カテゴリ:郷土資料館
7月、8月、9月に行われる講座等の電子申請お申込み入り口
7月、8月に行われる講座等の電子申請入り口をまとめました。
お申込みされる際にご活用ください。
小学生向け講座は7月9日(土)、一般向け講座は7月12日(火)、9月3日(土)の記念シンポジウムは8月5日(金)より、それぞれ午前8時30分から受付開始です。
●●●7月9日(土)よりお申し込み開始●●●
春日部市郷土資料館体験講座「dokidoki音楽づくり」
講師:国立歴史民俗博物館 中村耕作先生、国学院大学栃木短期大学 早川冨美子先生、郷土資料館学芸員
日時:令和4年8月7日(日)14時~16時30分
会場:春日部市教育センター視聴覚ホール
定員:20名(申込順)
申込受付:7月9日(土)8:30~
春日部市郷土資料館たんけん郷土資料館「めざせ!キッズ学芸員」
講師:資料館学芸員
日時:令和4年8月27日(土)10時~12時
会場:春日部市教育センター
定員:20名(申込順)
申込受付:7月9日(土)8:30~
●●●7月12日(火)よりお申し込み開始●●●
春日部市郷土資料館歴史講座「鎌倉武士と春日部」
講師:郷土資料館学芸員
日時:令和4年7月31日(日)10時~11時30分
会場:春日部市教育センター
定員:30名(申込順)
申込受付:7月12日(火)8:30~
春日部市郷土資料館古文書講座入門編
講師:郷土資料館学芸員
日時:令和4年8月6日(土)、7日(日)、20日(土)、21日(日)(全4回)
10時30分~12時
会場:春日部市教育センター
定員:30名(申込順)
申込受付:7月12日(火)8:30~
春日部市郷土資料館展示解説講座「江戸川筋御猟場と春日部」
講師:篠崎佑太氏(宮内公文書館)
日時:令和4年8月6日(土)14時~16時
会場:春日部市教育センター視聴覚ホール
定員:50名(申込順)
申込受付:7月12日(火)8:30~
春日部市郷土資料館展示解説講座「梅田ごぼうの献上」
講師:二ノ宮幹太氏(宮内公文書館)
日時:令和4年8月20日(土)14時~16時
会場:春日部市教育センター視聴覚ホール
定員:50名(申込順)
申込受付:7月12日(火)8:30~
春日部市郷土資料館展示解説講座「明治天皇と粕壁宿」
講師:榎本博(春日部市郷土資料館)
日時:令和4年8月21日(日)10時~12時
会場:春日部市教育センター視聴覚ホール
定員:50名(申込順)
申込受付:7月12日(火)8:30~
春日部市郷土資料館展示解説講座「埼玉鴨場の設置について」
講師:辻岡健志氏(宮内公文書館)
日時:令和4年8月28日(日)14時~16時
会場:春日部市教育センター視聴覚ホール
定員:50名(申込順)
申込受付:7月12日(火)8:30~
●●●8月5日(金)よりお申し込み開始 ●●●
春日部市郷土資料館記念シンポジウム「江戸川筋御猟場ー埼玉県東部・宮内省・民衆」
講師・演題:吉岡拓氏(明治学院大学准教授)「江戸川筋御猟場と民衆」、篠崎佑太氏(宮内公文書館)「江戸川筋御猟場における宮内省と埼玉県東部」、榎本博(春日部市郷土資料館)「御鷹場から御猟場へ」、司会進行:宮間純一氏(中央大学教授)
日時:令和4年9月3日(土)13時~16時
会場:春日部市教育センター視聴覚ホール
定員:60名(申込順)
申込受付:8月5日(金)8:30~
記念シンポジウム「江戸川筋御猟場ー埼玉県東部・宮内省・民衆」電子申請申し込み
【休館のお知らせ】7月9日(土)午後、10日(日)
令和4年7月10日(日)は教育センターが参議院議員通常選挙の投票所として利用されます。そのため、準備を含め下記の日程で郷土資料館は休館となります。ご迷惑おかけしますが、ご来館の際はご注意ください。
〈休館日〉
令和4年7月9日(土)午後(正午から)
令和4年7月10日(日)終日
【ハミ出し夏季展示】近代の皇室史跡まっぷを展示
7月20日(水)からはじまる宮内庁との共催展「明治天皇と春日部」に先立ち、「埼玉県東部地区近代皇室史蹟まっぷ」をロビーにハミ出し展示しました。 #かすかべプラスワン
今回の共催展の見どころの一つに、近隣市町で同時開催する連携展示「近代の皇室と埼玉県東部」があります。この事業は、春日部市の近隣市町(八潮市・草加市・越谷市・杉戸町・幸手市・久喜市)にご協力いただき、各市町の博物館施設や社会教育施設で近代の皇室と地域のつながりについて、展示・紹介するものです(会場等は下記のとおり)。
今回の共催展の準備・調査の過程で、春日部市のみならず、近隣市町ゆかりの資料を多く見出すことができました。春日部市郷土資料館と宮内庁宮内公文書館ではこの成果を生かすため、近隣市町に資料を提供し、連携展示を開催する運びとなりました。
各会場では、宮内庁から提供された資料パネルのほか、その会場でしかみれない実物の資料も展示される予定です。春日部会場では見られない貴重な資料も並ぶと聞いています。合わせてお楽しみいただけると幸いです。
そして、今回、ロビーに展示した「埼玉県東部地区近代皇室史跡まっぷ」は、連携展示会場の紹介にくわえて、近隣に所在する近代の皇室と地域の歴史を物語る史蹟を紹介するものです。展示の準備の過程で、宮内庁の方と実際に踏査したものになります。ダウンロードはこちら→宮内庁共催展東部地区関連マップ(公開用).pdf
