過去ブログ(平成27年度)

2015年5月の記事一覧

その2 カウンセラーの眼「半歩先の目標を立てる!」

<カウンセラーの眼「半歩先の目標を立てる!」> 「半歩先の目標を立てる!」この言葉は、青山学院大学陸上球技部監督の原 晋(はら すすむ)先生がイテビのインタビューに答えて言ったものです。

「大学箱根駅伝大会優勝」で、注目を集めている監督の一人が、原先生です。

新入部員を勧誘するときは、「イケメン、男前を選びます。」「男前と言っても、ジャニーズ系ではなく、表現力が豊かな子を選びます。」と、言っていました。テレビに登場する部員たちを見ると、全員、かっこよい青年で、ニコニコ笑顔がさわやかな感じを受けます。

原先生の指導法の一つが、「半歩先の目標を立てる」という考えがあります。「半歩先の目標」を立て、「できた」「楽しいな」「もう少しできるかな」という思いがあるから、一歩進み、それを積み上げることで、気がつくとはるか遠くまで来ているというわけです。

例えば、一定の距離を「29分」で走る目標を持っても、「30分」で走る部員に「29分50秒で走ろう」という目標を持たせ走らせ、達成できたら評価してあげるそうです。 この「半歩先の目標」の連続が、いつしか「29分」で走りきれる部員になるそうです。

***原 晋監督のこの考え方は、学校教育の世界でも使えると、感じました。子どもたちを褒めながら、やる気と自信を引き出しながら、「半歩前先の目標」を持たせ、「学力向上」や「種々な力テストの得点向上」にも利用できると思いました。

5月14日(木)その3 カウンセラーの眼「分かち合って生きること」

<カウンセラーの眼「分かち合って生きること」> 他の動物と人間が決定的に違うのは、「分かち合って生きる」ことができることです。

人間の祖先が、二足歩行をはじめたとき、骨盤が変形し産道が狭くなり、出産に手助けが必要になったという生物学の知見。

7万4千年前、トバ火山の噴火によって平均気温が12度も下がって、人類が絶滅の危機に遭遇したとき、争いではなく助け合ったことによって生き延びることができた、という数々の考古学的な知見。

人間は、昔から、危機のとき、独占せずに助け合った方が生き残れるという知識を身につけてきました。見ず知らずの人と争いを繰り返せば、追い詰められる。

「分かち合った」方が、生き延びて、世界のほかの大陸へと人間は広がっていった。

***このような人類が学んできた知恵や知識「分かち合い」、「助け合って」をこの矢板中でも広げられるといいですね。

******参考文献「学校賛歌ブックレット」号外11 小野田 正利  2015,2月増刷  5ページから引用

5月14日(木)その2 歯科検診

 
 

<歯科検診> 本日、8時45分から午前中、歯科校医の八板 誠先生と八板 崇先生が来校し、1年、2年、3年生の検診をしていただきました。

静かに廊下で待ち、受診の態度も素直で、いい生徒たちですね、という話しを八板誠・崇先生からいただきました。検診もスムーズに流れた関係で、11時30分には終了することができました。

***八板 誠先生は、矢中の歯科校医、54年目になります。本校第4代校長の「斎藤 邦平」先生の時から、校医をしているという話しをしておられました。

その3 掲示、図書コーナー「今日、気になった掲示」

 
 
 
 

<掲示、図書コーナー「今日、廊下を歩いていて気になった掲示」> 学校の廊下には、色々な掲示、掲示物が貼られています。 それぞれに、意図的、計画的、学習に働きかけるような掲示を、生徒会各専門委員会や本校職員たちが考えて掲示をしています。

今日、廊下を歩いていて、私が気になった掲示物です。

〇 写真1,2,3枚目・・・3年生の廊下に設置された「図書コーナー」です。短時間で、簡単に、頭を使わないで読める本などが10冊置いてありました。

〇 写真4枚目・・・・・・1階東側階段踊り場に掲示された「3年の学年目標」です。 朝、登校したときに、3年生徒が必ず見る、見える場所に掲示されています。

〇 写真5,6、7,8枚目・・・第1校舎1階相談室横の英語掲示コーナーに貼られている2点です。クリスタル先生とリース先生が作成してくれました。 1つ目は、「When is your birthday?」。 月ごとの「誕生日」の色や石、花、Key wordsが英語で掲示されています。私は1月なので、色は「Red」、花は「Carnation」、石は「Garnet」、KEY WORDSは「Action, Fun and Free」と書いてありました。 もう一つの掲示は、リース先生の母国「オーストラリア」の地域の紹介を写真と英語の文章で書かれています。

***4年前、前々任校の喜連川中の時、さくら市の中学生海外派遣事業で副団長で参加した「オーストラリアのマレニー・ハイスクール」を思い出しました。

5月12日(火)その3 校長室コラム「朝のあいさつ運動」 

 
 


