には特別に竪穴建物内の磨製石斧(ませいせきふ)なども触ってもらいました!

自由見学の時間

自由見学の時間2

 

実をいうと、武里南小は本来別のところに行く予定だったのですが、急遽予定が変更となり、訪問先として郷土資料館を選んでくれたとのこと!
武里南小にはでばりぃ資料館で伺ったことがあるのですが、なかなか資料館に見学にくることが難しいようでしたので、今回は丁度良い機会になりました!
今年度もでばりぃ資料館の依頼をいただいているので、今度はこちらから伺います!
武里南小3年生のみなさん、またお会いしましょう!

#錦絵 を寄贈いただきました!

といっても、春日部を題材にした錦絵ではないのですが・・・ #かすかべプラスワン

寄贈資料は「東京新嶋原勝景」と題される10枚一組の錦絵。絵師は二代目の歌川国輝。明治2年(1869)に描かれたとされています。

 画像:東京新嶋原勝景

新嶋原とは、明治時代初めに現在の東京都中央区新富町のあたりにあった遊郭のこと。幕末維新期に江戸(東京)の開港・開市が決定されると、築地に外国人居留地が設置され、その付近に外国人向けの遊郭「新嶋原」が設けられることになりました。設置されたのは明治元年末のこと。しかし、築地居留地に思った程の居住者がなく、遊郭の利用者が少なかったため、明治3年(1870)6月に廃止されることが決まり、明治4年(1871)7月に江戸時代以来の遊郭吉原へ移転・吸収されることになりました。

短命に終わった新嶋原遊郭ですが、実は春日部とも関係があるのです。

新嶋原には、廃止時に遊女屋(局見世を含む)が130軒ありましたが、内30軒は東京市外から移り新規開店をした者でした。その内訳は次のように記録されています(『都史紀要 四 築地居留地』東京都、昭和32年刊)。

品川宿3軒、千住(宿)12軒、板橋宿3軒、内藤新宿5軒、粕壁宿4軒、幸手宿1軒、鹿沼宿1軒、横浜1軒

江戸四宿が大半を占めていますが、粕壁宿に居住していた者が4軒の遊女屋を経営していたことがわかります。

商売を広げるため、または新たに旗をあげるため、春日部から江戸(東京)へ進出することは、江戸時代以来、広くみられる動向です。有名なところでは、明治時代中ごろに、春日部八丁目出身の鈴木兵右衛門(通称角兵・スミヒョウ)が鈴木銀行を出店、その弟久五郎(通称・鈴久)は東京支店長として、そして稀代の株の相場師として東京で成功しています。

粕壁宿出身の新嶋原の遊郭経営者がどのような人物か、詳しいことはわからないのですが、「江戸・東京へ進出した春日部の人たち」というテーマについては、幅広くアンテナをはって調査をしていく必要がありそうです。

今回、錦絵をご寄贈いただいた方には、「新嶋原遊郭に粕壁宿出身者がいる」という情報提供もあわせて、資料をご寄贈いただきました。日々、市域の資料を取り扱っているだけでは、気づかない情報・資料をいただき、新たな課題を与えられました。寄贈者の方には、改めて感謝申し上げます。