この夏は、「明治天皇と春日部」展、各市町の連携展示、そして皇室ゆかりの史蹟をめぐり、埼玉県東部の郷土の歴史をお楽しみください。
連携展示「埼玉県東部と近代の皇室」会場・内容一覧
◆久喜市立郷土資料館「明治天皇と久喜」
会期:7月20日(水)~9月4日(日)
住所:久喜市鷲宮5-33-1
電話:0480-57-1200
◆幸手市郷土資料館「明治天皇幸手行在所―中村家の資料―」
会期:7月20日(水)~9月25日(日)
住所:幸手市下宇和田58-4
電話:0480-47-2521
◆杉戸町南公民館「明治天皇行幸と杉戸」
会期:7月20日(水)~9月4日(日)
住所:杉戸町堤根4089-1
電話:0480-33-6476
◆越谷市大間野町旧中村家住宅「越谷への行幸・行啓と埼玉鴨場」
会期:7月20日(水)~9月4日(日)
住所:越谷市大間野町1-100-4
電話:048-985-9750
◆草加市立歴史民俗資料館「明治天皇草加行在所」
会期:7月20日(水)~9月4日(日)
住所:草加市住吉1-11-29
電話:048-922-0402
◆八潮市立資料館「八潮の御鷹場・御猟場」
会期:7月20日(水)~9月4日(日)
住所:八潮市南後谷763-50
電話:048-997-6666
【7/3まで宝珠花の歴史と大凧あげ】僧・浄信の過去帳
7月3日(日)まで「宝珠花の歴史と大凧あげ」春季企画展示を開催中です。
大凧あげの最古の記録として、天保12年(1841)に旅の僧、浄信(じょうしん)が「紙だこ」をあげて占うことを伝えたと記す小流寺の過去帳があります。
小流寺過去帳(クリックすると画像データがダウンロードできます:205KB)
(読み下し文)
釋浄信禅門 天保十二年丑九月十一日
右ノ僧生國出羽國山本郡水沢邑西光寺弟子
廿四輩順拝ニ罷出候処当寺ニ一宿致シ病気重く也
十日斗リ相煩ひ終ニ病死致シ右当人ノ往来一札を以て
村役人同所世話人立會之上取仕末致シ申候念為記ス
占ヒニ紙だこを伝ふ(蚕豊作)
この小流寺の過去帳は、宝暦12年(1762)から嘉永4年(1851)にかけてのもので、天保12年(1841)9月11日に、旅の僧、浄信の記載があります。
記載によれば、浄信は、出羽国山本郡水沢村(現・秋田県山本郡八峰町(旧峰浜村)水沢)の生まれで、秋田県能代市にある西光寺の弟子でした。廿四輩(にじゅうよんはい)旧跡をめぐるため、関東地方にやってきて、当時は上吉妻にあった小流寺に泊まりました。浄信は、この時点ですでに重い病気にかかっていて、10日ほどして小流寺で亡くなりました。寺では、上吉妻村の役人と世話人が立ち会って、遺体を処理したとあります。
そして、最終行に「占ヒニ紙だこを伝ふ(蚕豊作)」と記されています。
まず、「廿四輩」とは、浄土真宗の開祖、親鸞(しんらん)の高弟24人を開基とする寺院で構成されたもので、江戸時代に成立しました。これらの寺院は、岩手県から長野県の広い地域に分布していますが、とりわけ親鸞とゆかりが深い常陸国(ひたちのくに)であった茨城県にその多くが所在します。春日部市の周辺では、茨城県境町の妙安寺、同じく坂東市の妙安寺、西念寺、千葉県野田市の長命寺、埼玉県吉川市の清浄寺が含まれています。『埼玉県の大凧あげ習俗ー庄和町西宝珠花の大凧あげ』では、浄信は、江戸と茨城方面の移動の際に、宝珠花河岸を利用したのではないかと推定しています。
次に、最終行の「占ヒニ紙だこを伝ふ(蚕豊作)」についてです。まず「(蚕豊作)」の部分は、( )の存在や字体からあとから書かれたものとみられています。また「だこを」、「ふ」の部分も「タコヲ」、「フ」の字の上から上書きしています。したがって、元の文は「占ヒニ紙タコヲ伝フ」であり、「浄信は占いのために紙たこを伝えた」となります。宝珠花の凧には、凧が「舞い上がる」が「まゆ(の値段)が上がる」につながり、養蚕のできを占ったとの言い伝えがあります。「(蚕豊作)」の部分は、後世の人が地元の言い伝えとして書き加えたのかもしれません。(『庄和町史編さん資料(十二)民俗Ⅱ-まつりと儀礼』)
浄信の過去帳は宝珠花の凧の最古の記録として重要なものですが、記載をそのまま読めば、宝珠花についた浄信は、すでに重い病気にかかっていて、宝珠花で亡くなるまでの期間も10日ばかりとのこと、このような浄信がどのように凧を伝えたのかは謎です。
しかしながら、浄信のふるさと、秋田県能代市(のしろし)も凧あげが盛んなまちで、毎年行われる能代凧揚げ大会では、「ベラボー凧」(リンク先記事に写真あり)に代表される能代凧が盛んにあげられています。
その後、明治時代初期の宝珠花では、新暦6月5日と6日(旧暦の端午の節句にあたる)に各家で凧があげられて、このころから、凧あげに男子出産の祝いや健やかな成長の意味がこめられるようになりました。明治時代半ばからは、西宝珠花の上町と下町で一面ずつ共同で作るようになり、明治時代の終わりごろには、現在と同じくらいくらいの大凧を上げるようになったようです。
6月5日、6日であった大凧あげまつりの開催日は、昭和29年(1954)から5月5日と6日、昭和40年(1965)から、5月3日と5日になりました。
明治41年(1908)の大凧(「上若」)
参考文献
庄和町教育委員会『埼玉県の大凧あげ習俗ー庄和町西宝珠花の大凧あげ』平成5年(1993)