<校長室コラム「朝、あいさつ運動」> 気になる「台風6号」ですが、明日朝の登校は、「通常どおり」を考えています。

台風の影響で、16時現在、大粒の雨が降り始めています。台風本体は、今日の夜から明け方にかけて、関東地方を通過するようです。雨と強風には十分、気をつけてください。

さて、火曜日の朝は、「あいさつ運動」の日です。今日も、校門付近で「生徒会役員」と「職員」が並び、大きな声であいさつをしていました。

また、各学年昇降口には、学年主任や副主任、副担が「おはようございます。」と声をかけていました。

各学級では、担任が生徒たちを出迎え、あいさつをしていました。

5月12日(火)その2 カウンセラーの眼「夫婦は一心同体?」

<カウンセラーの眼「夫婦は一心同体?」> 結婚式、披露宴の「主賓あいさつ」の中で、よく聞くセンテンスが「夫婦は一心同体である」です。

男女が結婚を決意するときは、性格や趣味、考え方など、お互い相通じるものを感じるものです。しかし、二人で生活していく中で、気持ちのすれ違いや価値観の相違を意識するようになってきます(ならない人もいるかもしれませんが・・・)。

夫婦は、生まれ育った環境や考え方、性格も同じではありません。そこで、夫婦はどんなに近い関係(存在)でも、「一心同体」とは考えにくいものです。「二心異体(にしんいたい)」の二人が、生活し、互いの長所や短所、性格、趣味、特技などを認め、受け止める中で、相手に感謝や思いやりを感じていきます。最終的には、「異体」の二人が、「一心」になるのが「夫婦」なのかもしれません。

***参考文献「ニューモラル」NO,548 モラロジー研究所  平成27年4月号 12,13ページ

5月11日(月)その3 校長室コラム

「コの字型机配置の学級が増えました」

 
 


<校長室コラム「コの字型机配置の学級が増えました」> 「台風6号」が明日夜、関東地方を通過する予報が出ています。気温がまだ低いので、大きな台風にはならないようです。

今年度の「矢中グランド・デザイン」の中の総括的な考え方6つの一つに「学びの共同体」があります。学び合い学習の形態例に「コの字型机配置」があります。3年2組では、半年前から実践、研究をしているところですが、従来の基本型(黒板に向かって横列に並ぶ机配置)を変えられない担任が多い中で、今日から1年3組が「コの字型」に挑戦してくれました。

午前中、英語科の授業(写真)を参観しましたが、教科担任と生徒間の距離が近くなり、生徒たちが回りの友達の顔が見られて笑顔がたくさん見られました。「学び合い」がし易く、2人組みも「横の子と」「前と後ろの子と」など、バリエーションもあります。

***今後、他のクラスも順次、「コの字型」を挑戦していくものと考えています。

5月11日(月)その2 春の全国交通安全運動 初日

 
 
 

<春の全国交通安全運動 初日>今日から、「春の全国交通安全運動」がはじまりました。 運動期間は5月20日までです。期間中、交通安全につとめてほしいです。

私は、7時30分から「富田の交差点」で立哨指導をしました。富田と木幡地区から約50名の生徒たちが自転車で通過していきました。立哨指導に立ってくれていた「市役所職員」や「市議」、「交通安全母の会」、「トラック協会」、「区長」さんなどに、朝のあいさつをしていく生徒は3分の2でした。地域の中でも「あいさつ」ができる生徒に育てないといけないと感じました。

「ヘルメット」はほとんどがかぶっていました。残念ながら、3年男子2名が、「ノー・ヘル」で行ってしまいました。昨年から指導していますが、親の協力が得られず、「ヘルメット着用」の約束が定着できない生徒がいます。

5月9日(土)その2 校長室コラム

「自己研修 宮城の閖上地区に行ってきました」

 
 
 
 

(写真は、高波の被害にあった「閖上中学校」)

 
 

<写真は、家が撤去され震災4年後、更地になった「閖上地区」の町並み>

<校長室コラム「自己研修 宮城の閖上地区に行ってきました」> 「3,11」東日本大震災から4年が経過しました。「大津波」で大被害を受けた地域が4年経って、今、どうなっているのか、自分の目で確認したい欲求にかられ、個人的に「バスツアー」に参加しました。

震災後、1年後にも同じ場所を私は訪れましたが、4年後の今、どのように復興が進んできているのか、直接、見ることができました。

訪問場所は、宮城県名取市「閖上(ゆりあげ)地区」でした。 「震災語りべ」の菊地さんから、地区内を案内していただきながら、以前の閖上の風景と現在のようすを比較しながら、話しを伺いました。

海岸から1km離れた「閖上中学校」(津波は2mの高さだった)では、通常なら、約150名の生徒を階の上や屋上に避難させれば全員、無事だったものを、大津波発生当日は運悪く「卒業式」で、午前中で生徒たちは下校していたそうです。そこで、海側に家のある生徒14名が、8mの高波にのまれて亡くなったそうです。写真の「閖上中学校」は、現在、海から5kmほど離れた「仮設校舎」に移って生徒たちは学習しているそうです。

***大震災と高波から4年が経過しましたが、復興途上にある「閖上地区」です。震災に遭遇した子どもたちは、いまだに震災のフラッシュバックが起きて不安がったり、夜、一人でいられない(眠れない)子も多いそうです。 震災の爪痕は、まだまだ癒えていない現状を見て感じて帰ってきました。