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【1960年代の春日部】1960年代と現在の東武鉄道の運賃の比較
春季展示で予定しておりました「1960年代の春日部」展は中止になりましたが、現在、これに変わる1960年代の春日部に焦点を当てた展示を準備しております。開催時期等、確定いたしましたらまたご案内いたします。
さて今回は、春日部から北千住までの東武鉄道の運賃について、1962(昭和37)年と現在を比較します。
初乗り運賃は、10円から150円と実に15倍になりましたが、春日部から北千住間の運賃では、90円から420円と約4.6倍です。
春日部から北千住間の通勤定期の運賃は、1カ月では、830円から15,290円と約18倍になっています。普通運賃と比べ、定期の値上げ幅が大きいのは、普通運賃に対する割引率の縮小が原因と考えらえます。
物価の比較として、経団連等の調査による1962(昭和37)年当時の会社員の初任給は、約18,000円(大卒・事務職)、2019(令和元)年では、約217,000円(前同)と約12倍になっています。
ところで通勤手当は、1960~1970年代の高度経済成長期に導入する企業が増えました。企業の労働力確保のために、郊外から労働者を集めるための手当です。通勤手当に法律上の義務等は無く、あくまで企業などの規則で定められる任意のものですが、現在の日本では8割以上の企業が導入しています。世界の多くの国では通勤費は自己負担で、通勤手当の習慣がある国は少数派だそうです。
一方で通勤手当は、遠くから通勤しても電車賃は会社負担であるため、遠距離通勤や満員電車の通勤地獄などサラリーマンのストレスを助長する原因であったとも考えられています。
東武鉄道の初乗り運賃(円) | 春日部~北千住の普通運賃(円) | |
1962(昭和37)年 | 10 | 90 |
2020(令和2)年 | 150 | 420 |
春日部~北千住の通勤定期運賃 | 1カ月(円) | 3カ月(円) | 6カ月(円) |
1962(昭和37)年 | 830 | 2,370 | 4,480 |
2020(令和2)年 | 15,290 | 43,580 | 82,570 |
協力 東武博物館
参考文献
東武鉄道年史編さん事務局編集 1964『東武鉄道65年史』東武鉄道株式会社
森永卓郎監修 2008 『物価の文化史事典』展望社
(一社)日本経済団体連合会(一社)東京経営者協会 2019年10月29日「2019年3月卒「新規学卒者決定初任給調査結果」の概要」https://www.keidanren.or.jp/policy/2019/088.pdf(インターネット閲覧)
八木崎小学校で出張授業を行いました
6月29日(月)に八木崎小学校の6年生を対象に縄文時代に関する出張授業を行いました。学習指導要領の改定や新型コロナウィルスの影響もあり、この時期までずれ込んでしまいましたが、今年度最初の出張授業となりました。
教科書では国特別史跡である千葉県の加曾利貝塚や青森県の三内丸山遺跡が取り上げられていますが、春日部市の遺跡や国史跡に指定された神明貝塚について学び、縄文時代の遺跡が身近にあること、実体験をとおして縄文人の生活を学習することが狙いです。
▲授業導入では神明貝塚の紹介動画と学校近くの遺跡を紹介。集中してみたり、メモしたり、一生懸命の授業風景です。
体験のコーナーでは、市内の遺跡から発掘された土器や石器、神明貝塚で発掘された貝がらに触れたり、担当者が加工した黒曜石の石器を使って段ボールを切る体験をしました。教科書の写真や記述だけではなく、体験をとおして縄文人の生活をより一層、理解してもらえたのではないでしょうか。
▲切れ味抜群の黒曜石の剥片。段ボールが難なく切れ込める、この切れ体験では毎年、歓声があがります。
1学期末まで各学校の依頼に応じて、この出張授業に取り組みます!