庄和町教育委員会『庄和町史編さん資料(十二)民俗Ⅱ-まつりと儀礼』平成17年(2005)
宮内庁の方が郷土資料館所蔵資料を調査
宮内庁宮内公文書館と春日部市郷土資料館の共催展示「明治天皇と春日部」展の準備のため、宮内庁宮内公文書館の職員が資料調査に来館しました。 #かすかべプラスワン
といっても、騒ぎ立てるほどのものではなく、至極普通のこと。以前より、展示の準備のため宮内庁の方は何度も何度も足を運ばれています。
ここで、皆さんに知っていただきたいことは2つあります。
まず、地元春日部でしか見られない資料があるということ。宮内庁宮内公文書館は約9万点の資料を所蔵しているそうですが、膨大な資料をくくっても分からないことがあるのです。今回は、展示の準備が差し迫ってきていますので、東京にいては分からないこと、知りえないことを確認されるために、わざわざお越しいただいたのです。春日部市郷土資料館には、世界に一つしかないオンリーワンの資料が沢山あるんですよ。
もう1つは、だからといって春日部が「偉い」とか「凄い」とかではなく、資料は平等ということ。今準備している展示では、宮内庁からお借りしてくる資料が多く並びますが、宮内庁所蔵だから「偉い」とか「凄い」というものでもありません。資料は、春日部のものであっても、宮内庁のものであっても、歴史を伝えるという意味においては、まったく同じです。今回の共催展では、宮内庁の資料と春日部の資料が所狭しと(実際に狭いのですが!)陳列される予定です。展示では、春日部の資料、宮内庁の資料、という風に見ないで、それぞれが歴史的な意義をもつ資料であることをぜひ見ていただきたいと思います。
資料もそうですが、展示を準備する担当者としても、宮内庁と春日部市という立場や、普段の業務や取り扱う資料の性質が違いますが、宮内庁の皆さんのご厚意もあり、お互いにリスペクトしながら、対等な立場で調査を重ねてきました(と私は思ってますが合ってますか?)。宮内庁の皆さんには、本当に感謝しています。
展示の千秋楽のあいさつのような文章になってしまいましたが、まだまだこれからです。目下、展示準備中。ご期待ください。
まちづくりへの支援
近年、郷土春日部の歴史・文化遺産は、生涯学習や学校教育、学術研究に利用されるだけでなく、まちづくりや観光に役立てられるようになってきています。郷土資料館は、郷土の歴史・文化に関わる資料を展示・解説する拠点的な施設として、いろいろな方々に活用されるようになってきました。
去る6月19日(日)、建築や都市計画を学ばれている日本工業大学の学生の皆さんが、郷土資料館を見学され、当館の学芸員が春日部の歴史的な特徴について解説いたしました。特に、本市の特徴である利根川水系の河川が多く流れる自然・地形の特徴と遺跡の立地、生活拠点の推移との関連について、また現代の春日部市中心市街地発展の礎といえる江戸時代の粕壁宿について、模型や図、写真などを用いてわかりやすく解説いたしました。
一方で、地域コミュニティーの解散に伴う現地の地域資源の消失と記録及び一部資料の保存の事例についても紹介し、現代のまちづくりの難しさについても説明いたしました。
学生の皆さんには大変熱心に見学していただきました。そして、当館の見学後は旧粕壁宿を散策され、実地での学習をされました。まちづくりの研究と実践に役立てていただければと考えております。
今後も、郷土春日部の歴史・文化を伝えていく拠点として、皆さまの多様な関心に応えていけるよう、郷土資料館は努めてまいります。
市民の皆さんと古文書勉強会を開催しました
令和4年6月19日(日)、古文書勉強会を開催しました。前回に引き続き、粕壁宿にゆかりの「宝暦度より酒造用留」を講読しています。
皆さん、担当箇所の古文書の解読原稿を読み上げ、字の誤りや読み間違えがないか、意見を交わしながら、読み進めています。今回は2時間で4ページを読みました。
内容も分量も重厚でなかなか読み進めませんが、皆さん楽しんでご参加いただいているようでした。
館の事業の都合により、7月・8月はお休みです。
次回は、9月11日(日)14時~、次々回は9月24日(土)14時~に開催予定です。
【7/3までー宝珠花の歴史と大凧あげ】展示解説講座を開催しました
6月19日(日)、「宝珠花の歴史と大凧あげ」の展示解説講座を開催しました。
ご参加くださった皆さま、大変ありがとうございました。
講座では、宝珠花の歴史、大凧の歴史、大凧の作り方、大凧会館と各地の凧の順でお話をさせていただきました。ややつめ込みすぎて、「各地の凧」をご紹介することが早口になってしまいましたので、こちらで紹介させていただきます。
東日本大震災で被災し、閉館した大凧会館では、開館当初から各地の凧を収集し、そのコレクションは実に800点以上に及びました。日本各地はもちろん、海外の凧もあります。
残念ながら東日本大震災による大凧会館の被災で、失われたものもありますが、多くは現在も大凧会館の所管課であった観光振興課により保存されています。
今回の展示では、関東近県の凧を中心に、春日部に大凧を伝えた僧、浄信の地元である秋田県能代市の凧や北海道、沖縄県の凧、計13点を展示しています。写真はいずれも展示中のものを撮影しています。
能代(のしろ)凧(秋田県能代市)
春日部の地に凧を伝えたといわれる江戸時代の僧、浄信のふるさと能代の凧。右側のものは「ベラボー凧」と呼ばれ、「男ベラボー」と「女ベラボー」がある。舌を出した異様な絵が魔よけの意味をもつ。現在の能代凧の形が確立したのは明治期。
上総唐人凧(千葉県南部)
「唐人凧(とうじんたこ)」は江戸時代後期に日本に伝わる。3m前後の大きさが一般的。独特のうなり音をあげる。
伊勢原あぶ凧(神奈川県伊勢原市)
明治30年代に伊勢原市内の住職により、病気が軽く上がるようにとの願いを込めて始められた。連凧。現在は作られていない。
六郷とんび凧(東京都大田区)
江戸時代から作り始められる。多摩川でとった魚を河原に並べて干す時に、カラス除けとして使われた。
扇凧(富士見市、川越市)
幕末から明治初期に作り始められ、昭和27~28年に途絶えるものの昭和51年に復活。扇は末広がりなので縁起物とされた。
龍ヶ崎とんび凧(茨城県龍ヶ崎市)
明治末期に生み出された。独特の形状や鮮やかな絵柄が特徴。昭和62年に最後の後継者が途絶えたものの平成26年に復活。
下野のまゆ凧(栃木県宇都宮市)
蚕が繭から出たあとのような形をしていることから名付けられた。
絵馬凧(千葉県茂原市)
江戸時代から作られる。絵画性が高い凧。
相模の大凧(神奈川県相模原市・座間市)
天保年間から継承される。実際の大きさは14.5m四方。毎年5月4日、5日に大凧あげ祭りが行われる。座間市でも座間の大凧があげられる。
白根角凧(新潟県新潟市)
毎年6月上旬、7m×5m(24畳大)の凧で、川の両岸に分かれ凧合戦をする。江戸時代の中頃から始まったといわれる。殿様から拝領した凧をあげたところ対岸の家屋に落下し、これに対し対岸側も凧をあげ家屋の上に落としたことが始まりと伝えられている。
蝦夷凧(北海道函館市)
北海道の形を簡略化した変形六角形になっている。展示のものは、アイヌの文様が採用されている。
カーブヤ―(沖縄県那覇市)
「カーブヤ―」はコウモリを表す沖縄の方言。曲線の骨を使う。展示しているものはハイビスカスが描かれているが、絵柄は自由。現在も盛んに作られる。
【夏季展示】情報解禁!【宮内庁コラボ展示】
春日部市郷土資料館の今年の夏季展示の情報発表が解禁されました。今年は宮内庁宮内公文書館との共催企画展「明治天皇と春日部~巡幸・御猟場・梅田ごぼう~」を開催します。 #かすかべプラスワン
今年の企画展はコラボレーション。コラボ先は、なんと宮内庁です。宮内庁宮内公文書館さんでは、毎年、首都圏の博物館や文書館を会場として、企画展示を開催していますが、埼玉県の施設で初コラボとなったのが、春日部市郷土資料館です。ですから、このコラボ展は県内初の試みになります。
内容は、明治天皇の巡幸、江戸川筋御猟場、梅田ごぼうを主要テーマとし、宮内庁宮内公文書館所蔵の資料をはじめ、春日部の郷土資料を陳列し、近代の皇室と春日部の歴史を展示紹介します。今回の調査で発見した資料も少なくなく、春日部の近代の歴史にとって、重要な資料が並びます。
関連事業も盛りだくさんです。特におすすめなのは、県東部の近隣市町を会場とした連携展示です。近代の皇室と地域の歴史は春日部だけじゃない。近隣市町での展示やゆかりのある地もめぐりながら、春日部の特徴や他の町の地域の歴史も一緒に楽しんでいただこうとするものです。今年の夏は熱くなります。
展示は目下準備中です。ご期待ください。見どころや関連事業等、追々PRしていきます。
1 展示会名 明治天皇と春日部~巡幸・御猟場・梅田ごぼう~
2 主 催 宮内庁・春日部市・春日部市教育委員会
3 会 期 令和4年7月20日(水)~9月4日(日)(休館日:月曜日、祝日)
4 開館時間 午前9時~午後4時45分
5 入 館 料 無料
6 会 場 春日部市郷土資料館(住所:〒344-0062 春日部市粕壁東 3-2-15(春日部市教育センター内))
【 #常設展 】藤の花と水害関係史料展示替
常設展示を一部展示替しました。日々変わりゆく春日部のまちとともに、郷土資料館もまた日々変わっているのです。 #かすかべプラスワン
今回は2か所更新しました。
一つ目は、藤の花です。ところで、藤の花言葉を知っていますか? 答えはこの記事の末尾で。
入館された方を華やかな藤の花が出迎えてくれます。この藤棚は、ミニ展示「牛島のフジ」展で製作したものです。
藤の季節までしまったままにするのも惜しいので、展示しました。
これで一年中、市の花「フジ」を楽しめます。ただ、狭き展示室ですので、早速弊害が。入り口付近のパネルが藤の花の影で見づらくなってしまいました。
藤の花のシルエット・影を楽しむのも乙、と思いますが、いかがでしょうか。
もう一つは、展示室奥の「水とのたたかい」のコーナー。
長らく展示していた樋籠村の絵図を撤収し、明治42年7月に南桜井村から請願された江戸川の改修工事願を展示しました。内容は、南桜井村の人たちが、郷社香取神社(西金野井香取神社)の境内が江戸川に浸食されること、また粕壁と金野井を結ぶ「壱等公益道路」の起点にあたる河岸場が危険であることを理由に、県費で江戸川の改修を請願したものです。郷社香取神社の由来なども記されており、文書の内容も興味深いのですが、さらに興味深いのは添付の図面です。