【 #常設展 】#春日部を踏みしめよう! 【 #土足歓迎 】
#春日部市郷土資料館 の常設展示は日々替わっています。今回は「空から春日部をみてみた」を追加しました。
説明不要だと思いますが、要するに、春日部市域の航空写真を床に貼ってみました。手作りです。
写真は平成26年4月頃のものです。製作にあたっては、国土地理院の地理院地図を活用しました。
でも、ただ見るだけじゃ、つまらない。「見るんじゃない、感じるのだ」
ということで、郷土春日部を踏みしめましょう。「土足禁止」ならぬ、「土足歓迎」です。
ご自分のご自宅や学校・会社、市の施設がどこにあるか、目と足で感じ、探してみてくださいね~
春日部市の「へそ」をさぐる
春日部市の「へそ」はどこでしょうか。「へそ」とは、人の腹部にあるくぼみ(おへそ)のことですが、転じて、物の中央にあたる部分、物事の重要な部分の意でも使われます。春日部市の「へそ」を探る方法を思案すると、市域の中心地点(これを幾何的重心というそうです)が思い浮かびます。それを求めるのは複雑な数式を解かなければならないので、それは後考に期すとして、人文学的には次の二つのアプローチが思い浮かびます。
①仮説上の「へそ」
最近の国勢調査では、全国の市町村別の人口重心が公開されています。
人口重心とは、人口の1人1人が同じ重さを持つと仮定して、その地域内の人口が全体として平衡を保つことができる点をいいます。
平成27年の国勢調査によれば、春日部市の人口重心は、東経139度45分55.14秒 北緯35度58分16.1秒ということがわかりました。地図におとすと、ゆりのき通と東武線が交差するアンダーパスの南側の付近(緑町1丁目14番地)に相当します。ちなみ、平成22年の国勢調査による人口重心は、東経139度45分55.10秒 北緯35度58分15.67秒となり、この5年間で約5m北西に移動したことがわかります。
②市政における「へそ」
春日部市には「中央」という住居表示があります。
春日部市の「中央」は、元は大字粕壁の一部、春日部駅西口に展開する商業地区および住宅地区にあたります。昭和43年(1968)9月の市議会で、大字粕壁字内出(うちで)、八木崎(やぎさき)、馬草場(ばくさば)を、中央一丁目、二丁目と定めることになり、昭和44年(1969)7月26日に誕生しました。
当時の春日部市は武里団地の造成をはじめとして、人口が急速に増加する傾向にありました。とりわけ現在の「中央」一帯は、昭和42年(1967)の国民体育大会に伴う整備以降、商業地区・官公庁が集約される地区として急速に発展を遂げていきました。昭和44年(1969)1月には市立病院が完成、同45年(1970)12月には市役所(現庁舎)が完成、同46年(1971)12月には駅西口改札が開設され、市の「中央」としての機能を備えいきました。
「中央」の住居表示を得た、春日部駅西口の付近の貴重な写真を紹介しましょう。いずれも当時としてはまだ珍しいカラー写真で市の刊行物に掲載されたものです。一枚目は昭和45年(1970)頃の春日部駅西口付近を空撮したものです(当時は西口改札はまだありませんでした)。
低地に広がる田圃が、直線・直角の街路で整然と区画されいったことがわかります。
次は、昭和46年(1971)ごろの市庁舎より春日部駅方面を眺めた写真。
駅のホームまで見通せます。東口には今はなきスーパーマーケット(尾張屋・ニチイ)が建っています。
ところで、春日部市のみならず、昭和40年代から50年代にかけて県内各市町で「中央」の住居表示が創られていきました。県内の「中央」を列記すると以下の通りです(『角川日本地名大辞典』11埼玉県、昭和55年)。
・草加市 昭和41年(1966)4月に草加駅付近を「中央」
・蕨市 昭和41年(1966)10月に市の中央部・蕨駅付近を「中央」
・加須市 昭和42年(1967)5月に加須駅付近を「中央」
・本庄市 昭和45年(1970)9月に市の中央部・官公庁が集約される地区を「中央」
・上福岡市 昭和47年(1972)4月に市の中央部・上福岡駅近くを「中央」(現ふじみ野市上福岡中央)
・北本市 昭和48年(1973)6月に北本駅付近を「中央」
・久喜市 昭和48年(1973)11月に市の中央部・久喜駅付近を「中央」
・行田市 昭和51年(1976)2月に市の中央部・行田市駅南口付近を「中央」
昭和55年以降、栗橋町にも「中央」(現久喜市栗橋中央)、鷲宮町にも「中央」(現久喜市鷲宮中央)が創られていったようです。最近の例では、お隣のさいたま市では、平成15年(2003)4月の政令指定都市施行に伴い、旧与野市域が「中央区」と命名されています。
高度経済成長期の行政は、官公庁や市街地の中心となる駅周辺部を町の中心として「中央」と名付けたがる傾向があるようです。町が「中央」を基点にして発展することは歓迎すべきことではありますが、「中央」と名付けられることによって、「馬草場」や「与野」といった先人たちがつけた地名が失われていく側面も見逃せません。
いずれにしても、昭和40~50年代、あるいは1960~70年代にかけて、春日部市をはじめ埼玉県下の市は、高度経済成長の波にのみこまれて、都市化を遂げ、現在の町に至っているといっても過言ではありません。
春日部市に「中央」という「へそ」がが生まれたのは1960年代。春日部の町がどのように変わっていったのか、詳しく知りたいなぁ~、と思う今日この頃です。
・・・今後の郷土資料館の活動にご期待ください。
資料を寄贈いただきました♪
令和2年6月23日(火)には、市民の方から歴史資料の寄贈をいただきました。
ありがとうございます。
内容は、『上柳区・川端支部(川端組)の青年会』の昭和25年(1950年)から令和元年(2019年)までの青年会の総会についての財務収支表です。
●資料名:春秋青年会当番賄控帳 川端組
●年代:昭和25年9月~令和2年3月
●大きさ:縦 33㎝ 横 12㎝ 厚さ 2.5㎝
戦後から令和にいたる、時代ごとの物価・品物・社会状況などを垣間見ることができる大変貴重な資料であり、「飲み物、食べ物の値段は70年でこんなに変わるものなのか」と改めて実感する事ができました。
上柳地区川端支部の皆さま、代々引き継がれる資料を寄贈いただき、ありがとうございました。