当時の西金野井香取神社付近の様子が描かれています。西金野井香取神社は、昭和27年(1952)の江戸川改修工事により、現在地に移転しています。かつては参道がもっと長く、現在地よりも北方約100mに神社の本殿が鎮座していました。これ以前は、現在の堤防や河川敷の付近に、寺院や民家、河岸場などが所在していたのです。この史料(図面)は、市域屈指の舟運の拠点として栄えた西金野井の江戸川改修以前の状況を示した貴重な資料であると評価されます。
さて、冒頭の件ですが、藤の花言葉は「歓迎」だそうです。まさに、入り口に展示するに相応しい、と思いますが、いかがでしょうか。天候不順が続きますが、変わりゆく郷土資料館の展示を、ぜひご覧ください。
【 #6月10日 】 #今日は何の日? in春日部
今から144年前の今日。明治11年(1878)6月10日は、イギリス人女性イザベラ・バードが粕壁に宿泊した日です。
イザベラ・バードは、イギリスの女性旅行家・冒険家・探検家などと称され、明治初めの日本各地を遊歴した人物として知られています。バードは旅行の状況を文章として残しており、当時の日本各地の様子が克明にわかる『日本奥地紀行』は、東洋文庫や平凡社ライブラリーなどにも収録され、著名な紀行文の一つとして知られています。『日本奥地紀行』は「ふしぎの国のバード」という漫画にもなっているほどです。
さて、バードは、明治11年(1878)6月から9月にかけ、通訳の伊藤鶴吉を供に、東京から日光、新潟、日本海側から北海道へと旅をしています。東京を人力車で経った初日の同年6月10日、バードは粕壁の旅館に宿泊しました。バードが宿泊したのは、粕壁の高砂屋旅館。この旅館、前回の今日は何の日?in春日部をご覧いただいた方はご存じでしょう。明治9年6月3日、明治14年7月31日に明治天皇の御昼食所となった旅館です。
バードの『日本奥地紀行』によれば、高砂屋は「一階にも二階にも部屋があり、客がいっぱいで、実にさまざまないやな臭いが立ちこめていた」といいます。バードは二階の部屋に泊まることになりましたが、夜はカビ臭い蚊帳、蚤と蚊、そして襖がしょっちゅう開けられ、わずかな隙間から他の客が覗くなど、プライバシーと蚤・蚊に悩まされたと綴っています。
「粕壁の旅館は劣悪だった?」とか「バードの前後に明治天皇が御昼食をとられている!?」とか、様々な疑問が生じます。ただ、バードは日本に入国してから、横浜・東京で宿泊をしており、都市を離れて初めての一泊が粕壁の高砂屋でした。おそらく、西洋の婦人が異国の庶民の旅館に寝泊りすれば、どんな人でも上のような感想をつづるのではないでしょうか。西洋の女性がつづった明治初頭の日本の庶民の暮らしという視点で史料を読む必要があるでしょう。
高砂屋があった場所は、現在、春日部大通りに設置される歩いてみよう道しるべの標柱では脇本陣として紹介されている地点になります。
明治天皇、そしてイザベラ・バードが通った日光道中(陸羽街道)、そして高砂屋旅館。『日本奥地紀行』は図書館等で比較的手に入れやすい図書です。バードの文章を読んで、町並みを散策してみてはいかがでしょうか。
6/19展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催します
7月3日(日)まで「宝珠花の歴史と大凧あげ」春季企画展示を開催中です。
6月19日、展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催します。郷土資料館学芸員が宝珠花の歴史と大凧あげについて紹介します。
当日は、昭和7年(1932)と昭和48年(1973)に撮影された16mmフィルムもご覧いただく予定です。
このうち、昭和7年の16mmフィルムは「大凧飛揚実況」という題名で、約5分と短いものですが、大凧あげまつりの様子とともに、移転前の宝珠花の街並みや江戸川に設置されていた船橋も撮影されており、大変貴重なものです。
お申し込みは等は下記の通りです。直接のお申込み、お電話でのお申し込みのほか、期間中いつでもお申込みできる電子申請でのお申込みも用意しております。ぜひご利用ください。
日時:6月19日(日)10時から12時
場所:教育センター
定員:30人(先着順)
申し込み:6月7日(火)より直接または電話で郷土資料館(048)763-2455へ、または下記より電子申請
<春季企画展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」>
会期:令和4年5月17日(火)~7月3日(日)
休館日:毎週月曜日、6月18日(土)は臨時休館
開館時間:9時~16時45分
●ミュージアムトーク
郷土資料館学芸員が企画展示室内で展示資料を解説します。
日時:7月3日(日)10時30分~、15時00分~(各回、同じ内容です)
場所:郷土資料館企画展示室内
*申し込み不要です。お時間に企画展示室にお集まりください。
【休館のお知らせ】6月18日(土)は休館します
令和4年6月18日(土)は教育センターの施設点検のため、郷土資料館は休館となります。
ご迷惑をおかけしますが、ご来館の際はご注意ください。
6月19日(日)は通常通り開館します。
【6月3日】 #今日は何の日? in春日部
今から147年前の明治9年(1876)6月3日は、明治天皇が粕壁で昼食をとられた日です。
明治天皇は、明治9年6月2日、奥羽巡幸のため、東京を発し、陸羽街道(旧日光道中)を北上され、同日は草加の大川家を行在所とされました。同3日、草加を立ち、蒲生(現越谷市)で馬車を停められ、田植えをご覧になりました。その後、大沢町で御小休し、粕壁に到着されたのは、午前10時40分ごろ。粕壁の三枚橋地区の竹内彦右衛門宅で御昼食をとられました。竹内家は、幕末期に本陣をつとめた旅籠高砂屋旅館。春日部大通りに設置される歩いてみよう道しるべの標柱では脇本陣として紹介されている地点になります。ご昼食を済まされた後、午後1時15分ころ粕壁を出発され、杉戸で御小休、幸手の知久家を行在所とされました。
ただ、高砂屋(竹内家)については、埼玉県による聖跡の調査報告書『埼玉県史蹟天然紀念物調査報告書』(大正12年刊)には、明治20年頃に家屋を売却し、当時の現状をとどめていないと報告されています。大正時代でもそうだったのですから、当然、現在は見る影もありません。
わずかに地元に残る資料として知られるのが、粕壁いろはカルタという昭和初期と推定される粕壁町の名所・名物などを紹介するカルタです。このなかの「ほ」の札が、「ほまれも高き高砂屋 君のみゆきを松のはな」となっています。絵札はこちら(『春日部市史近現代資料編1口絵より)。
当方も原物をまだみたことがありませんが、昭和初期の当時にはすでに無かったと思われる門が描かれる絵札です。当時の粕壁の人たちのなかには、かつてあった高砂屋が明治天皇の御昼休所(聖跡)であったという記憶が残っていたのかもしれません。
これまで、明治天皇が御昼食をとられたことは、話題になることも少なくありませんでしたが、実は、巡幸に供奉した面々も豪華なのは意外と知られていないようなので、少し蘊蓄を。当時の供奉していた人物として、岩倉具視、木戸孝允、土方久元などがいます。ことに木戸は日記を遺しており、粕壁では区務所で昼食したといいます。また、巡幸の先発隊に大久保利通がいます。ただし、大久保は粕壁で昼食はとりませんでした。
さすが、明治天皇、名立たる明治維新の功績者を連れ従えて巡幸されるのですから、いろいろなエピソードが残っていてもよさそうですね。小生も学芸員として資料調査に勤みたいものです。
147年前の今日6月3日、市域の人たちはどのように巡幸の行列をみたのでしょうか。また、明治天皇や供奉した人たちは春日部をどのようにみていたのでしょうか。そんなことを思い巡らせながら、かつての宿場町粕壁を散策されてみてはいかがでしょうか。
【県外の春日部スポット】春日部ゆかりのフランス文学者
先日、資料調査で都内の春日部ゆかりの施設にお邪魔しました。その名も豊島区立鈴木信太郎記念館です。今日は、同館についてご紹介します。 #かすかべプラスワン #書斎 #フランス文学
東京メトロ丸の内線の新大塚駅から徒歩3分ほどの住宅街の中にある鈴木信太郎記念館。
鈴木信太郎は、20世紀前半の日本のフランス文学研究黎明期に活躍したフランス文学者です。鈴木家は、下総国葛飾郡下吉妻村(今の春日部市下吉妻)の農家で、大地主でした。明治期になり、自家で所有する田んぼからあがる小作米を商売の元手とし、神田佐久間町(現東京都千代田区)で米穀問屋を営むようになったいいます。信太郎がフランス文学に打ち込めたのは、米穀問屋、そして地主として経済的な後ろ盾があったからのよう。信太郎自身は東京生まれ、東京育ちですが、先祖の地(下吉妻)に訪れることもあったようです。
現在の記念館の地は、信太郎の父の時代、大正7年に住まいを移したものですが、戦災で一部が焼失してしまいました。焼失した家屋部分には、昭和23年に下吉妻の鈴木本家から明治20年代に建てられた書院座敷が移築されました。ですから、下の写真の和風建築の座敷棟は、春日部ゆかりの近代和風建築なのです。
室内は落ち着いた雰囲気です。記念館の建物は、信太郎が亡くなった後は、息子で建築学の専門家である成文氏が住んだそうです。建築学に通じた方であったことから、古い図面や当時の意匠を保存されたそうです。小生は建築のことは明るくありませんが、春日部の吉妻にあった当時の雰囲気もそのまま遺っているといえそうですね。春日部市内で古民家の内部までを公開している施設はありませんので、古民家をみたいという方には、鈴木信太郎記念館を紹介してもよいのかなと思いました。
鈴木信太郎記念館の見どころは、これだけじゃありません。おすすめは書斎棟です。書斎棟は、信太郎の書庫兼書斎(仕事場)でした。昭和3年に当時としては非常に珍しい鉄筋コンクリート造で建てられました。それだけの経済力があったということにも驚かされますが、頑丈な書庫にこだわった理由は稀覯本の収集家でもあった信太郎の悲しい経験に求められるそうです。かつて、フランスに留学していた信太郎は、パリで買い集めた約1000冊の貴重書を日本へ船便に送ったところ、輸送中の船内の火事によりすべて焼失してしまいました。信太郎は大変落胆したそうですが、再び収書をするにあたり、二度と本を失わないように鉄筋コンクリート造の書庫を建てました。
戦中の城北大空襲で母屋などは焼失してしまいましたが、この書斎棟は焼失を免れ、中の本も無事に守られました。下の写真は書斎棟の内部です。
帝大の先生のこだわりの書庫とだけあって、圧巻されました。写真では伝わりづらいのですが、本当に別世界です。昭和初期の学者の書庫・書斎が、そのまま遺っているようで、和風建築とは180度雰囲気が違います。こんな書庫がほしいなぁと思わず漏らしてしまいました。書庫だけでも見学の価値あり!おすすめです!
ちなみに、書庫の棚は一部は展示ケースとして活用されており、信太郎が集めた貴書や知人の文学者の署名入り本などが展示されています。フランス文学の貴重本は、獨協大学に寄贈され、保管されているそうです。
鈴木信太郎記念館、知る人ぞ知る春日部ゆかりのスポットといったところでしょうか。ぜひ、見学をおすすめします。
なお、鈴木信太郎・鈴木家と春日部の関係については、信太郎の次男でフランス文学者の鈴木道彦氏『フランス文学者の誕生』(筑摩書房、2014年)に詳しく紹介されています。
所在地
〒170-0013東京都豊島区東池袋5-52-3
電話
03-5950-1737
交通案内
東京メトロ丸ノ内線新大塚駅より徒歩約3分 詳しくはこちら(池袋から) 詳しくはこちら(銀座・茗荷谷方面から)
JR山手線大塚駅南口より徒歩約8分
都電荒川線大塚駅前及び向原停留場より徒歩約8分
(駐車場・駐輪場はありません。公共の交通機関をご利用ください。)
鈴木信太郎記念館ホームページ
【7/3まで宝珠花の歴史と大凧あげ】ミュージアムトークを開催しました
5月22日(日)、「宝珠花の歴史と大凧あげ」のミュージアムトークを開催しました。
ご参加くださった皆さま、大変ありがとうございました。
前にもお知らせしましたが、展示では、「宝珠花の歴史」、「春日部の大凧」、「大凧会館」、「大凧の歴史」、「各地の凧」の5つテーマで資料を紹介しています。
今回の展示のメインテーマは「大凧」なのですが、大凧あげが続いてきた素地として「宝珠花の歴史」も非常に重要です。展示では、古代の「貝の内遺跡出土下総国分寺軒平瓦(かいのうちいせきしゅつどしもうさこくぶんじのきひらがわら)」、近世の「小流寺縁起(しょうりゅうじえんぎ)」、「長久記(ちょうきゅうき)」の3点の実物の春日部市指定文化財を展示しております。このほかにも、宝珠花地区ゆかりの指定文化財があり、市内では最も指定文化財が多い地域です。本展の「宝珠花の歴史」コーナーはわずかなのですが、歴史ある地域だからこそ大凧あげが伝わったことをご理解いただければ幸いです。
もちろん大凧あげも、「宝珠花の大凧揚げ」として市指定文化財、「関東の大凧揚げ習俗」として国選択無形民俗文化財となっています。
なお、「貝の内遺跡出土下総国分寺軒平瓦」は常設展示で展示しておりますが、「小流寺縁起」と「長久記」は普段は展示しておりませんので、この機会にぜひご覧ください。
次回のミュージアムトークは企画展示最終日の7月3日(日)を予定しております。また、6月はミュージアムトークを予定しておりませんが、座学での展示解説講座を開催します。ご参加お待ちしております。
●ミュージアムトーク
郷土資料館学芸員が企画展示室内で展示資料を解説します。
日時:7月3日(日)10時30分~、15時00分~(各回、同じ内容です)
場所:郷土資料館企画展示室内
*申し込み不要です。お時間に企画展示室にお集まりください。
●展示解説講座「宝珠花の歴史と大凧あげ」
郷土資料館学芸員が宝珠花の歴史と大凧あげについて紹介します。
日時:6月19日(日)10時から12時
場所:教育センター
定員:30人(先着順)
申し込み:6月7日(火)より直接または電話で郷土資料館(048)763-2455へ、または下記より電子申請
大凧マラソン大会のパネルが追加されました
展示室に大凧マラソン大会の紹介コーナーを、啓発品のポケットティッシュとともに、スポーツ振興課のご協力のもと設置しました。
大凧マラソン大会は、大凧あげ祭りを全国に発信するための大会として毎年5月4日に行われています。しかしながら、コロナウイルス感染症拡大防止のため、令和2年、3年、4年と中止しています。
最も長い距離のハーフマラソンは、庄和総合公園東側をスタートし、庄和地区南部まで南下、江戸川の土手に出て北上し、西宝珠花から再度、南下して庄和総合公園でゴールとなる庄和地区をほぼ1周するコースです。田園風景や広大な江戸川など、豊かな自然に囲まれたコースを走ります。
第1回大会は平成元年(1989)5月3日に行われ、広報の記事によると、1,023人が参加されました。最も長い距離は20㎞でした。約300人の市民ボランティアが参加したようです。平成7年(1995)から開催日を5月4日とし、3日と5日の大凧あげ祭りの中日に行われるようになりました。
令和元年(2020)に行われた第31回大会では、エントリー者数が10,779人と第1回大会の10倍以上、ボランティアで構成される競技役員も、第31回大会では約900人と、規模の大きい大会になっています。
令和5年(2022)は、無事、大凧マラソン大会が開催されるよう願っています。
第1回大凧マラソン大会を伝える「広報しょうわ」平成元年6月号
ふれあい大学で「春日部市の歴史」を講義しました
5月18日(水)ふれあい大学で「春日部市の歴史」について、話させていただきました。 #かすかべプラスワン
ふれあい大学は、春日部市の事業で、主に高齢者の方々が、生活、健康、市の環境や地域活動について学習し、心身の健康を培い、生きがいを高めることを目的としています。
「春日部市の歴史」の講義は、例年、ふれあい大学からご依頼いただいているもので、春日部の地名の成り立ち、春日部のあゆみについてお話しします。「春日部と粕壁の表記がどちらが古いか」という問い、そしてその由来をお話しすると、市内に住んで長い皆さんでも驚かれる方も多いようです。「春日部」と「粕壁」の話題は鉄板ネタです。春日部のあゆみについては、人が春日部に住んでから3万年の話をわずか60分で話します。地形に着目して、人々の生活領域が高いところ(台地)から低いところ(低地)へとだんだんと広がっていくことを軸に話しますが、近現代の市域の変貌に驚かれる方が多い印象です。
なかには「春日部市の歴史」を聞いても退屈に感じ、講義中、夢の中に迷いんこんでしまう方もおられるようですが、地元の歴史文化を見つめ直すことで、見識が広がり、普段何気ない平凡な日常が輝くこともあるのではないでしょうか。あるいは、今・現在を相対化することにもつながるのではないでしょうか。歴史を学び、豊かに生きる。まさに「かすかべプラスワン」だと思いますが、いかがでしょうか。
と、そんな話をしていたところ、受講者の女性の方からあるサイトを紹介されました。ご主人が運営されている「ピンピンコロリ村」というホームページです。庚申塔を紹介しているからぜひ見てくださいとのこと。ホームページを拝見すると、ただの庚申塔サイトではありません。かつて「ふれあい大学」を受講されたご主人は、ふれあい大学で学んだ「ピンピンコロリ」のポリシーを、春日部市内に点在する庚申塔を踏査することで果たしていこうとされるものでした。庚申塔をすべて写真で記録して、文字を解読し、一覧化されています。市では『春日部の庚申塔』『春日部の板碑』『庄和町史資料 石造物Ⅰ』『同Ⅱ』などを刊行しているところですが、この遺漏や誤謬も訂正されているとのことで、大変充実した内容となっています。石造物を一覧するデータベースとしても有用です。地元の歴史を顧みることは、「ピンピンコロリ」にもつながるという考えも、もっともだと思います。まさに「歴史を学び、豊かに生きる」の実践といえそうです。ふれあい大学現役の皆さんも必見です。「ピンピンコロリ村」ぜひご覧ください。
教育委員の皆さまが「宝珠花の歴史と大凧あげ」を見学されました
7月3日まで第65回企画展示「宝珠花の歴史と大凧あげ」を開催中です。
5月17日(火)、定例教育委員会終了後、教育委員の皆さまに「宝珠花の歴史と大凧あげ」をご見学いただきました。
じっくりとご覧いただき、歴史ある宝珠花と大凧文化をご理解いただけたことかと思います。また多くのご質問もいただき、やはり大凧は地域に根ざす、誇り高い文化であることを再確認しました。
このような大凧文化を未来へ伝えられるよう、微力ながら資料館も活動を継続していきたいと思います。
古文書解読ボランティアの活動を再開しました
5月15日(土)、市民の方々が主体となって #春日部市郷土資料館 所蔵の #古文書 を解読する「古文書勉強会」を再開しました。
古文書勉強会は、郷土資料館に眠る膨大な古文書を、古文書を解読したい、もっと勉強したいという有志の方たちで、解読し、その成果を館に還元していただこうとする取り組みです。本格的な活動としては、実に約2年ぶりです。今回からは、心機一転、粕壁の旧家から寄贈された記録「宝暦度より酒造用留」という古文書を講読しました。これまで春日部市史や諸研究で利用されたことのない新出史料であり、春日部市域をはじめ、県東部地域の酒造の動向が体系的に追える好史料だと思われます。
久しぶりの再開でしたので、参加者の皆さんも古文書仲間と「再会」された方も多かったようで、始まる前も休憩中も終わった後も話が尽きない様子でした。帰りがけに「楽しかった」と感想をいただきました。
小生も、ひとつひとつの字や史料を丁寧に読みながら、「あーでもない」「こーでもない」と話し合うのは非常に楽しいひと時でした。皆さんの熱意を感じ、パワーをもらったような気がします。関東の酒造業の歴史を一から学ぶ機会として、臨んでいきたいと思っています。
解読した成果は、一定度たまりましたら、ほごログでも紹介したいと思います。
次回は6月19日(日)14時~です。